第21話「理の破壊者、顕現」

 施設の外へと脱出した五百雀千雪イオジャクチユキの、その長い黒髪が宙へと舞い上がる。

 今、月面の巨大な地下空洞から、空気が失われようとしていた。地表の要塞都市も攻略され、穿うがたれた風穴へと大気が逆巻き吸い上げられていた。

 長くはもたない……急いで渡良瀬沙菊ワタラセサギクと共に機体へ飛び乗る。

 ヘルメットをかぶる間も惜しんで、愛機【ディープスノー】を起動する。

 微動に震えてメインモニターが点灯すれば、すぐ近くで立ち上がる機体があった。アンチビーム用クロークを身にまとった、紫炎色フレアパープルのパンツァー・モータロイド……頭部をありあわせのパーツで応急処置したため、摺木統矢スルギトウヤの97式【氷蓮ひょうれん】サードリペアはまるでパッチワークだ。

 89式【幻雷げんらい】の頭部装甲を流用されており、バイザー状のアイセンサーが光る。


『千雪っ! お前は沙菊を守れ。俺は……ここで奴との決着をつける!』

「統矢君、焦っては――」


 轟音が頭上を突き抜けた。

 巨大な【樹雷皇じゅらいおう】が、セラフ級パラレイドをグラビティ・アンカーでぶら下げたまま飛び交う。ラスカ・ランシングの操縦は統矢よりも大胆で、繊細で、そして正確なものに見えた。

 ミカエルと名付けられた、暴走状態のセラフ級……その巨体が宙へと放られる。

 同時に、【樹雷皇】の全ての垂直発射セルが開かれた。


『ラスカちゃんっ、全弾ロックッ! いっ、いいよっ』

『これでっ、くたばれええええええっ!』


 ありったけのミサイルが全弾発射された。

 地下空間の天井へと、無数の爆発が咲き乱れる。

 爆風の衝撃波が押し寄せ、千雪は急いでグラビティ・ケイジを展開した。沙菊の89式【幻雷】改型伍号機かいがたごごうきを守りつつ、ゆっくりと空中へ浮かび上がる。

 どうやらこれで、防御に特化した有線制御のセラフ級は終わりらしい。

 大きく旋回する【樹雷皇】は、敵の撃墜を確認して高度を落としてきた。


「統矢君、今は脱出を優先しましょう。作戦は失敗……リレイド・リレイズ・システムは再び別の世界線へと消えてしまいました。そして……統矢君に伝えなければいけないことがあります」


 周囲を警戒しつつ、千雪は言葉を選ぶ。

 ――リレイド・リレイズ・システム。

 それは、全ての元凶にして原点、この永久戦争の始まりをつかさど禁忌きんきのシステムだ。異なる世界線で、人類は異星人と接触し、星間戦争に突入した。その中で、和平をよしとしない男が、このシステムを生み出したのである。そして、ランダムで選んだ世界……千雪達の世界へとやってきた。

 DUSTERダスター能力に人類を覚醒させ、その全てを戦力として再び自分の世界で戦うために。

 そう、無作為むさくいに選ばれたのだ……戦火の中で滅びゆく、千雪達の世界は。

 そして、平行世界を繋げるシステムには、一人の女性が封じ込められている。

 あちら側の摺木統矢……トウヤが愛した、更紗サラサりんなが縛り付けられているのだ。

 こちら側の統矢は、この過酷な真実に耐えると思う。

 耐えて怒りに燃える彼を、千雪はれんふぁと共に癒やして支えたいのだ。


『クソッ、どこだ……どこに行った、トウヤァ! 俺は、俺は俺を、殺す……絶対にっ、殺してやるっ!』

「落ち着いてください、統矢君。沙菊さん、一緒に索敵を――」

『千雪殿ぉ! あそこっ、二時の方向! セラフ級パラレイド、メタトロンナントカが飛んでるッス!』


 両手で大事そうに、一人の男を抱えて……捧げるようにして、メタトロン・ゼグゼクスが飛んでいた。

 今なら、両手の使えない敵を叩ける。

 しかも、数の優位を持って包囲殲滅できるかもしれない。

 急いで上空のれんふぁとラスカにも、援護の要請を叫ぼうとした、その時。

 メタトロンの手の中で、小さな子供が立ち上がる。

 それは間違いなく、千雪が愛した少年の面影があった。

 だが、同じ顔立ちには醜悪な憎悪と不遜ふそん傲慢ごうまんさが浮かんでいた。

 ノイズ混じりの回線に、その声が響く。


『私はここだ、統矢……この世界の、弱き私よ。私はここだ……ここにいるぞ!』


 露骨な挑発だった。

 そして、千雪が自制をうながすより先に、統矢が激昂げきこうえる。


『そこを、動くなあああああっ! お前は潰す! 今、ここで! 俺の手で!』


 背の【グラスヒール】を抜き放って、【氷蓮】が対ビーム用クロークを脱ぎ捨てた。

 メタトロンは動く様子を見せず、静かに滞空している。

 誰もが決着を待つ中で、千雪は悪寒おかんが止まらない。

 不快な汗が浮き出て、パイロットスーツの密着感が湿しめってゆく。

 淡雪あわゆきのような肌は今、泡立つように緊張をみなぎらせていた。

 そして、千雪の不安は的中する。

 トウヤは、迫る【氷蓮】へと拳銃のようなものを向けた。

 そう、トリガーに人差し指を当てつつ、もう片方の手で備え付けられたダイヤルを操作している。銃、ではない。むしろそれは――


『フッ、【氷蓮】か……なにもかもなつかしい。私がりんなを守れなかったのは、地球の技術力が異星人に、監察軍かんさつぐんに圧倒的に劣っていたからだ! 【氷蓮】が、PMRパメラが弱かったからだ!』

