第9話 「鬼であれど元英雄」

 血飛沫を上げながら敵がひとり死んだ。

 たったひとり死んだだけ。ここには奴隷も含めれば50人を超える人間が居る。その中のたったひとり死んだだけだ。

 にも関わらず、先ほどまで威勢良く襲い掛かって来ていた傭兵達は一様に動きを止めている。

 優勢だっただけに反撃を予想していなかったのか、それとも俺から漂う怒気に怖気づいたか……

 まあそんなことはどうでもいい。

 俺は刀に付いた血を払いながら敵の親玉に視線を向ける。


「それ……それだよ。今のあんたを待ってたんだ! 英雄、いや剣鬼様の復活だ。これで他の英雄様の死も無駄じゃなく……」

「黙れッ!」


 荒げた言葉に乗った怒りが親玉の言葉を潰す。

 かつての戦場で感じていた五感が研ぎ澄まされていく感覚を覚えながら、俺はゆっくりと親玉の方へと足を進める。

 

「俺のことを愚弄するのは別にいい」


 俺はあの戦争で多くの命を奪った。

 恨みを買った。

 生き残った英雄のひとりでありながら私的な理由で名前を捨てた。

 責任の放棄だ、などと言われても仕方がない。怨恨を抱いた者から報復されるのも当然の立場だ。だが


「世界のために……誰かのために必死に戦ったあいつらの死を侮辱するな」


 あいつらは俺とは違う。

 俺は世界だとか誰かのためよりも自分のために戦った。

 自分が死にたくないから。自分のために誰かが死ぬのが嫌だから。俺の根幹にあった理由はそれだ。

 俺が戦ったことで助けた命はある。だがそれでも結局は自分の理由で戦い、結果助けたに過ぎない。他人よりも自分優先だったのだ。


「お前は人のために戦えるか? 誰かのために死ぬ覚悟があるか?」

「そんなのあるわけないだろ。そういうあんたにもなさそうだがな」

「あぁ……少なくとも過去の俺にはなかった。今の俺にもあるかは分からない。だからこそ……あいつらは俺の憧れであり、そして誇りだ」


 故にあいつらを侮辱したお前を許しはしない。

 明確な殺意を刃に乗せて、その切っ先を親玉へと向ける。宣戦布告と受け取った親玉は一際狂ったような笑みを浮かべた後、再度傭兵達に俺を殺すように剣を空高く掲げた。


「オレとやり合いたいならまずこいつらを乗り越えるんだな! てめぇら、全員で構わねぇ。かつての英雄を首を落として名を上げろ!」

『お……おおおぉぉぉぉおッ!』


 消沈していた傭兵の士気が高まり、目からは恐怖の色が消えた。

 あの親玉に多少なりともカリスマ性があるのか、傭兵達にも戦士としてのプライドや俺への恨みがあるからなのか。

 何にせよ、ここから始まるのは命のやり取り。過去の大戦で行われていたのと同じ殺し合いだ。


「あのときの仲間の借り、今こそ晴らしてやる!」

「邪魔だ」


 剣を受け止めると見せかけ受け流しながら刀を振って敵の首筋を掻き斬る。だがこれで終わりではない。

 糸が切れたように倒れそうになる敵の胸倉を掴み、後方から襲い掛かって来ていた敵に投げつける。

 死体はこちらに向いていた剣に突き刺さり、敵の動きを阻害する。その間に俺は距離を詰め、一振りで敵を首を叩き落とした。

 怒り、憎しみ、悲しみ、恐怖……。

 それらの感情を発しながら傭兵達は、鮮血が舞い散る空間に次々と飛び込んでくる。血で血を洗う戦場。そこに優雅さはない。

 あるのは敵を葬るという意思だけ。放つ技に美はあっても、それは殺すためだけに研ぎ澄まされた冷たいものだ。


「殺す……!」


 傭兵の死に目をくれず、ただ目的を果たすために襲い掛かってきたのは獣人の少女。狙うのは俺の首筋。

 その一閃を受け止め、一瞬出来た時間で身体を捻り回し蹴りを放つ。相手が奴隷の子供だからといって手加減なんてしていられない。

 獣人の少女は、優れた身体能力を活かし、人間ならば腱や筋を壊してもおかしくない動きで攻撃してくるのだ。敵の親玉を除けば、俺が担当している敵勢力で最大の戦力と言える。

 常人ならば首が折れてもおかしくない勢いで蹴りを入れたはずだが、獣人の少女は空中で体勢を整えて着地してみせる。口元から少し切れ血が出ているだけのところを見ると大したダメージにはなっていないようだ。


「邪魔をするな。お前と戦う理由はない」

「……そっちになくてもこっちにはある。戦わなければ……わたしが存在している理由がない!」


 戦うのが存在する理由?

