Part3 友人

「まーだそんなモン読んでるのか?」


 俺はイアンに声を掛けられて、びくっと身体を震わせた。


 何かに夢中になると、他の事が見えなくなってしまう。そのくせ、別の事を考えるのに夢中になって、結局、何をしていたのか分からなくなる。俺の悪い癖だった。


 考えている別の事っていうのは、大体が、三年前に漸く確信を得た、俺自身が生まれ変わりを経験したという事に関するものなんだけれども。


「う、うん……」

「別にお前の趣味に口を出す訳じゃねーけど、あんまりのめり込むなよな。下手すりゃ捕まっちまうぜ」


 イアンは両手を身体の前でくっ付ける動作をした。手錠を掛けられた時のモーションだ。


 例のショッピングモールに、俺たちは来ていた。


 メンツは、俺とルカちゃん、イアンと、彼の妹のイツヴァちゃん、そして俺の幼馴染みのアミカちゃんだ。


 イアン=テクニケルスは、俺たちのクラスメイトで、長身のイケメン。そこそこモテるが、イツヴァちゃんの事を溺愛しており、なかなか浮ついた話は聞いた事がない。イツヴァちゃんとしてはやたらと自分の交流関係に口を出して来る兄を鬱陶しく感じているようだが、単なる肉親としてなら嫌っている訳でもなく、仲の良い兄妹だった。


 アミカちゃんは、俺が別の学校の一期生だった頃に転校してしまった女の子だ。大人しい性質だが美人で、子供ながらにクラスメイトから嫉妬されて一人ぼっちにされてしまう事が多かった。周りと馴染めなかった俺は彼女と少しく惹かれ合ったのだが、仲良くなれたと思った頃に親の都合で転校してしまった。その相手と、九期生の頃に同じクラスになって再開したのだった。


 それでこの休みに、イアンの提案で何処そこに遊びに行こうという事になり、このショッピングモールにやって来た。一二〇だか一五〇階だかまであるビルだ。世界的な眼で見れば珍しくはない高さだが、関ブロ第三地区はヒノクニの中でもかなりの田舎なので、そこまであると珍しい。


 その四八階にあるブティックに、ルカちゃんたちが行き、俺は人に酔ったと言って二つ下のフロアにある書店にやって来た。今時珍しく、紙の本を扱っている店だ。それなりに広く、種類も豊富だが、買う時は電子書籍である事が多く、旧時代で言う図書館のような、立ち読みだけのスペースになってしまっている。

 ルカちゃんたちに一緒に付いていた筈のイアンが、そこにいた俺に声を掛けたのである。


「でも、何が面白いんだ、こんなの。子供向けのアニメの方がずっとマシだと思うけどな」


 イアンは、僕が前にしていた書架から、一冊の本を抜き取った。『忘れ去られた神話学』という本で、近現代には通用しない、文化ではなく信仰としての宗教学の内容が記されている。イアンの言う通り、国家から見れば既に抹消した筈のものであり、誰もそんなものは信じていなかった。アニメのヒーローの方が実在を信じられている。


「それはそうなんだけどね……」


 俺は手に持っていた本を閉じて、元あった場所に戻した。『ヴィーナスの芸術性―神の実在とその確証、並びに人間的理想―』というタイトルだ。焚書によって消滅した宗教画、特に女神に焦点を当てて描かれたものである。ヴィーナスと名付けられた建物や機械は、探せば一定数あるが、それが美の女神の名前だという事を知っている者は、さほど多くはないだろう。


 別にそれに限った事ではない。調べれば分かるが、会社や場所の名前に、神や天使の名前が付けられている事は多いものの、その名前の由来などは気にしない。語感や雰囲気で選んでいるに過ぎず、ちょっとでもかじったものなら違和感を覚えるようなネーミングなど、幾らでも氾濫していた。


