Part6 着甲

 擂り鉢状の会場には、普段は屋根が付いているが、行事の種類によっては展開して空を眺められるようになる。テクストロは後者であった。


 アリーナの真ん中に、頂点に柱を立てたオクタゴンのステージが用意されている。オクタゴンの外は芝生になっており、落下してから二〇秒以内にステージに戻らないと敗北する。


 今、δブロックの試合が行なわれている所だった。一回戦七戦目、通算で言えば三七試合目だ。どちらも巧みな戦法を取るが、互いに慎重過ぎてエンターテインメント性には欠ける。


 観客席は、一階固定が各八〇〇席。

 二階固定席が各一〇〇〇席。

 三階固定席が各一二〇〇席。

 三階立見席が各一二〇席。

 仮設のアリーナ席は最大で三〇〇〇まで用意する事が出来るが、今回は五〇〇席。


 その南側三階固定席最上段に、その男はいた。


 黒いパーカーに黒いズボン、黒いスニーカー、黒いキャップにふちが大きく黒い眼鏡、黒いマスクを身に着けた、導師グーリーだ。


 グーリーは左手に売店で購入したオレンジジュースを持ち、ペットボトルにストローを差して、マスクの隙間から口に咥えて飲んでいる。


「ただいま」


 その横に、一人の少女がやって来た。犬のぬいぐるみを抱え、もう片方の手にホットスナックを入れたビニール袋を提げた、ゴスロリ風の衣装を纏った少女だ。イアンを出場不能に追い込んだ彼女は、“ブランクエリア”の喫茶店地下で、カインやジュストたちと一緒にいたインヘルである。


「お帰りなさい……」


 そう言おうとしたグーリーだったが、インヘルが一人ではなく、背の高い男を引き連れているのを見て言葉を止めた。


 見事に鍛えられた長身を、タイトなデニムのパンツと、特注のブルゾンで覆った、アマクサと呼ばれた男であった。

 四角い顎に薄っすらと髭が生えており、太い眉が凛々しかった。


「アマクサ……」

「楽しそうだな、導師」

「ここで、その名前はやめなさい」

「ああ、そうだったな、ハルアキ」


 アマクサはそう言うと、グーリー……ハルアキと、インヘルを挟んで座席に腰掛けた。


 インヘルは脚をぶらぶらさせながら、ビニール袋から取り出した肉まんを食べ始めている。無表情ではあるが、もさもさと小さい口で肉まんを頬張る様子は、歳相応の純粋さを持っているように見えた。


 アマクサはインヘルの持っていた袋から、Lサイズの紙コップに詰め込まれた唐揚げを取り出した。コップの側面にテープで貼り付けられていた楊枝を剥がし、一つずつ口に運んでゆく。


「ハルアキも、食べる……?」


 インヘルはもう一つの肉まんを、ハルアキに差し出した。ハルアキはほんの僅かに逡巡した様子を見せたが、


「頂きましょう」


 と、受け取った。

 マスクを上にずらして、少しずつ齧ってゆく。鼻から下顎まで、火傷の痕のように赤黒く引き攣れている。


「こんな所で何をしてるんだ?」


 アマクサが訊いた。


「何を、とは?」

「この間から、インヘルとつるんで何やら楽しい事をやってるみたいじゃないか。俺を仲間外れにするのはなしだぜ」

「仲間外れにした訳ではありませんよ。ただ、貴方は些か口が軽いので、我々の行動を言い触らされては嫌だなと思っただけです」

「心外だねぇ、俺はこれでもきちんとボウズだぜ。言うなと言われれば約束は守るさ。……だが、お前さんの言い方だと、俺たちに知られちゃまずい事をやっているようだな」

「少なくともジュストとアスランは怒るでしょうね……」

「あいつらは元から気が短いのさ。その点、この俺に関しちゃ心配するなよ、誰にも言わねぇ。何をやっているのか教えろよ」

「――」

「正直な話、俺は改革だの復権だのには興味がねぇんだ。これはこれで構わねぇと思ってよ。国家からの迫害に耐える修行僧ってのも、ロマンがあるだろう?」


 アマクサはにっと微笑んだ。

 火のように熱い笑みだった。


「試練……という奴ですか」

「そこまで考えちゃいねぇさ」

「復権のカタルシスがあってこそ、その苦しみには耐えられるものと思いますが……?」

「そうなればなったで嬉しいなってくらいさ」

「ロマンですか。……ええ、私も好きですよ。人が生きてゆくにはロマンがなければいけません」


 ハルアキは肉まんを食べ終えると、マスクを戻し、ストローを口の横から咥えた。


「そういう事でしたら、お教えしますよ、私の本当の狙いを……」

「ほう!」

「ですが、その前に……」


 ハルアキが言うと、会場内で放送が入った。


『観客の皆さまに、組み合わせ変更のお知らせです。δブロックシード権を持っていたイアン=テクニケルス選手が負傷の為、急遽欠場となりました。リザーバーとして、アキセ=イェツィノ選手が出場致します。尚、δブロック第一〇試合の組み合わせは、変わらず開始される事になります……』


