第18話「最後の、はじめまして」
確か、パラレイドの基地に潜入し、情報ターミナルにタブレットを接続した。その瞬間に、どうやら気を失ったようである。
自分が現実から意識を切り離されたことも、
なにもない空間は暑くも寒くもなく、上も下も感じられない。
まるで母親の中で羊水に揺られているような気分だ。
「しかし、悠長にしている時間はないのですが。さて、どうすれば現実に覚醒できるでしょう」
不思議な程に千雪は冷静だった。
こうしている今、現実世界ではどれだけの時間が経っただろう?
だが、今の千雪にはどうすることもできなかった。
ただ、落ち着いて考えることができたので、これがただの意識喪失と夢ではないことだけはわかった。
「……これは。確か、私は
千雪は
当然、周囲に先程まで一緒だった
しかし、手にはあのタブレットが握られていた。
恋人の
タブレットの液晶画面は、まるで千雪を導くように明滅している。
その光を頼りに、不思議な空間を千雪はゆっくりと進んだ。
「なるほど、そういうことですか。……はじめまして、ですね」
進む先で、徐々に女の背中が近付いてくる。
自分も裸だったが、それよりも大事なことに気付く。
肩越しに振り向き、ゆっくり向き直る女性を千雪は知っていた。
毎日見合わせ、毎夜毎晩恋人を挟んで眠る顔だ。
少しだけ大人びて見えるが、同一人物にも見えた。
「こんにちは、千雪。……五百雀千雪、だよねっ? こっちの世界の」
「ええ。こんにちは、れんふぁさん……いえ、りんなさん。
それは、全く同じ姿と顔だが、違う表情を見せる。
どこか勝ち気で強気な、れんふぁよりも快活で
間違いない、千雪が手にするタブレットの本当の持ち主……更紗りんなだ。
やはり千雪は冷静でいられた。
ずっと会ってみたかったから、こんな時でも嬉しい。
統矢の心の中で、彼女は永遠になった。
統矢と今を共に生きて、未来を分かち合う千雪にはわかる。
過去は輝きを増しながら、どんどん統矢の奥深くへ沈んで結晶化する。宝石のような化石となって、ずっと彼と共に生き続けるのだ。だから、そんな彼を過去ごと愛そうと、そうれんふぁと
「ふーん、驚かないんだ? やっぱ変わらないなあ、千雪は」
千雪と呼び捨てにするのは、あちらの世界……パラレイドの世界線で彼女が千雪と親しかったからだろう。
りんなは
自然と千雪も、初めて会う昔の
今も愛している、そしてかつて愛していた。
そこだけしか食い違わない、ただの女の子同士でしかなかった。
「えっと、じゃあ……単刀直入に話すね? 千雪」
「ええ、お願いします」
「ここに……リレイド・リレイズ・システムに呼んだのは、わたし」
「やっぱり、ですか」
身を乗り出して千雪を覗き込み、悪びれずにエヘヘとりんなは笑う。
無邪気な笑顔はそのまま、衝撃の事実を告げてきた。
「呼んだというか……まあ、わたしがそうなの。リレイド・リレイズ・システムが三次元空間に固定座標を持って実体化する時、それはわたしという過去の亡霊を
――わたしがリレイド・リレイズ・システムなの。
そう言って、りんなは寂しげに笑った。
先程の
りんなの説明に寄れば、リレイド・リレイズ・システムは膨大な量のコーディングと術式によって構築された、あらゆる平行世界を繋ぐシステムだ。それゆえ、全ての世界線に同時に存在し、そのどこにも存在しない。絶えず不確定な状態で
そして、高位次元の概念であるシステムに、輪郭を与えるもの……それは、あちらの世界の摺木統矢が設定した、更紗りんなという一人の女性なのだった。
「統矢は……間違えちゃってるよね。でも、わたしにはもう止められない。わたしはシステムとして統矢に操られ、違う世界線の千雪達を苦しめている」
「りんなさん……」
「でもね、それでも、それでもね……わたし、嬉しかった。同じくらい、悲しかった。統矢は……わたしの統矢は、わたしの死に
「……愛されてたんですね、りんなさん。それが例え、こういう形でも」
黙ってりんなは
彼女は見た目から察するに、二十代前半くらいだろうか?
