おもいで幽霊

 幽霊を見たのだと思った。

 相手の名誉のために言っておくが「幽霊」には足があり、透き通ってもおらず、とにかく幽霊らしい外見は全くしていなかった。

 「こまっしゃくれた」という形容詞がぴったり来そうな男の子だ。彼は身の丈に似合わぬ繁華街の雑踏を魔法のように躱して泳いで、その先であなたとすれちがった。あなたの顔をちらりと見上げて人ごみをかき分けていったあの子は、二年前に死んだはずなのだ。


 ***


 二年前、あなたは不良だった。本当に悪い奴だった。平気で殴ったし、平気で犯した。それをやらないやつらが意気地なしだと思っていた。

 そのグループにあの子もいた。

 グループでは二番目か三番目かに年下で、さらにその歳の平均よりも小柄なせいで、新参者にはちょっかいをかけられるのがお約束だった。でもあの子はどこで身につけてきたものか、あの小さい身体でそれなりに喧嘩もできた。だから勝率はなかなかで、たとえ負けても、相手が無傷のことはあなたが記憶している限り一度もなかった。

 あの子は度胸もあった。あなたはいかなかったが、仲間が集団で強盗をやるというときに自分からついていった。そして帰ってくると首謀者の、年長の奴らがあの子をほめたたえるのだ。

 あなたはあの子に、複雑な気持ちを抱いていた。

 ひとつは羨望だった。自分より年下で、背も小さくて、非力なくせに、なんでもできて、周りからも認められている。「なんでも」が悪いことに限られるのも、「周り」が悪い奴しかいないことも、当時のあなたは気が付いていなかった。羨ましかった。自分もあの歳の時にこのくらいできたらなぁと思わざるを得なかった。そうしたら、あなたは今、もっと格上だったに違いないのだ。

 ひとつは憐憫だった。あんな、声変わりもしていない小さい子が、今からこんなことやっていちゃあお先真っ暗だろうな。あなたは自分を棚に上げて、よくそう思った。下手をしたら、あの子には自分より前科が付いていそうだ。きっとこれから何をしようと、どうあがこうと、まっとうな暮らしはできないに違いない。それを考えるとき、あなたは不思議と自分の将来については考えなかった。ただ、あの子のことを憐れんだ。その他大勢と同様に「自分だけは大丈夫」と思っていたのだと、今になってあなたは気づく。

 そうやって二つの感情を呼び起こさせるあの子は、あなたにとって何かと気になる存在だった。その場にいれば目が行くし、話題になれば耳を澄ました。

 でもそれだけで、自分から積極的にあのこに話しかけたり、近づくことはしなかった。

 なんとなく、違う世界の生き物だと思っていた。

 そしてその「違う世界の生き物」であるあの子はこれからも華々しい戦績を上げて、前科を積み重ねて、最後にはとてつもなく暗いところに落ちていくのだろうなあとあなたは勝手に思っていた。


 ***


 古参とまではいわないが、あなたはこのグループにいて結構、長い。そろそろ辞め時かと思っていた。同い年の、平和的に学校へ行って平和的にアルバイトなどしている学生が急に羨ましく思えてきた。年齢もあったかもしれない。そろそろ、こんなことばっかりできる歳でもなくなってきたと、わかってきたのかもしれない。

 あなたの焦燥が積み重なっていくうちに、あの子が死んだと噂で聞いた。

 何人かで管を巻いているところを襲われたらしい。

 あの子を入れて四人だったそうだ。逃げ伸びたのは一人で、残りはあの子も含めて、死んだ、らしい。

 逃げたやつはやつで、ショックでちょっとばかりおかしくなってしまっており、現場の正確な情報を得るのは難しそうだった。ただ「ヤバい奴が襲ってきた。あいつは人間じゃない」と、譫言のように何度も繰り返して言っていた。あの子の死体がなかったと後日話が回ってきたが、例の生き残りは「あんなのに襲われて生きているはずがない」とがくがく震えながら言った。実際死体はなかったけれど、現場にはあの子の血痕もあったらしい。そのせいで、結局あの子も死んだことになった。

 ショックだった。

 あの子とのかかわりはほとんどなかったはずなのに、ほんのわずかなやり取りが影絵のようにあなたの脳裏に出たり入ったりする。

 あるとき。

 煙草を突き出して「火、くれるか」と言ったあの子。煙草、吸ったこともないくせに、一式持ち歩いていたあなたは迷わず応じた。紫煙を吸い込み、吐き出したときの、あの子の満足げな顔。

 あるとき。

 塀にもたれかかっていたあの子。あなたに気づくとばつが悪そうに「だせ―トコ、見せたな」と肩をすくめた。よく見ると服は縫い目のところが破れていて、全身傷だらけだ。あなたが何か声をかけようとする前に、「次はぶちのめすぜ」と、朗らかと言って差し支えない声音で言って笑ったあの子。

 あるとき。

 ひどく暑い日で、ぐったりしていたあの子。あまりにつらそうだったので、ジュースをおごった。自動販売機の、よくある、たいしたことない奴だ。そのペットボトルを幼い曲線の残る頬に押し当てて「マジサンキューな!」なんて言って、普段見る機会のない、とびっきりの笑顔を見せるあの子。

 数少ない思い出を、味がなくなるほど噛みしめる、あなた。

 結局、あの子はいくら待っても帰ってこなかった。仲間内でも、死んだ、ということで話はまとまった。待つことに疲れるほどあなたは待たなかった。その前に、気が付くとグループから離れていて、気が付くと、適当な職に就いていた。

 