『弱いのはお前だっ、トウヤ! お前は、この俺と同じか、それ以上に弱い……そして、そのことを認められないただのガキだ!』


 統矢の【氷蓮】が、大上段に【グラスヒール】を振りかぶる。

 必殺の距離、メタトロンにかわそうとする動きは見られない。

 だが、その時……千雪はセンサーを通じて、後方からの爆発音を聴いた。すぐに上空のれんふぁが、なにがあったかを教えてくれる。


『千雪さん! ラスカちゃんも、沙菊ちゃんも! 地上で爆発……施設後方、あれは……なにかの、格納庫? 爆発の中から……あ、あれはっ!』


 千雪も機体をひるがえす中で目撃した。

 そう、敵基地の一角が燃えている。

 その炎の中から、黒光りする鋼鉄の巨人が立ち上がる。

 そして、それは信じられない速さで【ディープスノー】の横をすり抜けた。飛び立ったと思った瞬間には、その爆発的な加速力が飛び去る。


「ッ! 統矢君っ、なにかそっちに……あんな加速、パイロットにかかるGは――」


 だが、その心配は無用だった。

 常軌を逸した機動で、謎の鉄巨人が飛ぶ。

 そして、それを操っているのは……


『来い、サンダルフォン! 思い知るがいい、私よ……PMRでは我々の戦力に敵わぬ! 我々が敗北と共に忘却した、そんな陳腐ちんぷな兵器では勝てぬのだ!』


 統矢は、背後から新型機に襲われた。

 敵は無手、武器も持たず固定武装も見られない。

 シンプルすぎるほどに真っ直ぐな手足は太く、背のスラスターも必要最低限。そう、あまりにも洗練されすぎた姿は、不気味ですらある。

 頭部には鶏冠トサカのような飾りが突き立ち、ツインアイの下にとがった鼻が伸びている。

 統矢の【氷蓮】を拳で大地へ叩き落とし、サンダルフォンと呼ばれた鉄巨人は吼える。両腕を振り上げ胸を張り、あたかも最強を誇示するかのように絶叫を響かせていた。


「統矢君っ!」

『千雪殿、援護するであります! 早く統矢殿のフォローに!』

「頼みます、沙菊さん! ……クッ、邪魔を!」


 再び千雪に、メタトロンが襲ってきた。

 その手からもう、トウヤは降りている。彼はサンダルフォンの手で地上に降り立ち、勝ち誇ったように【氷蓮】へと歩み寄る。その頭上を飛ぶメタトロンは、さながら異界の預言者を守る熾天使セラフのようだ。

 そして、瓦礫がれきの中から立ち上がる【氷蓮】のダメージを、響く異音が伝えてくる。

 一撃でかなりのダメージ、関節や駆動系へも衝撃が貫通している。

 その痛みが、千雪には我が身のことのように感じられた。

 だが、統矢の不屈の闘志を宿して【氷蓮】は立ち上がる。


「統矢君、今行きます!」

『行かせないっ! トウヤ様のために! 五百雀千雪、お前は、お前だけは!』

「邪魔だと言いました、レイル・スルールッ! 邪魔を……邪魔をするなら!」


 千雪の直感が警鐘けいしょうを鳴らしている。

 漏れ出る空気が竜巻を呼び、嵐の真っ只中になったこの戦場で……最も最悪の形で、決着がつこうとしている。

 トウヤは統矢を倒し、この世界の最後の希望の芽を摘み取るつもりだ。

 そして、千雪はレイルのメタトロンに阻まれ、思うように助けにいけない。

 上空のラスカとれんふぁも、救出しようと高度を下げてくる。だが、こういう時に巨大な火力のかたまりである【樹雷皇】は取り回しが悪い。そして、強力な推進力と機動性は、限られた空間内ではかえって小回りがきかなかった。

 今、統矢を助けられるのは自分しかいない。

 沙菊の援護射撃を受けつつも、千雪をむしばむ、それは焦り。


『くっ、動け……動いてくれ、【氷蓮】ッ! 一撃、あと一撃でいい……目の前の、あの男を!』

『無駄だ! すでに私達から見て、PMRとは過去の遺物! 時代遅れのガラクタに過ぎん。さあ、サンダルフォン! 私の、私達の未来のために……ここの未来をぉ! 潰せぇ!』


 サンダルフォンの豪腕が振り上げられる。

 その攻撃方法は千雪の【ディープスノー】と同じ……素手の体術、鋼の拳だ。千雪の体得した格闘術を、【ディープスノー】は完全に再現する。PMRの関節構造が人間と全く同じにできているからだ。

 だが、サンダルフォンは違う……丸太のような手足は、関節部がモーフィング構造に見える。つまり、伸び縮みして変形し、自在に動けるのである。

 サンダルフォンの鉄拳が振り下ろされた。

 咄嗟に統矢は、【グラスヒール】を盾にして受け止める。

 よろけた【氷蓮】の足元が、クレーターとなって大きくくぼんだ。

 そして……千雪は我が目を疑った。


『ハハッ、どうした? 押し返せんか? 非力だなあ! 潰れてしまえ……我が意にそぐわぬDUSTER能力者など、不要!』


 統矢の悲鳴と共に、【氷蓮】が地面にめり込んだ。

 弾き飛ばされた【グラスヒール】が、回転した後に大地へ突き刺さる。

 まるで墓標ぼひょうのように突き立ったその大剣は……単分子結晶たんぶんしけっしょうの塊は、

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