れんふぁの話では、りんなは
彼女は自分の死で、パンドラの箱を開けてしまったのだ。
彼女を愛した男に道を踏み外させ、外道の極みへと
長く続いた異星人との戦争は、鏡合わせの
千雪の知る統矢とは、全く別の道を選び、一つも出会いを得なかった男……それが、パラレイドの
「異星人と接触する使節団の護衛として、わたしの部隊も同行した。そして、月の裏側での極秘会談は……友好的なムードを共有できたのに、壊されてしまった」
「誰に? 異星人はまさか」
「ううん……会談を襲ったのは、わたしと同じ地球の人間だった。反体制側、そして異星人の危機を叫ぶ一部の過激派。極秘情報を掴んで、襲ってきた……ま、テロね」
「それを統矢君は……
「知らないんだと思う。わたしも一度死んで、このシステムと一体化して初めてわかったことだから。そして、真実を知る者はもういない……自爆テロだからさ」
異なる地球の運命を決めた、数奇な真相。
それを知って千雪は絶句した。
寂しそうに笑って、りんなは「はいはい、やめやめ!」と手を振る。
彼女の不幸も、彼女が解き放った不幸も、全てはあちらの地球の話だ。
そして、こちらの地球の千雪は、どんな理由であれ愛する人達を守ると決めている。敵に慈悲も同情もない。
いかなる理由であれ、利己的な戦争を許してはいけないのだ。
「でもさ、千雪ってホント千雪だよね……こっちでも千雪なんだ?」
「それは、どういう」
「当たり前だけど、わたしの世界線にも千雪はいたよ? ……好きだったんだと思う。千雪も、統矢のこと。ま、わたしの方が一億万倍好きだったけどね! わはは!」
「は、はあ」
りんなはとてもラジカルな女性だった。
れんふぁが時々見せる芯の強さ、異様な頑固さやしぶとさはここから来ているのかも知れない。確かに世代を重ねて血が伝わっている、それが感じられる。
あーあ、と伸びを一つして、りんなは話を続けてくれた。
「リレイド・リレイズ・システムを得て、統矢は無限の寿命を得た。遺伝子が徐々に欠損してゆくから、生まれ直す度に成長限界が早くなるけど……彼はわたしとの息子より、その子、孫より若くなってまで、戦った」
「の、ようですね」
「多くの人達が、統矢を慕って盲信した。リレイド・リレイズ・システムには、統矢の同志が数多く自分を登録した。……でも、千雪はそれを選ばなかった」
あちらの世界線の五百雀千雪は、リレイド・リレイズ・システムに頼らなかった。
そして、彼女は彼女の戦いを始めたのである。
異星人と
レジスタンスは圧倒的な劣勢の中で、
「千雪は、自分を機械化することで統矢の
「生きることを望んだ結果ですので、りんなさんが気にすることでは」
「千雪は多くの仲間を、同胞を、教え子を失いながらも戦った。何度も統矢を追い詰め、倒した時もあった。でも、統矢を止められなかった……何度でも
りんなが千雪の手を取った。
そのぬくもりだけが、この異質な空間で確かなものだった。
そして、徐々にお互いの肉体が透け始める。
「時間かな、もう……千雪、きっともう会えることはないと思う。わたしはまた、無限に等しい平行世界を漂いながら、システムとして存続し続けることになるから」
「りんなさん」
「あなたじゃないのはわかってるけど、お礼を言わせて……れんふぁを助けてくれてありがとう。機械にまでなって、統矢を止めようとしてくれて、本当にありがとう」
現実へと引っ張られ始めた千雪は、確かにその声を聴いた。
「それと、これはあなたへ。れんふぁを愛してくれて、ありがとう。こっちの統矢のこと、好きになってくれて、ありがとっ! 大事にしろよー? 全部あげちゃんだから」
「はい。りんなさんの分まで、精一杯」
「最後に、お別れだけど……あー、うん。そっか……今、わかった。わたしの世界線の千雪が、リレイド・リレイズ・システムを使わなかった理由。つまり――」
りんなの言葉に、即答で千雪は頷いた。
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