幽鬼の章
補欠
近所の辻に、フランス貴族の幽霊が出るという。
がりがりのっぽの中年男で、中世の宮廷そのままの重たい衣装、ビンタをしたらひびが入りそうな厚化粧。息ができないくらいの香水のにおいまで漂ってくるのに、向こうが透けて見えるという。
シャッターが下りた商店街に出るにはどうも場違いな幽霊だが、幽霊には違いない。
ひとつ、見に行ってやろうじゃないか。
その蛮勇は真夜中に突然降ってきて、それなりに入っていた酒の勢いに背中を押され、歴戦の勇者にでもなったようなつもりで、例の辻まで足を運んだ。
はたして、幽霊はいた。
だがどうみても彼は中世フランス貴族ではなく近世イギリス海賊のなりをしている。鉤手でも眼帯でもなくお伴のオウムもいないが、そのまま絵本に「わるいかいぞくせんちょう」として出ていけそうないでたちだ。幽霊を確認したところで一目散に逃げればいいものを、酒というのは怖いもので、噂と違う、と面と向かって難癖をつけてしまった。
幸い幽霊は襲いかかってくることもなく、「補欠だ」との返答が帰ってくる。なんでもいつもの幽霊が時間を忘れて飲んだくれてしまったらしく、代わりに仕方なく化けて出ているという。幽霊が酒を呑むのかだとか、なんでここに出るのかだとか、矢継ぎ早に質問をしたが、離すと長くて面倒くさいと言って教えてくれない。しまいには「ここんとこ物騒だし、帰って寝な」と、二の腕をいかにも海賊じみたカトラスでぺちりとやられた。それも半透明なのだが、ひやっこさはひどくリアルだった。
そういや、この近くで殺人だか、未遂だかが最近あったはずだ。現金なもので、そういうことを思い出すと急に怖くなる。
会えてよかったありがとうを手を振ると、幽霊もそれに応じてくれた。急ぎ足で、家路に就く。
翌朝目が覚めて夢だったのかと思ったが、二の腕が妙に痒い。確認すると、ちょうどカトラスを当てられたところが蚯蚓腫れになっている。
思いつきでその日の夕方、例の辻にラム酒のミニボトルを置いてきた。それが功を奏したかはわからないが、2日ばかりで腫れは引いた。
呼ぶ声
小さいころ、誘拐されたことがあるらしい。
その間の記憶はほとんどないのだが、なんだか大勢が歌っているところで自分だけぽつんと黙っていたような気がする。突然さらわれて、身代金の請求も無く、帰ってきたときも突然近所の公園に放置されていたとのことだ。
最近、そのときにいいたのではないかと思しい歌がふっと聞こえることがある。思わずそちらへふらふらと歩き出しかけて、ひやりとしたことは一度や二度ではない。
なにせその歌は、踏切の向こうや高層ビルの谷間から聞こえるのだから。
鏡の幽霊
中学生の姪っ子は、わたしの母校に通っている。当時七不思議が大流行したものだが、いまもそういう話はあるのか聞いてみた。
わたしたちが夢中で話していたもの、ほぼそのままの怪談話がいくつかでてきてうれしかったが、当時一番盛り上がった「鏡の幽霊」の話は知らないという。
夜にトイレの鏡を覗くと、昔の型の制服を着た女子生徒がおいでおいでするといういたってオーソドックスなものだが、なぜそれだけ消えてしまったのだろう。姪の話によると、今はトイレに鏡がないらしい。なるほどそれでか、と納得したが、トイレには今別の怪談があるそうだ。
夜にトイレに入ると、鏡がある、らしい。居残りしていた生徒会役員が実際見たとのおまけつき。
たったそれだけのシンプルなものだが、それも「鏡の幽霊」には違いない。動く人体模型やひとりでに鳴るピアノ同様、末永く愛されてほしいものだ。
ベッドの下の
目の前で終電に逃げられて、あなたとその友人は駅のホームで途方に暮れた。
「どうする?」
「どうって」
タクシーで帰るか、手近なホテルに空きを探すか。二人ともやや遠方から遊びに来たので、どっちを選んでも財布の痛さは似たり寄ったりだ。顔を見合わせ、また考える。
そのときだ。
「ね、――だよね」
名前を呼ばれた。
どこかで見た覚えのある女性だった。花柄のふんわり長いワンピースに茶色いサンダルを履いている。名前や関係性を思い出す前に、意外な格好だなという感想が浮かび上がった。
「先輩?」
さきにあなたの友人が声を上げた。覚えてたんだ! と目の前の女性が歓声を上げる。そうだ。あのころは制服だったし、髪の毛はもっと長かったし、それでもって私服はものすごく派手だったくせに。
「え、なんかすごく大人っぽくてちょっとわかんなかったです」
「でしょー。中高の友達に会うとめっちゃそれ言われるんだ」
しばらくあのころのことや互いの近況報告などをしていたが、やがて先輩があなたがたに、近所に住んでいるわけでもないのになぜこんな時間にいるのかと尋ねた。
