ヤマネコの夜

ふじの

ヤマネコの夜

 ホテルのフロントで「まだ空きがありますよ」と勧められて申し込むことにしたナイトツアーは「ナイトツアー」という名称しか分からずどこに行って何をするのか全く聞いていなかった。

 南国とはいえ12月のため、寒いのは苦手なのですと確認したら「寒くはないですけど、夜なので明るめのお洋服が良いですよ」と微笑まれた。

 アドバイスに従って白いワンピースにわざわざ着替えた。寒くはないと言われたがやはり少し肌寒い。迎えに来たバンに乗り込んで他の参加者の格好を見た時、私だけが方向性を違えていることにすぐ気付いた。

 ガイドの女の子は私の格好を目にしても驚いた顔を一つ見せずに名前を確認すると空いている席に座るように手で示しただけだった。

 中にはすでに4名の先客がいた。

 スペイン系の美男美女のカップルが後部座席を占領し、何やら囁きながら笑いあっている。その1つ前の座席に男性が1人、そのさらに1つ前の席に女性が1人座っていた。大きな虫取り網を抱えた女性は薄暗い中でもわかるくらい必死な形相で本を読んでいた。

 黙って男性の隣に腰を下ろすと、少し驚いた顔をされたが、会釈をして席を詰めてくれた。ちらちらとこちらを気にしている様子がわかる。私の服装が不思議なのだろう。明らかに他の4人はトレッキングに適した格好をしている。前の席の女性は網を持っているし、後ろのカップルは脇にナイフのようなものを置いている。

 私が席に着くとすぐに車は走り出した。運転をしている年配の男性がどうやらガイドらしいが、ガイドらしい口上は特になく、アシスタントらしい女の子も何も言わない。彼女が乗り込む時に男性から受け取った箱を膝に乗せているが、カサカサと奇妙な音がそこから聞こえてくる。

 隣の男性がカメラを取り出して準備を始めたのを機に尋ねてみた。

「あの、このナイトツアーはどこに行くのでしょうか」

 また驚いた顔をされたが、ちゃんと教えてくれた。

「ヤマネコを探しに行くんだよ」男性の答えにホッとする。それであれば楽しむことができそうだ。男性は私の服装に目をやると、カメラをいじる手を止めて声を少しひそめた。

「見つけた後のことは自分の責任になるから君もちゃんと考えておいた方が良いよ」

「責任、ですか?」怪我をしたりする可能性があるのだろうか。男性は目を細めて笑うと少し私の方に体を寄せた。

「そうだよ。僕は写真が趣味だからね。できるだけ野生の状態で写真に収められると良いんだけど」

 それは悪くない。もし男性が写真を撮れたらもらえないかお願いしてみよう。そう思っていたら男性が私にもっとそばに寄るように手招きする。近寄るとさらに声を潜めた。

「ここのガイドたちは食べることにハマっていると聞くし、後ろのスペイン人は奥さんのストールを作ってあげたいらしいよ。前の女性はかなりの常連で、いつもあぁやって網で捕まえて行くんだ」

 男性の顔を正面から見つめる。

「何をですか?」

「ヤマネコに決まっているじゃないか」男性は突然呆れたように顔をしかめて私から離れると、窓の向こうにカメラを向けてもうこちらを見ることはなかった。

 ガクンと揺れて車が止まる。

 囁くように笑いながら後ろのカップルがするりと私の横を通り抜けて外へ出て行く。前の女性も長い網を引きずるようにしてそのあとに続いた。女性の網が完全に外の闇夜に吸い込まれるのを眺めていたら、男性が舌打ちをして、私を踏みつけるように乗り越えていった。

 私が降りるとすでにみんなは歩き始めていた。ガイドの女の子だけが私が降りるのを待っていてくれたようで、私が来ると黙って懐中電灯を灯し、車の明かりを消した。

「ここからジャングルに入るからね」男性ガイドが小さな歌うような声でそう言って舗装されていない横道を進んで行く。懐中電灯の白い光は足元を照らすのに精一杯で周囲の闇の中の侵入を防げるものではなかった。カラカラ、パキパキと聞いたことのない不思議な音が鳴り続けている。

 時折、カップルの男女が私にはわからない言葉で囁きあう以外は誰も何も言わなかった。網を持った女性は闇の奥に何か光るものが見えると声も上げずに凄い勢いで網を振り下ろした。ずるりと引きずり出されるたびに白かった網は色んな色に染まっていく。網の中で何かが蠢いているのはわかったが、いくつかはジャングルに返され、いくつかは女性のポケットにしまわれ、何が採れたのかは見えなかった。網に点々と赤黒いシミがついているのは見えた。

 一度、女性のポケットから何かが落ちて逃げようとした。サァー、と凄い速さで逃げ出したそれをガイドの女の子が足で踏みつけた。にんまりと嬉しそうに微笑んだのを見て、「何がいたんですか」と尋ねようとした。でも遅かった。その娘はパッとしゃがんだと思うと一瞬で口の中にそれを放り込み、そのまま何もないような風で歩き出した。バキバキと嚙み砕く音が聞こえ、何か足元に吐き出された。私が通り過ぎる時に白い光を当ててみたら小さな骨のようなものが転がっていた。

 男性のガイドが立ち止まり、何かを懐中電灯で照らした。「オォ」と歓声が上がり、皆が集まる。私も覗き込む。大きめのうずらの卵の殻ようなものがそこに落ちていた。殻のようなものには粘液のような濡れたあとが残り、道の奥へと続いていた。

