第11話 「煌く剣閃」

 振り下ろされる剣尾。水面が弾け水しぶきが上がる。

 身長よりも高く上がったそれは、黒獣の一撃の重さを明確に現している。

 一撃必殺。黒獣の攻撃はまさにそれだ。傍には川が流れ、足場は砂利。体勢を崩す要因が多いだけに、相対している身からすれば肝が冷える。

 だが、案ずるのは自分の身だけ。全神経を目の前の化け物に注げる。

 その精神的安心感は十分な効果をもたらしている。足場が悪くても体勢を崩すことはない。身体のキレて敵の動きも見える。やってやれないことはない。


「グガァッ!」

「シ……!」


 振り上げる角を紙一重で避け、前足を斬り払う。

 幾重にも重なっている黒毛は斬撃の威力を軽減するが、水に濡れると多少硬度が下がるのか昨日よりも刃が通りやすく感じる。

 しかし、それでも斬れているのは表面に近い部分だけ。機動力を奪えるほど深手を与えられているわけではない。

 それに獣というものは手負いの方が危険だ。

 こちらが傷を与えれば与えるほど、黒獣は殺意を高める。そうなれば多少危険があろうと踏み込んでくるようになるはずだ。まともに1回当たれば終わりかねないだけに一瞬たりとも気は抜けない。


「グルルル……」


 こちらの出方を観察するように黒獣は川辺から砂利へと移動する。

 俺もそれに合わせ立ち位置を変え、刀の切っ先に黒獣が来るように構えを取る。

 その際、出来るだけ川には近寄らない。

 川に入ってしまえば、多少なりとも水の抵抗を受けてしまう。そうなれば俊敏性が落ち、回避が間に合わない可能性も上がってしまうからだ。

 砂利でも滑ってしまう可能性はあるが、そこは気を付けておけば済む話だ。仮に滑ったとしても、水に視界を邪魔されることがないだけに対応もしやすい。


「さて……」


 どう攻め崩す……。

 視界の半分は奪っている状態だが、嗅覚や聴覚は人間より上。そのへんで補っているからか、ここまでの動きを見ても隻眼によるデメリットはほぼないに等しい。

 多少脆くなっているとはいえ、全身は体毛に覆われている。故に急所を狙うのは厳しいだろう。

 口の中に刀を入れて内部から斬り裂くのも手ではあるが、逆にあの強靭な牙に刀を折られてもおかしくはない。

 ならまずは傷口のある前足を狙うべきか。

 黒獣は四足歩行。巨体なだけに1本に掛かる負荷は相当なはず。それがひとつでも欠ければ機動性は格段に落ちるはずだ。その後は少しずつ体毛を剥ぎ取り深手を与えればいい。

 こちらの方針が固まるのと同時に黒獣は地面を蹴った。

 前足を大きく振り上げて地面に叩きつけるように振るう。大振りだっただけに当たりはしなかったが、その衝撃で跳ねた砂利はまるで散弾。視界を奪われるようなことにはならなかったが、わずかに頬が切れたようだ。避ける際に下手に距離を取るのも危険らしい。


「なら……!」


 今度はこちらから踏み込む。

 それに一瞬遅れて黒獣が反応し、邪魔者を振り払うかのように前足を振るう。

 が、そのときにはこちらも動き出している。寸前のところでかわし、先ほど傷つけた場所へ刀を撃ち込む。

 肉を斬る感触。漏れる悲鳴。

 前足を切断するには至らなかったが、手応えと出血の量から見ても全体の半分近くは斬り裂いただろう。庇うような立ち方に変わったのが良い証拠だ。あと一太刀撃ち込めれば完全に切断できるはず。


「グルルガァァッ!」


 黒獣は身体を捻って剣尾を鞭のように振るう。

 普段の長さよりも伸びてくるため読みを間違えば致命的である。また尾の先端にある刃は、受け方を間違って衝撃を逃がせなければ刀が折られる。

 あちらとしては足を庇っての行動なのだろうが、こちらとしては最も警戒しなければならない攻撃。完全回避が基本となる。かといって安全な位置まで下がると防戦一方になるだけ。

