第8話 「抱く恐怖」

 ルーくんとシルフィ団長。ふたりの実力は知っている。

 魔人や魔物といった最近の事件で戦うルーくんは何度も見た。冷たくて残酷なまでに美しいルーくんの剣に恐怖を覚えた。今でもあの剣が自分に向いたら……そう考えるだけで冷や汗が出そうになる。

 そんなルーくんとシルフィ団長は対照的だ。

 シルフィ団長の剣は、人を守るために磨かれた騎士の誇りのような剣。風のように優雅に舞いながらも嵐のように力強い。ひとつひとつが厳しいけど、そこには相手を思いやる優しさが宿ってる。

 敵対している場合には違うのかもしれないけど、あたしの目にはふたりの剣は対照的に見える。

 でもそれ以上に確かなのは、ふたりが国の中でも屈指の実力者ということ。


「……う……そ」


 分かっていた。分かっているはずだった。

 なのに気が付けば、今目の前で繰り広げられている光景に思わず声が漏れていた。

 敵の数は50を超えている。

 その大半が訓練をろくに積んでいない奴隷だが、数の暴力という言葉がある。一度に襲い掛かってくれば圧力だって相当なものだ。

 しかし、ルーくんとシルフィ団長はたったふたりで人の波を押し留めている。

 捌ききれなかったらユウと一緒にどうにかしてくれ。後ろにいる


「ハァハァ……流星石ちゃん、ちょっと熱いけど我慢してね。すぐに気持ちよくなるから。大丈夫、だいじょうぶだから……ヴィルベルさんに全て任せて。優しくするから」


 この変態エルフを守ってくれ、と言った。

 でも何から守るのか。こちらに襲い掛かってくる奴隷はひとりもいない。流れるような動きで繰り出される峰打ちと、風や鞘による殴打によって奴隷達が次々と無力化されている。

 たとえ敵だとしても斬り合いなんてしたくない。人を傷つけたくない。

 それはあたしの本心だ。いつもなら剣を振るわなくて良いことに安堵していたはず。だけど……だけど今は


「何で……こんなに悔しいの」


 ふたりは強い。

 そんなのは分かってる。分かってるけど……

 ルーくんの動きが今まで見てきたものより格段に良い。それが分かるから……いかに自分が彼の負担になっていたのか。足手まといだったのか痛感する。

 魔竜戦役を戦い抜いた英雄と共に駆けた騎士。

 ふたりはあたしの遥か先を歩いてる。手の届かない高みに居る。今のあたしじゃどうやっても並んで歩けない。背中を預けては戦えない。戦ってもらえない。それがとてもくやしい……


「英雄の方は分かっていたことですが、あの女の方もかなりの使い手のようです。このままでは……」

「すぐにでもオレらのところに来ちまうだろうな。あの容姿にあの戦い方……この国でも名高い《閃風の麗騎士レイシルフィード》様だろう。英雄がもうひとり居るようなもんだ。数頼りの奴隷じゃ勝ち目はねぇ」

「どうします?」

「そうだな……ここで負けちまったら奴隷もクソもねぇ。あいつからもらったアレを投入しろ。使ってみないことには今後商売していく上で困るからな」


 ルーくんとシルフィ団長は次々と奴隷を無力化していく。

 戦うしかない奴隷達も50人を超える仲間があっという間に過半数以上倒されると、前に進むことに恐怖を覚え始めたのか動きが鈍り始める。

 ルーくん達は一瞬だけ視線を合わせ、ほぼ同時に敵陣に向かって加速する。この好機に全ての奴隷を倒すつもりのようだ。

 直後――。

 耳を貫くような咆哮が響き渡り大気が揺れた。

 状況が呑み込めない奴隷達を薙ぎ払うようにして姿を現したのは、竜のような頭と巨大な両腕を持った蛇の化け物。全長6メートルはありそうな身体は岩のような鱗に覆われ、這った場所は地面が削れている。

 あたしは竜について詳しくはない。

 それでも目の前に現れたのはただの竜じゃないのは分かる。こいつは……竜の姿をした魔物だ。


「な……なんだこいつは!?」

「あ…………あああぁぁぁ来るなあぁぁぁぁぁッ!」

「や、やめてくれ! 俺達は敵じゃ……!」


 悲鳴が上がり、血飛沫と肉片が舞う。

 蛇竜は無差別染みた行動に思わず目を背けそうになる。こんなのは戦いでもなければ捕食でもない……虐殺だ。


「――っ!?」


 蛇竜と一瞬目が合った。

 合ったような気がしただけかもしれない。でもそれだけで心が圧し潰されそうになる。

 魔人や魔物。同期の騎士と比べれば、遥かに異形の存在を見てきた。自分の何倍も大きくても、目を背けたくなる見た目をしていても多少は動ける気がしていた。

 無理……あんなのに勝てるはずない。

 蛇竜の前じゃ人間なんてエサ以下の存在。敵は絶対強者。人間なんて……ううん、いつも強気で人間よりも優れた身体能力を持つ獣人のユウだって怯えてる。

 混乱する戦場。

 かつて見た光景がチラつく。あんな思いをもうしたくないから。あんなことが起きた時、ひとりでも多くの命を助けたいから。だから騎士になったはずなのに。

 ただ見ていることしか出来ない自分に腹が立つ。

 でも怯えている自分は遠くに居ることに安心してて……そんな自分を自覚しながら結局何もできない自分に余計に腹が立った。だけど何もできない。前に踏み出せない。あたしは無力だ。


