第10話 「黒獣再び」

 太陽が顔を覗かせた頃、出発の準備を終えた俺達は洞窟を後にした。

 川の上流に向けて歩いて行く。上流へと向かう理由は、昨日流されている時に崖を上れる場所を見つけていたからだ。急な坂道や段差があるので難しくもあるが、俺やオウカならば攻略できるはず。

 また、あの魔物がいつ山を下りるか分からない。

 ハクアはともかく感情的になりやすいアシュリーは、高い確率で俺達を探そうとするだろう。

 そこであの魔物と遭遇でもすれば、俊敏性の差から苦戦するのは目に見えている。多くの魔物と戦った経験があれば、それを覆すことも出来るだろうが、今のアシュリーには無理な話だ。

 ハクアもまだ完全には回復していないはず。必然的に単独での討伐になる。

 あの魔物を単独で討伐するのは危険だが、これまでに死線は何度も潜り抜けてきた。大体の武器や一般の魔物より回復力が低いということも分かっている。

 やれないことはない。そのためにも、まずはオウカを山から下ろさなければ。しかし……


「お前、今日は妙に機嫌が良いが……ちゃんと山から下りるつもりはあるんだろうな?」

「え……それはもちろん。刀は捨てられませぬが、これ以上関わって魔剣鍛冶グラムスミス殿に何かあっては意味がありませぬ故!」


 嘘を吐いているようには見えない。

 だが不必要なほど気合の入った返事だ。それが逆に不安にも思えてくる。俺の考え過ぎであるならばいいのだが。


「ならいいが……」

「はい、某を信じてくだされ!」

「信じてやるから声を落とせ」


 聞こえてくるのは水の流れる音や小鳥のさえずりくらいのものだ。そんなに大きな声を出さなくても十分に聞こえる。

 それに魔物は、一般的に人よりも優れた五感を持っている。全て優れているタイプは稀ではあるが、あの黒獣で考えれば目や鼻、耳といった部分は人よりも格段に良いはずだ。

 復讐心なんてものが魔物にあるかは分からない。

 だが本能のようなものは存在している。それを考えれば、自身を傷つけた相手が生きていると分かれば息の根を止めに来てもおかしくない。それだけに気は抜けない。

 周囲を警戒しながら移動を続けた。

 途中オウカが石に躓いて転びそうになりはしたが、それ以外には特に何もなく目的としていた場所が見えるところまで来た。あとはあそこを上れば、とりあえず一段落である。


「あ……居たぁぁぁぁぁッ!?」


 絶叫にも等しい声が上から聞こえた。

 突然耳をつんざくような大声を出すような奴はひとりしかいない。

 視線を上げてみると、落ち着かない様子の大声騎士と両耳を押さえている後輩騎士が視界に映る。後輩騎士は無気力そうな顔がデフォルトのはずだが、爆音のような声を近くで聞いたせいか、今はしかめた顔をしている。


「良がっだぁぁぁぁぁ生ぎでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 アシュリーが感情を爆発させながら全力疾走で崖を下りてくる。

 何故こいつはこういうときに限ってスペック以上の動きが出来るのか。そもそも、こっちが崖を上れば済むはずなのに何故下りてくるのか。

 見ているだけで言いたいことが次々と出てくるから不思議である。

 ただそれ以上に俺が危惧したのは、あいつ、あの勢いのまま突っ込んでくるんじゃね? ということ。

 人間砲弾じみた勢いで突っ込まれたら川まで吹き飛びそうである。川の水位的に溺れることはまずないが、むしろ深くないだけに身体を痛める展開になりかねない。


「ルーくんルーくんルーぐん……るぅぅぅぅぅぐぅぅぅぅぅん!」

「お兄さん♡」


 アシュリーがこちらに飛びつくように地面を蹴る直前、彼女よりも先に崖下に下りていたハクアが引っ付いてきた。

 それによって立ち位置が微妙に変わり、先ほどまで俺が居た場所をアシュリーが弾丸のように飛んでいく。

 必然的にアシュリーは川へダイブ。

 水しぶきが沸き上がり……それが鎮まった時には彼女は力なく浮いていた。深さで考えれば、手や足は着くはずなので死にはしないだろう。また泡が立っているあたり息はしているようだ。


「…………何故避けたし!」

「先輩、避けたんじゃなくてウチが退かしたんだよぉ」

「何故退かしたし!」

「いや、あの勢いで抱き着かれたらお兄さんが危ないと思って。川にドボンしてブクブクブク……みたいな?」

「危うくこっちがそうなりかけたんですけど!」


 アシュリーはプンプンという表現が似合う顔を浮かべながら川から上がってくる。

 女性の髪が濡れていたりすると多少は色気が出るものだが、さすがはアシュリーというべきか。水遊びをした子供のような雰囲気しか出ていない。胸当てがなかったりすれば、まだ色気のある光景になったのかもしれないが。


「というか、あんたはいつまでルーくんに引っ付いてんの?」

「わ~先輩まるでお兄さんの彼女みたい」

「だ、だだだだだ誰が彼女よ!? 何か似たようなことこれまでに何度も言ってきた気がするけど、あたしはルーくんにこれっぽっちも恋愛感情なんて抱いてないんだから。勘違いしないでよね!」

「でもたまに良いなって思ったりはしてるんでしょ?」

「ま、まあたまには優しかったりするし。カッコいいなって思う時もあるけど……って、今のなし! 違うから、違うんだから。本当にたまに魔が差して思ってるだけというか、特別な意味があるってわけじゃないから!」


