第20話「二人の摺木統矢」

 肌がひりつくような、緊張。

 時間は流れを止め、空気は音の震えを忘れてしまった。

 気が狂いそうなほどに張り詰めた静寂が、五百雀千雪イオジャクチユキの周囲に満ちていた。

 彼女が愛する摺木統矢スルギトウヤが、激昂げきこうに燃えて銃を向ける。その目は、初めて会った日の復讐心を何倍も膨らませていた。以前の彼が復讐鬼なら、今はすでに復讐の権化ごんげそのもの……鬼へとちることすら生ぬるい、修羅をも食らう羅刹の気迫に満ちている。

 そして、彼の銃口の先に笑うのもまた、摺木統矢……新地球帝國しんちきゅうていこくのトウヤ大佐だった。


「怒りに燃えているな? こちらの世界の私よ」

「……当たり前だ。お前は……俺達から、この世界から奪い過ぎた! あまりにも多くが失われ過ぎたんだよ!」

「偉大なる勝利には、犠牲がつきものだ。そして、犠牲に報いるためにも勝利が必要なのだ」

「その先になにがある? お前は誰とその勝利を分かち合うつもりだ!」

「フッ……無論、お前とだ。もう一人の私、覚醒者……摺木統矢」


 トウヤの言葉に、統矢が意外そうにまばたきを思い出した。

 少しだけ空気が弛緩しかんする中、千雪は内心で恐れ続けていた現実に直面させられる。そう、トウヤはあちらの世界からことらの世界へと来た……千雪達の世界線は偶然にも選ばれたのだ。

 更紗サラサりんなをコアとして取り込んだ、リレイド・リレイズ・システムに。

 トウヤはランダムでシステムが提示した世界線に来た。

 自ら戦争を起こして敵となり、逆境を与えて人類にDUSTERダスター能力の覚醒を促すために。そして、DUSTER能力者を引き連れた無敵の軍隊で、己の世界線に戻るために。

 トウヤは不遜な笑みを浮かべて手を差し伸べた。


「私と来い、もう一人の私。お前は、お前こそが私の求めていたDUSTER能力者。レイル・スルール大尉に次いで、二人目の適合者なのだよ」

「……レイルは、お前のために戦ってる。お前を守るって」

「そう、あのあわれな娘にはそれしかもうできない。だが、それでいいのだ。DUSTER能力を得たからには、私と一緒に地球を守って戦うべきなのだ」

「俺は……話を聞いた。レイルは、異星人に……カラダはずかしめられ、実験動物に」

「そうだ。あれにはもう女の幸せなどなく、その機能すらない。だが、強力なDUSTER能力がある。そして、私が愛してやれば戦えるのだ! その偉大な力で! 私の敵と!」


 渡良瀬沙菊ワタラセサギクがそっと手で制してくれて、初めて気付いた。

 今、千雪は思考を置き去りに飛び出そうとしていた。既に握った爪の食い込む痛みすら感じない、義手の拳をトウヤに叩きつけそうになっていたのだ。

 だが、現実にはいかな千雪の身体能力でも、その前にトウヤの部下達に蜂の巣にされていただろう。

 だが、許せない。

 女の敵というレベルではない。

 トウヤはもう、人の尊厳や倫理、道徳すら捨ててしまったのだ。

 最愛のりんなを殺した異星人を殺す、それだけの復讐装置になってしまっている。

 それは、己だけを復讐の炎に投げ入れ戦う統矢とは、まるで違って見えた。

 トウヤはさらに、統矢の逆鱗げきりんに触れてゆく。


「お前も味わったはずだ。りんなを失う痛みを! りんなのいない寂しさを! 私よりもその喪失は大きく深く、そして色濃い。お前はりんなのぬくもり、甘やかな肌も匂いも知らずに別れたのだからな!

