Part2 前世
その夜も、夢を見た。けれどいつもの夢よりもリアルに迫り、それが自分の記憶なのだろうという事がはっきりと分かった。
いつものように何人もの人を殺して、遂に捕らえられ、俺は公衆の面前で刑に処された。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
そう言って拘束されていない頭だけで暴れ回る俺を、執行者たちは処刑台に押さえ付け、様々な痛みと苦しみを与えた。
俺は死ぬ事は許されなかったが、それは俺の望み通りではなかった。
やめてくれ。
許してくれ。
ご免なさい。
ご免なさい。
ご免なさい。
ご免なさい。
最期まで俺の悲鳴は止まらなかった。どれだけ身体を傷付けても、俺が喋れる分だけは残して置かなければならなかった。今までどれだけの人間が、俺によって同じ言葉を吐かされたのか。何も悪い事をしていないのに許しを乞った人たちが、どれだけいたのか。それを分からせる為だったのだろう。
処刑人たちは見事だった。俺の身体は、気付くと全身の皮を引き剥がされ、筋繊維までも奪い取られ、骨を取り外されて、心臓と肺が剥き出しになっているだけの何かになり果てていた。腕も脚もなく、もう何処にも逃げ場はなかった。人の身体をこんなになるまで解体して置きながら死なせないのは、最早、芸術の域に達していた。
俺はその姿で晒された。酷い顔だっただろう。意識を保っているのが信じられなかった。俺は俺を見上げて罵倒する人々の言葉を聞いていた。彼らは既に切り落とされた俺の手を腕を足を腿を尻をペニスを棒に突き刺して掲げ、祭囃子の如く踊り狂っていた。
こんな姿にされては、もう生きてゆく事は出来ない。
死にたくないという思いはあったが、死なせてくれという思いもあった。
何故、こんな目に遭っているのか。
決まっている、俺が同じ事をしたからだ。俺は自分の罪を、自分の行ないで贖っているに過ぎない。
俺は何度も謝った。謝って謝って謝り尽くした。俺の声は血の味がした。けれど誰も許してくれなかった。当たり前だ。俺は、許しを請う人間を殺して来た。許しを請う必要のなかった人間を殺したのに、とてつもない罪を犯した俺が許される筈がなかったのだ。
やがて俺の身体から肺と心臓が引き抜かれ、俺の頭部の中で血流が滞り、腐った血が脳を満たした。俺の意識は闇の底に沈み、耳だけが、俺に対する憤怒と憎悪と悲嘆の声を捉え続けていた……。
その、俺を罵る声さえなくなった時、俺の夢は終わる。
いつもならば。
その日は、そうではなかった。
俺の意識は、闇の海を漂っていた。若しも眼があれば闇に潰され、耳があれば闇に貫かれる。不安になるような圧倒的な昏さでありながら、何処となく羊水を思い出す緩やかな温もり。
一筋の光が射し、俺の意識を照らし出した。
光は俺に向かって接近し、眼の前でぱっと弾けて、人のような姿に変わった。
……女?
白く光り輝く女性の姿が、そこにあった。
微笑みを湛えた輝く女性は、少女のようにも見えたが、妙齢のようにも見えた。
女性は何も言わず俺に手を差し伸べた。けれど俺にはもう腕がないので、彼女の手を取る事は出来ない。だが俺は、まるで植物が建物の陰から光射す方へ伸びるように、意識を伸ばして行った。俺の、光を求める意識は闇の中にぼぅっと浮かび上がり、黒い糸を紡ぎ合わせて光の手になった。
女性が俺の手を取ると、その部分から光が消え落ち、代わりに肉の身体が構成されてゆく。俺の身体はあっと言う間に再生された。だが、肉の身体を取り戻すと共に、俺の全身を痛みが襲った。処刑時に味わった激痛が、蘇って来たのだ。当然、俺に対する怒りの声も同じく。
俺は泣き喚いた。
もうやめてくれ。
俺は死んだのではないのか。
殺されたのではないのか。
俺がやって来たように、人の考え得る最も残酷な方法を用いて、奪った命を自分の命で贖ったのではないのか。それとも俺は、死んでも、殺されても、永遠に残虐の限りを尽くされて償い続けなければならないのか。もうやめてくれ。もう許してくれ……。
永遠にも近い時間を、俺は暗闇の中で過ごした。闇に漂う俺の身体は何者にも触れられていなかったが、俺の身体には激痛が走り、心には後悔の念と憎悪の声ばかりが渦巻いていた。
俺が苦しみ悶えるさまを、光り輝く女性はただ見つめていた。彼女の浮かべる微笑みが、俺には悪鬼の顔に見えた。けれど俺は、きっとあんな顔をして人を殺して来たのだろうと思う。俺が死して尚もこんな苦しみを味わわされているのは、この女の所為なのか。憎しみの心が湧き上がるが、それも全て俺自身の背負った罪、俺自身が犯した咎への報いなのだ。
そして闇の中で俺は永遠の責め苦を味わいながら、逃れる事も死ぬ事も許されないまま――眼を覚ましたのだった。
最悪な目覚めだった。
俺は眼を覚ましてすぐ、自分の手足の存在を確認した。胸に手を当てて心臓の鼓動を聞き、呼吸が出来るか否かを確かめ、眼と耳と鼻とが正常に機能するかテストした。
動く……。
今までと同じように、俺はどうやら、酷い悪夢を見ていたようだった。
そしてこの日の悪夢が特別だったのは、今まで以上に長い時間の夢だった事と、妙なリアリティがその夢にはあった事だった。記憶よりも鮮明な、実際にあった事であるとして、俺の意識に刻まれた。
あの魔術師の言うように、俺の前世という奴なのかもしれなかった。
俺が確信を得たのは、あの輝く女性を見たからだった。
仮に、俺の罪も罰も本当の事で、あの夢が実際の記憶だったとすれば、その終わりに現れたあの女性も、真実の存在であるかもしれないからだ。
あの女性の手によって、俺の身体は再構成された。生まれ変わり……魔術師はそんな事を言っていた。学校では当たり前だが、どんな宗教の史跡を巡ったって、今時そんな事は言われない。けれど俺は、あの女性が……今は何処であっても説く事を許されない、神と呼ばれた何かであるような気がしていた。
何にしても、俺は、俺が今まで感じて来た違和の正体に気付いてしまったのかもしれない。俺が本来いるべきではない世界に生まれ変わってしまったから、俺は、この世界に順応し切れないのではないだろうか。
尤も、あの魔術師の話では、多くの人間がそうだと言うが……だとすれば、他の人たちが前世とやらの記憶をリセットし、違和感なく過ごしているのに、俺に罪の記憶が残されたのは何故だろうか。どうして俺だけが、そんな事になっているのか?
“貴方はなかなか幸運だと思いますよ。その悪夢、又は前世でのトラウマが、貴方を優しくします”
そう言えば魔術師がそんな事を言っていた。
全く幸運などとは思えない。俺はこの前世の記憶の所為で、自分を主張するのが恐ろしくて堪らず、何も出来ない、存在価値の分からない、役立たずになってしまったのだ。
又はそれが、前世での俺の行ないへの、罰なのだろうか。俺の魂に刻まれた記憶は、世界を跨いでさえも贖い切れないものだったのだろうか。
何にしても――
その夢を見た日、俺は新しい学校に通う事になったのだ。
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