Part4 巨影

 イアン=テクニケルス。


 実家は、元は自動車などの整備工場をやっていた。

 前々世紀から受け継いで来た家業だったが、イアンの父親の代では電導自動車が既に普及しており、それ以前の自動車が持ち込まれるような事は殆どなくなっていた。


 あったとしても、金持ちがコレクションを直す感覚で持ち込むばかりで、テクニケルス家に伝わる“車を快適に走らせる為の整備”技術は失われてゆくばかりであった。


 そこでイアンの父は、自動車整備工場の傍ら、コンバット・テクターの整備や改造の依頼を受ける事にした。コンバット・テクターは学生服と同じ程度に世間に普及しており、軍隊で使用されるばかりではなく、子供の習い事や主婦の健康維持、大型重機が入る事の難しい工事現場での使用などの機会も多く、前々世紀の車を整備するよりも多く依頼を受ける事が出来た。


 イアンが生まれた頃には、テクニケルス家はすっかり町のコンバット・テクター屋さんという風に親しまれていた。


 だが、聖痕神力騎士団を例に見るまでもなく、過激な思想団体によるテロリズムの頻発が、個人経営のコンバット・テクター整備工場にまで影響を与えた。


 人を守る盾にもなり得るが人を傷付ける矛にもなりかねないコンバット・テクターを、国から認められていない個人の手で整備や改造する事を控えるよう、告知があったのだ。


 五年前、コンバット・テクターを用いた大規模な反乱が起こったのである。


 現在、コンバット・テクターの製造・整備は、整備士免許の他、国家公務員試験を受けた上、ガイア連盟とRCF連合の許可を受けた工場でしか行なう事が出来ない。その試験を受ければ良いのではあるが、受験者の人格や家柄なども厳しくチェックされ、受験に掛かる費用も安くはない。


 テクニケルス家は常に近隣の住民と親睦を深め、情で以て仕事をしていた。公務員の仕事に私情を挟む事は厳禁だ、イアンの父はどうにか工面した受講料をドブに捨てる結果となった。


 以来、細々とした家電の修理などをやっていたのだが、遂には心労で倒れてしまう。母は夫の看病に付きっ切りになり、イアンやイツヴァを相手にする事が出来なかった。


 工場の父親の背中を見て育ったイアンは、自分は将来、工場を継ぐものだと思っていた。しかしその将来が、国家によって取り潰されようとしているのだった。


 一度公務員試験のチェックに落ちた父の為、イアンが試験を受けるには別に教室に通って公務員としての在り方や倫理について学ぶ必要があり、当然、それに伴って金も掛かる。父の看病だけで精いっぱいのイアンの将来は、閉ざされたようなものであった。


 だがイアンは、コンバット・テクターと触れ合う生き方は整備士だけではないと気付いた。自分がRCFのプロ選手か軍人になれば、後は知識とライセンスだけで自分のコンバット・テクターを自由にいじる事が出来る。


 プロテストを受けるにも、軍隊や警察に所属するにも、やはり金が要る。テクストロで優秀な成績を残せば、その受講料や警察学校・防衛大学への入学料が幾らか免除される事になる。


 又、春と秋に行なわれるセミプロテストを兼ねたテクストロに優勝し、全国大会まで勝ち上がれば、優勝賞金の他、返済不要の奨学金を手に入れる事が出来るのだった。


 イアンはその為に、今回のテクストロには特に入れ込んでいた。

 毎晩、遅くまで学校に残って〈パープル・ペイン〉の手入れをした。


〈パープル・ペイン〉は、父が最後に手を入れたコンバット・テクターだ。


 元々は廃棄される筈だったものを引き取って、丹念に手直しし、改良を加えたもので、イアンはその姿がいたく気に入っていた。なので、どんな時も〈パープル・ペイン〉と一緒にいた。


〈パープル・ペイン〉とならば、どんな相手にも敗ける気がしない。試合で勝てれば、もっと〈パープル・ペイン〉と一緒にいる事が出来る。


 家族の為、自分の為、イアンはこのテクストロに懸けていた。


 だが、試合の日の朝――


 イアンがいつも通り、軽いランニングをしていた時の事だった。

 朝靄に煙る公園に差し掛かったイアンは、眼の前にゆらりと黒い影が立ち上ったのを見た。


 ――ブロッケン現象か。


 太陽の光が霧に歪められ、自分の影が巨大な姿で投射される。


 そうではなかった。


 ブロッケン現象で浮かび上がったのは、自分の影ではなく、向こうから歩いて来る誰かの影だった。


 何だ……と、イアンは思った。やって来たのが、まだ小さな女の子だったからだ。


 ゴスロリ風の衣装を身に着け、胸に犬の人形を抱いた少女だ。

 どう見積もっても、精々、四期生から六期生という所だ。


 別に、朝早くから女の子が散歩をしていていけないという法はない。テロの頻度こそ上がっているが、警備力も前世紀よりは高くなっている。夜中や早朝、女性が一人で歩いていても平気な程度には。