「シルフィ」

「はい、あの魔物は私がやります。ルーク殿は敵の本陣を」

「ああ。死ぬなよ……なんてのは余計なお世話か。お前があれくらいの爬虫類にやられるはずもないしな」

「余計なのは後半部分です。信頼してくれるのは嬉しいですが、少しは心配もしてください。じゃないと……異性にモテませんよ」

「そういう説教はあとにしてくれ」

「まったく……あちらは任せましたよ!」


 シルフィ団長は真っ直ぐ蛇竜へと駆けていく。その顔には、躊躇もなければ怯えもない。

 ルーくんもシルフィ団長を心配する素振りは見せず、手にしている刀を半回転させ傭兵達へと突き進む……だが


「行かせない……!」

「ち……」


 ふもとで襲撃してきた銀髪の獣人がルーくんに襲い掛かる。

 銀髪の獣人は、体格は子供でも優れた身体能力を持っている。それを活かした軽やかな動きは変則的で先が読みにくく、繰り出される斬撃も力任せではあるが鋭い。


「英雄様、俺達の相手もしてもらうぜ!」

「てめぇに殺された仲間の恨み、今日晴らしてやる!」

「死ねぇぇェェッ!」


 数人の傭兵もルーくんへを襲い掛かる。

 その連続攻撃は奴隷とは違って鋭く隙が無い。それなりの腕があるのは遠目に見ても明らかだ。

 とはいえ、ルーくんも歴戦の戦士。常に一手先を読んでいるかのようにかわし、受け流しながら捌ききる。

 だが反撃に転じるタイミングで銀髪の獣人が追撃を行い、さすがのルーくんも防戦を余儀なくされている。


「シルフィ団長は……!?」


 華麗な動きで蛇竜の攻撃を回避しながら要所要所で斬撃を入れている。しかし、蛇竜の堅い甲殻に阻まれ表面を削るほどの成果しか上がっていない。

 それでも注意を自分に引いて周囲の人間から蛇竜を遠ざけるように立ち回っているあたり、さすがはシルフィ団長と言うべきだろう。

 でも……すぐにはルーくんの応援には行けそうにない。このままじゃ……


「……ユウ、ここをお願い」

「わぅ? お前急に何言ってんだ……まさかお前、あっちに行くつもりじゃないだろうな!? そんなことしたら死んじまうぞ!」

「だけどあたし達がどうにかしないと……!」

「気持ちは分かるが落ち着けって!」


 あたしが飛び出したりしないようにユウが腰にしがみついてくる。いくら子供とはいえ、獣人に全力で引き留められるとそう簡単には抜け出せそうにない。


「放して! このままじゃ危ないってユウも分かってるでしょ!」

「分かってるよ! だけどオレ達が行っても足手まといなるのは目に見えるじゃねか。奴隷とかコソ泥が相手じゃねぇんだぞ!」

「でも……!」

「あいつらが立ってんのは本当の戦場なんだよ、殺し合いをしてんだよ!」


 その言葉に焦りは増す。けど一方で身体から力が抜けていくのも感じた。

 これまでに命を奪ったことはある。肉や骨を感触……今思い出しても気持ち悪い。罪悪感で潰れそうになる。

 だけど……あたしが奪った命はもうどうしようもなかったり、話し合うことも出来ない相手だった。

 今ここから踏み出すということは、自分と変わらない人間に剣を振るうこと。もしかすると互いに剣を鞘に納められる可能性がある人物を殺すかもしれないということ。それを考えるとあたしは……


「でも……だけど……このままじゃ」

「後ろに居る変態を頼まれただろ! それに……お前のことはあんま好きじゃねぇけど、目の前で死なれたりしたら目覚めが悪いんだよ。頼むから大人しくしてくれ!」


 ユウに対していつもガキだと言ったりしているのに、こういうときはどっちが年上なのか分からなくなる。

 と思った直後、ユウの身体が震えているのに気が付いた。

 戦場に居る恐怖。蛇竜に襲われるかもしれない恐怖。見知った顔が死ぬかもしれない恐怖。

 それらに怯えているのはあたしだけじゃない。ユウだって怖いのだ。それを必死に隠して自分に出来ること、自分がすべきことを考えている。なら今あたしがすべきことは……


「ごめんユウ……そうだよね。後ろにいる変態を守るのが今やるべきことだよね。もう大丈夫だから……飛び出したりしないから。あたしが原因でユウが死んだりしたらあたしも目覚めが悪くなっちゃうし」