「何の卵ですか?」

 私がたずねると、写真を撮っていた男性は嘲笑交じりに鼻を鳴らした。ガイドの男性が「ヤマネコだ」と小さな声で教えてくれた。「食事が足りていないようだな」ヤマネコの卵なのだろうか。それともヤマネコの食事の後なのだろうか。もう一度尋ねようかと思ったが、皆の空気に水を差すのも悪いのでやめておいた。

 がさりとジャングルから音がした。続いて動物が何かを嗅ぎ回って鼻をならすような気配がした。顔を突き出すように繁みの中を覗いていたカップルの男性が何やら弾んだ声で叫び、かちゃりとナイフを鞘から抜いた。女性の方が何かを祈るようにナイフに口づけをする。鈍く光る刃物はひんやりと心地よさそうに見えた。男性は汗ばんだ髪をかきあげると私たちの方を振り向くことなくジャングルの中に分け入っていった。そのあとを女性が続く。

 ガイドの男性は卵の殻をズボンのポケットに放り込むと再び歩き出した。ジャングルに入っていったカップルはまだ戻ってこない。

「待たないんですか?」

 全員が私を振り返った。

 ガイドの少女もカメラの男性も網を持った女性も無表情で私を見る。

 男性ガイドがゆっくりと口を開く。 

「こいつらが」そう言って微かに残った卵の殻をぐしゃりと踏みつける。

「死んだらニュースになるが、人がいくら消えてもここでは誰も騒がない」

 2人が消えたジャングルの向こうで何かが笑ったような気がした。

 歩いているうちに道幅が狭まりいつの間にか歩道はなくなり完全にジャングルの中を歩いていた。ぶよぶよと妙に柔らかい土がぐちゃぐちゃと靴にまとわりつく。ホテルを出た時は肌寒向かったのに今はじっとりと肌が汗ばんでいる。歩けば歩くほど湿度が上がり、夜気に溶けた獣臭が強くなっていく。

 「オォ!」カメラを持った男性が嬉々とした声をあげて何かに駆け寄って行く。「こいつはいい。野生的な瞬間が収められそうだ」落ちている何かをしげしげと眺め匂いを嗅ぐように鼻を動かすと、「あっちだな」と口のしまりを忘れたような表情で目を爛々と輝かせて闇の中に駆け出した。ガサガサと木々の枝葉を揺らす音がしばらく聞こえていたが、すぐに聞こえなくなった。

 男性が去った後には鈍い光を放つナイフが落ちていた。柄の部分は薄黒く汚れ、てらてらと光っていた。どこかで見たナイフだと思った。

「で、あんたは何をしたいんだい?」

 気づくとガイドの男性が私の真後ろに立っていた。上唇の上にたまった汗をペロリと舐めて、じっと私を見つめている。

「何って?」

「これはナイトツアーだよ。何かしたいことがあって参加したんだろ」

 確かにそうだ。

 私は一体何をしたくてこのツアーに参加したのだろうか。

「あんたが最後の1人だ」

 言われて気づいた。

 いつの間にか網を持った女性もガイドの少女もいなくなっている。みんなそれぞれの目的を見つけたのだろうか。

「私はただ・・・ヤマネコを見れるのだと思って」見てすぐにホテルに戻って眠るつもりだった。

 ガイドの顔に会心の笑みが広がった。

「そうか。確かにあんたの格好はヤマネコを見るのに相応しい。問題ない。ほらこっちだ」私の肩をぐいとつかむと繁みの奥へと押し進めた。肩に置かれた手は軽く添えられているだけに感じるのに、私の体は操られるようにするするとその手に導かれる方向へ進んでいく。

「その格好ならたとえしくじっても」ニヒヒと言うどう表現していいのかわからない笑い声を響かせてからガイドが続ける。「きっとヤマネコが必ず見つけてくれる」

 カサカサと頭上の木々が揺れパラパラと枝のようなものが降ってくる。足元を小さな動物たちがさっと身を隠すように横切っていく。パキパキと音が鳴り、カラカラと鳴く虫の音が響く。今では歩くだけで汗が噴き出すような暑さになっている。

 シダが茂った繁みの前で男性にかがむように言われた。

「よし、ここだ。さぁ、覗いてごらん。ゆっくりとだ」

 初めてガイドらしい口調で男性が私に囁いた。もわりとした空気の中に生臭い匂いが立ち込める。「さぁ」もう一度囁かれる。「早く」ごくりと男性の喉が鳴る。ゆっくりと顔を寄せ、片目をつぶるようにして覗き込んだシダの向こう側でポキリと音がした。ごろごろと喉を鳴らす音とともにぼんやりとした光が近づいてくる。ガイドの男性が舌舐めずりをした。もっとよく見ようと思って懐中電灯をパッとその光に向かってつけた瞬間になんとも言い難い動物の鳴き声のような人の悲鳴のような機械の断末魔のような音が響いて一瞬あたりが真っ白になったような気がした。

 

 ふと気がついたら砂浜に立っていた。

 暗闇の中でも光るように白い浜辺には、動物の足跡らしき小さな窪みと何かを引きずったような跡が、交互にうねりながら浜辺の向こうのジャングルへと続いていた。ざんざんと鳴り響く波の音に混じって微かにガイドの笑い声が聞こえた気がした。

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ヤマネコの夜 ふじの @saikei17253

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