 つまり尻尾を掻い潜るしか勝機は見い出させない。

 目の前に地面を砕く威力のある剣尾が連続で迫る。この中を進むのは非常に危険だ。だが勝利を掴むために踏み出すしかない。


「おぉぉぉッ……!」


 自分を鼓舞するかのように気合を発しながら前に進む。

 剣尾は眼前の空間を縦横無尽に駆け巡り、その場にあるものを全て薙ぎ払う。

 それを皮一枚のところで避けているだけに肌に感じる風は咆哮にも等しい唸りを上げている。掠っただけでも……、と思うだけで肝が冷える。

 また弾けた砂利は全て避けれるわけではないため、否が応でも身を削られる。はたから見れば、結構ズタボロになっているかもしれない。最近のユウは家事全般を行うようになっているだけに帰ったら小言を言われそうだ。

 しかし、死線に自ら踏み込んだ価値はあった。

 剣尾を抜けた先にあるのは、がら空きの上半身。片目は潰れているだけに完全にはこちらの位置を把握は出来ないだろう。片足も傷を負って機動力は落ちている。

 この一撃で傷のある足は刈り取れる。

 その確信を持って刀を振る。まさにその時――


「――っ!?」


 背後に迫る何かを感じた俺は、反射的に身を翻して刀を振るった。

 視界に映ったのは、退魔の刃によって斬り裂かれた火球。爆ぜるようにして消えたそれを撃ち出したのは、少し先の段差の上に居る黒衣の男。魔人化している部位は見られない。おそらく先ほどの攻撃は、下級魔法の1種である《ファイアボール》だろう。


「まさか……」


 これまでの魔人に関連する一件で黒衣の男が目撃されている。

 組織だって動いていることも考えられるだけに、目の前に居る男がヨルクやハクアに接触した人物かは定かではない。ただ黒獣を守るようなタイミングで現れたことからしても、一連の事態に無関係ということはないはずだ。


「グガアッ!」

「しまっ……!?」


 思い切り地面を蹴って飛び込むようにして回避するが、間に合わず背中に硬いものが触れた。

 背中から腰に掛けて削られた感覚を覚えた次の瞬間、焼けるような痛みが全身へと広がる。

 過去の経験からして傷口はそれほど深くはない。だが治療しなければ血は止まらないだろう。戦闘が長引けば意識が遠のく可能性は高い。


「今のでも仕留められないとはなかなか……おや? あぁ~なるほどなるほど」

「……お前、何者だ?」

「答えるとお思いですか?」


 模範的な返しだ。

 ただ神経を逆撫でするような言葉運びは気になるが、会話に応じるあたり情報を得られるチャンスはある。黒獣の警戒もしなければならないだけに綱渡りをするようなものだが、今後を考えればやる価値はあるはずだ。


「ここ最近の魔人といい、この魔物といい……お前の仕業か?」

「だから答えるとお思いですか? と言いたいところですが、あなたには感謝しなければならないこともあります。ですので少しだけ答えて差し上げましょう」

「感謝? 何かに協力した覚えはないんだが」

「まあそちらとしてはそうでしょう。ですが、あなたは我々が開発を進めている魔人や魔獣と戦い、また本日は我々が生み出した魔物と戦っていらっしゃる」


 生み出した……人工的に魔物を作ったっていうことか。

 魔物が発生する条件のようなものはある程度分かっている。魔法や魔石を使えば、その条件を生み出すことも不可能ではない。

 しかし、ただ魔物を生み出すだけでは意味がない。

 魔物を兵器として利用し売るつもりならば、ある程度コントロールする術が必要になるだろう。黒獣が俺だけに注意を注いでいることからして、完成しているかは分からないがある程度その術は出来ている可能性が高い。


「魔物を作り出す? まるで軍事利用でも考えているような発言だな。武力組織にでも売るつもりか?」

「いえいえ、我々の目的は世界の救済ですので。まあその過程でそのようなことなる可能性はありますが。しかし、まだまだ試験段階なだけに試行錯誤の連続でしてね」

「そいつは何よりだ。出来ればずっと試行錯誤して挫折してもらいたいものだ」

「その可能性もまた否定はできませんな。ですが、喜ばしいことに我々は今後も先へと進むでしょう。あなた様……魔竜戦役を生き抜いた英雄に我々の兵器がどの程度通用するのか。先日も今日もそれを知れたのですから。実に……実に感謝すべきことです」


 癪に障る言い方だ。

 ただその裏には黒獣への警戒を緩める目的があるのだろう。意識を全て向ければ黒獣に襲われるだけに気を抜くわけにはいかない。

 にしても……世界の救済?

