暫定妹 推定×× あるいはイマドキのプロメテウス
わたしは兄と二人暮らしをしている。
と、言うことに語弊が生じそうなくらい、兄さんは帰ってこない。本当に、全然帰ってこない。たまに「お土産」を持って、はちきれんばかりの笑顔でこの部屋に現われては、それはもう、気遣って、可愛がってはくれるけれど、そんなに経たずに兄さんは「また来るからね、待っててね」とちゃらちゃら手を振って、荷物抱えて部屋を出て行ってしまう。
私の部屋には時計がない。テレビもない。ラジオもない。時刻表示をするものが一切合切欠けており、今が何時なのか把握するすべはない。ついでに窓もないので陽の出入りすら、皆目見当がつかない。帰ってきた兄さんが「何日も留守にしてごめんね」と謝ったところで、何日留守にしていたかなんて、どうせわからないのだ。
「これ、今日のお土産ね。フェイ、こういうの好きだったろ」
「……うん、兄さん、ありがとう」
内心、苦笑していた。兄さんが買ってきてくれたのは、わたしが好きな作家のホラー小説だった。確かにわたしはその作家がひいきだけれど、2冊も同じ本をほしいとは思わない。
たぶん、ハードカバーと文庫では表紙が違ったのでタイトルの確認もせず買ってきてしまったんだろう。きっと、著者名だけ見て。わたしは兄のこのずさんさが、決して嫌いではない。ないけれど、加筆修正とか、少しくらいはあるだろうか。だと、嬉しいな。
「フェイ、ご飯は足りてるかい」
「どしたの藪から棒に……別に、平気だよ。用法、用量、両方を守ってるから」
「足りないとか、合わないとか感じたら、すぐワタシに言うんだよ」
「わかった。もう、兄さんは心配性なんだから」
「だって大事な『妹』だからね。じゃあ、ワタシはもう行くから、何かあったらちゃんと連絡するんだぞ」
「うん」
そして、今日もまた兄さんは出かけていく。
出かけていく?
よく考えてみなくても、本当は、ここは私と兄さんの家ではないのでは? 兄さんにはほかに帰るべき場所がきちんと用意されていて、わたしは「囲われている」にすぎないのでは? 妹だけど。
そもそも、わたしは本当にあなたの「妹」なの?
気にならないと言ったら、それは嘘。それでも、問いかけて、真相を知って、兄さんと引き裂かれるのが怖くて。
結局何も言えないままに、また、兄さんの背中を見送るはめになる。
ね、兄さん。
次はいつ帰ってくる?
そもそも……また帰ってきてくれる?
***
最近、私の身体はおかしい。
せきが出て、妙にだるい。それを見て兄さんはわたしの食事を変えたけど、あまり効果は上がっていない。
兄さんは来るたび、わたしに注射を打つようになった。打ってもらった後は少し気分がよくなるけれど、そんなに長くは続かない。相変わらず、兄さんはばかに明るく接してくれていたけれど、その所作が以前よりぎこちないことにもわたしは気付いていた。
わたしは死病で先が短いのかもしれない。そう思うには充分な材料だった。そもそも兄さんはわたしに大量の本や漫画を与えておきながら、わたしが錠剤とカプセルばかりの「食事」に疑問を抱かないと思っていたのだろうか。
本当に、兄さんはずさんだ。
でも、わたしは兄のこのずさんさが、決して嫌いではない。ないけれど……隠す気があるなら、最期まで隠しておいてほしいとは、思った。
***
このところ、兄さんが来る頻度が増えた。
ややこしい機械をわたしの身体に取り付けてみたり、派手な色の薬を点滴してみたり。わたしは、兄さんの前ではなるべく良い妹でいたいので、「わたし、死ぬんでしょ」を言うのを毎回我慢している。言ったら兄さんは目を泳がせて、言わないほうがいいような変な言い訳をするに違いない。兄さんがひどく思いつめたような顔でわたしの名前を呼んだり、唐突に抱きしめてくるたびに、わたしは怖いのを通り越して面白くなってしまう。ついにこの間、ひどいのがあって、わたしはもう我慢が出来なくなってしまった。
兄さんがお土産に、食べ物を買ってきた。
アイスクリーム。紙カップの、わたしでさえ「あっ、安いやつだな」ってわかるようなのを。兄さんはそわそわして、わたしと目を合わせずに「ほら、こういうのって、買ってきたことなかったし」なんて言うものだから、わたしは噴き出した。そのまま、声をあげて笑った。
兄さんはきょとんとしていたが、だんだん怒った、でも嘘とわかる顔になって「せっかく買ってきてやったのに、その態度はないだろ」と言って、すぐに、笑いだした。
