Part3 白影

 夢を見た。

 慣れない夢だ。


 自分が人を殺し、そしてその報いとして殺される夢。


 殺したのは、一組の男女だった。


 月の冴える夜、俺は彼らの姿を窓の外から覗き込んだ。


 布団の上で蛇のように身体をくねらせる二人は、恋人だろうか、夫婦だろうか。或いはもっと即物的な、背徳的な関係なのだろうか。


 俺は窓を破り、行為中の二人を驚かせると、女の上に乗っていた男の頸を跳ね飛ばした。相手の血を浴びて真っ赤な顔で悲鳴を上げる女を見ていると、俺のものがむくむくと膨らんだ。


 俺は文字通り果てた男ごと、女の身体をひっくり返すと、彼女の菊座を無理に壊した。痛みに歯を喰い縛って、血のような泡を吐く女の中で達すると、彼女の頸を男と同じようにして殺した。


 その日は、ここからが不思議だった。


 俺は二つの遺体を前に満足した気分になって、立ち去ろうとした。しかし、それを何者かが止めた。誰かに掴まれた訳でも、呼び止められた訳でもないが、俺は動きを止めた。


 頸を落とした遺体の方を振り向くと、それが不思議な事になっていた。


 最初に切り落とした男の首が、首を落とされて項垂れていた女の胴体と、断面を重ね合わせていた。


 偶然だろう……そう思ったが、不意に女の身体が起き上がる。俺がぎょっとしたのは死体が動いた事ではない、女の死体に乗っていたのは男の首だったからだ。


 顔は男なのに、頸から下は乳房があり陰茎がない。互いの血で赤く染まった顔と身体で、それは俺を追い掛けて来た。


 俺は逃げ出した。

 所詮は死体だ。

 けれど俺は酷く恐ろしくなって、逃げ出した。


 家を飛び出し、町を駆け、何処とも知れない森の中に迷い込んでいた。


 立ち止まった俺の眼の前に、奴がいた。

 凝固した血液を、鎧のように纏った、女の身体をした男。


 俺は二人の首を切断した刃物で、そいつに切り掛かった。分厚い刃は左の鎖骨から右の脇腹まで一太刀で斬り下ろし、女の身体から鮮血が迸った。


 と――


 霧のように吹き出る血は、赤くなかった。


 白い。

 俺と男の精だ。


 勿論、実際にそんな事は起こりえないが、これは夢だからそうだと思った。


 乳白色の霧は男の顔と女の身体を染め上げた。

 さっきまで紅に燃えていたものが、白く変わった。

 白い炎が、その身体を包んだ。

 暗い森の中で、唯一の光がその白い炎だった。


 炎は男の顔と女の身体を焼き始める。皮膚がぼろぼろと落ち、骨が炭化していった。


 炎はしかし消えなかった。森を焼き尽くそうと更に大きくなる。


 俺は余りの眩しさに眼を瞑ろうとしたが、白い炎の輝きは瞼を貫いて俺を照らし出す。


 ――やめろ。


 俺は光の中で、俺だけは唯一闇の色をしているのに気付いた。

 光と闇が反転して、俺を襲っていた。


 ――やめてくれ!


 俺は恐ろしかった。

 白い闇だ。

 白い闇は激しい光で、黒い光である俺を呑み込もうとしていた。

 その白い闇の中で蠢くものがあった。

 俺の影だった。

 俺の影は白い輝きの中で姿を変えた。

 それは男のようだったが女のようでもあり、人間のようでもあったが獣のようでもあった。


 全身にびっしりと鱗を生やし、背中に純白の翼を持った何かであった。


 俺の影が変じた獣は、俺に這いより、俺の身体をぐるぐる巻きにして締め上げた。


 蛇の顔が俺の顔に近付けられる。顎が大きく開かれて、その中から、人間の顔が現れた。


 俺と同じ顔をしていた。

 俺は、俺の顔をした翼ある蛇によって、顔面を食い破られた――






 耳元で、トランスフォンが鳴っている。


 俺はばくばくと動き回る心臓を手で押さえ付けながら、眼を開けた。

 いつもの天井に、いつものライト。視界の隅にはカーテンが映っている。


 俺の部屋、俺の家……。


 俺は両親の許から離れて、親戚が用意してくれた集合住宅に一人暮らししている。ベッドと机のあるリビング、それとキッチンに、ユニットバスがあるだけの簡単な部屋だ。床には紙の本が乱暴に置かれている。学校で使う教科書や、ノベル、コミックなんかは電子書籍で賄っているが、神だとか異世界だとか宗教だとか、その手の本は紙で買う事でしか、お目に掛かれない。


 俺は気怠い身体をベッドから起こし、枕元に置いたトランスフォンを手に取った。


 今のはアラームではなかった。コールだ。ルカちゃんからの着信……


「――いけない!」


 今日はイアンがテクストロに出場する日だ。一緒に見に行こうと約束していた。会場前まで行くバスの停留所で待ち合わせをしていたんだ。


 その時間が、もう五分前に迫っている。


 俺はベッドから飛び出すと、洗面所で顔を洗い、汗だくのパジャマを脱ぎ捨てて制服に着替えた。白いワイシャツに、黒いズボン、上着はグレー地に蒼いラインの入ったブレザー。赤いネクタイを締めて、トランスフォンを握り締めて家を出た。


