第8話 あっけない花火

 凛太朗がファミレスのレジで会計を済ませてドアを開くと、先に外に出ていたルンコが、なにやら真剣な面持ちで佇んでいた。

 彼女の視線の先にあるのは、駐車場に停められた黒いワゴン車だった。


「ルンタロー、見ろ、接吻しているぞ」


 窓に映った男女は濃厚に絡み合い、接吻どころかもはや性交モードのように思われた。

 こんな場所で決行するとは猛者すぎるカップルだ。


 ルンコがいかにも興味津々といった面持ちで、ワゴン車に近づこうとするので(まるで獲物を見つけた猫のようだ)、凛太朗は彼女の肩を掴んで阻止する。

 ワンピース越しに華奢な感触が伝わってくる。


 それにしても、こんな現場を目の当たりにしても動じないなんて、もしかするとルンコはこの手のことに慣れているのだろうか。

 ふと浮かんだそんな疑念に、凛太朗は思いのほかショックを受けた。同時に、ルンコの唇と、わずかに覗いた舌先が脳裏を過ぎりもする。

 あらぬ妄想に駆り立てられそうになって、凛太朗は慌てて頭から振り払った。


「……花火するぞ、花火! さっき買ったから。公園行こう」


 色とりどりの花火が詰め込まれたセットをルンコに見せる。

 ファミレスの売店コーナーに置かれているのを発見し、ルンコの喜ぶ顔見たさに思わず買ったのだ。


「花火! むかし、したこと、あるぞ!」


 凛太朗の期待通りルンコは大はしゃぎで、車にはもう目もくれなかった。

 凛太朗は窓の向こうでシートが倒されるのを、ちゃっかり横目で追いつつも、ルンコを連れてその場をあとにする。


 いつもの見慣れた市立公園まで戻るのに、ファミレスから徒歩で五分もかからなかった。


 道中、凛太朗はルンコに、こんな時間まで外にいて家族は心配しないのかと、今更ながらに念を押したのだが、彼女曰く、時空の迷子に帰る家はないとのことだった。


 公園の池から少し離れたところにある広場は、子ども用の遊具やベンチが設置されている。

 バケツは喫茶店の裏口から拝借し、砂場のそばにあったホースで水を汲んだ。

 ルンコは待ち切れない様子で、花火の入ったビニール袋を忙しなく破く。


「はやく、はやく!」


 ショッキングピンクの火薬が塗られた花火を手に取って、ルンコは凛太朗を急かした。

 凛太朗はファミレスの売店で買ったライターで、花火の先端に火をつける。

 瞬く間に光のシャワーが放たれて、まばゆい火花が夜の闇に踊った。


「たまやー!」

「……それ打ち上げ花火のときに言うやつだから」


 凛太朗の指摘などお構いなしに、ルンコは花火を持ったまま広場を走り回る。


「たのしいぞ、ルンタロー! ルンタロー、あたし、うれしいぞ!」


 花火は鮮やかな色で彼女を照らしていた。

 凛太朗はライターで点火する役回りばかりだったが、それでも構わなかった。

 時折写真を撮りながら、夜明けまであと何時間だろうかと考える。


「ルンタロー! ルンタロー! ルンタロー!」


 花火の燃える音と、ルンコの声が混じり合い、凛太朗はなぜか一瞬、時間が止まったように感じた。

 だがちょうどその時、ルンコの手にした花火が燃え尽きる。華やかな光が散って消える。

 呆気ない、そう思うと同時に、凛太朗はなにかに駆り立てられるように声を張っていた。


「ルンコ、連絡先教えろよ!」


 焦げた花火を持ったまま、ルンコは凛太朗を見つめ返す。だが返事がない。


「あ、いや、お、教えてください、ませんか、ね。……ええと、写真も送りたいし」


 言い訳めいたことを思わず口走りながら、凛太朗は自らのへたれぶりに打ちのめされる心地だった。

 ルンコは少し困ったように笑って、首を横に振る。


「時空の迷子に、連絡先は、ないんだよ」


 今度こそ完全に打ちのめされて、凛太朗はぐうの音も出ない。

 しかも電波発言による拒否の意思表示だ。

 連絡先を教えたくないのなら、他にもっと言い様があるだろうにと苛立ちもしたが、


「……ルンタロー、ルンタロー」


 そうやってまた凛太朗の名前を呼ぶルンコの声は、ほとんど泣き声みたいだった。

 凛太朗は言葉を失って立ち尽くす。


「夜明けになったら、あたしは、いかなきゃいけないんだよ」


 わけがわからなかった。

 連絡先さえ知らせずに去ろうしているのはルンコ自身なのに、どうしてこんなに悲しげなのだろう。

 ただ凛太朗に理解できたのは、彼女が本当に行ってしまうということだけだった。

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