第19話「再び世界は動き出す」

 久遠くおんにも等しい、一瞬。

 異なる世界線の更紗サラサりんなとの邂逅かいこうは、あっという間に過ぎ去った。

 気付けば五百雀千雪イオジャクチユキは、よろけて倒れかけたところを後輩の渡良瀬沙菊ワタラセサギクに支えられていた。手を離れたタブレットが、情報ターミナルにケーブル接続されたままぶら下がる。

 現実の世界に意識が引き戻されても、千雪はしばしまばたきしながら戸惑とまどうつむくしかできなかった。


「ここは……あれは、夢? いえ、違いますね……それより」

「千雪殿っ! 大丈夫でありますか!」


 振り向けば、自分より小さな沙菊が肩を貸してくれていた。

 パラレイドの所属、異なる世界線の新地球帝國しんちきゅうていこくから来たアケミとオサムも一緒だ。

 出血の激しいオサムを、アケミは必死で手当している。

 意識を失う前、りんなと会う直前からのリスタートに千雪は小さく驚いた。


「沙菊さん、私は……どれくらい、意識を失っていたでしょうか」

「ほへ? いや、千雪殿が端末を有線接続した瞬間、突然よろけたので……貧血でありますか? もしやお疲れでは……ここは自分に任せてほしいであります!」


 千雪に怪我人を任せると言って、ぶらぶら揺れるタブレットを沙菊が拾う。

 どうやら、千雪がりんなと出会った時間は、現実では数秒程度しか消費されていないらしい。そんなことが可能なのも、やはりリレイド・リレイズ・システムと呼ばれるオーバーテクノロジーが為せる技なのだろう。

 そう、あれは夢ではない。

 確かに千雪は、初めてりんなに出会った。

 かつて摺木統矢スルギトウヤが愛した女性に巡り合ったのだ。

 わずかな時間だったが、千雪は自分の中に宿った想いを、りんなの中にも見い出せた。逆に、りんなも自分の中に同じものを見ただろう。彼女は常軌を逸した超常の力、世界線を超えて輪廻と転生を繰り返すシステムに縛られている。だから、千雪がアクセスを試みた時、二人だけで話す時間を作ってくれたのだ。

 だが、不意に沙菊の悲鳴が響く。


「どしぇーっ! ちっ、ちち、千雪殿っ!」

「どうかしましたか? 沙菊さん。あ、見てはいけないフォルダがあるのを伝え忘れていました。統矢君も男の子なので、できればいかがわしい写真のフォルダは」

「いや、それはスルーできたですが! その、なんというか……」


 タブレットのケーブルを引き抜きながら、がくりと肩を落として沙菊は振り返る。

 千雪は不思議と、彼女が伝えてくる結果を知っていたような気がしていた。

 沙菊はちらりとパラレイドの二人組を見てから、声をひそめてくる。


「千雪殿、作戦失敗であります……リレイド・リレイズ・システムはこの世界、自分達の世界線から再び異なる世界線へと消えました。接続先が見当たらず、すでにこの基地自体がシャットダウンされてるようであります!」


 ミッションエラー……電光石火の強襲作戦で破壊すべき、リレイド・リレイズ・システムは再び旅立った。りんなは行ってしまったのだ……無限に存在する平行世界を彷徨さまよい、放浪する旅がまた始まったのだ。

 りんなは今後も、永遠に自分へ登録された者達を記憶し、記録しながらただよう。

 リレイヤーズと名乗る、成長を忘れた大人達……そして、パラレイドと呼ばれる異世界の侵略者の、その全てをかかえて流離さすらうのだ。ただただ統矢を愛するままに案じ、その統矢を決められた時空座標に生まれ変わらせ続ける。

 それは

 りんなは今後も、愛した男が過ちの果てにごうを深め、地獄へ落ち続けることに手を貸すのだ。

 ならば、それを止めねばと千雪は決意を新たにする。


「沙菊さん、とりあえずもうこの基地に用はありません。脱出しましょう。アケミさん、オサムさん……お二人は責任を持って私達が一緒に脱出させますので」

「うぃす! 自分もであります。リレイド、リレ、リレ……リレイドナントカシステムの破壊が失敗したのは痛恨の極みでありますが、ならばあとは生還を第一に考えるであります!」


 千雪は、沙菊へ先頭に立って退路を確保するよう頼んで、アケミと一緒にオサムへ肩を貸す。派手に出血しているが、増血剤ぞうけつざいによる処置と止血を施した。このまま脱出して、医療体制の整った環境で再治療すれば助かるだろう。

 パラレイドの二人は言っていた……人類同盟じんるいどうめいは捕虜を取らないと。

 それは悲しいが、真実である。

 何故なぜならば、一般に情報公開されているパラレイドの真実は、謎の無人兵器群であるということだけだ。人は搭乗していない、相手は人間ではない……異なる世界線の未来からきた、地球人類だということはトップシークレットだ。

 ゆえに、もとからいない人間を捕虜にはできない。

 そうして現場レベルでは、真実の隠蔽いんぺいのために鏖殺おうさつが繰り返されてきたのだった。


「行きましょうか。脱出します……この四人で、生きて帰ります」


 アケミはまだ、千雪達に怯えた眼差まなざしを注いでくる。

 そして、彼女にとって上官以上の存在であるらしいオサムは、苦しげで意識も朦朧もうろうとしていた。

 これはもう、戦争ではない。

 作戦は失敗し、戦いは終わったのだ。

 大規模な月面要塞都市と多数の拠点防御用セラフ級を用いて、パラレイドはこの世界線に実体化したリレイド・リレイズ・システムを守り切った。

 千雪達、人類同盟軍の完全な敗北である。

 同時に、千雪はりんなとの対話の中で、はっきりと意思を伝えた。

 それは、


「進路クリア! 千雪殿、こっちであります! このまま外に出て本隊に合流、以降は指示に従い地球へ……前線基地へ戻れば、オサムさんの治療も可能であります!」


 アサルトライフルを構えながら、沙菊が機敏な動きを見せる。

 普段はニコニコと陽気なムードメーカーで、千雪も何度も彼女の前向きなポジティブさに助けられている。沙菊は熱心な千雪の……皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれいんよびこうのエース、【閃風メイヴ】のファンで、信者で、理解者だ。出会って間もない身近な数ヶ月で、どれほど千雪は助けられただろう。

