第3話「意外な来訪者」

 いつもと変わらぬ日常が戻ってきた。

 しかし、授業風景や休み時間、そして放課後……寒々しい空虚な気持ちに五百雀千雪イオジャクチユキは震える。既にもう、自分の日常がここにはないことが感じられて、少しつらい。

 一度死にかけ、機械の身体となった少女には……むしろ戦場こそが自分の居場所に思えた。

 それでも、親しい人達の守るべき暮らしに触れることを、彼女は選ぶ。

 久々に戦技教導部せんぎきょうどうだん格納庫ハンガーに顔を出し、懐かしい空気を吸い込んだ。


「変わらない、ですね。もう、何年も来ていなかったように感じます」


 オイルと火薬の臭い、工作機械の振動と騒音。

 海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい、通称フェンリル小隊の機体は全て、それぞれのケイジに固定されてオーバーホールの真っ最中だ。激しい戦いの中の、束の間の休息。鋼鉄の戦士達はメンテハッチを全開放して、無数のケーブルを垂れ下げていた。

 ちなみに千雪の【ディープスノー】は、通常のパンツァー・モータロイドと規格が違うため、ここではなく高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうすで整備している。

 格納庫の中でも、最も損傷の激しい機体が一番奥にある。

 見上げる摺木統矢スルギトウヤ更紗サラサれんふぁの背を見つけて、千雪も歩み寄る。

 統矢の声はどこか、まるで我が子をいたわり心配するように切実だった。


瑠璃ラピス先輩! こいつ、どうですか? その、桔梗キキョウ先輩がパーツを――」

「あんなあ、統矢。ウチかて魔法使いやあらしまへんのや。PMRのフレームは、ほぼ人体と同等の構造してるやろ? 自分、脱臼だっきゅう骨折こっせつはしたことないん?」

「な、ないです、けど」

「腕が取れるゆうんはなあ、関節が無理やり壊されたちゅうことや。基部から肩関節を総とっかえ、また組み直しや。それはええ、装甲もまた着せてやったら元通りやし、スキンタービンでグルグル巻きもすぐや。問題はなあ、統矢」


 佐伯瑠璃サエキラピスは難しい顔で耳のピアスをいじる。

 そこには、一次装甲やラジカルシリンダーが丸出しになってしまった、97式【氷蓮ひょうれん】サード・リペアが立ち尽くしている。

 基本的にパンツァー・モータロイド、PMRは人体の構造によく似ている。特殊合金で鍛造たんぞうされたフレーム状の骨格を持ち、ラジカルシリンダーは全身にめぐる筋肉と神経だ。先日、再びパワーアップしたメタトロン・ゼグゼクスとの戦いは、苛烈かれつを極めた。その傷は今も、見上げれば痛々しい。


「統矢君、大丈夫です。この子、治りますから」

「そうですよぉ! 千雪さんの言う通りですっ! わたし達みんなで直しましょう! 瑠璃先輩もっ、わたし何でも手伝います! よろしくお願いします!」


 瑠璃は「しゃあないなあ」と笑った。

 幾度いくどとなく激戦をくぐり抜け、その度に大破、擱座かくざして、修理と改修を繰り返してきた【氷蓮】。そのパーツ構成は徐々に、統矢の幼馴染おさななじみである更紗りんなの時代からのものが少なくなっていった。

