第一章 光の中で輝く為に

Part1 相談

 小さい頃から、見ていた夢がある。


 人を、殺す夢だ。


 人が考え得る限りの、あらゆる残酷な方法で、毎夜毎晩、何人もの人を殺し続けた。その顔も鮮明に描き出される。見た事もない顔や格好の誰かを、老若男女問わず、殺して回った。


 それだけではない。


 人を殺して、その人の財産を奪い取った。既婚者や恋人がいる相手からは、その恋人を奪い、女ならば力尽くで犯し抜き、男はやはり殺してしまった。


 しかし最後には、決まって俺が殺される。


 俺は、俺が殺した人間の生首に見つめられながら、様々な方法で殺された。首を一発で刎ねられる事もあったり、腹をナイフでこじられてじわじわと死んだ事もあった。指を一本ずつ切り落とされ、尻の孔から口まで長い杭を貫き通された事も。


 必死に命乞いをする者たちを虐殺した俺は、彼らの死骸に囲まれながら同じように命乞いをして、同じように聞き入れられずに殺される。


 幼い頃は、眼が覚めると忘れてしまっていた。ただ、異様な気分の悪さだけが残った。


 八期生に上がった頃からだろうか、夢をよりリアルに見て、思い出す事が出来るようになったのは。


 八期生というのは、百数十年前までは中学二年生と呼ばれていた時期だ。教育機関での一年を一期といい、初等教育の期間が九年。一〇期生からは三年間の中等教育をやり、高等教育は最長で一六期まで受ける事が出来る。それ以上は、教育研究員として、給料を貰いながら研究に励む事が出来る。


 俺はその夢にうなされるようになり、遂にはノイローゼを発症してしまった。暫く学校を休み、心配した両親に連れられて病院へ行ったが、原因は分からなかった。主に精神科やセラピストを回ったのだが、何れも回復に至る鍵を手にする事は出来なかった。


 遂には、魔術師を訪ねるにまでなった。


 魔術師というのは、昔は宗教家と呼ばれた人たちの、現在の総称だ。科学技術の発展により、あらゆる迷信が取り払われたのが数十年前、それまでは様々な宗教が各国に存在して、各々の教義を説いていた。その多くを狩り立てて撲滅し、宗教法人は抹消、宗教は“魔導”と一括りにされ、文化財としての側面のみを残して消滅した。


 遥か昔に、全世界を巻き込んだ戦争が起こった。過激な思想を持つ一部国家とゲリラ的軍隊が手を組み、頻発した大地震や大噴火などの混乱に乗じて宣戦を布告したのである。その時に核兵器が使用され、現在でも人が住む事の出来ないような被害を受けた“ホワイトダークゾーン”が、戦争の遺産として手を入れられていないのと同じだ。


 宗教は人を惑わせるものとして、歴史的価値の小さい神社仏閣は解体され、宗教者の多くも極々一部を除いて捕縛された。そうならなかった者も、ガイア連盟に加盟して宗教者ではなく、一国家公務員としてのみ、生活の安全を保障される立場となったに過ぎない。


 それでも、社会の裏に潜み、ひっそりと生き延びている宗教者は少なからず存在する。国家もそれを分かっており、集団となっての大々的な布教や勧誘行為、金銭を稼ぐ行為などを行なわない限りに於いては黙認していた。


 親元を離れ、親戚の家に預けられた俺に、何かアドバイスをするというのは、ボーダーラインに触れるか否かの微妙なラインだった。下手をすれば、俺や俺の身内にまで、連盟警察の捜査が及ぶかもしれないのだ。


 俺は、今住んでいる町――ヒノクニ・関東ブロック・第三地区の外れにあるMエリアの繁華街、その裏通りに行き、その魔術師と話をした。


 ホームレスでも避けて通るような不気味で薄暗い場所に、魔術師は段ボールで作った小屋を持っていた。ぎちぎちにビニールテープを張り付け、空気が入る隙間や雨対策をした、それなりに格好の付いた段ボール小屋で、前時代の人間ならば快適ささえ感じられるだろう。


 その小屋の中で、俺は魔術師に相談した。


 魔術師は黒いマントを身体に巻き付け、幅広の黒い帽子を被り、黒いマフラーを口元まで引き上げていた。露出しているのは眼元だけで、黒い瞳の他、瞼や涙袋は陶器のような白さだった。


 俺の話を一通り聞き終えた魔術師は言った。


「前世というものかもしれません……」

「前世?」


 聞き覚えのない言葉の筈だったが、何となくその意味する所は分かった。


「これを言って良いのかは分かりませんが」


 そう前置きして、魔術師は言った。


「一応この世界には、魂というものがあると私たちの多くは考えています。あらゆる生命の物質的最小単位は原子になる訳ですが、精神的単位で言えば物質である肉体と霊的存在である魂の二つであると」


 魔術師が前置きしたのは、これから自分が話す事は、或いは国家から禁じられている事であるかもしれないからだ。宗教家が文化という面以外の視点から宗教を語る事は、今の世界では許されない。


