第9話 「ローズベル家の当主」

 客間に置かれている装飾品などを見ながら時間を潰していると、一通り見終えたあたりでシルフィ達が部屋の中に入って来た。

 実に緊張の瞬間である。

 何故ならジルは、シルフィを男を悩殺できる格好にドレスアップさせると言っていたのだ。

 俺だって男。

 性欲は人並みにあるし、シルフィに対してそういう目を向けることもある。

 それ以上にシルフィは普段騎士の恰好が多く、また私服であっても肌の露出はあまりしていない。

 さらに言えば、スバルのよう羞恥心がない言動も取らないだけに俺が視線を向ければ頬を赤く染めるかもしれない。身体を隠すように立っているかもしれない。

 考えるだけでも心臓の鼓動が早くなる。かといって顔を合わせないようにするのも無理というか失礼なわけで……覚悟を決めよう。何の覚悟は分からないが。


「…………」


 女性がオシャレをした際、男は何かしら感想を言うべき。

 それくらいのことは、今まで恋人が出来たことがない俺でも心得ている。

 しかし、何も言うことが出来なかった。

 シルフィが着ているのは、清楚さと妖艶さが入り混じったような青紫色のドレス。露出は肩と胸元だけと思ったよりも少ない。

 だが露出が少ないからこそ、その部分に更なる価値が生まれる。故にドレスとの色合いもあってシルフィの白い肌が映えるのだ。

 またあまり見せたことがないドレス姿を見られるのが恥ずかしいのか、シルフィの頬は赤く染まっている。

 それを誤魔化すように右腕で左腕を掴んでいるのだが、それによって胸が強調される形になっているため……率直に言ってエロい。

 今のアシュリーでは、同じ格好をしたとしても決して醸し出すことが出来ない色気である。

 ああだこうだ語ってはみたが、簡潔にまとめると俺はシルフィに見惚れたのだ。


「あのルーク殿……あまりじっくり見られると恥ずかしいのですが」

「あ、悪い……」

「いえ……」


 デートをするわけでもないのに何とも言い難い恥ずかしさと気まずさである。

 それを誤魔化すように視線をジルの方へ向けると、良い仕事したでしょと言わんばかりに親指を立ててきた。

 その行為に腹は立つが……お前は本当に良い仕事をした。

 シルフィの素材を完璧に活かしたドレスアップだよ。一流の執事だって認めやるよ。だけどな……今日の趣旨はそこじゃないだろ。良い思いさせてもらったから言わないでおくが。


「ルーク様、そうまじまじと見られますとさすがの私も照れてしまいます。あ、もしかして私のドレス姿がご所望でしたか? それは失礼致しました」

「どう見ても照れてないだろ。それに別にお前のドレス姿なんて望んでない」

「私は普段男装していますが、それは少し言い過ぎでは? 私でも傷つく時は傷つくのですよ。まあシルフィーナ様のドレス姿を非常に楽しみにされていた、とも解釈出来ますが」

「――っ!? ジジジジジル、そういう揚げ足を取るような真似はやめてください。ルーク殿に失礼です!」


 俺以上に顔が真っ赤なシルフィさんである。

 そこまで過敏に反応されると、こっちも余計に恥ずかしくなってきてしまう。今の状況でシルフィに話しかけるのは悪手なので黙っておくが。

 でも……それだとジルの独壇場なんだよな。性格的にシルフィはジルと相性が悪いし。


「何を言っているのですか。元はと言えば、シルフィーナ様が恥ずかしがって似合ってますか? の一言すら言えないからでしょう。本当は聞きたいくせに」

「べべべべべべべべ別にそんなことは……!? か、勝手に人の心の内を決めないでください」

「分かりました。では私はここから出て行きましょう」

「え?」

「何を意外そうな顔をされているのですか? そろそろお客様がご到着されるお時間です。執事としてお出迎えするのは当然のことではありませんか。では私はこれで。しばしの間はおふたりでごゆっくり」

「あ、ちょっ……!?」


 シルフィの制止を待たずにジルは出ていく。

 主への態度としては問題があるのだろうが、客人を出迎えるのも執事の仕事と言える。

 それだけにジルを責めるのもどうかとは思うのだが……場の空気を気まずくして去るのはやめろと言いたい。シルフィが完全に固まってしまったではないか。


「……シルフィ」

「は、はははははははい何でしょう!?」

「あー……その、なんだ。あんまりジルの言葉を気にするなよ」

「それは、その……分かっているんですが。私の性格上それも出来ないと言いますか、良い玩具にされてるとは思っているんです。ただ割と的を得ていると言いますか……あ、だからと言ってべべべべ別にドレス姿の感想を聞きたいとかは思ってませんよ!?」


