Part4 脅迫
昼頃になって、俺とイアンは、ルカちゃんたちと落ち合う事になった。
三〇階のフードコートで待ち合わせる。あれからルカちゃんたちは、他にもアクセサリーとか化粧品とかぬいぐるみとかその他諸々のショップを回っていたらしい。
適当な席を取って待っていると、ルカちゃんとイツヴァちゃん、アミカちゃんがやって来た。
「随分と買い込んだじゃないか……」
イアンが呆れて言った。
「郵送して貰わなかったのか?」
「服は流石に送って貰ったわ。これは、その手間が面倒だったし、自分で持ち帰りたかったの」
ルカちゃんが白い買い物袋を突き出した。両手に一つか二つずつ持っているくらいだったが、最近はすぐに郵送してくれるので、それでも珍しいくらいだ。
「見て見て、お兄ちゃん! これ、可愛いでしょぉ!」
イツヴァちゃんが言った。
イツヴァちゃんはイアンと同じ金色の髪に、蒼い瞳を持っている。鼻も高く、肌は色白で、背こそ低いが脚はすらりとして、美形兄妹として有名だった。
彼女が取り出したのは赤ん坊くらいの大きさの、兎のぬいぐるみだった。眼にビー玉がはめ込まれており、体毛はふわふわとして柔らかそうだ。
「可愛いねぇ、でもイツヴァの方がずっと可愛いぞぉ!」
イアンはイツヴァちゃんの頭をぐりぐりと撫で回す。「えへへ……」と嬉しそうに笑っていたが、ルカちゃんたちが見ているのに気付き、おほんと咳払いをした。
「お兄ちゃん、だからそうやって人前で子供扱いするのはやめてったら!」
「おー、分かった、分かった」
と、分かっているのかいないのか、分からないような返事をイアンはした。
「あれ、イアンさんこそ……」
「あら、本当ね、珍しい」
アミカちゃんが、イアンがテーブルの上に置いていた本を見て言った。『裏技! RCFの必勝法』は、総合格闘家のジョー=イチノセが現役時代に著したもので、コンバット・テクターを装着した状態での近接格闘について書かれている。
ルカちゃんが珍しいと言ったのは、イアンが紙の本を持っていた事だ。
「ああ、なかなか手に入らない、貴重な一冊。実物があったから、今の内に買って置かなくちゃってさ」
「でも、紙の本は今時、高くなーい?」
「ま、その分はプロになってじゃんじゃん稼ぐ心算さ。未来への投資だよ」
電子書籍はその名の通り、端末で読むデータにして書籍を販売するものだ。これ自体は場所も取らないし品切れという事も滅多になく、便利尽くしなのだが、そもそもデータ化されていない本だと、買う事が出来ない。
少なくともさっきまで俺が見ていたような宗教や神話に関する本は、殆どデータ化されないと言って良いだろう。その理由としては、データであれば消去が容易であるから、という事が大きい。
『裏技! RCFの必勝法』についても、何らかの理由で電子書籍化されなかった。イアンはその存在を知っていたが手に入れる事が出来ず、今日は遂に実物を手にしたのだ。
「アキセに付いて行って良かったよ。お前と一緒じゃなきゃ、紙の本なんて見ないからな……」
「そうなんですか?」
アミカちゃんが形の良い眉を八の字にした。黒い髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、前髪をぱっつんにしている。日本人形のようで不気味という人もいたが、俺はそうは思わない。清潔というか純粋というか、ルカちゃんやイツヴァちゃんのような元気いっぱいというのとは違う、水族館の中のような落ち着きを感じられる。
「紙の本も、良いのはいっぱいあるのに……」
「アキセに感謝なさいよね、イアン!」
とんとん、と、イアンの胸を指でつつくルカちゃん。
「分かってるよ、感謝感激雨霰ってなもんだ」
イアンはそう言って、俺と肩を組んだ。俺もイアンの肩に腕を回したが、手を乗せる事までは出来なかった。人に触れる事自体が、俺はどうも、苦手になってしまっているらしかった。
「さて、皆揃った事だし、飯にしよーぜ、飯。何喰う?」
円形のフロアの壁際に、店が出ている。ハンバーガー、フライドチキン、ラーメン、蕎麦うどん、丼、ドーナツ、たこ焼き……
「んじゃあ、私はチーズバーガー!」
「イツヴァはね、味噌ラーメンが良いなぁ」
「じゃあ、俺もラーメンにしよう」
「私は和風定食を……アキセくんはどうします?」
「僕は……」