ひとしきり二人で笑った後、わたしはひいひい言いながらアイスクリームの蓋をあけた。既に中身は溶け始めているらしかった。表面が緩んで、袋に入っていた木のへらでは掬いにくそうだ。わたしは口に運ぶでもなく、少しだけアイスクリームの表面をこねまわしたが、ふいになにもかもどうでもよくなってしまって、ぽろりと、それを言った。
「わたし、死ぬんでしょ」
兄さんの顔から笑いが消えた。
わたしはまだ笑いの余韻をひきずったまま、畳みかけた。
「気付かないとでも思ってた? 兄さん、本当にずさんなんだから」
兄さんが震えだした。
いい気味だと思った。いままでわたしが壊れていく身体に覚えていた恐怖を、何も説明されないことに感じていた恐怖を、兄さんもちょっとくらい味わったらいい。
「きみが、気付いていたなら仕方ない。わかった。初めから話そう」
兄さんは居住まいを正して、わたしをまっすぐに見た。妙に芝居がかっていて、わたしはまた笑いだしそうになったけれど、礼儀だと思って我慢した。こっちも、神妙な顔を作ってみる。うまくできているだろうか。溶けかけのアイスクリームを挟んで、見つめ合う。
「あのね、フェイ。きみはワタシの――妹なんかじゃ、ないんだよ」
「……え?」
理解が、できなかった。
てっきり、わたしの病気が何なのかとか、余命は何カ月だとか、そういう話をしてくれるものだと思っていた。そういうつもりでいたから、急にまったく関係のない、しかし衝撃的な言葉をぶつけられて、わたしの頭はしばらく働かなくなった。
兄さんはわたしの心中を知っているように、ただ、待っていた。
だんだん、わたしの思考が動き始める。嫌だと思っても、止めることはできない。窓から植木鉢が落ちるみたいに。
嘘なの?
かわいい妹、と言ってくれたのは嘘なの?
さすがワタシの妹、と褒めてくれたのは嘘なの?
ワタシにそっくりだね、と笑ってくれたのは嘘なの?
わたしに優しくしてくれたのも嘘だったの?
あんなに心配してくれたのも嘘だったの?
結局どこからが嘘だったの?
わたしは、わたしは、兄さんの妹なのに。わたしから「兄さんの妹」をとったら何が残るの?
そこまで考えを走らせて、はたと気づいた。
「……ねえ、兄さん」
「うん?」
妹じゃない、といっても、兄さん、と呼んで返事をしてくれることが嬉しかった。同時に、果てしのない虚しさを感じた。
「わたし、その――記憶喪失か何かなの」
「なんで、そう思うんだい」
「だって、だって……わたし、子供だった記憶がないよ」
妹なんだから、小さいころからずっと一緒にいたはずなのに。でもわたしには「小さいころ」がなかった。兄さんの記憶も今の、大人の兄さんだけで、もっと幼い兄さんのことをまったく覚えていなかった。もっと言えば、この部屋の記憶しかわたしにはなかった。今までまったく疑問に思っていなかったが、あきらかに、異常だった。
「大丈夫。きみの記憶は正しいよ。きみには半年以上前の記憶はないはずだ。なぜなら」
やめて、と叫んだつもりだった。声は出なかった。
兄さんは、続けた。
「半年前に、ワタシがきみをつくったからだ」
そりゃあ、妹じゃないよね。
感情の濁流の中で、ひどく冷静な部分がそう囁いた。
わたしはいつの間にか、兄さんに掴みかかっていた。テーブルからアイスクリームが落ちて転がる。ばたばたとミルク色のしずくがまき散らされて、絨毯の上に幾何学模様をつくる。
兄さんは笑っていた。
「フェイ、フェイ……かわいいワタシの偽物。だましていたことは悪かったよ。でもワタシはワタシなりに、きみのことを兄として――いや、父として、かな?――可愛がっていたつもりだよ。情も湧いたし、だから壊れてゆくのが忍びなくていろいろ頑張った。でも、そろそろ限界かな……ごめんよ、不甲斐ない兄で」
「……なんで」
激情に任せて、兄さんを揺さぶった。苦しそうにせき込んでも、抵抗はしない兄さん。なんで。このままわたしは、あなたを絞め殺してしまうかもしれないのに。なのになんで、そんな顔をするの。
「なんで、最期まで、隠しておいてくれなかったの……!」
兄さんは困ったような顔で、「ごめんよ」と笑った。
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同人誌「マヨナカ洋行團 罪の部」のサンプルとして公開
2016年執筆
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