第10話 「ひとつの終わり」
眼前を鉄の塊が駆け抜ける。
半歩でも間合いを間違えれば顔面が削られるどころか吹き飛ぶ威力だ。だがこの程度で怯むほど伊達に死線は乗り越えてきていない。
隻腕で大剣を振るえるのは驚異的。また使う得物の関係上、先手を取れるのはあちらだ。
しかし、大剣は非常に重い。それを隻腕で振るう以上、どんなに鍛えようと両腕と比べれば切り返しまでの時間は伸びる。こちらが踏み込むタイミングは切り返しの瞬間――まさに今だ!
「ッ……!」
胴を斬り捨てるように一閃を放つ。
が、敵は下手に踏ん張らず勢いの乗った大剣を利用して回転しながら後方へ下がった。
追撃しようと踏み込もうとした矢先、親玉の足腰に力が入り腰が捻じれるのが見えた。
次の瞬間、大剣が横向きに空間を薙ぎ払う。
もしも踏み込んでいたならば、直撃は避けられても体勢を崩されていただろう。仮に手傷を与えられたとしても、こちらの方が重い一撃をもらっていたはずだ。
かつては楽に腕を斬り捨てた相手なのだろうが、戦後を迎えてから俺は鍛冶職人。奴は傭兵であり続けた。その明確に異なる7年という時間が、俺達の間にあった実力差をほぼなくしてしまったようである。
「踏み込んでくれてりゃ終わってたんだがな。鬼気迫る斬撃を放つ割に本当冷静な奴だぜ。でもまあ、英雄様なら当然か」
「そっちはずいぶんと腕を上げたようだな。よく覚えちゃいないが、昔のように残ってる腕も斬り落とさせて欲しいんだが?」
「バカ言うなよ。そんなことしたらオレは間違いなくあの世行きじゃねぇか。欲しけりゃ力づくで奪ってみな!」
踏み込みながらの大上段からの一撃。
剛力と武器の重みによって加速されたそれは風を巻き込み唸りを上げ、爆撃のような音と共に地面を砕いた。
それだけならば腕力自慢の女騎士と同じだが、すぐさま横薙ぎを放つ体勢に入っているだけに攻略するのは雲泥の差である。
「どうしたどうした! 避けてばかりじゃオレを倒すことは出来ないぜ。さっさとオレを倒さないと魔物に仲間を殺されちまうぜ。いかに
確かに魔物の中でも竜の姿を持つ個体は、巨大で感情な身体や火炎ブレスといった特殊能力を持っていることが多いだけに危険だ。
実際シルフィも未だに蛇竜を倒せないでいる。
蛇竜の身体はまるで岩山。並みの武器では傷ひとつ付かないだろう。シルフィと魔剣《ラファーガ》の切れ味を持ってしても、一度の攻撃で斬れるのは表面に近い甲殻だけ。それでは決定打には欠ける。
それ以上にシルフィは、周囲に被害が出ないように立ち回っている。
反撃に転じるにしても、竜種を吹き飛ばす威力の技を使うには位置取りを考えなければならない。
ただあの蛇竜は、ある程度誘導に成功しても奴隷達が居る方に定期的に移動している。
ほとんどの傭兵が壊滅しているにも関わらず蛇竜が不可解な行動を取る理由。それは蛇竜を操る者がこの戦場にまだ居るということだ。
「おいおい、女を話題に出したのはこっちだがあんま気に掛けられると寂しくなるだろ。もっとオレのことだけ見てくれよ!」
親玉は狂気じみた笑みを浮かべ、大剣を横向きに一閃。
ただ避けてばかりいては埒が明かないと踏んだ俺は、前に向かって踏み込み跳躍。左手を一瞬迫り来る大剣の腹に置いて下半身を持ち上げ、首元をすくい上げる軌道で敵の顔面を蹴り抜いた。
屈強な肉体を持つだけに大した手傷にはならなかったが、こちらの狙いは有効打を与えることではない。
先ほどからチラチラと顔を覗かせていた何か……首に掛けられたペンダントの先に付いているものが何か確認するためだ。
――あれは……。
色合いや形は違えど、前に魔人の体内から出てきたものに似ている。前に黒衣の男が黒獣を操っていただけに蛇竜を操っているのはあれなのか。
何にせよ、あれを破壊しないことにはシルフィが攻撃に移れない。俺が破壊しなければ。
「足癖が悪いな。そんなんでよく英雄なんて名乗れたもんだ」
「あいにく俺は自分を英雄なんて思ってない。それにこれは決闘でもなければ親善試合でもない。ただの殺し合いだ」
殺し合いに礼儀なんてものは存在しない。
斬り殺そうが殴り殺そうが、結論から言えば敵を殺した方が勝者なのだ。そもそも、条件のない命をやりとりに卑怯などと言うのは戦いを舐めている。
それに俺の戦い方は、命の奪い合いの中で磨かれたもの。きちんと武術を学んだのは戦後……
人様に武器を作る職人が武器に精通していなくてどうする!