「遊びに来たんですけど、終電逃しちゃって」
「近くにホテルとか、あるかわかります?」
先輩はちょっと考えると「うちに泊まればいいよ」といって笑った。
「一人暮らしだし、あんまり広くないけど。片方は布団しいて、もう片方はソファになるけどいい?」
あなたと友人は悪いからといったん断ったが、思い出話をもっとしたいと食い下がった先輩に折れ、コンビニで菓子や飲み物を購入して彼女の住むマンションまで十五分、歩いた。
***
あなたの配置は、運が悪かった。
先輩と友人がベッドに座り、あなたはその下の床に座っている。すでに布団は敷かれていたしクッションもあてがわれて、決して不快な環境ではなかったが、運が悪かったというほか無い。
はじめは見間違いだと思った。次に、気のせいだと思った。
ベッドの下の暗がりに、何か動く気配がある。
虫ではない。もっとずっと大きい。先輩は道中、ペットは飼っていないといっていた。それにこれはマンションで飼う大きさの生き物ではない。――ちょうど、大人くらいの大きさ。
「あ、この写真カレシですね!」
「もう別れたけどね。なーんか捨てるタイミング逃しちゃって」
「今捨てましょ、今」
「そだね。捨てちゃう!」
ベッドの上の二人は何の心配も無く雑談に興じている。
ごそり。ごそり。
何かが身じろぎする。闇から這い出てベッドの足を苦しげになでるのは、大人の、おそらく男の、手。
息もつけないほど恐ろしいのに、頭の端のほうでは「そのまんまあの都市伝説じゃない」とあきれ返っている自分がいた。二人はまだ気づかない。あなたの怯えようにも、ベッドの下の男にも。
あなたはそっとバッグから携帯電話を取り出すと、来てもいないメールを確認し始めた。
***
あれから数日は気が気ではなかった。早出をしてほしいと職場からメールがあった、と嘘をついて、タクシーで帰った。殺人事件の報道がされていないかチェックした。自分だけとっさに逃げてしまったことに対する罪悪感と、無事逃げ延びた安堵感とで頭の中はぐちゃぐちゃだった。二人ともから「今度は三人で遊ぼうね」とメールが来たときは、足の先から蕩けて崩れてしまいそうなほど安心した。
安心したのも束の間だった。
その夜から、あなたのベッドの下に何かがうごめく気配がある。
虫ではない。もっとずっと大きい。あなたはペットを飼っていない。それにこれはマンションで飼う大きさの生き物ではない。――ちょうど、大人くらいの大きさ。
赤い花
好きな人を殺して埋めた。
景色も良くない、山菜も取れない、怪談話もない近所の山に埋めた。
半年たってそこを訪ねたら、ちょうどあの人を埋めたところに真っ赤な花が咲いていた。見たことのない花の形で、茎には薔薇のような鋭いとげが生えている。もう冬が近いので枯れてしまうだろうなと思い、指を傷だらけにしながら掘り出して持ち帰った。
途中、埋めたあの人に行き当たるんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。
あれからそろそろ1月になるが、花は枯れる様子がない。少し色があせてきたなと思ったら、指の腹を切って土に血を吸わせてやることにしている。
そうすると、また血のように赤く咲く。
にたものともだち
久しぶりに彼から連絡があったと思ったら、無二の親友をゾンビにしてしまったという内容だった。
自分のミスなのでひどく後悔しているが、世話になる先も見つかったようだし、死にっぱなしよりよかったと本人も言ってくれたとのこと。ティーカップを前に語る彼は複雑な表情だ。その親友とやらの写真を見せてもらったところ、目の周りは濃い赤紫に変色し、白目の部分も写真でわかるくらいに黄濁していた。肉が崩れるほど腐敗が進んでいないのが不幸中の幸いというところか。だが普通に外出することは二度とかなわないだろう。
「ちゃんと整備を続ければ、これ以上崩れることも無いってさ」
「大変だったね――ふたりとも」
「まったくだよ」
話している間中、しきりとティーカップに指を絡めようとしていたが、とうとうあきらめたらしい。始終こんな状態なのだろう。その証拠に、もともと細面の彼はますますげっそりして見える。
「幽霊の友達がいたら紹介してくれよ。お茶も飲めない生活に愉しみを見出すコツを聞きたい」
彼が力無く笑うと、燐光がほろほろ舞った。
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同人誌「清ク正シクグロテスク」のサンプルとして公開
2014年執筆
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