第4話「滅びを連れて待つもの」

 青森の中心市街地ちゅうしんしがいち新町商店街しんまちしょうてんがい閑散かんさんとしていた。もともとが再開発の中で取り残された東北の街である。シャッターの降りた店舗が目立つ中で、行き交う者達は老人や子供が多い。

 だが、昨夜の空襲警報が嘘のように、平和な空気が満ちている。

 井戸端会議いどばたかいぎに花を咲かせる老婆達に、幼子と歩く母親……ちらほらと皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくの制服姿も見受けられる。

 五百雀千雪イオジャクチユキは、滅亡間際の諦観ていかんにも似た穏やかさに心が冷えた。


「オーライ、そこの店が開いてるな。俺のおごりだ、何でも食ってくれや!」


 グレイ・ホースト大尉たいいは、大きな軍用車両を路肩へ停める。

 駐車禁止区域だったが、取り締まる警官などいはしない。

 車高の高さにスカートを押さえると、先に降りた摺木統矢スルギトウヤが手を伸べてくれた。


「統矢君……私、見直しました」

「な、何だよ。大げさだな……ほら!」


 統矢の手を取り、飛び降りる。

 そのまま振り返って、今度は千雪が更紗サラサれんふぁに手を伸べた。あとからつけた鋼鉄の義手でも、れんふぁに触るのは怖くない。手袋の下の冷たさなど、彼女は気にもとめない少女なのだ。

 前の座席からは、ラスカ・ランシングが不満そうに降り立った。

 彼女はどうやらご機嫌斜めで、最後に降りた渡良瀬沙菊ワタラセサギクにいじられている。


「ラスカ殿どの! ここはっ……知る人ぞ知る名店、! 正式名称は『四季しき千成せんなり』であります! 市内でまだ営業してる、数少ない甘味処かんみどころでありまして」

「知ってるわよ!」

「ラスカ殿の大好きなあんみつが食べられるであります。他には、最近解禁になったうなぎが――」

「うなぎ? ええと……うなぎって確か、イールEELのことよね……」


 そんなやり取りをする中で、統矢が突然「えっ、マジか!?」と目を丸くした。

 彼をれんふぁと挟んでいた千雪は、驚く彼を見下ろし小首をかしげる。


「統矢君、うなぎ……好きなんですか?」

「あ、いや……食ったこと、ないからさ。うなぎってあれ、絶滅危惧種レッドデータだろ? 随分前に人類同盟じんるいどうめい動物保護協定どうぶつほごきょうてい漁獲禁止ぎょかくきんしに……昔はそりゃ、土用どよううしの日なんてのがあったらしいけどさ」

「うなぎ、解禁されました。……

「……そういう理由かよ」

「因みにうなぎのしゅんは冬なんですけどね」


 今、あらゆる動物をおさえて、人類が真っ先に滅びそうなのだ。

 無論むろん、地球規模の大戦争は自然にも影響を与えている。

 だが、遅い来るパラレイドの目的は、人類なのだ。

 正確には、今の時代、この世界線の人類をDUSTERダスター能力の覚醒かくせいみちびこうとしている。その過程で失われる命は、でありなのだ。


「ハッハッハ! ボーイ、ジャパニーズ・ウナギはいいぞう! ありゃ、ブリテンの連中が食べてる料理とは別物だ。なにせブリテンの飯といったら、海兵隊マリーンのレーションより不味まずいからな!」


 すかさずラスカがってかかる。


「ちょっとなによ! アメリカこそ、ピザとコーラしかないじゃない!」

「おいおい、火の玉ガール……ピザは嫌いか? コーラもホームサイズで手元にないと困るだろう?」

「ど、どっちも大好きよ! ま、まあ、イールなんてブリテンでも一部の人しか食べないし。ブリテンのご飯は、そりゃ不味いかもしれないけど……ママのご飯は、美味おいしかったわよ」

