Part5 勇気
人というのはなかなか不意な動きに反応しないという事は難しい。
このテロリストたちがどれだけ訓練を積んでいるかは分からないが、銃で武装している彼らの場合、不意な動きは敵対行為だと考える筈だ。
俺のように、足を滑らせて転ぶという、俺自身にさえ予想の出来ない動きに対して、反応を示してしまうのは仕方がない。
自分の足元に転がって来た俺に対し、テロリストは銃口を突き付けた。
「ひ……」
俺は尻で後退り、逃げようとした。
「動くな……」
テロリストは銃口越しに言った。
俺はその言葉通り、尻餅ついた非常に情けない姿で、その場で硬直した。全身の筋肉に余計な力がこもり、まるで鉄のようだった。そのくせ、心臓だけがばくばくと動き、全身に血を送り、汗を流させている。凝り固まった筋肉がお蔭でほぐれたが、今度は汗を流し過ぎて身体が冷却され、動けない。
「……何だ、ただの小僧か」
テロリストは吐き捨てるように言うと、俺の方に歩み寄って来た。俺の眼の前に跪き、銃口を額に押し付ける。まだ銃口は熱かった。額の真ん中で、じゅ……と、皮膚が焦げる音がした。俺は身体を震わせたが、逃げ出す事は出来なかった。
「抵抗しないのか。俺なら、この銃を奪って相手を撃ち殺す……」
テロリストはそんな事を語り始めた。
「そうすればお前は英雄だ!」
そんな事にはならない。仮に俺が、この男からライフルを奪い、この男一人に優位に立ったとしても、テロリストはこのフロアにまだ五人いる。南北の二つのエスカレーターと、東側にある非常階段、男子トイレが非常階段の左手にあり、向かいに女子トイレ、そしてエレベーター乗り場があって、俺が面したのは非常階段から出て来た一人だ。
俺がそれをやって出来る事は、この男を撃ち殺して、一人で非常階段から逃げ出す事だ。英雄所か、友達を見捨てて生き延びた最低な男の烙印を押されるだけだ。
「情けない奴だ!」
テロリストはかっとなって叫ぶと、俺の顔を拳で殴り付けた。それから俺の胸倉を掴み上げて立たせると、何を考えているのか、俺の右手に自分のライフルのグリップを握らせた。
「こうまでしてやっても何もしないのか。……やはりこの国の教育は間違っている。危機に際し沈黙して震えているだけである事を是とする国家などな!」
「――」
「ガイア連盟の教育には信念がない! 科学に溺れた人間たちを、飯を喰って惰眠を貪るだけのただの畜生に貶めてしまう! 慈母の名を騙るだけのハリボテだ。そんな偽りの慈悲や博愛などを押し付け、脆弱たる事を肯定する国家がどうなるか、貴様らに教えてやる!」
テロリストは再び俺を殴り付ける。自分で預けた銃を毟り取って、床に転がった俺を蹴り付けた。
俺が蹴り転がされてゆくと、そこにいた人は悲鳴を上げて後退る。
テロリストは俺の胸を踏み締めて、銃を向けた。
がん!
耳がきぃんとして、咄嗟に瞑った眼が眩む。頭のすぐ横で熱を感じた。眼を開けると、白黒の世界がぐにゃぐにゃと歪んでいた。テロリストは、俺の顔のすぐ横に銃弾を撃ち込んだのだ。
「こうまでしても自らの保身しか気にせず、誰一人として弱者を助けようと動かない。貴様らは畜生以下のたんぱく質の塊だ!」
テロリストは叫んだ。
フロアに集められた人たちは、互いに顔を見合わせるようにしてざわついている。俺を助けた方が良いのか、それとも放置するのが正しいのか?
恐らく大多数は、放置という方向で思考を進めている。助けた方が良いと考える者もいないのではないかもしれないが、彼我の実力差を考えると行動に移せない。
遠くから俺の名前を呼ぶ声がした。イアンか? それともルカちゃん?