 ***


 その適当な職も今日は休みだ。休みがてら、最寄りの繁華街で羽を伸ばしていたところに、アレだ。

 実はあの子が生きていて、というのは却下だ。なぜならあの子は死んだといわれる二年前から、全く背が伸びていないのだ。男の子なら(女の子でも)成長期のはずなのに。顔のつくりもまるきりそのまんまだった。二年も経ったら「面影がある」ことはあっても「全く一緒」なんてありえない。

 そもそも出る場所だっておかしい。

 ここはあなたの地元とは遠く離れている。仮にあの子が幽霊で、ほんとに化けて出ているならば、自分の地元を選ぶのではないだろうか。幽霊の常識なんて、わからないけれど。

 あんまり、深く考えないほうがいいのはわかっている。他人の空似だ。あれはきっと全く違う不良少年で、やっている悪事もあの子とは違うのだ。

 せっかく飲み屋街を歩いているというのに、呼び込みのお姉ちゃんの胸の大きさも頭に入りやしない。あなたの頭の中は今、あの子でいっぱいいっぱいなのだった。

 さっさとホテルに帰って寝よう――その考えを曲げさせたのは、


「……久しぶり」


 ほかならぬあの子だった。


 ***


 あの子は「知り合いの家だから」ととんでもない大邸宅にあなたを案内した。邸宅内に人の気配を感じないでもなかったが、あの子はまるで気にしていない様子だ。

 スーパーで売っているようなワインと、つまみに缶詰を供されて、まったくわけのわかっていないあなたに、あの子は笑いかけた。


「元気だった?」

「まぁ……そこそこ」


「遠慮しないで。これ、ボクのじゃないから」

 いったい誰のものなのかわからない、ワインとつまみをごちそうになる。居心地がいいとはお世辞にも言えない。だけれど、死んだはずの”あの子”と話をしているということに興奮して、あなたの精神状態は普通から少し逸脱しつつあった。

 それゆえに、真っ先に核心を突く。


「君、幽霊なの?」

「違うよ」 


 年相応の、けらけらした笑い声があの子の喉から溢れる。


「まぁ……幽霊と言えば幽霊かもしれないし、違うといえば当然違うし……うーん、なんだろうね。とりあえず、ボクが死んでるってことには間違いはないよ」

「そう、かい」 


 さすがに面と向かって言われるとショックだった。あの子はどんなに危ない目に遭ったって、死なないと思っている節があなたにはあった。それが今こうして死んで、幽霊だか何だかはわからないが、あなたの目の前にいる。


「というか――ってよくボクのこと覚えてたね。2年も経つじゃない? で、メンバー入れ替わりだってするわけじゃない? キミみたいにボクのこと、覚えてくれている人、いったいどのくらいいるのかな」


 この台詞を言うときのあの子は、なんだか悲しそうだった。

 悲しそう。

 あの子が一度とて表に出したことにない感情だった。

 少なくとも、あなたの前では。


「皆、きっと覚えてるよ。……すごく、目立ってたもん。あのときの、きみって」

「そうかなぁ」


 あの子が瞳を閉じる。

 実に厳かな行為に、感じた。

 あの乱痴気騒ぎの世界では、決して見せなかった表情。

 瞼が上がる。

 深い藍色の瞳が、あなたの眼を正面から射った。


「ね、ボクのこと、覚えてて」


 今更、という思いだった。

 仮に「忘れて」と言われても、忘れることはできなかっただろう。

 あの子は、あの時からは想像できないような慎重さで、ゆっくり、言葉を紡いだ。


「ボクはもう死んでいるんだけど……もし、仮に、仮にだよ。ボクを、ボクの人となりをおぼえていてくれる人がいるとなったら……その人が、そのことを覚えていてくれる間、ボクはその人の中で生きていることにならないかなぁ」


 そんな台詞、あの子にはとてもじゃないけれど、似合わなかった。そんな弱気なことを、言ってほしくなかった。

 しかしあの子は、それも計算済みとばかりの壊れそうな微笑を浮かべて、あなたに言った。


「ボクのこと、覚えてて、生きて。たまに、思い出して。そんなやつがいるって思うだけで、なんだかボクはすごく嬉しいんだ」


 あの子が手を伸ばす。

 触れた指は寒々しく冷えていて、あなたの背筋を凍えさせた。死人の肌だ。


「明日は早い?」

「まあ……」

「タクシー呼ぶ?」

「……うん」


 タクシーが来るのを待つ間、やたらに広い玄関の隅っこで、あなたとあの子は肩を寄せて座っていた。


「ごめんな、声かけて。気色悪かったろ。こんな……実質、幽霊みたいな」

「ううん」


 不思議と怖いだとか、いやだだとか、あなたは思わなかった。びっくりはしたが。


「ボクな、アンタ見つけて、うれしくて……あー、ボクも生きてたことがあったんだよなーって、たまんなくなって……」


 あの子は顔を膝の間に埋めたまま、泣きそうな声でしゃべった。もう泣いていたのかもしれない。あなたはそれを確かめる気になれなかった。隣に座って、玄関扉をぼうっと見ながら、相槌を打つ。

 やがて、タクシーが来た。

 扉を開けて振り返る。あの子はまだうずくまったまま、顔を上げる気配がない。


「じゃあ。その、会えてよかった」


 あなたの本心だった。

 あの子は消え入りそうな声で「ありがとう」と言った。


 ***


 あれからしばらく経った。

 あなたも、あなたのまわりも、たいして代わり映えのしない通常運転だ。

 あの子と話した夜を思い出す。夢だったような、そうでないような、変な感じだ。

 夢だったとしても、あの子のことは忘れようもない。きっと時々、思い出すだろう。あの子の望んだように。

 夢でなかったとしたら。

 来年も再来年も、あの繁華街の雑踏に、変わらない背格好のこまっしゃくれたあの子はいるのだろうか。

 またあの街に行く機会があったなら、探してみようかとあなたは思う。


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未発表

2016年執筆

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