「……ソーリィ、火の玉ガール。それじゃあ、うなぎとやらを食べてみるんだなぁ? 今日は俺のおごりだ!」


 見れば、統矢も腹に手を当て考え込んでいる。

 時刻はちょうど三時を少し回った辺りだ。

 うなぎはおやつとしては、いささか重い気もする。勿論もちろん、ラスカならいいだろう。彼女はカロリー消費も新陳代謝しんちんたいしゃもよほど活発なのか、あの華奢きゃしゃ矮躯わいくのどこに入るのかと思えるくらいに食べる。

 そして、全く太らない。

 そのことを一緒に思い出していたのだろうか? 見れば、千雪が無意識にそうするように、れんふぁもウェストに片手を当てていた。


「さ、行くわよ沙菊っ! ごめんくださーいっ!」

「はい、いらっしゃい。あらまあ……学生さん? 青森校区の?」

「そうよ、六人! 大きい人がいるから、そっちの座敷ざしきでテーブルをくっつけて座るわ」

「どうぞー」


 店の年寄りが出迎えてくれる中、まだ統矢は悩んでいる。

 今夜から寮に帰るから夕飯がどうとか、むしろ食べないと夜中に小腹がすくとか……まさに、摺木統矢高校二年生、育ち盛りの食べ盛りである。

 そんな彼との身長差を身近に感じて、千雪はれんふぁと語りかける。


「統矢君。気になるなら、うなぎを食べてみてはどうえしょう。育ち盛り、ですし……育って、ほしい、ですし……私より、大きく。……大きく!」

「そっ、そうですよ! それに、うなぎって精がつくんです! 統矢さんは精をつけないと駄目ですよぉ!」

「な、なんでだよ……千雪の身長に追いつく前に、俺の成長期は終わっちまうよ。でも……うなぎって食ったことないんだよなあ。でもなあ、りょうの飯が」


 ブツブツ真剣に悩む統矢を、座敷の一番奥に押し込める。そうしてれんふぁと並んで座ると、グレイがメニューを差し出してくれた。手書きの文字を目で追っていると、店の老婆ろうばがお茶を出してくれる。

 季節は秋、まだまだ日差しは熱いが風はすずしい。

 青森の短い秋が、もうすぐ冬を連れてくる。

 次の春を迎えられるかどうかは、この場にいる誰もわからない。


「ちょっと統矢! アンタ、早く決めなさいよ。アタシはうなぎにするわ。カバヤキってどんなのかしら……わからないけど、ウナジューにするわ! ジューってライスのことよね。……サフランライスかしら、それとも……バターライス?」

