第9話 「月明かりの見える洞窟で」

 洞窟へと戻り、焚火の周りで身体を温め始めたわけだが……某の心は晴れていなかった。


魔剣鍛冶グラムスミス殿は……いつもこれくらいの時間に剣の腕を磨いているのですか」

「別に時間は決めていない。毎日やれる時にやってるだけだ……というか、お前妙に不機嫌だな。服を脱がせたこと怒ってるのか?」

「なっ!?」


 そそそそういうことを抵抗もなく普通かつ直球に聞きますか。魔剣鍛冶殿には常識というものがないのですか!


「助けられた身ですからあれこれ言うつもりはありませぬし、感謝していますが……けどそういうのはいけませぬ! も、もう少し女心というものを考えてくだされ!」


 一応某も年頃の女子おなごなのです。

 世間一般で言えば、某の年まで男を知らぬというのは珍しいことなのかもしれませぬが。生き遅れてる女子なのやも知れませぬが……それでも年頃の乙女なのです!


「魔剣鍛冶殿はそんなだからアシュリー殿などからあれこれ言われるのですよ」

「あいつの場合はどんな態度だろうがあんなだと思うがな……まだ地味に濡れてるが、まあこれくらいならそのうち乾くだろう」


 そう言って魔剣鍛冶殿は、手早く自身の服を身に纏う。

 見事な筋肉や生傷のある歴戦の戦士のような身体が隠れてしまうのはもったいない。

 だが裸で居てくれと言おうものなら某は変態の仲間入り。また、このまま薄着の状態で居てもそれはそれで変態のように思える。故に某も半乾きではあったが服を着ることにした。


「魔剣鍛冶殿に某も着替えまする故、こちらを見ないでくだされ」

「ああ」


 魔剣鍛冶殿はこちらに背中を向けると微動だにしない。某がコートを脱いで下着姿になっても、あえて擦れて音がなるように服を着ても微動だにしなかった。

 何とも紳士な方である。

 普通なら見ようとはせずとも、多少は聞き耳を立てるとかそういう反応があっても良さそうなものだが。

 なのにこの男は、年頃の女子がすぐ傍で着替えているというのに……釈然としない。


「……もう良いですよ」

「そうか…………何で着替えを見たわけでもないのに睨まれてるんだ?」

「別に睨んではおりませぬ。ただ言わせてもらえば……たとえ着替えを見ていなくとも、善意であったとしても魔剣鍛冶殿は某の服を脱がせたのです。某の心が落ち着くまでは甘んじて受けても罰は当たらないのでは?」

「自分の身体を売ろうとしてた奴がよく言う」


 うぐ……。

 それを言われると返す言葉もなくなってしまう。ただあの時の某は冷静ではなかったのだ。得物もなければお金もない。食べるものもなければ頼れる相手もいない。

 非常に図々しい頼みをしたとは思う。

 だが後悔はしていない。自分の身体を売ろうとはしたが、結果的に言えば何もなかったのだから。

 ……すまない、嘘だ。


「それは言わないでください。生きるためだったとはいえ、軽はずみな発言や女にあるまじき行動をしたことに多少は後悔しているのですから。魔剣鍛冶殿やユウ殿には迷惑を掛けたと思っています。故にこの恩は必ず返すつもりです」


 何なら……まあ某も大人であるし、魔剣鍛冶殿にならこの場で抱かれても後悔はしないと思う。

 この年になっても男を知らぬというのも恥ずべきことかもしれぬし、既成事実さえ作ってしまえば……って、何を考えておるのだ某は!?

 そういうものは互いに愛情を抱いた上で行うもの。

 それに魔剣鍛冶殿は、多分平気でそのような行為をする女子は嫌いなはず。

 何より某達は魔物を討伐するために来ているのだ。魔剣鍛冶殿とのあれこれを考えては……しかし、今はふたりきり。日が昇るまでは迂闊に動くぬ方が良いであろうし。

 そもそも……某、魔剣鍛冶殿のことを考え過ぎではなかろうか。

 これはもう男として意識している。いっそのこと夫にして村に持ち帰ろうとしているのでは。というか、某は心の底では魔剣鍛冶殿を慕っている。傍に居たいとか彼の女にしてほしいとか思っているのでは!?