 ダメージを受けて交換されたものも多い。

 だが、それでも統矢はコクピットに座る。

 大事な人の血と汗を吸った、最期さいごの場所となったシートに座り続けるのだ。


「統矢、とりあえず直すけどなあ。桔梗からパーツももらってるさかい。せやけどな、その……一部、頭部等を、【幻雷げんらい】から流用することになりそうや」

「俺に何かできませんか? あ! そ、そうだ、なるべくできることは自分でやろうと思って……強度計算とか、修理チャートの整理を」


 わたわたと統矢は、鞄からタブレットを取り出す。

 まだ、液晶画面の外装が割れたままだ。

 瑠璃は【氷蓮】から降りて、そんな統矢の頭をポンポンとでる。


「ええから休みぃや? でなきゃ、千雪ちゃんやれんふぁちゃんを遊びに連れてってな? 自分、こないな時間がどれだけ大事かわからんやろ。そっちのラスカもや!」


 瑠璃が叫ぶ声が、格納庫に木霊こだまする。

 【氷蓮】の隣に立つ、89式【幻雷】改型四号機かいがたよんごうきのコクピットが開く。

 真っ赤な機体から現れたのは、ラスカ・ランシングだ。彼女はわずかに汗ばんだひたいを、手の甲でぬぐって床に降りてくる。


「……別にいいでしょ、少しくらい。もう少し、シミュレーションを」

こんを詰めても、ええことないで? 自分もほれ、統矢に美味おいしいもんでも食べさせてもらいや」

「なんでアタシが統矢に!」

「嫌やの?」

「そ、それは……でも、イヤッ!」


 ジトリとラスカが千雪を見上げてきた。

 ラスカは一年生で、その華奢きゃしゃな身は驚く程に小さい。千雪が見下ろすラスカの顔は、胸の辺りだ。そして、いつもラスカは千雪の胸を見て、自分の胸に両手を当てる。

 れんふぁがクスリと笑って、ラスカの手を握った。


「ラスカちゃんも、甘い物を食べに行きましょうよぉ。ね?」

「う、うん……けど、もう少し」

「だーめ! ほら、行こ行こっ! 統矢さんも千雪さんも! ……あれ? 沙菊サギクちゃんは」


 そういえば、渡良瀬沙菊ワタラセサギクの姿が見当たらない。

 いつも子犬のように、千雪殿、千雪殿と周囲で元気にしてるのだが。

 辺りを見回す千雪は、いつになく弱気なラスカの声を聞いた。


「……千雪は、凄いじゃんか。前から【閃風メイヴ】って。桔梗も【吸血姫カーミラ】で、こないだの雨瀬雅姫ウノセマサキってのも【雷冥ミカズチ】だし……エースって認められないと、そういう称号、もらえないし」


 日本皇国のPMRパイロットでも、才能ある若き少年少女には称号が贈られる。それは、全国総合競戦演習ぜんこくそうごうきょうせんえんしゅう等で、優秀な成績を修めた者……そして、実戦での撃墜数スコアや戦果で判断される。

