Part2 暗示

 二回戦も終盤に近付いて来ている。


 αブロックと、βブロックからは、それぞれ勝利した五名が順当に勝ち上がった。


 γブロックでは、試合には勝ったもののダメージが大きく、三回戦進出を断念した選手がおり、リザーバーが三回戦に出る事になった。


 δブロックでダブルノックアウトが起こり、ノーゲームになったが三回戦進出は果たせず。αブロックと、βブロックのそれぞれリザーバーが試合を行ない、勝者がγブロックに参戦する事になる。


 そして、δブロック二回戦一〇試合目。


 δブロック二回戦進出選手は問題なく出そろっていたが、シード選手が無傷のまま三回戦に出て、それまで勝ち上がって来た疲労の残る選手と試合を行なうのは不公平という事で、二回戦進出選手の中からシード選手と戦う事になる選手が選ばれる。


 主催者側からはタクマを推しており――恐らくハルアキが語ったのと同じ思惑があった――、何よりタクマ自身がそれを希望した事で、選出はすんなりと決まった。


「大丈夫でしょうか……」


 控室からアリーナのセコンド席にやって来て、アミカは不安げだった。

 その隣に、イツヴァがいる。彼女も不安を隠し切れていない。


「彼が使うコンバット・テクターって、今日、イアンくんから預かったものなんでしょう? 使いこなせるのかしら……」


 ツァ=ヴォミも顧問としてセコンドに就いている。


「大丈夫……」


 ルカが力強く言った。


「絶対に敗けないッ、アキセは、絶対に勝つ……!」


 それは確信に満ちたものではない。祈りと、不安を解消する為の自己暗示だった。


 ルカは知らぬ間に両手を強く合わせ、アキセの勝利を祈っていた。合掌とか祈願とか、そんな言葉は知らないし、祈る神さえ教えられていないルカだったが、その姿は敬虔な巡礼者のそれだった。


 δブロック二回戦第三試合が始まり、第五試合の選手はステージ近くで待機するよう案内があった。


 ルカは、アキセの事を待った。






 ――もうすぐ、試合が始まる……。


 俺はトイレの洗面台の所で、顔を洗っていた。


 一〇分くらい前まで、イアンから託されたコンバット・テクターに身体を慣らしていたのだ。


 授業以外で初めて身に着けるコンバット・テクターに、どうにか追い付けるようになった。


 ルカちゃんが着甲する〈ラプティック・ブレイヴ〉は攻守共に優秀で、スピードもそこそこの万能型だ。本体にはこれと言って特徴はないが、それだけにあらゆる追加武装に対応していて、ツインジェネレータドライブシステムを適用した換装機能を駆使して戦うタイプだ。


 俺の訓練に付き合ってくれた時は、スカイブースターとストライクマグナム、インパルスセイバーを装備した機動性と安定性を重視した装備を身に着けていた。武装ユニットなしの〈ラプティック・ブレイヴ〉に機動力を足し、射程距離を伸ばしたものだ。


 その〈ラプティック・ブレイヴ〉との訓練で、白いコンバット・テクターの性能を全て引き出す事は出来なかった。だが、イアンが俺に合わせて調整してくれたという事もあり、使い心地は悪くない。


 けれど……


 ――勝てるのか!?


 授業ならば、あれで充分だ。

 授業中の模擬訓練でも、そこそこ行けるだろう。


 だがテクストロの場で、あの傍若無人を相手にして、何処までやれる?


 逃げないと言ったし、勝つと言ったが、果たして攻撃を入れる事さえ出来るのか分からない。


 怖かった。

 恐ろしかった。


 敗ける事だ。


 けれど、敗ける痛み……を想像して震えているのではない。


 俺が洗面台の鏡の前で蒼い顔をしているのは、俺が敗北する事でイアンが受ける謗りの事だ。


 俺はイアンの代わりにここにいる。俺が敗ける事はイアンが敗ける事だった。俺が敗ければイアンの誇りはずたずたに踏み躙られる。彼の将来を、俺が閉ざしてしまうような気がしていた。


 許されない。

 そんな事は許されなかった。


 若し出来る事ならば、今すぐにこの命を絶って、この世界の事を忘れてしまいたい。


 トイレから出た瞬間、テロリストに出くわして銃殺されても良い。

 この会場が、何らかの災害に巻き込まれて試合が中断されても良い。


 敗けたくない。

 敗けさえしなければ、幾らでも言い訳が出来る。


 ……いや。


 そもそもこんな考えが間違っているのだ。

 イアンの為だと言うのなら、敗けるとか試合に出ないとか、そんな考えは許されない。


 勝つんだ。

 勝つんだ。

 勝つんだ。

 勝つんだ。

 勝つんだ!


