Part6 解放
しゅ――と、空気を裂く音がして。
ど――と、何かが突き刺さる音がした。
床の上に突き立ったのは、赤く塗られた、掌に収まるくらいの棒だった。床にめり込んだ先端と、反対側の部分は円錐状になっており、太いアイスピックという表現がそれらしかった。
俺は男の子の前でそれを見て、間もなく、前の前にさっきのテロリストが倒れ込んで来た。
顔面から倒れ込んだテロリストの後頭部から、赤い液体がこんもりと盛り上がって、頭の形に沿って床に流れた。鉄の匂い……円錐状のものがテロリストの頭部を貫通した事を、俺は暫く理解出来なかった。
「あ……あ!?」
俺の鼻孔に入り込んだ血の匂いが、あの悪夢を思い起こさせる。血で満たした浴槽に浸かったかのような、濃厚な赤い色……。
俺はその果てにある自分の死に怯え、顔を覆いそうになった。そこに、
「大丈夫ですか、いつかの転生者よ」
と、声が掛けられた。
五年前、俺に前世というものを教えてくれた魔術師だった。
マスクと眼鏡、そしてキャップで変装し、姿も黒いパーカーに黒いズボン、黒いスニーカーという出で立ちだったが、彼が纏っている雰囲気は紛れもなく、あの魔術師だった。
「貴方は……」
俺がそう言うと、ガラスが割れる甲高い音がした。窓の方から、複数人のコンバット・テクターを纏った兵士たちが飛び込んで来る。彼らは瞬く間に残り五人のテロリストを制圧し、その場を解放してしまった。
「皆さん、ご安心下さい! 政府によってRCF部隊が派遣されました。これよりテロリスト集団、聖痕神力騎士団の制圧を行ないますので、暫くの間、ここで動かずにお待ち下さい!」
兵士のリーダーらしき人物が声を張り上げた。
コンバット・テクターは、人工繊維で編み込んだアンダー・マッスルと形状記憶超合金で構成されたスキン・アーマー、その上に規定成型超合金で造られたメタル・プレートを装着する事で完成される特殊強化外骨格だ。両手足首と腰に装着したベルトから発生される電気的刺激が、スキン・アーマーに伝導し、アンダー・マッスルの繊維を動かして、生身以上のパワーを発揮させるのだ。この際の身体に掛かる負荷をメタル・プレートによって分散させ、外部からの衝撃と共に身体の自壊を防ぐ。
コンバット・テクターは、人間の肉体を強化し保護する、最強の剣と盾を備えた装甲だ。
特に、政府直属の警察部隊は、SPCWと呼ばれ、何れもテクストロ大会の全国優勝レベルのつわもの揃いである。
他のフロアにも突撃した彼らは、あっと言う間に各階の聖痕神力騎士団を制圧し、ビルの爆破を喰い止めたのである。
「大丈夫でしたか?」
魔術師が、俺に訊いた。
魔術師と言っても、今の姿ではとてもそうは見えない。黒尽くめで些か怪しさを感じる事を除けば、ただの買い物に来た一般人だ。
「は、はい……」
「五年振りですね、私の事、憶えていますか? ……いや、私と付き合いがあった事など、知られない方が良いでしょうけれど」
「あの、どうして、ここに……?」
「買い物ですよ。別に、魔術師って理由だけで、入店を拒否される訳じゃありません。それとは別に、ここで聖痕神力騎士団がテロを起こす可能性があると思って、やって来ていたのですがね」
「貴方は、知っていたんですか、彼らの事……」
「悪名高い聖痕神力騎士団ですから。我々、真っ当な宗教者としても迷惑しているのですよ。ここだけの話、穏健派の宗教家も政府に働き掛けて、どうにか復権を望んではいるのですが、彼らのような過激派のお陰で、その日は更に遠ざかりそうです……」
はぁ、と、魔術師は溜め息を吐いた。その息がマスクから逆流して眼鏡を曇らせたので、ポケットから取り出した黒いハンカチでグラスを拭った。
「それに私自身、穏健派というには些か手を汚し過ぎています」
魔術師は地面に突き立った棒を引き抜き、同じようにハンカチで拭った。黒い布に、赤い染みがこびりつく。魔術師が右手を開くと、中指に着けている指輪の掌側に、突き出したリングがあるのが見えた。そのリングに棒を入れると、中央の膨らみで突っ掛かってしまう。そのまま拳を握れば、あの棒は手の中にすっぽりと隠れてしまった。
「そ、それは……」
「内緒にしていて下さいね。武装保持違反で捕まってしまいますから」
魔術師はそう言って、眼だけで微笑んだ。
俺から視線を外した魔術師は、ヒーローの人形を相変わらず抱き締めている男の子の前にやって来ると、その場に膝を突いて彼と目線を合わせた。
「君の勇気、見事でした。でも、あれは勇気とは少し違いますね。命知らずというのですよ」
「――」
「勇気を出す事と、命知らずである事は違います。それをゆめゆめ忘れぬよう……」
魔術師は左手で少年の頭を撫でて立ち上がり、非常階段の方へ歩いて行った。警察の方からは動かずに待っているように言われていたが、彼は気にせず、フロアの光の外で去ってゆく。
