Part4 覚醒

 会場にはアリーナから遠い観客にも試合を観易いよう、モニターが複数設置されている。

 モニターの映像には、ステージ上の様子の他、残り時間が表示されていた。


 試合時間は通常五分。そのタイマーが、残り二分を切ろうとしている。


「あれが、若しあれだとすれば……そろそろだな」


 アマクサが言った。


 一回戦のタクマの試合は、退屈そうな眼で見ていたアマクサだったが、試合としてはつまらない内容の二回戦は、終始真剣な眼差しでステージを見下ろしていた。


「装着者としても限界が近いでしょうし、ここから逆転する術は他にありませんからねぇ」


 ハルアキも眼鏡の奥に楽しそうな色を浮かべている。


 インヘルだけが変わらずにいた。紙パックの苺ミルクを取り出して、ストローを外そうとしているが手間取ってしまい、ハルアキに飲み口に刺すまでやって貰った。ちゅー、と、少しずつ中身を啜っている。


「お……」


 立ち上がった白いコンバット・テクターを見て、アマクサが気付いた。

 額のモニターを兼ねるランプが、赤い光を放ち始めている。


「来たか……」






 何とか立ち上がった俺は、モニターの内部が赤々と輝き始めたのを見て、始まってしまったか……と、思った。


 さっきの〈ラプティック・ブレイヴ〉との訓練では、ここまではいかなかった。この状態になり掛けた所で、ルカちゃんが訓練をやめたのだ。


 だからルカちゃんは、この白いコンバット・テクターの、本当の力を知らない。


「何かまだ隠している機能があるのか? しゃらくせぇ、叩き潰してやるぜ」


〈グランド・バスター〉が腰溜めに剣を構えた。そのまま突撃して来る。足底のバーニアを吹かし、加速した金色の鎧が、龍殺しの剣を持って迫った。


 眼の前の赤いモニターから、一切の表示が消えた。代わりにただ一言、



  Kukulkan



 という綴りが現れた。


 ドラゴブレードが眼前に迫っていた。頭上に振り上げた剣を、俺の脳天に斬り下ろそうというのだった。


 俺の手が動いた。動かされたのだ。


 俺は左手を持ち上げ、振り下ろされたドラゴブレードの刀身を掴んでいた。


「何!?」


 と、タクマは動揺した風な事を言った。だが、そもそもこの試合場で、切断力を有した武器の使用は規制されている。なので使用される刀剣類は、斬るというよりも叩き潰す事に特化している場合が多い。ドラゴブレードもその類だ。


〈グランド・バスター〉はドラゴブレードに自分の全体重を乗せて、そのまま俺を押し潰そうとした。だが俺の腕が素早く奔り、左手で捉えたドラゴブレードに右肘を叩き付け、圧し折った。


 そして返す裏拳で、〈グランド・バスター〉の頭部を打ち抜いたのだった。


〈グランド・バスター〉が吹き飛んでゆく。受け身を取ってすぐ膝立ちの姿勢になったが、予期せぬ反撃に驚いた事だろう。


 だが、俺の意思ではない。運動サポート型が、幾ら装着者を無視して動く場合があると言っても、基本的な肉体とアーマーの権限は当然のように着装者にある。この場合は違った。俺の意思ではなく装甲そのもののコンピュータが、今のような動きをさせたのだ。


 ――いや。


 それも、きっと違う。


 だって俺の脳裏には、俺の身体がどう動くかのヴィジョンが見えていた。つまり、俺の身体を動かしたのは俺だという事だ。


 当たり前の事だと思われるだろうが忘れてはいないだろうか、俺は人の顔を殴る事が出来ない。殴られれば痛いという事を知っているし、その後の報復が恐ろしいからだ。どうにかテクストロに参加しては見たものの、使った技はローキックや胸辺りへのパンチくらいで、顔にはついぞ狙いを付けていない。


 その俺が、自分の意思で、タクマの顔面を殴ったのだ。そして迷いなくヒットした。


 どくん、どくん、どくん……


 心臓が高鳴っている。


 その一方で、頭の中が冷たくなり、そのまま意識を失ってしまいそうになっていた。


 白いヘルメットの内側を満たした、赤い光……


 イアンの言っていた事が、何となく分かるような気がした。


 このコンバット・テクターは、イアンには使えない。ルカちゃんにもイツヴァちゃんにも、彼らの中では比較的達観した所のあるアミカちゃんにだって、使う事は出来ないだろう。いや、使用自体は可能だ。使う事だけならば……


 勿論、そんなものを俺が使いこなせるかと言ったら、分からない。今から起こる事は、きっと俺がこれの使用者として相応しくなかったと、それを提示してしまう事になるだろう。