 ラスカは何故なぜか、その称号にご執心しゅうしんのようだ。


「アタシも、アルレインとの働きを認められたい。もし、アタシのことがニュースになったら……ママも、またアタシを見てくれるかもしれないもん」

「ラスカさん……」

「ま、まあ、いいわ! 当然、アタシがエースの称号を得るのも時間の問題よ!」


 ラスカは普段通りの、勝ち気で強気な笑みを取り戻した。

 彼女は英国人で、イギリス本土が消滅した戦いで日本へと逃げ延びてきた。父親は海軍の軍人で、避難民を満載した輸送船団を守るために特攻、帰らぬ人となっている。

 そのショックでずっと、ラスカの母親は心の時間を巻き戻してしまったのだ。

 ラスカへの想いにもって、。だから、ラスカは母親の前でだけは、住み込みのメイドとして暮らしている。

 だが、そのことに同情されるのを誰よりも嫌う、プライドの高い少女なのだ。

 最後にもう一度【氷蓮】を振り返り、統矢が話の輪に加わる。


「ラスカさ、俺だってエースの称号なんか持ってないぜ? 一緒だ、一緒」

「アッ、アンタなんかと一緒でも、うっ、うう、嬉しい訳ないでしょ!」

「だな。さて、と……そういや沙菊がいないな。道理で静かな訳だ」


 千雪は最後に瑠璃へと頭を下げて、皆で格納庫の出入り口へと向かう。

 その背は、フェンリル小隊の凄腕整備長の小さなつぶやきを拾った。


「せやけど、【氷蓮】の修理完了まで……あれを使うんは気が重いわあ。零号機ゼロごうきは……【幻雷】改型零号機、あれはアカンて」


 千雪の記憶にも、その機体は特別な存在として刻まれていた。

 昨年、千雪が一年生だった頃の兄の機体だ。兄の五百雀辰馬イオジャクタツマは、全国総合競戦演習の大事な試合中、突然零号機の不具合で撃墜判定をされてしまったのだ。

 原因は不明とされている。

 瑠璃が何度もチェックしたが、機体におかしなところはなかった。零号機は全ての改型の基礎となった機体である。あのデリケートな操作性を持つ壱号機いちごうきの仕様は、零号機を下にチューニングされている。

 自然と不気味さも手伝って、零号機はパーツ取りの予備機よびきになったのだ。


「でも、統矢君なら……あの子とも仲良くしていけるかもしれません」

「ん? 何か言ったか? 千雪」

「あ、いえ……行きましょう、統矢君。今日はラスカさんに、少し優しくしてあんげてくださいね?」

「俺が? いや、だってあいつ怒るんだぜ。すぐばすしさ。それに……い、嫌じゃ、ないのかよ……俺が、その、れんふぁ以外の……女の子と、そういうのって」

? もし万が一にも、仮にもそうだとしたら、それは誇らしいことです」

「……普段の俺って、いったい。万が一とか、仮にもとか……ぐぬぬ」


 千雪は小さく笑って、玲瓏れいろうなる無表情がわずかにやわらぐ。

 先を歩くれんふぁやラスカと一緒に、統矢は千雪を横から見上げながら歩いた。

 そして、いないなと思っていた沙菊の声が外から響く。


「千雪殿ぉーっ! 統矢殿も、ラスカ殿も! お客様をお連れしたであります!」

「お客様? 俺にか、沙菊」

「はいであります! ささ、大尉たいい!」


 そこには、意外な顔が立っていた。

 巨漢きょかんの彼から見れば、沙菊など童女どうじょも同然だ。それより小さいラスカなど、並ぶとどうなってしまうのだろ。アメリカ海兵隊の隊長は、珍しく礼装の軍服を着ていた。その筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる逆三角形の肉体が、内側から階級章を盛り上げている。


「よぉ、ボォォォォイ! 達者でやってるか? ニューヨークでは派手にやってくれたらしいな。こういうのは、ジャパニーズ・オレーマイリって言うらしいじゃないか」

「グレイ大尉……グレイ・ホースト大尉!? あんた、どうしてここに?」

「元気そうだな、統矢。ガールフレンドが増えてるようだが……ハッハッハ、結構なことだ。なに、任務で三沢の基地から来たんだ」


 サングラスを外し、白い歯を零して笑う黒人男性は、グレイ・ホースト大尉。アメリカの海兵隊に所属するPMRのパイロットだ。

 話の流れでこれからおやつだと言ったら、彼は笑顔をますます輝かせる。


「オーケィ、ボォォォイ! みんなも俺の車に乗りな。この辺は詳しくないが、今でも営業してる店は貴重だからな。礼も兼ねて御馳走ごちそうさせてくれ」

「いや、大尉……いいのか? あんた、任務は。それより、礼? お礼参りって」

「ウロボロスとかいう組織のガキを、お前さんのとこの幼女三佐ロリロリさんさに会わせるために護衛で来てんだ。話し合いが終わるまではひまさ。それに……統矢」


 突然、身を正したグレイは敬礼した。


「摺木統矢三尉さんい、ニューヨークを守ってくれてありがとう。……俺の故郷で、両親がまだ暮らしてる。感謝してもし足りない。……なんてな! よし、行くぞボォイ!」


 ニッカリ笑ってサングラスをかけると、彼は鼻歌交じりに歩き出す。その背を追って、千雪達はすぐに軍用車に乗って青森市の市街地へと繰り出すのだった。

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