「って、何で、イアンがここに? 皆は?」

「女の子の服選びって奴は、長引くって相場が決まってるんだ。飽きちまってさ」

「そう……。イアンの事だから、イツヴァちゃんの服まで選んで上げてると思ったけど」

「イツヴァはどんな服を着ても可愛いからな……」


 イアンはえらく酷く真面目な顔で言った。男の俺でもどきっとしてしまうような、綺麗な横顔だった。いや、男の俺でもという言い方をする人間は、やはりもういなくなっている。同性愛に対する偏見は既に悪の歴史とされ、今では同性間のカップルや夫婦も普通にいる。子供の問題も、何とか細胞というもので解決されているし、何とか作用を引き起こす細胞を使えば、女性の身体に男性器、男性の身体に女性器と同じ働きをする器官を付ける事が出来る。性転換も、昔よりずっと簡単で安全だ。


「だから、お前でも絶対にやらんぞ。イツヴァに手を出したら


 イアンはそう言って俺に詰め寄った。長い睫毛の下から、蒼い眼がぎょろりと覗き込んで来る。一見すると本気だが、きっと彼なりに親しさを表現する冗談なのだろうと思う。だって、俺は知っている、本当に人を殺すに人間は、そんな事を宣言しない。


「わ、分かった、分かってるよ……」


 俺は苦笑したが、内心、びくついている。前世の俺の残虐な本能が、彼の妹に向いてしまうかもしれないかと危惧していた。俺自身が手を出さない心算でいても、何らかの弾みでそういう事になってしまうかもしれない。そして恋愛というだけならまだしも、前世のように、無理矢理にそういう事をしてしまったら……。


 そう思うと、恐ろしくて何も出来はしない。同じようにイアンに憎まれ、殺されてしまう事を考えると、俺は何も出来なくなってしまう。


「分かってるなら良いんだ。……ああ、そうだ、アキセ、お前、今度のテクストロはどうする?」

「どうするって?」

「俺は出る心算で、色々と用意しているけど、お前からはとんとそういう話は聞かないからな」

「――」

「今回はちょっと本気でやりたいんだ。だから参考になる本でも買おうと思ってさ……」

「そうなんだ。テクストロの本は、あっちの方だよ。一緒に行こうか」


 という事で、俺とイアンは移動を始めた。


 テクストロ――これは学校で義務化されている教育の一つ、RCFの模擬戦闘の事だ。


 RCFとはロボティックス・コンバット・ファイターズ――人間が特殊装甲服を装着して行なう格闘技の事だ。


 かつて軍隊で運用されていた、コンバット・テクターと呼ばれる特殊装備がある。戦争がなくなった今は、青少年の心身を鍛え、健康を維持する為のスポーツで運用されている。野球やサッカーといったものも続いているが、今、スポーツの中で一番知名度と人気が高いのは、やっぱりこのRCFだ。


 教科としては、その歴史や構造、技術を学ぶ事が義務化されているが、テクストロは自由参加だ。格闘技という特性上、怪我をする可能性も高い。しかし、テクストロに参加して良い結果を出せば成績にも反映されるし、将来的に就職した先で、社会人チームのプロ選手や軍隊の一兵卒になる事も出来た。


 イアンは、プロ入りから軍人になる事を目指している。なので出来る限りテクストロには参加しているし、ここ数年は優勝を逃しているけれど、名前自体は上位に喰い込んでいる。ルカちゃんやイツヴァちゃん、それに俺としては意外だったが、アミカちゃんも、クラスでは成績優秀な選手であった。


 俺はと言うと、テクストロには出た事がない。授業として一通りはやった事があるが、試合ではからきしだ。練習でさえそれなのだから、模擬戦であるとは言っても実際に戦う事は、出来なかった。


 自分が怪我をさせられるのも恐ろしいが、それ以上に、相手を怪我させてしまう方が怖かった。実力もない癖に何を言っているのかと思われるかもしれないが、RCFでは稀にそういう事がある。


 敗けそうになって必死に放った一撃がクリーンヒットし、外装の弱い部分に直撃して、そのまま重度の負傷に繋がってしまう。下手をすれば、格下とやっていたのに選手生命を絶たれる事もあった。


 若しそんな事になってしまったら――と、思う事が傲慢であるとは分かっているが――俺はとても、模擬戦になど出られたものではなかった。


 俺は、イアンと一緒にRCF関連の書籍が置いてあるコーナーに向かい、適当に書架を眺めながら、イアンが参考資料を見付けるのを待っていた。

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