「面白いものを、見ましょうか……」


 ハルアキはそう言って笑った。






 δブロック第一〇試合――


 出場選手がコールされ、オクタゴンの東側と西側からそれぞれステージに上がった。


 東から現れたのが、エントリーナンバー79のコウ=クラッスス。


 使用するコンバット・テクターは〈シェード・レイダー〉。出力は高くないが軽量級のアーマーで、〈パープル・ペイン〉と同じように高機動戦闘が可能だ。又、隠し武器が豊富で、光学迷彩機能も搭載され、かつて日本にいたニンジャを思わせる。


 西から、エントリーナンバー80のタクマ=ゴルバッサが歩み出た。


 タクマのアーマーは、〈グランド・バスター〉。能力値が全体的に高く、万能タイプだ。下世話な金色のボディに、隠そうともしない鉄塊のような大剣と巨砲を背中にマウントしている。あれだけの重量の武器を自在に操るのだから馬力は相当で、機動力も侮れない。


 俺たちは病院から駆け付けたアミカちゃんと合流し、控室の大型ヴィジョンで試合の様子を見ていた。


 俺の試合は、コウ選手とタクマとの試合が終わってから、二回戦に入り、その最終試合である。まだだいぶ時間があったが、俺はストレッチやマッサージで身体をほぐしながら、タクマの試合を見ている。


 審判はオクタゴンの北側の辺に立ち、二人が中央に向かって歩み寄るのを確認した。そして正面と、オクタゴンの柱の外側にいる副審たちと、お互いに礼をさせると、


「着甲!」


 と、声を上げた。


 着甲とは、コンバット・テクターをコンヴァータで射出し、装着する事である。


 コウ選手は腰のベルト、タクマは左腕のブレスレットに、それぞれコンヴァータを取り付けている。コンヴァータはトランスフォンより幾らか大振りな長方形で、短い方の辺にカプセルを挿し込む事で反対側の射出口から金属粒子が噴射される。


「着甲……!」

「着甲!」


 カプセルをセットすると声紋認識が開始され、登録された使用者の声によって蒸着の可否が判断される。二人の身体に二種類の金属粒子が吹き付けられて、あっと言う間に鋼鉄の戦士に生まれ変わった。


 二人とも、データで見た通りの姿だった。


〈シェード・レイダー〉は頭巾を被っているようなヘルメットに、横にした楕円形に近いゴーグルが突き出している。胸の先端が僅かに尖り、両肩は撫で肩に近い。左右の太腿に幾つものスロットが取り付けられていた。暗器の類だろう。確かにそのシルエットは、資料でしか見た事がないようなニンジャのそれだった。


 一方、タクマの〈グランド・バスター〉は、ヨーロッパの兜や甲冑を思わせる造形だ。胸の中央や、肩、腕、脚などには半透明のパーツが覆い被さっているが、これは展性に富んだ柔軟な外装であり、衝撃を緩和する。背中にはジェネレータパーツが取り付けられ、その両脇に大剣と巨砲をセットしていた。デザインソースだけを見るのならば、〈ブロッケン〉と似た構造であったが、受ける印象はカラーリングだけではなく真逆だった。


「レディ!?」


 着甲した二人を眺めて、審判が言った。

 会場中が盛り上がり、カウントダウンが始まる。


「3!」


〈シェード・レイダー〉は腰を深く沈めて構えた。左手を前に突き、右手を背中にやっている独特の構えだ。


「2!」


〈グランド・バスター〉は左半身を前に出し、右手で背中の剣の柄を握っていた。敵が接近して来たと同時に、抜刀して打ち下ろす心算だろうか。


「1!」


 構えた二人の間に、ぴりぴりと電流が走っている。触れれば感電してしまいそうな強い闘志のぶつかり合いが始まっていた。号令が掛かる前から、二人は既に戦っているのだ。


「テクストロ!」


 試合が、始まった。

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