俺の師匠はそのような考えだっただけに鍛冶技術だけでなく、大抵の武器の扱いも仕込まれた。思い返してみてもあの頃は精魂尽き果てる日々である。
ただ、そのおかげで今の俺があるのは否定しない。
「それもそうだ。ならひでぇ殺され方しても文句は言うなよ!」
空間を薙ぎ払うように大剣。
そこから剛腕と見事な体重移動で次々と繰り出される斬撃は、どれもが一撃必殺でありながら明確な隙を生み出していない。
とはいえ、人は延々と動き続けられるわけではない。
絶え間なく攻撃を繰り出していれば、少なからず呼吸を整えるタイミングが来る。先ほどのような奇襲は通用しない可能性が高いだけに反撃に転じるならそこだ。
「…………ッ!」
敵が薙ぎ払いから突きへ転じる瞬間、わずかばかり身体がよろめいた。連撃の疲れが出たのだろう。
俺は迷わず地面を蹴った。
迫り来る突きは、自身の踏み出しもあって倍の速度で迫ってくる。それを最小限の動きだけで捌くのは肝が冷えるが、肉の代わりに骨が断てるなら乗り越える価値がある。
こちらの動きを見て微かに突きの軌道が変わる。
このままでは首を傾けても頬周辺が持って行かれる。反射的に刀を回すようにして一瞬だけ大剣にぶつけ、突きの軌道を修正。刃と刃が触れた瞬間に火花が舞い、散った鉄片で肌が切れたが懐に飛び込めた……はずだった。
「な……!?」
敵は大剣から手を放し、屈強な肉体を活かして体当たりを敢行。
回避しようとブレーキを掛けたが間に合わず、直撃を受けた俺は吹き飛ばされ、何度も跳ねながら地面を転がる。
どうにか体勢を立て直すが身体中に軋みを覚えた。
まるで鎧を纏った馬の突進を受けた気分だ。何度も食らえば全身の骨がバラバラになりかねない。だが
「チ……」
地面を転がっている時に軽く右足を捻ったようだ。
今でこそ痛みはほとんどないが、酷使すればするほど痛みが出てひどくなるだろう。そうなれば大剣の直撃を受けて終わり。短時間で戦闘を終わらせなければ……
「さっきの隙かと思ったか? わざとだよ、わざと。戦闘慣れしてる奴らの戦いは先の読み合いだからな。あんたならあれくらいの隙でも突っ込んできてくれると思ってたぜ……ん?」
愉快そうだった男が疑問を抱いたのも無理はない。
立ち上がった俺は刀を構え直さなかった。腰にあった鞘を外し、そこに刀を納めたのだ。
右足を前に出しながら身体を捻り、左手でいつでも鯉口を外せるようにして腰で構える。
「ほう……次で決めるって面構えだな」
「お前の顔も見飽きたんだな……次で終わらせる」
「そいつは面白い。やれるもんならやってみな……」
男は一段と狂ったような笑みを浮かべ、腰を落としながら大剣を担ぐようにして構える。奴も次で終わらせるつもりのようだ。
短く息を吐き、次の動作に使う酸素を身体に取り入れる。
――斬る。
心身共に覚悟を決めるのと同時に最大の脚力で地面を踏み抜いた。爆発的な加速を得た身体は、間合いを一気に潰していく。
「お……おおらあぁぁぁぁぁぁッ!」
雄叫びと共に振るわれる大剣。風を巻き込み唸りを上げ、圧迫感を巻き散らしながら俺の上半身を消し飛ばそうと迫ってくる。
俺は大剣の軌道から外れるように地面すれすれまで身体を沈め、その勢いを利用してさらに加速。一瞬にも満たない視線の会合。がら空きになった懐へと飛び込む。
「そう来ると思ってたぜぁぁッ!」
振り抜かれた大剣。それを強引に戻そうにも間に合うはずもない。しかし、男は勝ち誇る笑みで大剣の柄を回すように手首を捻る。
巨大な刀身が外れ、一般的な長剣が姿を現れる。
奴の剛腕で振られれば、その勢いはこちらの動きを超え……
「終わりだぁぁぁぁ……あぁ?」
奴の長剣は俺を捉えた、はずだった。
だがそれは男が見ていた幻。実際の俺は懐に飛び込むのではなく、身体を捻りながら跳躍していた。
先ほど男が言ったように戦闘経験がある者は相手の動きを先読みする。
だからこそ本気の殺気を纏って斬りかかろうとすれば、それは時として幻影となって敵を惑わすのだ。