「おいおいラスカ……お前なあ。うなぎってすげぇ高いんだぞ? いくら大尉の御馳走ごちそうだからって」

「ハッハッハ、いいさ統矢。おちゃんちゃんにはモリモリ食べてガンガン頑張ってもらわんとな。……それにしても、どこの街もそうだが……静かなもんだ」


 湯呑ゆのみの茶をすすりながら、改めてグレイが店内を見渡す。

 店員は三人、皆が老婆だ。

 すでに開業して百年近くが経っている店は、古いながらも清潔感が満ちている。その空気は、古きよき昭和で止まってしまったかのようだ。

 とても、滅亡の瀬戸際せとぎわにあるとは思えない。

 だが、すぐに千雪にはわかった。

 滅びの運命さだめを見定めたから、静かにその時を待つしかないのだ。

 そのことを意外にも、グレイが口にする。

 さらに意外なことに、とても詩的してきな文章の引用で。


「かくて世の終わり来たりぬ。地軸くずれるとどろきもなく、ただひそやかに……か」

「おおっ! グレイ大尉殿っ! それはあの有名な!」

「おっ? 知ってるかい子犬こいぬちゃん。ええと、この間はちらっとしか、そうフェンリル小隊の新顔ルーキーちゃんだったな」

「渡良瀬沙菊であります! で、大尉殿の引用された詩は、T・S・エリオットでありますね! あの有名なネビル・シュートの――」


 統矢が首を傾げて「ネビル・シュート?」と聞き返す。

 ラスカはメニューをながめて興味なさげだし、れんふぁは記憶を引っ張り出そうと腕組みうなっている。

 統矢の視線がかしてくるので、ついつい千雪は口をはさんでしまった。


「統矢君、ネビル・シュートは二十世紀の小説家です」

「へえ、じゃあ代表作は――」

ですね! あの第二次世界大戦中、従軍したネビル・シュートは特殊兵器開発とくしゅへいきかいはつたずさわっていたんです!」


 ――また、やってしまった。

 どうしても兵器開発や武器の話になると、無駄に熱がこもってしまう。

 そして千雪は、皆がドン引きで固まる中でも熱弁がやめられない。

 間違っている、そうじゃないと思いつつも口が止まらない。


「パンジャンドラムとは、巨大なホイールにロケットを搭載し、その推進力すいしんりょくで敵陣へと転がってゆく陸上機雷りくじょうきらいです!」

「わ、わかった……千雪、わかったから。とりあえず、あぶねーやつなんだな、それだけはわかった」


 その時だった。

 ラスカがペラペラとメニューをめくりながら、頬杖ほおづえを突いて喋り出す。

 彼女の少しハスキーな声が、とても綺麗な音楽のように聴こえた。


「In this last of meeting places(このいや果ての集いの場所に)

 We grope together(われらともどもに手さぐりつ)

 And avoid speech(言葉もなく)

 Gathered on this beach of the tumid river……(この潮満つるなぎさに集う……)

 This is the way the world ends(かくて世の終わり来たりぬ)

 This is the way the world ends(かくて世の終わり来たりぬ)

 This is the way the world ends(かくて世の終わり来たりぬ)

 Not with a bang but a whimper(地軸くずれるとどろきもなくただひそやかに)」


 普段の刺々とげとげしい攻撃的な少女の声音こわねではなかった。

 そして、どこかせつなげな哀愁あいしゅうにじんで、言葉の意味を理解する以上の気持ちが伝わってくる。彼女はそのままメニューをテーブルのすみに寄せてつぶやいた。


「映画にもなった有名なネビル・シュートの小説『渚にて』に引用されたT・S・エリオットの詩よ。まぬがぬ滅びを前にして、人の尊厳や安息が問われるの。全人類の死滅が決まった途端、誰もが温厚な平和主義者になって文化を謳歌おうかする、そんな話よ」


 統矢が目を丸くするので、千雪は大きくうなずいてやった。

 だが、千雪達の滅びはまだ決まっていない。

 絶対に滅びてなど、やらない。

 勿論もちろん、未来からきたもう一人の摺木統矢の思い通りにもならない。千雪は自分が手にしたDUSTER能力を、自分と仲間のためにしか使わないと決めている。

 そして、香ばしい匂いがただよい始めた中で……グレイ大尉もニヤリと笑った。


「火の玉ガールの言う通り、昔そういうSF小説があったのさ。だが、俺達は滅びないし、滅びを待って仲良くバカンスもしてられない。そうだろ? 統矢」

「……ああ。その通りだ」

「近々お前達にデカい作戦が任される。当然、USネイビーの海兵隊から俺も参加するつもりだ。……SF小説の世界は続くぞ、諸君。次の戦場は……月だ」


 天上を指差し、グレイが笑う。

 千雪が驚いていると、うなぎが運ばれてきた。そのおじゅうふたを開いて、芳醇な香りを吸い込むラスカが瞳をキラキラさせている。統矢は統矢で、生まれて初めてのうなぎに硬直していた。

 この平和を、守りたい……平和の中へと、この少年を取り戻したい。

 千雪も注文したあんみつのスプーンを握りながら、月面での決戦へと想いをめぐらせる。宇宙開発の活況かっきょうを忘れた無音の世界……そこで今、パラレイドが千雪達を待ち受けているのだった。


(T.H.エリオット/井上勇訳)

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