 あ、ダメだ。

 これはシルフィの真面目さが完全に裏目に出ている。話せば話すほどボロが出るパターンだ。

 これから大切な客も来るわけだし、どうにかしておくべきなのだろうが……俺が話しかければかけるほど事態は悪化する気もする。

 ただこのまま放置するのも……シルフィが普段人に言わないようなことまで言い出しかけない恐れが。

 言わないということは言いたくないということ。

 プライベートなことを除いても国家機密があるかもしれないだけにどうにかしなければ。

 しかし、どうしたら……感想を聞きたいと思っているようだし、下手にしゃべらせるくらいならより羞恥心を刺激して黙らせるか。正直こちらも恥ずかしい思いをするが、このままよりはマシだろう。


「シルフィ」

「――は、はい!?」

「今から会議なんだから少しは落ち着け。あと……そのドレス、お前に良く似合ってる。だからもっと自分に自信を持ってどっしり構えてろ」


 綺麗だ、の一言くらい添えられれば良いのだろうが、今の空気でそれを言うには俺には経験が足りなすぎる。

 意識し合ってる状態で服装を褒めるだけでこれほど恥ずかしいとなると、世の中の彼氏彼女持ちは英雄よりも勇者なのではなかろうか。今俺が感じている以上の羞恥を乗り越え、想いを口にした末に結ばれているのだから。

 別のことを考えて気を紛らわせようと思ったが、やはり無理なようだ。シルフィの反応が気になり過ぎる。

 意識をシルフィに戻すと、呆気に取られたようにも見えるくらい意識がどこに向いているか分からない状態だった。視線はこちらを向いているのだが、いったい彼女の胸中では何が起こっているのだろう。

 瞬きを数度。

 短いはずなのに思いのほか長く感じられたその時間の末――


「……はい」


 シルフィは、水面を照らす月明かりのように静かで優し気な笑みを浮かべた。

 仏頂面だったら頃を知っているだけに……

 いや知っているからこそ、この笑顔は反則だ。

 もし今日という日が護衛ではなく完全に私用だったなら。あの泣き虫騎士の機嫌直しの一環ではなったのなら。

 俺は男としての本能に従い、半ば強引にでもシルフィを抱きしめていたかもしれない。

 それほどまでに目の前にある笑顔は魅力的だ。


「ルーク殿?」

「いや……何でもない」

「何でもないって顔はしていないように思えるのですが」

「……あの仏頂面だった頃と比べると、ずいぶん優しく笑うようになったと思っただけだ」

「なっ……確かにあの頃は仏頂面だったかもしれませんが、ルーク殿からは言われたくありません!」


 こうなるように仕向けたのは俺だが、なかなかにひどい言われようだ。

 まあ否定できる材料もないのだが。魔竜戦役時代は命のやりとりで心は擦り減っていたし、戦後は変人や変態に振り回されたりして笑うよりも溜め息を吐く方が多いのは間違いないのだから。

 興奮気味のシルフィをなだめようとした矢先、狙いすましたかのようなタイミングで客間の扉がノックされる。

 シルフィは少し慌てながら扉側を振り返って身だしなみを正し、騎士団長として出迎える準備を整える。

 まず最初に入って来たのは、案内役を務めたジル。彼女に続いて3人の人影が現れる。

 ひとりは煌びやかな衣服を纏った長髪の優男。ノーリアスの貴族であるアルフォード・ローズベル。魔竜戦役時代は放浪息子などと言われていたが、今では当主を務めていると聞いている。

 残りふたりは護衛役の初老の騎士と世話役と思われるメイドだ。

 老騎士については魔竜戦役時代に何度か顔を合わせている。名前は確かダリウスと言ったはずだ。メイドの方に関しては初対面なので分からない。


「久しぶりだねシルフィ団長。今日はお招きいただきありがとう」

「お久しぶりですアルフォード殿。こちらこそ、本日はご足労いただきありがとうございます」

「いやいや、これも務めだからね……おや? これはまた懐かしい顔があるね。しかし、その服……鍛冶屋を営んでいると聞いていたけど、ここに就職していたのかい?」

「アルフォード殿、それに関しましては」

「あぁ大丈夫、何となく想像は付いているよ。私は他国に知れ渡るほど女好きだからね。彼はシルフィ団長の護衛を兼ねた恋人役というわけだ。これは冗談でも求婚は出来そうにないね」

