Part2 暗躍
魔術師が歩いている。
華やかな都市の裏側、下水のように薄汚れた町の中を。
ガイア連盟によって排斥されたのは、宗教家だけではない。
連盟の様々な規制に反対した人々や、連盟が求める水準に達した生活を送れない人々。彼らは都市部から追い出され、掃き溜めのような薄暗い町で過ごす事を余儀なくされていた。
“ブランクエリア”
それが、彼らの住んでいる町だ。
そこが商店街のアーケードに似ていると言っても、都市部の者たちには分からないだろう。出入り口を分厚い壁で塞がれ、その隅の方に空いた人一人が辛うじて通れるくらいの小さな穴が、彼らを都市部にいざなう唯一の光だ。
商店街と言っても、開いている店はない。今日日、平家や二階建ての家くらいの建物は、人が住む場所とは思われていなかった。家畜だってもっと良い暮らしをしている。
黒尽くめの魔術師は、アキセ=イェツィノの前に二度目に現れた時と同じ、黒いキャップに眼鏡、マスク、パーカー、ズボン、スニーカーといった姿で、打ち棄てられたアーケードを歩いていた。
シャッターが下りている所が殆どだが、開いていても店としては機能していない。単なる寝場所、他の人間と自分とを区別するエリアという役割しか、持っていなかった。
――尤も、大昔と比べればずっとマシか。
魔術師が思い出したのは、大規模な災害から逃れる為、体育館や公民館に鮨詰めになっていた人々の事であった。彼らは薄い段ボールで家族と他人を区切り、ブルーシートを敷いてアルミのカバーを身体に巻き付けていた。その頃と比べれば、一定のグループで、建物を丸ごと一つ使う事が出来るのなら、十二分に満足だった。
魔術師はそうした建物の内、元々は喫茶店であったと思われる店に足を踏み入れた。
ドアを開けると、からん、ころん、とベルが鳴る。
中には誰もいない。倒れたテーブルの傍に、割れたマグカップがそのままになっていた。
魔術師はカウンターの奥のドアを潜り、その先にあった階段を降り始めた。
地下は行き止まりになっていたが、魔術師は壁を押すと、壁はくるりと反転して彼を招き入れた。
壁の向こうは、蒼白い蛍光灯が照らす部屋だった。中央に円卓があり、黒い衣装を一部に身に着けた男女が六人、席に付いている。
「これはこれは、皆さん、お揃いで……」
魔術師は眼鏡とマスクを外した。若い男だった。鼻梁はすっと通り、眼は切れ長で美しい。しかし、鼻頭から顎に掛けて、皮膚が赤黒く引き攣っていた。火傷の痕のようだ。
「何かあったんですか?」
「何かあったのか、だと!?」
円卓に、隠し扉から見て手前とその対角線上の位置を開けて、左右に三人が座っている。声を上げたのは下座から見て、右から二番目の男だった。
赤い髪に吊り上がった瞳、良く引き締まった身体をアピールするように、黒いタンクトップと黒い革のパンツを履いていた。
「聖痕神力騎士団の一件が失敗した事は知っているな? その場に貴様がいたという情報があった! これは一体どういう事だ?」
「落ち着いて、アスラン。……けれど、その話は僕も聞いている。どういう心算なのか教えて欲しい」
アスランと呼ばれた男の反対側にいた人物が、声変わり前の少年の声で言った。
黒いシャツのボタンを一番上まで締めているが、それでも襟から手を入れられそうな余裕があった。色味がほんのりと異なる黒いベストを着ている。黒いスラックスも、シャツやベストとは黒さの濃度が異なっていた。
「それは事実です」
魔術師はそう言いながら、上座に移動した。円卓を囲む椅子は背もたれと肘掛けの付いた、回転式の深いソファで、魔術師は背もたれを後ろに向けて腰掛け、くるりと回転して円卓に向き直る。
その時には、魔術師の姿は黒尽くめの若者から一転、黒いマントを身体に巻き付け、顔の火傷をスカーフで隠したスタイルに変わっていた。帽子の下にあった長い髪は頭の上で結われ、女性のようにも見える。
「我々は説明を求めている。本当ならば私たちが力を貸せば、聖痕神力騎士団の作戦は成功したやもしれぬ。それを止めた貴方が、何故、あの場にいたのか。そして騎士団の団員一人を殺したのは何故なのか。その説明だ……」
魔術師から見て、すぐ右横の女が言った。口調は落ち着いているが、静かな声の内側に憤りはあるのは間違いない。
カーキ色の軍服に、太腿の膨らんだ白いズボン、鈍色のブーツの踵には鉄板が仕込まれていた。肩には黒いマントを羽織り、背中には大きく十字架が描かれている。円卓に置いた軍帽にも、同じマークのアクセサリーが確認された。
「別にあんたが何を考えているか、俺はどーでも良いけどよ」
「みんな、ぴりぴりしてる……うち、それ、やだ」
下座側の二人が言った。右にいるのが椅子に座っていても分かる立派な体格の男で、もう一人は反対に小柄な少女だった。
太い頸に四角い顎を乗せた男は、くすんだ色のタイトなデニムのパンツに、特注と見える大振りな黒いブルゾンを身に着けている。
少女は椅子の上で、体育座りをするような格好だ。服装は、ゴシックロリータと呼ばれるもので、女児的な黒いドレスに、差し色のように白いフリルが縫い付けてあった。銀色っぽい髪は両耳の上に犬の飾りが付いたシュシュで縛られ、黒いヘッドドレスで僅かに前髪を持ち上げていた。胸に、大きな黒い犬のぬいぐるみを抱いている。
「兎に角、話を聞こうじゃないか。追求はそれからだ。アスラン、インヘル、アマクサ、グラトリ、ジュスト」