「お、おう……って、別に勘違いすんなよ!? お、お前のことを心配してるとかじゃねぇかんな。ルークやシルフィにも迷惑を掛けるから言っただけで……!」

「はいはい」


 分かってますよ、と頭を撫でるとユウの顔がさらに赤く染まった。

 こういう姿をあたしに対して見せてくれたことはないだけに嬉しさが込み上げてくる。普段から今みたいな反応をしてくれるなら妹分みたいで可愛げがあるんだけど……。

 直後。

 地面が砕ける音に意識が前方に戻る。どうやら蛇竜が尾を振り下ろしたようだ。シルフィ団長の身が心配になるが、落ち着いた様子で立ち回り続けている。

 一方ルーくんというと……連続で振りかかる凶器を捌ききったが、そのあとの獣人による追撃を回避すべく後方に大きく飛び退いた。


「英雄様よ……あんた昔より弱くなってねぇか?」

「……だったらどうした?」

「オレは悲しいぜ。オレはあんたに片腕を斬られた。鬼のようなあんたを見て怖かった。あのときは人生で1番恐怖を感じた。あのときほど必死に逃げたことは今振り返ってもあのときだけ」

「…………」

「でも……一方であんたには憧れも抱いてたんだ。冷徹に人を斬り、罪悪感を覚えて葛藤しても一瞬で人を斬る鬼へと戻るあんたに。なのによ……」


 敵の頭は嘆くように空を仰いだかと思うと、背中にあった大剣に手を伸ばし勢い良く地面に叩きつける。


「何でそんなに腑抜けちまったんだッ! 奴隷どもにも峰打ちだったしよ。昔のあんたは、敵対する者は女だろうと子供だろうと全員斬り捨ててたじゃねぇか!」

「あぁそうだな……だが戦争は終わったんだ」

「戦争が終わった? そんなのはあんたら勝ち組だけだ! あれからオレらみたいな奴らは行き場をなくし、どれだけの命が死んだと思う。戦争が終わったからってあんたの罪が消えやしねぇ!」

「…………」

「大体あんた戦争が終わった時に英雄としての名前を捨てたそうじゃねぇか。それは希望や罪といった背負うべきものを投げ捨てたってことだろ? あんたは英雄からただの人殺しに成り下がったわけだ」


 何を言っているのかはっきりとは聞き取れないけど、雰囲気からしてルーくんを罵倒しているのは分かる。


「死んでいった英雄様方も可哀想なもんだ。命を懸けて世界を守ったってのによ。その想いを引き継いでくれるはずの仲間がそれを裏切り、挙句の果てには女をはべらせて仲良しこよし」

「…………」

「世界が平和になったからってのもあるかもしれないが、今のあんたを見たら死んでいったお仲間は何て思うのかねぇ? 自分はこんなことのために死んだわけじゃないとか、そんな風に俺も行きたかったとか。まあこんな仮定の話は意味もねぇけど……今のあんたを見てるとあの連中の死は無駄だったのかもな」

「……れ」

「落ちぶれたあんたじゃ……英雄という肩書きも鬼のような冷徹さも捨てたあんたじゃ、今後絶対に守れないものが出てくる。大切なものを失う日が出てくる。ま、今日あんたの命ごとここにいる連中全て消すんだけどな! てめぇら、遠慮はいらねぇ。英雄様をやっちまえ!」


 頭の言葉に賛同するかのようにルーくんを囲んでいる傭兵達は雄叫びを上げる。彼らも何かしらルーくんに対して恨みがある人達なのかもしれない。

 過去の自分が犯したことに何か思うところがあるのか、ルーくんは刀を構えようとせず立ち尽くしている。もしかして死ぬつもりじゃ……


「ルー……!」

「死ぃぃぃぃぃねぇぇぇぇッ!」


 頭から真っ二つにするような勢いで剣が振り下ろされた。

 ――空を駆ける一閃の煌き。

 それを微かに視認出来たのは、その軌道を追うように血飛沫が舞ったから。予備動作を含めほとんどを動きは見えなかった。

 剣を持っていた両腕は、自身の振り下ろした勢いもあって宙を舞って地面に落ちる。一瞬の静寂の後、その両腕の持ち主である傭兵も事態を理解した。


「ぇ――あぁ……うあああぁぁ――ぁッ!?」


 悲鳴を潰すかのように喉を突き刺した刀。

 その刀の持ち主は、涙ながらに助けを乞おうとする傭兵に一切の躊躇なく刀の向きを変え首元を斬り裂いた。鮮血が噴き出し……辺りを赤く染める。


「ルー……く……ん?」


 戦いの中で見る彼からは冷たい雰囲気が出る。

 それはこれまでの戦いで何度も体験してきた。だけど今の彼をあたしは知らない。

 離れていても肌を射すような殺気。敵に向ける眼差しには一切の温かみもなく、漂う雰囲気はこれまでより格段に冷たく鋭い。

 返り血に染まった今の彼は……あたしの目には、蛇竜よりも恐ろしい人の形をした鬼に見えた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る