「人間を構成するのは魂魄、即ち精神や記憶といったソフトウェアと、肉体というハードウェアです。人間が死ぬというのは、ハードがソフトを正常にロード出来なくなった状態であると言えるでしょう。ハードは多少の故障、人間で言う怪我や病気なら修理なおす事が出来ますが、それさえ出来なくなると捨てるしかありません。それが人間の死という状態です。ですがソフトは、ハードを介して読み込むディスクやカードなどは使えなくなっても、元のデータ自体は別に存在しています。だから、ソフトは壊れた訳ではない……ソフト自体は、まぁ、或る程度までは不滅という事です」

「はぁ……」


 魔術師は俺に合わせて例え話をしているようだったが、正直な所、俺は変に例を出されるよりも、そのまま言ってくれた方が分かり易いと感じていた。


「そのほぼ不滅のソフトを、別のハードで再生する……この段階から見て前のハードとの組み合わせを前世というのです。生まれ変わりとか、転生とか言いますね」

「つまり、僕は……」

「別に貴方だけではないと思いますがね。肉体を離れた魂は消滅せずに虚空を漂い、別の時代や場所で生まれる新しい命の種となる。その前の肉体であった時のパーソナリティというか、アイデンティティというか、それらが失われているだけで、魂自体は何度もリサイクルされているのでしょう」


 魔術師はそう言ってから、


「尤も、余り本気にしないで下さいね。私が国から怒られてしまいます」


 と、冗談っぽく笑った。実際、ただそういう文化として話しているだけならば良いが、勧誘や布教をしたというような結果になってしまった場合は、罰則の対象なのだ。


「じゃあ、僕の場合は、その前世の記憶が残っているという事ですか……?」

「そうなのかもしれませんね。いや、事実かどうかは分かりませんが。ともすると貴方がかつて眼にした本やテレビの内容を、自分の記憶と勘違いしてしまったのかもしれません」

「――」

「でも、成程ね、大量殺人の死刑囚ですか……」

「――」

「ガイア連盟の設立から既に一世紀以上が過ぎています。世界大戦を経て地球国家となった今でも、一定数の犯罪者が生まれている。しかし彼らは貴重な労働力として死ぬまで使役され、国家の為に働く事で贖罪を行なっている……」

「――」

「最後に罪人が命を以て贖ったのは、はて一体どれだけ昔の事になるのでしょうね」

「……多分ですけど」


 俺は言った。


「僕は、夢に見る程、何かに夢中になった事はありません。多分、そんな夢を見るような本や番組を見た事も。だから、やっぱりそれは、僕の……生まれ変わる前って言うか、前世ってものの事なんじゃないかって思います……」

「その夢の所為で、自分を主張するのが恐ろしいのですね。極端に言って、自分の好き勝手に振る舞うと死刑になってしまうかもしれない……」


 それが、俺の本当の悩みだった。


 俺がノイローゼになったのは、残酷な光景を見せられ続けたからだけではない。夢の中で俺は、自分の思う通りに振る舞い続けた。人の意見を却下し、あらゆる弊害を葬り去って、自分の事だけを考えて、遂には犯罪者となった。その報いとして残虐な死があった。


 若し、そのようになるかと思うと、恐ろしくて堪らず、ほんのちょっとの事でも自分の意見を通そうとする事さえ、出来なくなってしまったのだ。


 今までのカウンセラーたちは、俺の夢を単なる夢と片付けてしまい、悪夢そのものを消し去る事を考えていた。しかし魔術師は、その夢の所為で俺の心に何が起きているかを見抜いたのだった。

 別に今まで掛かった精神科医たちの腕が悪かったのではないだろう。恐らく、医師たちは国家が禁じた宗教や迷信、哲学の類について余りに無知であった為、俺の心の闇を暴けなかったのだ。


「ここだけの話、私がこの服……黒いコスチュームを纏っている理由をお教えしましょう。私は闇に紛れる為にこうしているのではなく、光の中でより輝く為に、黒い衣を身に着けているのです」

「え……?」

「貴方はなかなか幸運だと思いますよ。その悪夢、又は前世でのトラウマが、貴方を優しくします。無論、優しさよりも別の感情が大事な時もあるものですが……」


 魔術師との対談は、それで終わった。


 俺は彼が示した代価を支払った。魔術師への相談は電子マネー・Eクレジットではなく、現物での支払いと指定されていた。宗教を個人が売り物にする事は許されないので、食べ物や衣料品などだ。俺の小さい頃の衣服を切り貼りした薄手の掛布団と、缶詰と呼ばれる旧世代の保存食。


「それでは、また何かあれば。私はいつでもここにいますよ」


 魔術師は俺を送り出して、小屋の入口の戸を閉めた。


 俺の悩みが全て解決された訳ではない。きっと今夜も、夢を見る。ただほんのちょっとだけ、気分が楽になったような気がした。


 翌日から転入する事になっているが、それが少し、楽しみになった。

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