閑話 「心の刃にて過去の絶望を断つ」

 魔剣鍛冶グラムスミス殿と別れた後、某達は山を下りていた。

 その足取りは極めて緩やか。昨日負傷したハクア殿の身体に負荷を掛けないという理由もあるが、魔剣鍛冶殿のことが気になるのが最大の理由だろう。

 本当にこれで良かったのだろうか……。

 山を下りることに納得している自分は居る。今の某では魔物相手ではまとも刀が振れぬであろうし、そんな人間が傍に居ては足を引っ張るだけ。それでは某だけでなく魔剣鍛冶殿にも危険が及んでしまう。それは避けるべきなのだ。

 扱いが雑だったり、冷たい態度を取られることも多々あったが……魔剣鍛冶殿の心根は優しい。

 これまでのことを思い返してみても、騒いだりしなければ小言や説教をされた覚えはない。それどころか、我が侭を言っても時間を作って応えてくれていた。

 それに戦いにおいても常に周りのことを気遣っている。太刀筋や身体にあった生傷を見る限り、戦闘経験は相当なもの。故に時として冷徹な判断を下すことはあるのだろう。だが基本的に誰も死なせないと考えている御仁のはずだ。


「……これで良いのか?」


 気づいた時には口から漏れていた。

 近くに居るアシュリー達への問いではない。某自身に対する問いかけだ。

 視線は布が巻かれている右手に向いている。この布は魔剣鍛冶殿の服の切れ端。某が昨夜感情を爆発させ、無意識の内に自傷してしまった際に魔剣鍛冶殿が巻いてくれたもの。

 これを見ているだけで某の心の内には、何とも言い難い温かい感情が湧いてくる。

 それが何なのかおおよその見当はついているが、このような感情を抱いた相手は魔剣鍛冶殿が初めて。20年以上生きてきて、今回が初めてだと他人に知られれば笑われてしまうかもしれない。

 だが某は武人。刀だけを振ってきた女子おなごだ。

 女子として最低限の気は遣いはするが、自分の身なりに関しては同年代よりも無頓着。村の習わしでいつかは殿方を連れて帰る、という考えは常に頭の隅にありはした。でもこれまでこの方となら……、と思えた相手には出会えていなかったのだ。

 魔剣鍛冶殿が強い方だということは分かっている。

 しかし、命のやり取りに絶対などありはしない。彼が死んでしまう可能性はある。

 オウカよ、お前は本当にこのまま山を下りるつもりなのか?

 もしも下りて万が一なことがあった時、お前は後悔しないのか?

 たとえ万が一のことが起きるとしても。たとえ足手まといにしかならないとしても。惹かれている殿方の最後を看取れないのは……

 かつてないほど某の脳裏には疑問の渦が巻く。

 このままでは収拾がつかない間に山から下りてしまってもおかしくない。だが何を選ぶのが正しい。その答えが出せない時、不意に前を歩いていたアシュリー殿の足が止まった。


「あたし……やっぱりルーくんのところに戻る」

「アシュリー殿……」

「いやいや、ここまで来て何言ってるのぉ先輩。理由は?」

「だってルーくんのことが心配だもん」


 そうきっぱりと言い切ったアシュリー殿に対しハクア殿は露骨にげんなりした顔を浮かべる。普段表情が乏しいだけにこういうときの変化は実に分かりやすい。


「心配って……まあ気持ちは分かるけどぉ。でもね先輩、先輩が行ったところで戦力になるとは思えない……というか、むしろ足手まとい。邪魔になるだけだと思うよぉ」

「……ハクア、あんたはよくもまあ先輩に対してすらすらとそういう言えるね」

「そりゃあ先輩より強いし」

「ぐ……」

「それに誰かを気に掛けながら戦うのって神経使うんだよねぇ」

「うぐ……分かってるよ」

「本当に分かってるのぉ? どうでもいい相手ならともかく、お兄さんが先輩のこと無視して戦うとも思えないし。先輩には背中を預けられる実力はないわけで……逆にお兄さんを困らせるだけだと思うけどなぁ」


 ハクア殿の声色に責めるような音はなかった。やる気なさげな間延びしたいつもと変わらない声。

 しかし、アシュリー殿からすれば逆に淡々と現実を突きつけられたに等しい。故に唇を噛み締めている。某やハクア殿以上に自身の力不足は感じていることなのだろう。


「そんなの……言われなくても分かってる」

「ふ~ん、それでも行こうとするんだ。お兄さんが心配だから? でもそれって見方を変えれば、先輩がお兄さんのこと信用してないってことだよねぇ」

「――っ、そんなことない! 信用もしてるし信頼もしてる。あたしなんかが心配するのもおこがましいくらい強いのも知ってるよ! でも……」


 感情的に言い切るアシュリー殿の姿は、まるで親に我が侭を言う子供のように見える。だがそれは悪いことなのだろうか。

 たとえ相手のことを信用していようとも。自身より腕が立つと分かっていようとも。自分に近しい者が危険な目に遭っていれば、心配するのは当然のこと。それを素直に言えるのは、この時代においてはある意味美徳ではないのか。