「誰が……誰がそうしたあ! お前だっ、お前……並行世界の俺、お前なんだよ!」

「そうだ! 私が試練を与えたが、りんなはDUSTER能力には目覚めなかった。しかし、その死でお前の覚醒をうながしたのだよ。まさに、これは愛がなせる奇跡」

「……俺は、あいつに恋して、愛されたかった……そのことに気付いた時には、遅かった。でも、だからこそ新しい恋に出会えて……今、その愛を守りたい」


 統矢の銃が揺れている。

 両手で握った拳銃は、ふらふら狙いが定まらない。

 今すぐ駆け寄り、抱き締めたい衝動に駆られる千雪……だが、迂闊うかつに動けば統矢は蜂の巣だ。

 千雪が動いてもいけないし、統矢がトウヤを撃てば、それで終わる。

 トウヤの生死などに興味はないが、間違いなく統矢は無数の銃弾に撃ち抜かれる。

 緊張の中で、沙菊との目配せを交わし合うのが精一杯だ。

 なにかきっかけがあれば、瞬時に二人で動く、それを確認する。

 だが、そのなにかが訪れるまでの間、焦燥感に侵食される時間が続いた。

 そんな中、トウヤはさらなる冒涜で統矢を揺さぶる。


「私にくだれ、統矢。そうすれば、お前にも会わせてやろう……私が愛した、お前が愛した……私達が愛しているりんなに」

「なっ……りんなは死んだ! もういない! ……お前達が殺したんだっ!」

「こっちの世界ではな。だが、私の世界で彼女は永遠になった。リレイド・リレイズ・システムのコアとして、永遠に生き続ける! 常に私を繰り返し甦らせるのだ!」


 意を決して千雪は、口を開いた。

 トウヤの護衛が銃を向けてきても、せきを切ったように叫ぶ。


「統矢君っ、それは本当の話です! リレイド・リレイズ・システムの中に……りんなさんはいます。でも、それは生きてるとは言えません。そして、統矢さんが好きだったりんなさんは……この世界のりんなさんは、あの時」


 乾いた銃声が響いた。

 たった一発の弾丸が、緊張を高める場の内圧を爆発させた。

 誰もが一瞬、誰の発泡かと固まりながら……音のした方をにらむ。

 そこには、硝煙しょうえんのくゆる銃をピタリと構えた統矢の姿があった。

 その目が、冷たい業火に暗く燃えている。見るものの心胆を寒からしめる、絶対零度の獄炎が瞳に燃え盛っていた。

 彼は銃での射撃が下手だったのを、千雪は思い出す。

 それは、驚きにほおに手で触れるトウヤの言葉で証明された。


「わ、私を……撃った? 私に、傷を……血が! 血が、こんなに!」

「次は当てるとは言わない……けど、当てるまで撃つ! 撃たれても撃って、それでも外したら拳で、お前を打つ! 討つんだ……絶対に許してはいけない! 許さない!」

「くっ、周りっ! なにをしている、奴を無力化しろ! この私の誘いを……ッ!」


 ついにその瞬間は訪れた。

 驚きながらも兵士達は、一斉に統矢へとライフルを向ける。

 その動きを確認するより早く、千雪と沙菊は飛び出していた。

 遠慮なく千雪は、次々とパラレイドの兵士達を殴り飛ばし、蹴り抜く。沙菊もライフルのストックでブン殴ると、そのままクルリと回した銃口をトウヤへ向けた。

 形勢逆転、あっという間にトウヤを拘束寸前まで持ち込む。

 そして、怒りに燃える統矢の声が、鋭い刃となってトウヤを切り裂いた。


「あっちの世界の俺、つまりお前は……DUSTER。違うか?」

「……ッ! そ、それは」

「俺も千雪も死ぬ思いをした、死んだほうがましだと思えた……その中で生き残り、今もこうして戦っている。DUSTER能力ってのは、そういう人間に宿る力だ。なら、お前は……ただ周囲の人間を戦いへ放り込んできただけの、臆病者で卑怯者だってことになる!」