 子犬のようになついてくる沙菊は、千雪に男女の愛と同等の、もっと違う愛を教えてくれる。兄も兄の恋人も、生意気な後輩も全部……全部がまるっと、愛しく思えることがある。

 だが、そんなことを考えていると、突然前を歩く沙菊が立ち止まった。

 開いた手を伸べ突き付けて、無言で静止を警告してくる。

 立ち止まれば、向こうの通路を軍服姿の一団が通り過ぎた。

 その中央を歩く小さな少年が、ふとこちらに気付いて足を止める。


「ほう? これはこれは……貴様は、こちらの世界の五百雀千雪か。フン、相変わらずの仏頂面ぶっちょうづら鉄面皮てつめんぴか。かわいくないが、美しい」


 それは、千雪のよく知る人物で、愛してやまない少年に見えた。

 恋人は幼い頃、こうも愛らしい姿だったのかと教えてくれる。

 そう、幼い子供の兵士達に囲まれているのは、摺木統矢だ。

 勿論もちろん、あちらの世界……新地球帝國の軍人として異星人と戦った、今も戦っている摺木統矢大佐である。何度も輪廻と転生を繰り返し、その姿は十に満たないように見える。

 だが、彼は幼い男児とは思えぬ狡猾こうかつ残忍ざんにんな笑みを浮かべていた。


因果いんがだな……私の生まれた世界で、私を愛することをやめたのみならず……最後まで逆らいあらがった女。神が愛したとしか思えぬ美しさを捨て、醜い機械の身体になってまで歯向かってきた女……それがお前だ、五百雀千雪」


 大勢の少年兵が、こちらへ銃口を向けてくる。

 恐らく、もう一人の統矢と同じく、リレイド・リレイズ・システムで人生を繰り返し続け、遺伝子欠損がいちじるしく進んだ者達だ。

 千雪は硬直し、沙菊も悔しげにライフルから手を離す。

 隣でアケミが笑顔を取り戻したのは、その瞬間だった。


「摺木統矢大佐! ああ、よかった……この人が、あ、えと、ん、オサム中尉が! 支援を願います。今ならまだ助かります! 一緒に脱出を!」


 一緒にオサムに肩を貸した千雪を、半ば引き剥がすようにしてアケミは前に出た。絶望的な状況で、自分達の最高司令官に出会ったのだ。パラレイドと呼ばれながら異世界を侵略する軍団、ふるさとを異星人から死守しようと立ち上がった同胞どうほうなのだ。アケミの瞳には、カリスマへ向ける無条件の信頼と信奉があった。

 だが、そんな彼女にむくいたのは……乾いた音を立てた銃声だった。


「統矢、大佐……?」


 彼女の隣で、胸を撃ち抜かれたオサムが崩れ落ちる。

 なにが起こったのか、すぐにはアケミは理解できなかった。

 自ら拳銃を抜いた統矢……敵の首魁しゅかいたるトウヤはニヤリと笑う。


「死に損なったか、ならば試練だ……耐えろ、そして生き抜いて覚醒せよ! 死を超越した時、DUSTERダスター能力は目覚める。偉大な力を得て、再び私のために戦え」

「な、なにを……これでは、オサム中尉が死んでしまいます! 大佐、こんな!」

「これで死ぬならそれまでの人材、そういうことだ。そして、貴様もそうならないことを祈るがね」


 続けてトウヤは、アケミをも撃ち抜いた。

 彼女はオサムを抱き締め守るようにして倒れる。

 これが連中の……パラレイドのやりかたなのだ。自分達の世界を異星人から守るため、異なる世界の千雪達を侵略した。一方的に戦争をふっかけ、その中で異能の超常力を持つDUSTER能力者を育てようとしている。

 狂った妄想が持ち込まれたせいで、千雪達の世界は崩壊寸前、人類も滅亡の危機にあった。

 即座に千雪は拳を引き絞り、飛び出さん勢いで身構える。

 だが、そんな彼女に容赦なく無数の銃口が向けられた。

 そんな時、激昂げきこうに震える声が静かに強く響く。


「見付けたぜ……俺は俺を、俺ならざる自分を見付けたっ! 覚悟しろ、もう一人の俺!」


 千雪がにらむ先、邪悪なトウヤの向こう側……通路の奥から彼は現れた。

 冷たい炎を暗く燃やす、憎悪に身を染めた復讐者。

 世界の全てと、その中の愛する者達のために闘志を燃やす、千雪達にとって唯一無二の摺木統矢だ。彼は拳銃を両手で構えて、肩越しに振り向くトウヤに突きつけていた。


「おやおや……この世界では愚かでしかいられない、そんな自分とこうして間近に相まみえるとは失笑だよ。撃てるか? お前に私が」

「撃てる! 撃つ! 撃つんだ……お前は俺だから、俺が撃たなきゃいけない!」


 だが、明らかに統矢は動揺し、怒りでそれを隠そうとしている。手の震えが銃口を揺らし、それをトウヤに見透かされていた。

 千雪は無言で沙菊に目配せし、今はこらえて無抵抗を選ぶように促す。

 そんな千雪の前で、アケミとオサムはどんどん体温を失っていった。

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