 やっていることはむしろ世界を混沌に叩き落そうとしているようなもの。故に鵜呑みにして考えるのも間違いのようにも思える。

 だがこれだけは言える。俺は奴の声に聞き覚えはない。おそらく俺と奴との間には直接的な関係はないはずだ。

 なのに俺の過去を知っている。俺の過去を知っているのは、現女王や騎士団長などの魔竜戦役を共に戦い抜いた者くらいだ。

 にも関わらず俺の過去を知っているとなるとそれだけの情報網があるのか。はたまた魔竜戦役を生き抜いた者の中に……奴らの組織に所属している者が居るかだ。


「少しって言った割にはずいぶんと教えてくれるんだな」

「いえいえ、今言ったようなことはこれまでの出来事から粗方推測されていること。騎士団の方々も日夜我々のことを調べているようですからね。なのでお気遣いなく、今日のこともご報告くださって結構ですよ。まあ……ここから生きて帰れればの話ですが!」


 黒衣の男は、両手に火球を生み出すと次々と撃ち出してくる。

 回避しながら観察する限り、威力や生成速度は並みのそれではない。黒衣の男は魔法師としてかなりの腕前だ。おそらく中級以上の魔法も使えるだろう。

 初級魔法は魔力を直接変化させて用いることがほとんど。そのため無詠唱でも使用することが出来る。

 だが中級以上の魔法は、詠唱による魔法陣生成が必要だ。魔法陣はそれがどのような魔法かというプロセスが記されている。云わば魔力を変化させる設計図。そこに魔力を流し込むことで様々変化が起こり、炎であれば渦を巻いたり、爆発を起こしたりする。

 故に中級以上の魔法は発動までに時間が掛かる。

 使用する素振りがないのは、俺との俊敏性の違いから悪手だと思っているのか。それとも黒獣にも被害が及ぶのを避けるためか。何にせよ活路を見い出す時間があるだけにありがたい限りだ。


「傷を負っていてもその動き。さすがは英雄殿。ですが……私も暇ではありませんので、いい加減死んでいただきたい!」

「グルルアァッ!」


 黒衣の男に呼応するかのように黒獣も襲い掛かってくる。

 鋭利な凶器と火球の嵐。

 どちらかひとつでもまとも受ければ、次の瞬間には絶命する。全神経を研ぎ澄まし、紙一重のところで回避または迎撃する。

 今のところは上手く生き延びられているが、激しく動けば動くほど背中からの出血も増える。出血が増えれば必然的に意識が遠のいてくるだけにこのままではジリ貧だ。どうする……


「やりますねぇ! ですが……これならどうです!」


 小ぶりな火球が無数に飛来する。

 威力は先ほどまでより落ちているだろうが、速射性が上がっている。1発直撃したところで致命傷にはならないだろうが、一瞬でも動きが止まれば黒獣の一撃をもらいかねない。

 絶え間なく地面を滑るように動き回り火球を避ける。

 だがそれも徐々に難しくなり、眼前に迫った火球をついに一刀両断。そのわずかな停止を黒獣は見逃さず、振り返った時には大きく口を開いていた。このタイミングでは身体の一部は持って行かれる……


「させぬッ……!」


 突風と共に剣閃が煌く。その速さはまさに神速。

 故に刹那と呼べそうな時間ではあるが時が止まり、黒獣の前足が力なく倒れたことで現実へと戻る。前足を切断された黒獣は、悲鳴を上げながら川の方へと倒れ込み水しぶきをあげる。

 雨のような水滴が落ちる中、静かにこちらに視線を向けてきたのは紫がかった黒髪の剣士。アシュリー達と山を下りたはずの……魔物を斬れないはずのオウカだ。

 今のオウカの瞳には恐怖も迷いもない。刃に付いた血を払い、抜き身の刀を握り直す。

 彼女の中にあったものは、昨日の今日で克服できるような生易しいものではないはず。いったい彼女に何があったのか。それは俺には分からない。

 ただはっきりと分かるのは、今目の前に居るのは見かけ倒しのポンコツ侍ではない。その佇まいに恥じない歴戦の武人そのもの。心強い援軍だ。


魔剣鍛冶グラムスミス殿、助太刀致す」



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