「なっ……」


 先ほどまでのやりとりのせいか、普通なら剥がれないはずのシルフィの団長としての仮面が剥がれる。

 はぁ……アルフォードの奴、中身の方はあの頃からあまり変わってなさそうだな。今のも絶対分かっててシルフィをからかうつもりで言っただろうし。真面目に会議をするつもりがあるのか不安になるな。


「こここ恋人役を頼んではいません! 護衛に関してはお願いしていますが、それ以上にルーク殿が一連の事件に関わっている当事者なので来てもらっているわけで。変なことを言わないでください!」

「あはは、冗談だよ冗談。表情は柔らかくなったけど、君のそういう真面目な部分は変わらないね」

「アルフォード様、あまりシルフィのことをからかわないでもらいますか。今日は真面目な話をしに来ているはずでしょう?」

「俺の女に手を出すな、ということかな?」


 こいつ、真面目に話す気があるのか。

 鉄拳制裁でも……、という考えが脳裏を過ぎったが、あちらの老騎士と殺傷沙汰になりかねない。それに今はこの男もノーリアスの一角を担う貴族の当主。迂闊な行動は国際問題になりかねない。

 ここに関しては我慢するし、ここからも大抵のことは目を瞑るが……果たして最後まで我慢できるだろうか。

 変態達で人よりも耐性はあると思うが、正直今日はシルフィを含んだことで挑発されたら我慢できる自信はない。


「アルフォード様、ラディウス家のご当主やかつての戦友との再会が嬉しいのは分かりますがどうかそのへんで。これ以上はローズベル家の品格にも関わります。それにアルフォード様の口が元で殴り合いになっても、命に関わらない限りワタクシは止めるつもりはありませんので」

「おっと、それは不味い。私はあまり武闘派ではないのでね。このへんにしておくとしよう。ただ……ルーク、私への敬称や敬語はやめて欲しい」


 かつての俺は英雄、アルフォードは貴族ではあっても放浪癖のある女好き。対等の立場で話すことも出来た。

 だが今は中身の方はあまり変わってないとはいえ、俺は田舎の鍛冶職人であちらはローズベル家の当主。普通なら対等で話せる関係ではない。


「あの頃とはお互い立場が違うのですが?」

「そんなことを気にする必要はない。私と君の仲だ。私が良いと言っているのだからそれが答えだよ。それにここは王宮といった公式の場でもないしね」

「ならいいが……俺とお前、そこまで親しい関係でもないだろ」

「親しくない関係でもないはずだよ。我らは共に魔竜戦役を戦った仲間なのだから」


 同じ戦場を駆けた覚えはないのに仲間と言えるのだろうか。

 まあ戦場以外のところでは確かに助けられはしたが……こいつ相手に真面目に考えるだけ無駄な気がする。本人が良いというならそうしておこう。


「皆さま、私はお茶の準備をしてまいります。すぐに戻りますので少々お待ちを」

「あ、わたしも手伝います」

「いえ、あなたはアルフォード様の従者。私からすればお客様のひとりです。ですのでお気遣いなく。もしも私の淹れたお茶がアルフォード様に合わなかった時はお願い致します」


 そう言い切るとジルはメイドの反応を待たず部屋から出て行ってしまった。

 普段通りのジルのようにも見えるが、少しあのメイドに関して冷たいようにも思える。

 あのメイドが優秀過ぎると、自分のことを一流の執事と言えなくなるかもしれないと思っているのか。はたまたメイドから漂うメイドらしからぬ佇まいを危険視しているのか。

 ただ自衛や主を守るために戦闘技術を持ったメイドは存在している。その類ならば護衛のひとりというだけの話なのだが。


「……さて、今日は色々と話すべきこともある。挨拶はこのへんにして情報交換と行こうか」

「そうですね。それではまずこちらから……ここ最近起こった魔人や魔物などに関するお話からすることにしましょう」

「ああ、お願いするよ」

「では、まず最初は……」



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