 部屋の鍵はトランスフォンにインストールされていて、持って離れると自動的にロックが掛かる。


 一〇階建てのマンションのエレベーター前まで急いだが、来るのが遅い。仕方ない、と、俺は階段を転がるようにして駆け下り始めた。


 バス停までは、ここから更に八、九分は歩かなければならない。俺は急いだ。


 脇目も降らずに全力で走り、約束の時間を三分間オーヴァーして、バス停に到着した。


「遅い!」


 ルカちゃんが腰に手を当てて胸を反らした。その横でアミカちゃんが、彼女をなだめる。


「まぁまぁ、ルカさん……バスはまだありますから」


 二人とも制服だ。今回のテクストロは中高生が参加するので、制服着用の上で学生証を提示すれば入場料が八割減額される。


 女子の制服は、グレー地に赤いラインの入ったブレザーと、裾に白い二本線が入った黒いプリーツスカート。胸元には蒼いネクタイが締められている。ルカちゃんはハイソックスだったが、アミカちゃんは黒タイツを身に着けていた。


「ま、良いけど。それに、イアンとイツヴァも来てないしね……」

「え? 大丈夫なの……」


 俺が訊いた。

 するとそんなタイミングで、ルカちゃんのトランスフォンに着信があった。


 トランスフォンは、長方形をした情報端末で、上部のボタンを押す事でカバーが展開する。その形態は様々で、俺のは手帳のように――この例えは古いか……――蝶番で横に開くが、ルカちゃんのは上にスライドする。


 液晶画面に、登録して置いた相手の名前や写真が出て、応答か無視するかする。


「僕には電話したのに……」

「今回の主役は、イアンくんだから、遅刻する筈ないって」


 アミカちゃんとそんな話をしていると、ルカちゃんが声を上げた。


「えぇ!? イアンが……怪我!?」






 俺たちはやって来たバスに乗って、目的としていた大会の会場より手前で降り、イアンが運び込まれたという病院にやって来た。


 一〇階建ての白亜の棟を駆け上がり、五階の病室まで急いだ。五階とは言うが、病院には四階という表記がなく、建築設計で言えば四階に当たる。


 病室の前にイツヴァちゃんが立っていた。ルカちゃんたちと同じ制服を着ている。


「み、皆さん……」

「い、イアンの様子は……?」


 ルカちゃんが訊いた。


「少し前に手術が終わった所です……」


 イツヴァちゃんは俺たちを病室に招き入れた。

 イアンは、ベッドに横になっていた。


「よぉ……」


 不機嫌そうに低い声で言うイアンは、頭や顔を包帯でぐるぐる巻きにして、右腕を吊り、石膏で固めた左脚を天井から吊り下げていた。病衣の下にも、同じような治療の痕があるのだろう。


「イアンさん……」

「どうして、こんな事に?」


 アミカちゃんが口元に手をやり、ルカちゃんが眉を寄せて訊いた。


「やられたんだ……」

「やられた!?」

「まさか、あんな女の子に……」


 イアンは顔を顰めたが、すぐに痛みを覚えたように呻いた。包帯は顎の周りを固定している。顎骨をやられたので、喋るのもしんどい筈だ。


「どういう事? 何があったの?」


 ルカちゃんが尋ねる。


 と、病室のドアが開き、黒い詰襟の学生服を着た少年が入って来た。


「イアン、今回は災難だったなァ……」

「タクマ……」


 タクマと呼ばれた少年は、言葉とは裏腹に、唇には嫌な笑みを浮かべていた。ポケットに手を突っ込んで、にやにやとしながら傷だらけのイアンを見下ろしている。


「そんなざまじゃ、テクストロには出れないな……」

「――」

「今回は、俺が優勝を貰って置くよ。くくくっ」


 タクマはそう言って踵を返し、病室から出て行った。

 ドアが閉まってから、ルカちゃんが声を荒げる。


「何よ、あいつ……!」

「タクマ=ゴルバッサ、俺と同じ、今回の大会での優勝候補さ……」


 イアンはイツヴァちゃんに眼をやり、アイコンタクトで兄の意思を感じ取ったイツヴァちゃんが、トランスフォンを開いて画像を表示した。今回のテクストロの、トーナメント表だ。


 テクストロはα・β・γ・δの四ブロックに分けられ、ブロックごとに二〇人の選手が出場する。但し、δブロックだけはシード選手が一人おり、それがイアンだった。そして一回戦の、δブロック一〇試合目は、あのタクマという少年が入っていた。


「半年前になるが、予選会で俺は優勝して、シード権を手に入れた。その時に準優勝だったのが、奴だったのさ……。奴にしてみれば、一回戦を勝ち上がっても次で以前敗けた事がある無傷の俺と当たる、気に入らない組み合わせだったろうぜ」

「若しかして、あいつが?」

「それはないだろう。俺がやったのは……いや、それより、今回のテクストロに出られない事の方が問題だ……」

「で、でも、プロテストを兼ねたテクストロは年二回開催されます。秋の大会までに身体を治せば……」

「それじゃあ遅いんだッ……」


 イアンを慰めようとするアミカちゃんだったが、イアンは吊っていない方の手をベッドに叩き付けた。


 前の空間を睨み付ける眼からは涙が、そして噛み締めた唇からは血が滲んでいた。

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