「お前は何を百面相してる?」

「いいいいえ何でもありませぬ!」

「……そうか」


 そこで会話が途切れてしまった。

 これはこれで寂しいというか、かえってあれこれ考えてしまうだけに緊張してくる。

 元々魔剣鍛冶殿は口数が多い方ではないし、某のような剣だけ振って生きてきたような女子と話しても楽しくはないかもしれない。こう考えると心に刺さるものがあるが、アシュリー殿と比べると某はつまらない女であろう。

 ……しかし、何故魔剣鍛冶殿は某のことを責めぬのだろう。

 崖下に落ちただけでなく洞窟で一夜を明かさせねばならなくなったのは、どう考えても某に原因がある。だが彼は某が目を覚ましてからも一言もその話題を口にしない。

 気を遣われているのだろうか。いやしかし、魔剣鍛冶殿は基本的に言いたいことがあればズバッと言う方に思える。ということは何か別の理由が? ……うん、某には分からん。


「……魔剣鍛冶殿」

「ん?」

「その……申し訳ありません。某のせいでこのようなことになってしまいまして」

「そうだな」


 ……え、終わり?

 いやいやいや、普通こういう時ってもう少し何かあるものでは。某のここが悪かったとか、俺が参加しないように念を押すべきだったとか。

 今ので終わるくらいなら、まだ某がいなければなどと罵られた方がマシに思える。魔剣鍛冶殿が某のことが嫌いなのですか。話すのが面倒なのですか……


「……何で泣きそうになってるんだ?」

「いえ……ただ自分が不甲斐ないと思いまして。断じて魔剣鍛冶殿のせいではありませぬ」

「俺のせいじゃないって言うならその部分を口に出すな。……それとあまり自分を責めるな。お前の同行を許した時点で、ある程度覚悟はしていた」


 罵倒されるどころかまさか慰められるとは。

 予想外の事態に嬉しさもあるが、他にも何とも言えない感情が沸き上がりそわそわしてくる。


「そ、その……すみませぬ」

「別にいいって言ってるだろ。ただ……日が昇ったらお前は山を下りろ」


 お前は足手まといだ。

 そう言われたのがはっきりと分かった。それも仕方がない。当然のことだ。魔物相手に刀を振れない者など居たところで邪魔にしかならない。某もそう思う……けれど


「……某は必要がないということですか」

「……ああ」

「某の剣では……あの魔物に届かないということですか」

「届く届かない以前に……鞘から抜かれない刃が敵に届くことなんてない」

「く……」


 言い返す言葉なんてない。

 それでも……くやしい。己が剣の未熟さがではない。幼き頃……あの日からいつまでも変わらない己が心の未熟さがくやしかった。


「本気で抜こうとしたのに途中で止まる……身体がそれを拒絶するのは、どう考えても心の問題だ。すぐに改善するものでもない。そんな奴をこれ以上同行させるわけにはいかない。というか……今後を考えるなら刀を捨てろ。その方がお前のためだ」

「――っ」


 刀を捨てる? それが……某のため?

 ダメだ。押さえろ。魔剣鍛冶殿は某の過去を知らない。あくまで某のために言ってくれているのだ。

 そう冷静な某が叫んでいるのは理解した。

 しかし、気が付けば某は魔剣鍛冶殿の胸倉を掴んで押し倒していた。


「あなたに……あなたに某の何が分かる! 刀を捨てろ? そんなことが出来るなら、そもそも自分の身体を売ろうとしてまで新しい刀を打ってもらおうとは思わん!」

「なら死ぬのか? 抜けもしない刀を持って魔物の前に立つことに意味はあるのか?」

「死ぬつもりなどない。意味もある。某は……刀を抜くためにも魔物の前に立たねばならぬのだ。そうでなければ……」


 八つ当たりにも等しいことは分かっている。魔剣鍛冶殿がその気なら逆に説き伏せられているのも分かっている。今の某は彼の優しさに甘えているだけ。

 故に……少しずつ両腕の力が抜けていく。

 魔剣鍛冶殿は某を払い除けるような真似はせず、むしろ某の手を優しく包み込むように握って胸元から放し上体を起こした。

 しばし静寂が流れたが、胸中に溜まった感情を上手く鎮められなかった某は自身の過去を話し始める。


「……魔剣鍛冶殿には少し話したと思いますが、某の生まれた村は魔物によく襲われる場所でした」

「ああ……そうだったな」

「故に某も……幼い頃から父上と母上に剣を教わり、いつしか村を守る一人前の武士もののふになろうと夢見ていたのです」

「まあ……お前らしい話だ」

「はい……あの頃の某は今よりも頑固で我が侭で……そして現実を知らない子供でした」


 だからあのようなことが起きてしまった。いや起こしてしまったのだ。


「某の母上は、今の某のように世界を旅していたそうです。その旅の中で腕を磨き、父上と出会って恋をし、共に故郷へと帰って某を生んでくれました。ただその頃から長年の無茶な修行のせいか身体を壊したらしく、某の記憶にあるのは病弱な母上だけです」


 それでも……母上は強くて優しい人だった。

 某が悪さをすれば容赦なく叱っていたし、近所の子供に泣かせられた時はやり返してくるまで家には入れない。素振り中に手の肉刺が潰れて木刀が振れないと言って泣いても、目標の回数振るまではやめさせなかった。