 イアンはランニングのペースを維持したまま、少女の横を走り抜けようとした。だが少女は、イアンが彼女を確認した地点で足を止めた。


 イアンは、何か妙だと思って、走るのをやめた。

 少女とは、数メートルの距離を取っている。


 ゴスロリの少女は、イアンが足を止めたのを見ると、くすりと笑った。

 どんぐりのような大きな瞳が、歳に見合わぬ妖艶さで細められる。


「おにいちゃん……」


 ゴスロリ少女は言った。


「あなたに、じごくを、みせてあげる……」

「じごく?」


 イアンは、地獄という言葉の本当の意味を知らなかった。ただ、苦しみを長く与えられる時間という程度の認識であった。そしてゴスロリ少女の言った地獄は、イアンも知っている方だった。


「――何だと……」


 再びブロッケン現象が起こった。

 いや、今度も幻ではない。


 少女の背後に立ち上った巨大な黒い影が、イアンを押し潰そうと迫ったのである。






 イアンが事の顛末を語り終えた時、俺たちは何を言う事も出来なかった。


 ルカちゃんはいつもの明るさを何処かに捨て、アミカちゃんはその巨大な影がイアンにした事を想像して涙さえ浮かべた。イツヴァちゃんは健気に感情を表す事を堪えていた。


 俺は、アミカちゃん以上に、イアンが受けた苦痛をリアルに想像していた。普段は飄々としている風もあり、自信満々という言葉が似合う彼が、どんな痛みを受けてどんな苦悶の声を上げたのか、俺はありありと思い浮かべる事が出来た。


 地獄――


 少女はそう言ったらしい。


 地獄とは、宗教用語で言うと死後の世界の一つだ。生前、大層な悪行を働いた者が堕ちる世界とされ、そこでは鬼と呼ばれる怪人を始めとした様々なモンスターによって、永劫の責め苦を与えられる。


 本当なら俺がゆくべきだった世界だ。

 しかし、イアンがその地獄を味わったと言うのなら、この世界も亦、俺にとって地獄という事になる……。


「俺はもう戦えない……」

「え?」

「もう、〈パープル・ペイン〉の性能を引き出してやる事が出来ないんだ……っ」


 詳しくは話さなかった。けれど、イアンに与えられたダメージは彼を、〈パープル・ペイン〉の得意とする高機動近接戦闘が齎す負荷に耐えられない身体にしてしまった。


 コンバット・テクターを装着する事自体は可能だろう。武装を解除したコンバット・テクターは、サポーティブ・ウェアと呼ばれ、先天的・後天的に身体機能に障害があり、万能細胞でも回復が見込めない人間でも、健常者と同じような生活を送れるようサポートするものだ。


 だが、コンバット・テクターで、RCFで、プロ選手や軍人になる事は、もう……。


「……わ、私……」


 アミカちゃんが何かを言おうとした。先程、秋までに身体を治せばチャンスはある、そう言おうとした事を後悔しているのだ。


「試合は……それじゃあ」

「出られない、もう、二度と……」


 イアンは苦虫を嚙み潰したような表情で吐き捨てた。

 俺たちに、掛ける言葉はなかった。


「アキセ……」


 ふとイアンが、俺に言った。

 俯いていた俺が顔を上げると、イアンは正面の壁を向いたまま、俺に言った。頸が動かせないのだ。


「出てくれないか……」

「出る……!?」

「今回のテクストロ……俺の代わりに、お前が出てくれないか……!?」


 イアンはそう言った。


「な、何を……」

「リザーバー……」


 イツヴァちゃんがトランスフォンを見ながら言った。


「出場選手が、何らかの事故によって欠場した場合、リザーバーが代わりに出場する事が可能です。今回の場合、お兄ちゃんはシード選手でしたから、大会の続行には問題がないんですけれど、δブロックは試合の順番が一番後なので、リザーバーのエントリー時間が他のブロックよりも長く取られています」


 タクマ選手が出る試合の四つ前までに間に合えば、イアンの代わりにタクマ選手がシード権を手にし、入れ替わる形でリザーバーが、δブロック一回戦第一〇試合に出場する。


 リザーバーが勝ったからと言って、欠場した選手に何がある訳でもない。けれどイアンは、自分の代わりに出て欲しいと言った。


「で、でも……僕には……」

「私が出るわ!」


 ルカちゃんが俺の言葉を遮るように言った。


「君じゃ、無理だ。授業の成績は良いし、同年代でもそこそこだけれど……今回のテクストロでは通用しない」

「でも、それなら……」


 それなら、俺だって同じだ。いや、授業でコンバット・テクターを巧みに扱える分、ルカちゃんやアミカちゃん、イツヴァちゃんが出場した方が、まだマシだと言える。


「大丈夫だ……」

「――っ、お兄ちゃん、まさか……」


 イツヴァちゃんが何かに気付いたように、イアンに詰め寄った。


「イツヴァ、アキセを俺の家に案内してやってくれ。そしてあれを……」

「あれ?」

「あのコンバット・テクターなら、アキセ、きっとお前の力になる」

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