事件が終わって――
俺たちは夕刻に解放された。
テロの恐怖によるメンタルケアを受けている者や、テレビの取材に応じる者などもいたが、俺たちは大多数の人たちがそうであるように、ビルを出て帰路に就いた。
遠巻きにビルを眺めてみると、上層階の壁面に大きな孔が開いていた。屋上からロープを使ってビルの外側に張り付いて下降し、爆弾で開けた孔らしい。あの振動は、爆発によるものだったのだ。
「悔しいな……」
イアンは小声で言った。
「悔しい?」
「だって、そうだろ。何も出来なかったんだぜ……」
「それは、しょうがないですよ!」
アミカちゃんが言った。
「イアンくんにも、それは分かっているでしょう……?」
「分かってたさ。分かっていたよ! でも、しょうがなくなんかねぇよ。だって俺、持ってたんだぜ、コンバット・テクター……」
イアンは上着の袖を捲った。黒いブレスが巻き付いている。足首にも腰にも、同じようなものが巻かれている筈だ。リュックの中には、コンヴァータ……昇華させたアンダー・マッスルとスキン・アーマー、メタル・プレートの粒子を噴射する為の、携行型真空蒸着装置が入っている筈だ。
「戦おうと思えば戦えたんだ……」
「でも、それで他の人たちが危険な目に遭ったらどうするのよ。あの場にいた全員がテロリストなら兎も角、あの集団を巻き添えにしないで一人か二人で戦うなんて、無理よ……」
ルカちゃんも手首を押さえていた。彼女も同じだ、コンヴァータを持ち歩いていた。
「それに比べて、お前は凄いな」
「……」
イアンは俺の方を見ていた。
「え? 僕が……?」
「ああ。遠くからだけど見てたぜ、良く逃げ出さなかったよ」
「本当、イェツィノ先輩って意外と度胸があるのね! 見直しちゃった」
イツヴァちゃんが俺の背中を叩く。
「それに、あの男の子を庇って、テロリストを一人、斃したんだろ?」
テロリストは総勢、主導者を含めて四六名が確保された。その内、重傷を負ったのが一五名、自決を選んだのが二〇名、それ以外の要因で死亡したのが一名。その一名というのが、あの魔術師によって殺害された、俺に銃口を向けていた男だ。
「違うよ、あれは、僕じゃない……」
「でも、あの子を庇ったのはお前だ。あいつに殴られて、銃口まで突き付けられて、それでも子供を庇おうとしたんだろう? なら、お前は……」
「やめてよ、イアン」
俺を褒めないでくれ。
俺はただ震えていただけなんだ。
子供を庇ったのだって、本当は、いつ死んでも良いと俺が日頃から思っていた結果なんだ。
俺は世界を跨いでも贖い切れない罪を犯した。その罪悪感に、例え夢とは言え、例え今の俺とは何の関係もない事であるとは言え、悩まされていた。
その罪の意識から解き放たれる為なら、いつ、死んでも良い……いや、死んでしまいたい。
そう思っていたんだ。だから本当は、あの時は、俺にとって解放されるチャンスだったんだ。
こんな事を考える男を、将来の夢や目標があるお前たちが、褒めないでくれ……。
「……そうか」
イアンは深く頷いた。
「悪かったな、変な事を言って。お前も怖かっただろ?」
「そ、そーよイアン! 空気を読みなさいよね?」
「お兄ちゃんの莫迦!」
「な、何でそこまで言われるの!?」
ルカちゃんとイツヴァちゃんが、こぞってイアンに言い、イアンが困ったと悲鳴を上げた。いつもの光景だ、見慣れた学生同士の、楽しいやり取り。
「アキちゃん……」
アミカちゃんが俺の傍にやって来た。
「額、痕になっちゃってる」
アミカちゃんは俺の前髪を掻き上げて、もう片方の手で額の中心に触れた。
「どうなってるの?」
「丸いのが、赤くなって、引き攣れてる。……痛くない?」
「痛くはないよ。それに、変な感じもない……」
手で触れてみて、初めて分かる違和感だ。
テロリストにまだ熱い銃口をあてがわれた時に出来た痕。
「アキちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫だってば」
と、アミカちゃんに微笑み掛ける。するとアミカちゃんも、形ばかりは安堵したように、優しく眼尻を下がらせた。すると、
「こらぁ、なーに二人でイチャイチャしてるのかな!?」
ルカちゃんが俺とアミカちゃんの肩を外側から腕で捉え、ぐっと顔を近付けて来た。
「イチャイチャなんて、そんな……」
「妖しい……非常に妖しいなぁ!」
そんな事を言いながら、ルカちゃんはアミカちゃんと楽しそうに話をしている。
イアンも、イツヴァちゃんと軽口を叩き合っていた。
俺は、居心地の良さを感じると共に、何処となく、彼らとの間にある深い溝を感じていた。
夕陽が、高層ビル群と入り組んだ空中道路を照らしていた。
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