 某は大人だ。アシュリー殿よりも自分を律する術を知っている。

 某は幼い頃から刀を振ってきた。刀は時として美術品のように扱われるが、本質は命を奪うための凶器。故に……

 力を持つ者には相応の責任と義務がある。むやみに人を傷つけるような行為をしてはならない。

 そう両親から厳しく教えられた。その教えがあったからこそ、某は自身の武を売って命を狩るような仕事には手を出してこなかった。義を重んじる生き方をしたいと歩んできた。

 しかし、そういう生き方をしても心は大人になっていく。素直に自分の感情を吐き出せなくなる。もしも某がアシュリー殿のような心を持っていたならば、今胸の内にある疑問に迷うこともなかったのだろうか。


「ルーくんはあたしにとって……特別な人なの。好きとかそういう意味じゃないけど。いつも無愛想だし、あたしの扱い雑だし、口を開けば酷いことばっかり言ってくるから絶対結婚なんかしたいとは思わないけど」


 某もハクア殿も特別という言葉に対して茶々は入れていないのだから、そこまで言わなくても良いのではなかろうか。

 まあ……個人的には少し安心していたりもするのだが。だって某はその……あの方のことが気になってまする故。


「それでも……どんな時もなんだかんだで相手してくれて、気にかけてくれる。あたしにとって大切な繋がりがあるの人なの」


 散々否定じみたことを言っていたが、これはもう告白に等しいのでは。

 そう思えるだけのことを恥ずかしげもなく素直に口にするアシュリー殿に対し、ハクア殿は身体中にかゆみでも覚えているのか、何とも言い難い顔をして身体を揺らしている。

 ハクア殿、其方が今感じている気持ちは某も理解できる。若さ……いやアシュリー殿の素直さは、某や実年齢以上に大人びた感性を持つ其方にはある意味で毒だ。まあ魔剣鍛冶殿に惹かれているであろう某からすると、それだけでなく尊敬の念も抱くのだが。 


「それに……ルーくんはもしかしたら昔あたしを助けてくれた。あたしの命を救ってくれた人かもしれない。もしそうだとしたら、あたしはそのときの恩を返せてない。そうでないとしても、これまでの恩を返せてない」

「アシュリー殿……」

「あたしは……ルーくんを守りたい。守れるくらい強い騎士になりたい。でも今の自分じゃ足手まといなのも分かってる。だけど、それでも何か出来ることがあるなら……あたしは彼の傍に居て、彼の力になりたいの!」


 気持ちは分かった。だが未熟な騎士が行ったところで何が出来る。足手まといになるだけだ。

 もしも某がアシュリー殿の上司であれば、立場としてそう言うべきなのだろう。しかし、某は流浪の武人。今回は魔剣鍛冶殿の協力者ということで同行している。

 何より……某も気持ちはアシュリー殿と同じだ。

 彼には個人的な感情を抜きにしても多大な恩がある。もしもそれが返せないような事態になれば、きっと某は後悔する。

 また魔剣鍛冶殿が命を落とした場合、その死に目に会えないのは単純に嫌に思う。某が初めて恋をしたかもしれない殿方なのだ。たとえ悲恋に終わるのだとしても、後悔のない選択をしたい。そのためには


「戻りましょうアシュリー殿」

「え、ちょっお姉さん……」

「オウカさん……良いの?」

「良いも悪いも某も正直心配です。それに某も魔剣鍛冶殿に恩を返せておりませんので。死なれては困ります。何が出来るかは分かりませぬが、某達にも出来ることはあるはずです。共に行きましょうアシュリー殿」

「……うん!」


 アシュリー殿の返事と同時に某達は来た道を戻り始めた。

 ハクア殿は呆れて山を下りるかと思ったが、やれやれといった顔で某達の後をついて来ている。現実的な考えの持ち主と思っていたが、某が思うよりもお人好しなのかもしれない。