 けれど、それは、タクマの責任だ。

 この男が相手だったから、俺はここまで、昂ってしまっている。


 この男は何度も俺を貶し、それだけなら慣れているし気にもならないが、それだけではなくイアンの不幸を嗤い、イアンの家族を貶め、イアン本人を嘲弄した。


 許さない、と。

 敗ける訳にはいかない、と。


 俺が、今まで滅多に起こさず、そして出来る事ならば生涯押さえ付けようとしていた衝動が、引き摺り出されそうになっていた。


 それが、このコンバット・テクターの……本当の……力……






 ――舐めやがって。


 タクマは頬の痛みを感じながら、思った。


 まさか自慢のドラゴブレードが破壊されるとは、思わなかった。しかも、同じような武器で壊されるのではない、渾身の振り下ろしを片手で止められ、その上、肘で圧し折られるなどとは想像もしなかった。


 更に自分が顔を殴られるという事も。


 これがイアンなら、戦いの中でそういう事はあるだろうと思っていた。心底、彼の事を見下しているタクマだったが、イアンと〈パープル・ペイン〉の強さは充分に理解している。彼と試合をしたら、どちらが勝つかは兎も角、双方無事に済まない事は分かっていた。


 だが、自分の顔を殴ったのは、イアンのリザーバーで、今までテクストロに参加した事もない素人みたいな奴だ。なよなよとした軟弱そうな奴で、腹に一発拳をねじ込んでやれば小便を垂れて泣き喚いてしまいそうなくらいだ。


 それが、あんな鋭い裏拳を放つとは思わなかった。


 殆ど徒手のような状態で自分に挑み、蹴り転がされ投げ飛ばされるかしかなかったのは、擬態の心算か? そうではないだろう、タクマは鎧の上からでもあれがアキセ=イェツィノという人物の正体だと分かっていた。


 では今の攻撃は? 恐らくは感知・サポート型特有の、自動防御か。それにしては動きがスマート過ぎたように思うが、イアンがそんな風に設定したのだろうか。


 何はともあれ――


 自分に恥を掻かせたのがあいつのような素人だという事は許せない。


 タクマは立ち上がり、追撃を仕掛けて来ない白いコンバット・テクターに向けて構えた。


 この試合では、まともにやってやると言った手前、反則すれすれの事はやっていない。ここから先も同じだ、真っ当にやって、真っ当に勝てる事を、会場中の全ての人間に対して示さねばならなかった。


 ――近付きざまに後ろ蹴りの要領で足を払って、フック軌道のアッパーカットで顎を抜き、ぐらついた所をラッシュのフェイントを掛け、防御に使った腕を掴んで投げ飛ばす。


 タクマは頭の中で基本プランを練り上げ、白いコンバット・テクターに近付いて行った。


 その時――


「え」


 タクマは眼前に蒼い壁が広がっているのを見た。

 不思議だったのは、壁の周りに人が群れている事だった。タクマの視界はそのまま移動し、逆さまの観客席が見えて来た。


 ――何だと!?


 タクマは自分が、後ろに倒れそうになっていたのに気付いた。体勢を立て直したタクマの眼の前に、白いコンバット・テクターの顔があった。眉間のランプが、赤い月のように冴えている。


「こいつ!」


 タクマは右のストレートを顔面にぶち込んだ。手応えのない拳が通り過ぎる。白いコンバット・テクターが、空気に光の残滓を置き去って消えていた。


 ――後ろ!


 と、気付いた時にはタクマは腰を強く蹴り出され、反り返るような形で吹き飛ばされていた。そのままステージから落下しそうになるのを、側転するように地面に手を突いて反転し、防いだ。


 ぞっ……とした。


 視界が僅かに暗くなる。

 頭上に白いコンバット・テクターがいた。


 横に逃げると、ステージを蹴り砕いた白いコンバット・テクターが、脇を通り過ぎていた。この時に横に伸ばした腕が、〈グランド・バスター〉の顔面を捉えており、タクマは縦に数回転させられた。


 うつ伏せになった〈グランド・バスター〉の背に、白いコンバット・テクターのエルボーが落下した。背中に喰い込む毒針の如きエルボードロップは、タクマの肉の内側に嫌な悲鳴を起こさせた。


 白いコンバット・テクターは動きを止めた〈グランド・バスター〉の右腕を背中側にひねると、手首を握って肘に掌を押し当てた。


「やめろ……」


 タクマの懇願を聞く間もなく、白いコンバット・テクターは〈グランド・バスター〉の右腕を破壊した。

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