 俺は暗示のように心の中で繰り返した。


 あのタクマと、〈グランド・バスター〉と戦って、勝つ。

 奴を、倒す……。

 イアンの為に。


「……やるんだ」


 俺は口に出して呟いた。


「勝つんだ!」


 脳から発せられ、言葉として声に出した意志は、耳から再び脳に向かい、心に蓄えられる。


 より強く、俺の心に刻まれる。


 恐怖は、ある。

 迷いも、ある。

 けれど俺は、恐怖も迷いも振り切った心算で、顔を持ち上げた。


 鏡に、アキセ=イェツィノの顔が映っていた。


「やるぞ……アキセ」


 俺はアキセに話し掛けた。アキセも俺にそう言っていた。


「やるぞ……アキセ」


 俺はトイレから出た。

 試合場に向かった。






 丁度、第四試合が終わった所だった。


 俺と入れ違うような形で、俺と同じ東コーナーから出場した選手が、担架に乗せられてゆく。一回戦で〈グランド・バスター〉にやられたコウ選手程ではないが、彼も酷い負傷だった。


「アキセ……」


 ルカちゃんたちが俺に駆け寄って来た。


 俺は彼女らに頷いて、両手足首と腰のベルトを確認した。右腕にコンヴァータを装着し、ベルトのホルスターから二つのカプセルを取り出した。


 オクタゴンの辺の前に、移動式のタラップが運ばれて来て、俺はそれでステージに上がった。初めて見るステージは異様に広く、観客たちの熱気がもろに覆い被さって来た。怯みそうになるのをぐっと堪えて深呼吸を繰り返す。


「逃げなかったとは感心だな!」


 ステージの反対側から、タクマが言った。

 まだ俺が、逃げると思っていたらしい。


 審判が、俺たちがステージに上がったのを確認し、中央に歩み寄らせた。


 間に五メートルの距離を開けて立ち止まった俺たちを見比べて、審判が言う。


「今更説明するまでもない事だが、テクストロのルールについてだ」


 試合時間は五分。それ以内に決着が付かなければ三〇秒のインターバルの後で二分間の延長戦を行ない、それでも勝者が決まらなければ更に一五秒のインターバルと一分間の延長。試合はそこまでで、後は判定で勝敗が決まる。


 決着は、相手のコンバット・テクターを解除させる、ギブアップする、ダウンから一〇秒間テンカウント以内に立ち上がらない、ステージから落ちて二〇秒が経過する。


 銃火器については、検査を通った圧縮ゴム弾と、威力を調節したレーザー兵器が許可される。


 刀剣類・鈍器類も、事前に検査を行なって不正がない事を確認していれば、どのような形状のものでも使用可能である。


 ガス兵器や細菌兵器、亦、核兵器やこれに準ずるものの携行は不可。


 肉弾戦に於いてはこれと言った制約は設けていないが、相手選手に死の危険性があると審判が判断した場合は、止めに入る事がある。


「OK?」

「分かってるよ」

「了承しています」

「――良し」


 審判はタクマに不審げな眼を向けたが、納得してステージの端まで下がった。

 アナウンスが入る。


『ただいまから、δブロック二回戦第五試合、

 東、アキセ=イェツィノ選手

 西、タクマ=ゴルバッサ選手〈グランド・バスター〉の試合を、開始致します』

「両者、着甲!」


 俺は右腕の、タクマは左腕のコンヴァータにカプセルをセットして、声紋認識を行なった。


「着甲!」

「着甲!」


 タクマの身体に、黄金色の金属粒子が絡み付く。下世話な程に輝く、大剣と巨砲を背負った甲冑、〈グランド・バスター〉が現れた。


 俺のコンヴァータからも銀と白の粒子が放射され、俺の体表面に吹き付けられた。身体にフィットする形状記憶合金が構成する繊維とジェネレータを備えたアンダー・マッスルに、銀色のスキン・アーマー。規定成型超合金が造り上げる白いメタル・プレート。


 俺の視界は一瞬覆われて、雲が裂けて月の光が射すように開かれた。


 バイザーにはタクマの金色のコンバット・テクターを捉え、その姿をロックオンしていた。


 余計な音……観客の声などは聞こえない。戦闘に必要か否かを小型AIが判断し、俺の耳に届けてくれる。必要なのはステージ上の音だけだった。


「レディ!?」


 審判が言った。


「3!」


 タクマは一回戦とは違う構えだった。左足を前に出している事は同じだが、両腕を胸の前に持ち上げている。左手を気持ち前にやり、右手は拳を作って顎の横まで引いていた。


「2!」


 俺は右足を前に出した。両手を開いて前方に突き出し、どうにかへっぴり腰にならないように胸を反らしている。足運びがし易いように両足の踵を軽く持ち上げて置いた。


「1!」


 心臓がばくばくと激動する。全身がかっと熱くなっていた。背中がちりちりと焦げるように熱を帯び、下腹部からすぅっと血の気が引く。呼吸が少し苦しい、俺はレギュレータから送られて来る新鮮な酸素を吸い、吐き出した。


「テクストロ!」


 試合が始まった。






「あれが――」


 アマクサは、試合開始のコールを盛り上げる客席の中で、ハルアキに言った。タクマの戦いを侮蔑していた表情は掻き消えて、何処か焦りのようなものが覗いている。


「あれか!? お前はあれの事を言っていたのか!?」


 面白いもの、の事だ。ハルアキの言う面白いものとは、あの白いコンバット・テクターなのか!?


「ええ、そうです」


 ぐっとせり出した頭部に、巨大な胸板、背中には大きな鉄の翼


「何故、あれが……どういう事だ!?」


 動揺するアマクサと、心なしか眼を楽しげに歪ませるハルアキに挟まれ、漸く肉まんを一つ食べ終えたインヘルは、蚊の泣くような声で言った。


「くくるかん……」

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