「うっ、うるさい! 私は異星人と戦うために、全軍をべる男だぞ! 一軍の将に匹夫ひっぷごとき戦いは――」


 千雪がじりりと距離をはかっていたが、統矢の視線が無言で制してきた。

 まるで、今手を出せば統矢に撃たれそうな雰囲気である。そして、トウヤを殺すのは自分だという、悲壮感に溢れた覚悟が伝わってきた。

 そんな中でも、沙菊だけがいつもの彼女でいてくれた。

 沙菊は状況が膠着状態になったと見るや、ライフルを千雪へと放った。


「千雪殿! 統矢殿をよろしくであります! ……今なら、まだ……まだ、間に合うでありますからして!」


 沙菊は背後を振り返って、血の海に沈むアケミとオサムに駆け寄った。

 自分が血で汚れるのも構わず、絶望的な状態の二人を手当し始める。

 彼女にもわかっている筈だ……もう、助からない。それは明白だったし、助かってもDUSTER能力に目覚めるかどうかはわからない。そして、千雪を慕って子犬のようにじゃれついてくる後輩には、その全てがどうでもいいことだった。

 沙菊は気丈に自分を奮い立たせて、止血を試み、薬物を投与して心臓マッサージを続ける。

 激震が襲ったのは、その時だった。

 天井を見上げたトウヤが、情けないほどに安堵の笑みを緩ませる。


「来たか! 遅いぞレイル! 私はここだ!」


 崩落する通路の中で、強い揺れが天井を崩してゆく。

 そして、巨大な手がトウヤを守るように差し込まれた。慌てて統矢が銃爪ひきがねを引いたが、射撃が下手な上に完璧な防備がトウヤを連れ去る。

 大きな穴を残して、巨人の手が空中へ去った。

 千雪は、こちらを見下ろす巨大なセラフ級パラレイドを見上げる。

 レイルの乗る、メタトロン・ゼグゼクスだ。


「くそっ、崩れる! 千雪、こっちだ!」

「統矢君っ!」

「話はあとだ! 沙菊も……沙菊? おいっ、千雪! あいつ――」


 建物全体が崩落する中、まだ沙菊は応急救護を続けていた。

 その目から、大粒の涙が止まらない。

 彼女は泣きながら、必死で敵兵の命を繋ぎ止めようとしていた。

 トウヤに見捨てられた警護の兵達は、うめきながら動けそうもない。千雪が全力で力を震えば、半分機械の躰は全部が凶器だ。

 すぐに千雪は、決断した。

 沙菊を立たせて、アケミやオサムから引き剥がす。

 統矢が走り出す先へと、彼女を引きずるようにして全力疾走で駆け出した。


「千雪殿っ、二人が!」

「沙菊さん! 貴女あなたが死んでは元も子もありません!」

「でもっ」

「私、貴女がいてくれないと困りますから! 統矢君も、みんなもです!」


 沙菊はなにも言わなかった。

 ただ、千雪の手をそっと振り払うと、自分で走り出す。

 強いだと思った。

 できることをやるだけと言うが、それを実行する人間は強い。そして、信用される。渡良瀬沙菊は、自身も皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこう埼玉校区さいたまこうくで、多くの級友を失っているのだ。

 先頭を走る統矢は、自分が新入したルートを覚えてるらしく、迷いなく進んだ。

 そして、一度だけ肩越しに振り返る。


「千雪、沙菊も! 俺は絶対、あいつを倒す! もう、りんなのためだけじゃない……お前等、俺の戦う理由になってもらうからな! それは、生きててくれてはじめて意味があることなんだからな!」


 純粋に嬉しい言葉だったし、れんふぁにも聞かせたかった。

 なにより、隣で泣きながらも沙菊が「うぃす!」と笑ってくれたことが、嬉しかった。

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