 山道を駆けあがり崖が見えてくると、獣の咆哮や爆発じみた音が耳へと響いてきた。

 崖下を見下ろしてみると、そこには黒獣と相対する魔剣鍛冶殿。そして、黒衣で全身を隠している怪しげな男の姿があった。

 黒衣の男が放つ火球の雨を魔剣鍛冶殿は巧みな体捌きで避ける。

 数で劣る状況であの立ち回りには惚れ惚れするが、黒獣が強烈な一撃を入れるための隙を伺っているのははたから見ても分かる。

 もしも魔剣鍛冶殿がわずかでも動きを止めれば、そこに黒獣の一撃。その威力を考えれば即死も十分にあり得る。

 そう思った時には、某の身体は動き始めていた。


「アシュリー殿、某が先に行きまする!」

「え、ちょっオウカさん!?」


 驚いたように制止を掛けたアシュリー殿の気持ちは分かる。

 某が跳んだ場所は段差がほぼない絶壁。普通に考えれば自殺するために跳んだようにしか見えない。

 しかし、今の某に死への恐怖心はなかった。絶壁に足を着くのと同時に自分から加速し、崖下へ駆けるように下りていく。


「間に合え……!」


 無数に襲い掛かる火球を魔剣鍛冶殿は巧みに避ける。が、ついに限界が訪れ足を止める。

 それとほぼ同時に黒獣が攻撃態勢に入り、魔剣鍛冶殿が眼前の火球を両断した時には巨大な牙が生えた口を開き終えていた。

 このままでは魔剣鍛冶殿が致命傷を負う。死んでしまってもおかしくない。

 そう直感的に悟った某は、無意識に腰にある刀の柄を右手で握り締め左手で鯉口を外す。ここまでに得た加速を殺さぬように崖を蹴り、風を切り裂く矢のように黒獣へ向かって行く。


 ――相手は魔物。某に斬れるのか?

 ――斬れる斬れないではない。斬るのだ!

 ――だがどうやって? 魔物相手に抜けたのはあの日だけ……だがあの日からお前は刀が抜けない。


 疑念や不安が具現化したような黒い某が心を揺さぶってくる。

 これが某の心が生み出した弱さなのは理解している。だが……刀を抜こうと考えるだけであの日の出来事が脳裏を過ぎる。


 ――本当に抜くのか? それが原因でまた誰かが死ぬかもしれない。

 ――違う! 某は魔剣鍛冶殿を助けるためにこの刀を抜くのだ。

 ――本当に抜けるのか?

 ――今の某ならば……

 ――少しでも躊躇すれば餌食になるのはお前。そしたらあの男はお前を助けようとする。そうなれば……


 下種な笑みを浮かべる黒い自分。

 それに誘導されるかのように脳裏には嫌な未来が形作られ、刀を握る手が震えてくる。

 某は……やはりダメなのか。

 母上を守るためと感情のまま動き、その結果母上を殺してしまった。そしてまた今も感情的に動き、魔剣鍛冶殿をより窮地に陥れようとしている。

 それならばいっそのこと……某自身を。


「――ぁ」


 視線を刀の方へ向けると、右手に巻かれた布切れが目に入った。昨夜の出来事が蘇る。

 刀を捨てろという魔剣鍛冶殿の問いに某は何て返した?

 死ぬつもりなどない。魔物の前に立つことに意味がある。そう断言したではないか。

 それに……こうも言ったはずだ。

 いつの日か刀を抜き放ち、両親の分まで人々の命を助けると。

 たとえ魔剣鍛冶殿に愚かで我が侭な大馬鹿者と思われても、自己満足の贖罪だと笑われたとしても刀を捨てるつもりはないと。

 まさに今、それを証明する時ではないのか。


 ――某は……あの魔物を斬る!

 ――無駄だ。どんなに強がってもお前では魔物は斬れない。

 ――確かにそうだ……某は弱い。あの日を超えようと努力を重ねても、自分だけでは超えられなかった。

 ――分かっているなら諦め……

 ――だが、今はひとりではない!


 この手には、魔剣鍛冶殿の優しさである布が巻かれている。

 この手には、魔剣鍛冶殿が鍛え上げてくれた魔を断つ刀がある。

 某はひとりではない。生まれて初めて心惹かれた相手からの贈り物がある。生まれて初めて心惹かれた相手への想いがある。

 亡き両親との約束を果たすためにも。己に課した決意を形にするためにも。そして、愛する者を救うためにも。

 某は……魔剣鍛冶殿を――ルーク殿を守る!


「させぬッ……!」


 気合と共に振り抜いた右腕が止まることはなかった。

 鞘から顔を出した魔を断つ刃は、あの日から続く絶望の闇も斬り裂くように、これまで到達しえなかった速さで黒獣の足を断つ。訪れるは刹那の静寂。

 黒獣の悲鳴と共に時は戻り、黒獣が倒れた衝撃で水しぶきが上がる。

 雨のように降ってくる水滴によって川の水面には波紋が浮かんでいるが、某の心には波ひとつ立っていない。かつてないほど穏やかに澄んでいる。

 振り返れば戸惑ったような魔剣鍛冶殿と目が合った。

 この方を失いたくない。そのために己が為すことは……。それを確認するかのように刃に付いた血を払い、構え直しながら言葉を紡いだ。


「魔剣鍛冶殿、助太刀致す」



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