けれど彼らにだって、俺を助ける事は出来ない筈だ。
俺だって、きっとそうする。例え誰が俺のような状況になっていたって、俺は助けない。助けられない。我を通す事が恐ろしいの何のではなく、単純に力がないから、助けられない。動けない。
力……
では、力さえあれば、俺は何か行動に移すのか。
例えば、誰よりも巧くコンバット・テクターを使いこなせれば? RCFの裏技を使って、この場のテロリストたちを殲滅出来るのか。
いや、それは、ない。
やっぱり俺は、それでも怖がってしまうかもしれない。
自分が力を振るう事を、自分の為に例え悪人でも傷付ける事を。
俺の前世が本当にあれだったとして、大罪人であった俺でさえ、殺される時には恐怖を感じた。俺はもう、どんな大義名分があっても、人を傷付ける事は出来ないだろう。そんな力も、図太さもない……。
放送が入った。
『人質諸君には非常に残念な知らせだ。ただ今、政府との交渉が決裂した。よって宣告の通り、このビルは爆破させて貰う。しかし、諸君に改心と祈りの時間を与えよう。五分の内に、我々の許で神を信仰する事を誓い、又、ガイア連盟に対して信仰の自由の復権を申し立てる心のある者は、命の安全を保障しよう。そうではなく、自分たちの信念に基づき、我々に屈する事を是としない者は、自らの死を覚悟する時間を与える。どちらか選択し給え、神の御前で』
そういう事になった。
テロリストの仲間に加われば、この場を生き延びる事が出来る。しかしその道を選べば、連盟からは犯罪者として追われる立場になってしまうかもしれない。
人々は逡巡した。生き延びても、弁明の機会はある。脅迫されて仕方なく……けれどそんな時間がなかったらどうするか。魔導では怪しげな術を用いて洗脳を行なうと聞いている。ここにいない家族や友人に、それで迷惑が掛からないだろうか。だが命には代えられない……。
「ふん……つくづく情けない奴らだ」
俺を踏み締めるテロリストが言った。
「自らの命を懸けて、信念を貫こうとする者はいないのか……」
侮蔑するように、しかしそこはかとなく憂えているような調子で、テロリストが呟いた時だった。
「ばーか! ばーか!」
子供の声だった。
「おまえらなんか、こわくないからな!」
気付けば、俺の傍の人混みから、小さな男の子が現れて、そう叫んでいた。精一杯振り上げる右手には、ヒーローの人形を持っていた。前々世紀から続いている特撮番組の長寿シリーズだ。俺も、小さい頃は少し触れた事があったっけ……。随分と色褪せてしまっている人形だ。プロポーションも悪い。まるで、一〇〇年以上前のものを、後生大事に持ち歩いているかのようだった。
「子供か……それで良い……」
テロリストは俺の胸から足を退かすと、その子供に向かって言い放った。
「小僧! こっちへ来い! 俺を殺してみせろ……」
テロリストは何と、その男の子に銃を向けた。
「勇気を示せ! この場にいる冷たい大人たちに、英雄というものを見せてやれ!」
――本気か!?
俺はぞっとした。この男、本当にあんな子供を撃つ気なのか!?
「や、やめ……」
俺は叫ぼうとしたが、踏み締められた肋骨が肺を圧迫して、巧く言葉を紡げない。
流石に子供を危険に晒す事は、我が身を大切にしていた者たちも抵抗があったのか、前に出て守ろうとする。男の子の母親らしき人物が、人混みの中から叫んでいた。
男の子は今にも失禁してしまいそうな程に震えていた。ヒーローの人形をぎゅっと握り締め、祈るように眼を瞑っている。
――やめろ!
俺は大きく息を吸い込んでどうにか立ち上がり、テロリストと男の子の間に飛び込もうとした。景色がやたらとスローになり、男が引き金に指を掛けるのが見えた。
俺は床を蹴って、まさに男の子の前に飛び出した。ああ、死んだな。俺は思った。けれど、それで良い。生まれ変わって尚も消せない罪ある命なら、せめて誰かを守って死のう。学校ではもう全く教えなくなった、自己犠牲の精神。きっと前世の記憶であろう何かが、俺に囁いた。
と――
「いけませんねぇ、勇気の無理強いは」
そんな声がした。
聞き覚えのある男の声だった。
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