 もしこれが真実ならば、あの男のやっていることは卑劣で下劣だ。

 おそらくあの蛇竜は敵にある程度コントロールされている。そうでなければ、俺達や奴隷だけを襲っている事実に説明が付かない。

 俺達が無力化した奴隷や蛇竜が殺した奴隷。それは全て大人だ。獣人の少女も奴隷としているならば、敵は女や子供も商品としている可能性が高い。

 なら大人の男は労働担当。女は性欲の捌け口、子供は傭兵や暗殺者として育成してから売られている。

 この考えならば、大人の奴隷を蛇竜に殺さないように命じていないことにも、獣人の少女が感情の死んだ目で命令に従っていることにも説明がつく。


「それはお前じゃなくあの男に仕込まれた理由だろ。自分の存在する意味を他人に求めるな。そんなの人形と変わらない」

「自由に生きられるお前に何が分かる! 愛する者が死に、信じていた者に裏切られたわたしの気持ちがお前に分かるのか!」


 分かるわけない。分かるはずがない。

 俺はある日突然この世界に招かれ、戦う日々を余儀なくされた。親しくなった仲間の多くは命を落とし、命が散った理由の中には仲間だと思っていた者の裏切りもある。

 そんな過去が俺にあることを獣人の少女が知らないように、俺も獣人の少女に何があったのか知るはずもない。故に分からない。

 敵の親玉がそうなるように仕組んだ、なんて予想はすることは出来るが結局は予想でしかない。何より俺の言葉は現状敵の親玉のものよりこの少女の胸には響かない。

 俺に出来ること。それは今日という日を境に奴隷という鎖から解き放ってやることだけだ。


「そんなものに興味はない。この世の中、大なり小なり誰しも不幸を背負って生きている。結果だけ言えば、お前は不幸を受け止めきれずに自暴自棄になっているだけだ。生きることに必死になっていないお前には同情の価値さえない」

「黙れ! 平和に暮らしてるお前の同情なんか……何も知らないくせに偉そうなことを言うな!」


 何も知らない?

 確かにそうだ。知らないことなんてたくさんある。

 だが……確実に俺の方が知っていることがある。あの地獄を生き抜いた俺だからこそ知っていることが。


「ならひとつ教えてやる……本当の殺し合いってやつをな」

「――っ!?」


 明確な殺気をぶつけた瞬間、少女の顔が強張った。

 これまで少女は優れた身体能力を活かし、危機感を覚えることなく人を殺してきたのだろう。

 ただ世の中には自分よりも強い者が、身体能力で上回っていても倒せない者が居る。

 人間は弱い。鋭い牙も爪もなければ、不老長寿と言われるほど寿命も長くない。他種族から見れば弱者だ。

 だが弱者であるが故に考え、経験し、自分を磨き上げる。

 俺が魔竜戦役で必死に考え培った経験と技術。その中には魔人や魔物だけでなく、他種族との戦闘から磨かれたものもある。

 何故なら魔竜戦役は地獄。

 人間と共に戦った種族も居れば、何者かの手によって洗脳され武器として使われた種族も居る。血で血を洗い、仲間だった者さえも斬り捨て、あらゆる屍を乗り越え前に進む。その果てに魔竜討伐の日が訪れたのだ。


「お前は現実を知れ」


 何より自分と向き合い、過去ではなく今を向いて生きろ。

 一太刀、また一太刀……と、俺の剣は確実に獣人の少女を追い込んでいく。感情が乏しかった顔にも焦りが浮かび、それは次第に恐怖へと変わっていった。

 それでも逃げ出さず俺を殺そうと剣を振り上げたのは錯乱しての行動か、はたまた獣の本能なのか。

 その真偽は分からない。

 これまでと比べれば明らかに大振り。そんな隙を見せれば、敵対する俺は容赦なくそこを攻める。

 一切の躊躇なく放った一閃は、少女の腹部に直撃。少女は何度も地面を跳ね……そして動かなくなった。


「う……うああぁぁぁぁっぁ!」


 ひとりの傭兵が取り乱した様子で襲い掛かってくると、残っていた傭兵達も何かに取り憑かれたように動き始めた。

 投降すればいいものを……。

 まるで死を求めるような傭兵達を、俺は容赦なく斬った。ただただ斬り捨てた。

 おそらく謎の男と関わりがあるのは親玉だけ。正直現状ではあちらの方が上手だ。下手に捕縛しておくと、ヨルクの時のように生体実験に利用されるかもしれない。ならここで死んでいた方が……

 そう心のどこかで考えてしまう俺は、やはり自分勝手で全ての者を救おうなんて危害のない英雄の紛い物なのだろう。


「ありゃりゃ……まさか全員やられちまうとは。まあでもオレとしては嬉しい限りだが。もっと取り分を増やせとか言って面倒臭かったし……何よりあんたが奴隷を。しかも子供を容赦なく斬ってくれたんだからな」

「…………」

「今更だけど教えてやるよ。あのガキ、人間と獣人のハーフなんだぜ。獣人の母親も美人でな……ただ成人してる獣人ってのは凶暴だろ? だから父親とまとめて処分したってわけだ。あのガキを引き取るはずだった親戚にもあることないこと言って……驚かねぇんだな?」

「お前みたいなクズは散々見てきてるからな」

「それもそうか。オレより下種な輩はたくさんいたしな……でもよ、あのガキを含め子供兵を作るのって大変なんだぜ。それにあのガキは育てば良い性奴隷にもなってたろうしよ……その分の代金、あんたの死をもって払ってもらわねぇとな」


 男の顔が狂人じみた戦士のものへ変わる。

 片腕しかないとはいえ、身の丈ほどある大剣を使って地面を砕ける相手だ。一撃でもまともにもらえば木っ端微塵だろう。

 ただ逃げるわけにはいかない。

 奴はあいつらを侮辱しただけでなく、他人を不幸にする存在だ。

 何より……奴を今のようにしてしまったのは、俺が過去に仕留め損なったから。言動から考えるに俺への執着は強い。ここで逃せば、俺だけでなく周囲も巻き込まれかねない。

 だからこそ、確実に仕留める。

 過去から続いている負の鎖のひとつを今日という日を境に断ち切る。

 それが俺の……過去に英雄として戦った者の責務だ。



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