魔術師の左手にいた男が立ち上がり、周りを見渡した。
刀のように鋭く、曇りのない美貌でありながら、赤毛の男や大柄な男に引けを取らないくらいに、しっかりとした筋肉を持っている事がびしっと着こなした礼服の上から出も分かる。黒いジャケットの腰は縊れて細く見せているだけだ。襟元を飾るのは真紅も鮮やかなネクタイであった。
彼は、自分の左にいた男の方から、逆時計回りに、
気性の荒い赤毛の男性を、アスラン、
物静かなゴスロリ衣装の少女を、インヘル、
豪放な巨漢を、アマクサ、
理知的な少年を、グラトリ、
凛とした軍服の女性を、ジュスト、
と、呼んだ。
「助かります、カイン」
「いえ……」
カインと呼ばれた男は、小さく頭を下げ、椅子に座り直した。
カインの冷静な対応に、アスランが舌を鳴らす。
「それで、今回の件……過激派として名高い、聖痕神力騎士団の作戦です。先ずはヒノクニの関東ブロックに新しく出来た大型ショッピングセンターを爆破すると脅迫し、連盟に宗教法人の復権を要求した一件ですが」
カインが話し始めた。
「連盟に潜り込ませた諜報員からの情報だと、警察にこの作戦の情報を漏洩し、被害の拡大を防いだ者がいる……という事です。我々は、導師グーリー、それが貴方ではないかと疑っています」
「現場にいた我らの手の者からも、貴方の姿を確認したと報告があった」
ジュストが言った。
「一体、どういう心算だ? 貴方は、聖痕神力騎士団らと共にこの聖戦に参加しようとした私たちを止めた。“今はまだその時ではない”と貴方は言ったが、今回の一件、貴方による我々への背信行為がなければ成功していた可能性が高いとは思わないか」
「待って、ジュストさん。本当に導師が、その情報漏洩の犯人なのか? まだ確かではない……」
「いいえ」
グラトリの言葉を、導師グーリー……黒尽くめの魔術師が遮った。
「カイン、ジュスト、貴方たちの疑問は正しい。私が聖痕神力騎士団の情報を警察機関に漏らし、又、彼らのテロ行為を阻害しました」
「ほぅ……」
アマクサが眼を鋭く光らせた。
「うらぎり……だめ、ぜったい」
インヘルが呟く。
「事によっては許さんぞ、幾らあんたと雖もな!」
テーブルを叩き、立ち上がろうとするアスラン。反対側から、グラトリが諫めた。
「勘違いはよして頂きたい。私は貴方たちを裏切ってはいませんよ。寧ろ、聖痕神力騎士団の方が我々を裏切っていたのです」
「何?」
「あれは美しくない……」
「美しい?」
カインが首を傾げた。
「他者の血を流して成し遂げる改革は、神に相応しくありませんからね……」
「そんな理想論、本気で通ると思っているのか?」
ジュストが呆れたように言う。
「理想論を信じていたのは彼らの方ですよ。暴力で他人を従わせるなんて前時代的な事を、ガイア連盟や世論が許す訳がありません。脅迫に屈せば市民からの不満が噴出します。仮に成功したとしても、自分たちのアイデンティティの復活に暴力を用いた聖痕神力騎士団、ひいては宗教界全体に、市民の眼は厳しく注がれます。神や仏の遣いとしてその教えを説くのであれば、決して相手の血を流してはなりません。どの神であっても、人を殺す事を是とする者は単なる邪神です。最早、邪神を崇め奉り、齎される災厄を弱めようという考えは、受け入れられません」
「――」
そう言われては、黙るしかなかった。
超古代と呼ばれる時代、科学の発展がなかった暗闇の世紀、あらゆる国が宗教を持っていた。その信仰は様々だったであろうが、彼らは自分たちの理解の外にある天候や災害、飢饉、厳しい労働環境などを厭い、神と呼ばれる超常者を生み出して救済を願った。
その発展と規模の拡大を図る中で、争いが繰り返されては来たが、砂漠の宗教と言われる一神教も、森の宗教と言われる多神教も、人をむやみやたらと殺害する事は推奨していない。異教徒を悪魔と断じる場合もあるが、それは前世紀に於いてさえ時代遅れも良い所の考え方だ。
世界志向、未来志向だった時代にあっても、古代に生まれた
前世紀と比べて人と人との繋がり、隔たりのない世界が推奨されている現代、多くの血を以て少数の我を通す事は、何よりもタブーとされる。
仮にこの場に集まった、グールーを含めた七人が宗教を盾にした単なる
テロリストであったなら、反対意見も出ただろう。しかし彼ら自身は、蔑ろにされて来た古い神々を今一度蘇らせん為に集った、聖戦士を自称する者たちである。
幾ら、異教徒、無神論者を悪魔と認定したとして、それが世間に受け入れられない認識と分かっているから、テロリズムに踏み切れないでいたのだ。
「では、私への糾弾集会は、ここまでという事で構いませんね」
「致し方ない……」
ジュストが頷いた。
「では、今日はここまでという事で……」
カインがそう言って椅子を回転させると、彼が背中にしていた壁が反転し、グーリーが入って来たのと同じような隠し扉が現れた。椅子が円卓の方に向き直ると、カインの姿はもうそこにはない。
他のメンバーも、同じようにして一瞬の内に姿を消した。
但し、グーリーとインヘルが、その場に残った。
「何……?」
インヘルがじっとりとグーリーを眺めた。
「貴方に一つ、お願いしたい事があります……」
眼だけで微笑んで、グーリーがそう言った。
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