そう言い掛けた時だった。
どん……と、鈍い衝撃が俺たちを襲った。
「地震か?」
俄かに周囲が騒ぎ出す。しかし確かに揺れではあったけれど、建物の下から感じたものではない。上の方から発した揺れだ。
それから一分と間を置かず、今度はもっと強い揺れが、ビルの上の方で起こった。天井から、剥がれ落ちたタイルの欠片がぽろぽろと降って来る。
そして、白い天井に亀裂が走り、それに気付いた他の客たちが軽くパニックを起こす。
「落っこちて来るんじゃねぇだろうな……!?」
イアンが冷や汗を流していた。他の客たちもそう思ったのか、一斉にその場を離れ始める。
店内放送が入った。振動や亀裂に関して注意喚起が行なわれるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
『我々は、聖痕神力騎士団! 昨今のガイア連盟の横暴に、神はお怒りであらせられる! よってこの建物を破壊する事により、ガイア連盟への魔導なる蔑称の撤回、及び我々宗教者の復権を要求する!』
「テロ……!?」
ルカちゃんが呟いた。
聖痕神力騎士団――その名前だけなら、何となく耳にした事がある。
あらゆる宗教家が、魔術師として弾圧されたのは既に述べている通りだ。多くはガイア連盟の通達に従って野に散り、俺にアドバイスをくれた彼のように静かな暮らしを営んでいるが、連盟の決定に不満を持つ一部の者たちが過激派となって、デモやテロを引き起こしている。聖痕神力騎士団は、特に行動が過激で、各地で高層ビルを破壊し、エリアを焼き払うなど、まるで軍隊の侵略のような事をやってみせる。
その存在自体は知っていても、実際に自分たちの町が狙われるとは、思わなかった。
「ど、どうしましょう……」
アミカちゃんがおろおろと視線を巡らせた。
「お兄ちゃん……」
「イツヴァを怖がらせるとは許せねぇな。いっそ、俺が……」
「待ってよイアン、私たち学生に何が出来るって言うの? 彼らの目的から考えて、もう政府には声明が届いていると思うわ。彼らがこのビルを爆破する前に逃げ出すしかないと思う。ねぇ、アキセ……」
「う、うん」
イアンは、コンバット・テクターを装着する為の道具を常に持ち歩いている。けれどもルカちゃんはイアンを諫めて、俺に意見を求めた。俺は頷いた。
仮にここで、そのテロリストたちを退治出来れば格好良いのだが、そんな事をやれるような戦力を、学生である俺たちが持っている訳がない。幾らイアンがRCFの成績優秀者だからと言って、軍人のような挙動は出来ない。
「落ち着いて下さい! ただいまから避難誘導を開始します。係員の指示に従って……」
「ほら、スタッフもああ言っているじゃない。大丈夫、その前にきっとコマンドが出動するわ……」
ルカちゃんが、出入り口の方で混乱に陥った客たちに声を掛けているのを指差した。だが、スタッフの声は途中で途切れた。側方から飛来した何かに、頭を貫かれて血を奔らせたのだ。
近くでその様子を見ていた女の人が、悲鳴を上げた。
幾つかある出入り口全てで、同じような事が起こっていた。
斃れた係員の代わりに、黒尽くめの者たちが現れた。ガスマスクのようなものを装着し、黒い軍服に防弾チョッキを身に着け、手にライフル銃を持った者たちだ。
「動くな!」
「お前たちは我らが神の復権の生贄として捧げられるのだ」
「光栄に思え、神の御許に生まれ変われる事を!」
テロリストたちはそう言って、客たちが逃れないようにフロアの中央に密集させた。俺たちは人の波に揉まれてばらばらになってしまう。
「アキセ!」
「アキセくん……っ」
「おい、アキセ!」
「イェツィノ先輩っ」
四人が俺の事を呼ぶのが聞こえた。真っ先に心配してくれるのが俺だと言うのはそれなりに嬉しかったが、要はそれだけ俺が頼りないという事だ。
「み、皆……」
少しでもテロリストたちの銃口から離れようと、人々はフロアの中心に集まって来た。俺はその流れに逆らう……と言うより、取り残された結果、流れに逆らう事になってしまい、人の集団の一番端の方に追いやられた。
足を滑らせて転び、背中を何かにぶつけた。
見上げてみると、ガスマスクの男が俺を見下ろしていた。
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