 心配させたかと思って多少悪気も感じていたのだが、このやりとりを見てると十分元気じゃんと思えてくる。

 これは必要以上に謝ることはないのではなかろうか。それ以上に……後輩にここまで弄られて美味しくされてる奴を俺は見たことがない。


「お兄さん、先輩はああ言ってるけど……昨日は大変だったよぉ。お兄さん達を探しに行くって駄々こねて、せめて日が昇るまでダメだって言ったら泣きそうになるし」

「え……あのハクア」

「夜ひとりで探しに行きそうだったから止めるのも大変でさぁ。川に落ちたんだし、お兄さん達なら大丈夫だって言っても心配だって聞かないし」

「ちょっ、ハクアさ~ん?」

「おかげで日が昇るのと同時にお兄さん達の捜索。ひとりで行かせるのも危ないから付いてきたわけだけど。まだ本調子じゃないんだし、もう少し後輩のことも考えて動いてほしいよねぇ」

「お願いしますハクア様、私目が悪うございました。ですのでそのへんで勘弁してください」


 何て頭を下げることに抵抗のない先輩だ。

 ただここまで綺麗に頭を下げれる奴を俺はあまり見たことがない。これは間違いなく普段から頭を下げることに慣れてる人間の角度と姿勢だ。どう繕っても良い方向には聞こえないが。


「はぁ……朝から騒がしいなお前らは」

「騒がしいのは先輩だよぉ」

「騒がしくなるように誘導してるのはどこの誰さ!?」

「いいからさっさと崖を上がるぞ」


 俺の物言いにアシュリーは頬を膨らませるが、街中ならともかくいつ魔物が出てもおかしくない山中で遊ばせるわけにもいかない。こちらがそう考えているのだと読み取って欲しいものだ。

 まあでも……小言を漏らしながらも素直に崖を上がっていくあたり、多少は大人になったのかもしれない。早くその身体つきに比例した精神性を身に付けてもらいたいものだ。


「それでぇ、これからどうするの?」

「某は山を下ります」

「え、オウカさんどっか怪我でもしたの?」

「そういうわけではないのですが。個人的な理由がありまして……その実は某、魔物と戦うのはあまり得意ではないのです。見ているだけなら何ともないのですが……」

「へぇ~意外。オウカさんって何でも出来そうで魔物とかバッタバッタとなぎ倒す武人って感じなのに」


 パッと見はな。

 そのおかげで得をしてきたこともあるのだろうが、実際アシュリー以下のポンコツさんだ。対人戦ならば上なのだろうが、それを除けば女子力なども含めてダメなのではなかろうか。


「某も人ですから苦手なことやものはありまする。それに今回の魔物は並の魔物とは一線を画しています。下手な加勢はかえって邪魔になる。故に最善なのは山を下りることなのです」

「そっか」

「先輩、言っとくけどウチらも山を下りるんだよ」

「え……」

「いやいや、今そっちのお姉さんが言ったじゃん。下手な加勢はかえって邪魔になるって」

「で、でも……その何か手伝えるかもしれないし」

「本気でそう思ってるぅ? 先輩が居て手伝えることなんて天国へ行くのを早めることくらいと思うけど」


 雲のように流れに身を任せるような言動ではあるが、容赦のない言葉にアシュリーは唇を噛み締める。

 俺達を見つけたことで冷静さを取り戻し、今の自分では足手まといになる可能性が高いと理解しているのだろう。またオウカが自分から山を下りると言っていることも効いているのかもしれない。

 まあ何によせよ、この態度なら駄々をこねることもあるまい。自分の身だけ心配すれば良くなるだけに気も楽になる。

 そう思った直後――。

 背後に鋭い視線を感じた。振り向けば向こうの崖上に隻眼の黒獣が見える。

 このへんの崖は絶壁ではなく、段差や道になりえる箇所が多い。黒獣ならば楽々と上り下り出来るだろう。

 今居る足場で襲われたら最悪の未来しか見えない。

 川の流れる崖下も足場が良いわけではないが、この場で戦うよりは格段にマシだ。


「グガオォォォォォォォォォ……ッ!」


 我に傷を負わせた貴様だけは殺す。

 そんな怒気が込められた咆哮が木霊する。正直迷っている時間はない。俺は迷いを振り払うように勢い良く崖下へと下りていく。


「ちょっ……ルーくん!?」

「お前らはそのまま上って山を下りろ」

「でも……!」

「俺は英雄でもなければ救世主でもない。いつでも誰かを守ってやれるほど強くはないんだ」


 弱気にも取れる言葉。アシュリーなら心配してやっぱり自分も一緒に、と返してきてもおかしくはない。

 しかし、アシュリーも何度か命懸けの戦いというものを経験している。他人の身を案じながら戦うことの大変さをきちんと理解できてはいないかもしれない。だが想像は出来ているのだろう。

 故に何も言わなかった。俺がひとりで戦うことに納得してくれた。

 この戦いで傷つこうものならあとで理不尽な説教をされそうだ。こちらからすれば生きて帰ってんだからそれで許せと言いたくなるだろう。

 が……それは生きて帰ってこそ起こりえることだ。まずは


「お前との決着をつけないとな」


 左手で鯉口を外し、右手で柄を握ってゆっくり引き抜く。

 正眼に構え、柄を握る諸手を内側に引き絞るようにして脇を締め、得物を中段に構える。

 向こう岸に降り立った黒獣も低く唸りながら、自身に生えている凶器を確かめるように地面を削る。

 わずかばかり静寂の時が流れ……風に舞っていた1枚の葉が、俺と黒獣の間を流れる川へ落ちる。

 それが死闘の幕開けとなり、俺と黒獣は地面を強く踏み抜いた。



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