「な……なんでそこに」
「強くなったのが仇になったな」
鞘から解き放たれる一閃。軌跡を描きながら胸元の結晶を断ち斬る。
またその勢いを利用してさらに身体を回転させ、左手に持つ鞘で男の顎を打ち抜く。
常人ならば首が折れる威力はあるが、屈強なこの男では即死させるのは難しい。
ただ顎の先端を打ち抜けば、その衝撃で首が捻じれ脳が揺れる。どんなに肉体を鍛えても脳を揺さぶられれば、身体から力が抜け膝が笑って倒れる。
「あ……ぁ……」
「――終わりだ」
倒れ行く敵の胸元に狙いを定めながら刀を逆手に持ち替え、左手を柄頭に置いて一気に振り下ろす。
手元に来るのは心臓を貫いた感触。
だが執念のある者は絶命するまで何をするか分からない。半ば強引に刀を首の方へ振り上げ命を狩り取る。その姿は英雄のように誇り高いものではなく、ただ人を斬り殺す鬼に見えたかもしれない。
「キシャアアァァァァァァァァ……ァァァァッ!」
蛇竜の洗脳が解けたのか、自我を取り戻したかのように咆哮が響き渡る。
しかし、狙いは周囲に居る奴隷ではなくシルフィ。全体で見れば掠り傷とはいえ自分に危害を加えた者を許すつもりはないようだ。だがそれは彼女からすれば都合の良い話である。
「岩を割り 山をも砕く天上の積雲 我が求めに応じ 鎮座し大気の龍を呼び起こさん 目覚めし龍は嵐を呼び 我が手に天空をも削る螺旋を招来せん」
紡がれる呪文の先にあるもの。それは風属性魔法の上位《ゲイルボルグ》。
敵を切り刻み、削り、穿つ風刃の乱気流を圧縮した球体状の射撃魔法。堅い甲殻を持つ竜種だろうと時として風穴を開ける威力を持つ。だがその反面、弾速は遅く射程も短い。
それ故に使用出来ても実戦で用いる者は少ない。
だがシルフィは別だ。彼女には上位魔法を使える素質だけでなく、膨大な魔力と風の
左手正面に発生させた《ゲイルボルグ》を撃ち出すのと同時に、右手に持った《ラファーガ》で巻き起こした突風で加速させる。それがシルフィの絶技――
「――穿て閃風! ヴォーパルゲイルッ!」
交わった2つの風は、互いの風を絡め合いながら嵐へと変化し巨大な槍と化す。
超高速の嵐槍が直撃した蛇竜は、後方に吹き飛ばされながら岩のような甲殻を削り取られ、身を切り裂かれる。
無数に乱れる風刃は蛇竜の存在を侵食するかのように突き進み……最後には蛇竜の首から下を全て穿った。
骨や肉、血すらも残ってはいない。
地上に落ちてくるのは悲鳴すらまともに上げられず絶命した蛇竜の首だけだ。
風と共に戦場を優雅に舞い、鮮血を浴びるどころか降らせることなく終止符を打つ。それがシルフィが閃風の麗騎士と称される所以だ。
蛇竜を倒し敵勢力を無力化出来たことを確認したシルフィは、安堵したように息を漏らす。そして、こちらの視線に気が付いたのか……勝利を知らせるように微笑んだ。
「……まったく」
強く、優しく、そして美しい。
強くても冷たくて血塗れな俺とは実に対照的だ。
戦場で見た者の多くが彼女に心奪われるのも無理のない話だな。付き合いの長い俺でもあの笑顔を間近で見せられたらどうなることやら。
まあ……シルフィ団長シルフィ団長ってうるさい奴が居るから手を出すつもりはないが。
返り血塗れの服や流星石の確保、奴隷達の処遇など対応すべきことは多い。
俺は意識を切り替えるように一度大きく息を吐き、刀に付いた血を払うと鞘に納めた。
過去から続いていたひとつの遺恨。
数あるの中のたったひとつかもしれない。だがそれでも、今日で断ち斬れたのならばその分だけ平和に近づく。
この手は血に塗れている。
ただそんな手でも守れる者が居るならば。今を生きる人々をひとりでも多く幸せに出来るならば。
俺はこの手を血で濡らそう。
過去と向き合い続けよう。
それが俺に出来ること。すべきことのひとつあのだから。故に
「……アシュリーと一度ちゃんと話さないとな」
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