 怖いと思うことはあった。でも


「先ほども言いましたが、某の育った村は某の魔物の襲撃の多い村です。なので母上は、自分の経験を冒険譚のように語りながら魔物に負けないための心構え、生きていくための強さを教えてくれました。某にとって母上は理想の女性であり、憧れの人そのものだったのです」

「好きだったんだな……お母さんのことが」

「はい、大好きでした。だから守りたいと思ったのです。守ろうとしたのです……でもそのせいで」


 口の中に鉄の味が広がった。どうやら唇を噛み切ってしまったようだ。

 また魔剣鍛冶殿が優しく手を包んでくれたことで、拳を握り締めていたことに気づく。爪が食い込んでいたらしく、手の平からも血が出ていた。

 彼は自分の袖を少しちぎると、それを包帯代わりにして某の手に巻いてくれる。母上も肉刺が潰れてしまった手にこんな風に包帯を巻いてくれた。


「……ある日のことです。その日も魔物が村を襲撃しました。ただいつもより数が多く……その中の1匹が某の家の近くまで迫ってきたのです。父上はすでに村の者と一緒に討伐に向かっていたため、某は母上を守ろうと母上の制止も聞かず、かつて母上が使っていた刀を持って飛び出しました」

「…………」

「あの黒い魔物と比べれば、大きくもなければ強くもない魔物でした。が、幼い頃の某にはとても大きく見えたものです。でも両親が厳しく育ててくれたこともあって固まることもなく、勇猛果敢に近づいて抜刀の一太刀を入れたのです。ですが……すでに武器としての寿命を迎えていた母上の刀では魔物を倒すどころか、刃が通ることもなく折れてしまい……その瞬間、某は死を覚悟しました」

「………………」

「魔物の一撃が振り下ろされる瞬間、死んだと思い目を瞑りました。でもいつまで経っても某には痛みがなく……目を開けると、そこには某を庇って血を流す母上が立っていました。しかも母上は手傷を負っているのに折れた刀を手に取って、その魔物を倒してみせたのです」

「……凄い人だな」

「はい……凄い……すごい人だったんです」


 湧き上がってきた涙はこらえることが出来ず、滝のように溢れ出す。

 

「でも……某が命を奪ってしまった。まだ生きられたはずなのに……某の愚かな行動が父上から母上を奪ってしまった。母上は死に間際に……自分を責めるな。幸せになって。そして、人を助けられる人になりなさい……そう言ったくれたけど……某は自分が許せなかった! だから剣を振って、剣を振り続けて技を磨いた!」


 剣の初動が居合いから始まるのも、再びあの日の過ちを繰り返さないため。あの日の一太刀を超えるため。その決意として磨き続けたものだ。


「なのに……! いざ魔物を前にして刀を抜こうとすると、その日の記憶が蘇ってしまう。その一太刀が原因でまた誰かが自分の代わりに死ぬんじゃないか。そればかりが脳裏に浮かんで身体が刀を抜くことを拒絶する。あの日からもう10年以上経つのに……某の心はずっと弱いまま」


 あの日の絶望を超えられない。

 魔剣鍛冶殿の言うように刀を捨てた方が、誰かと恋をして家庭を気づき、子供に恵まれて幸せになれるのかもしれない。

 旅に出る時も父上からはお前はお前の幸せを見つけろ。ここに戻る必要はないと言われた。

 でも……だからといって捨てられるわけがない。刀は某と両親を繋ぐ絆なのだ。誰から何と言われても、手にする刀が別のものになったとしてもそれは変わらない。


「……すみませぬ。つまらない話を長々としてしまって。でも故に刀は捨てられぬのです。いつの日か刀を抜き放ち、両親の分まで人々の命を助けるために。たとえ魔剣鍛冶殿に愚かで我が侭な大馬鹿者と思われたとしても……自己満足の贖罪だと笑われたとしても」

「……笑わないさ。俺もお前と同じ……愚かで我が侭な大馬鹿者だからな」

「え……それはどういう」

「もういいから寝ろ。休める時に休んでおかないと辛いだけだ。山を下りる途中であの魔物に出くわしてもおかしくはないんだから」

「それは分かりますが、もう少しだけお話を。魔剣鍛冶殿? ……もう」


 狸寝入りするのは卑怯です。そのようなことをするなら気になる発言をしないでください。

 そう言ったところで彼の態度が変わるはずもなく、某は大人しく寝ることにした。寝心地が良いとは言えないものだが、布の巻かれた手を見ていると胸の内が温かくなってくる。

 それに全部吐き出したこともあってか、先ほどと比べると格段にすっきりしている。これなら寝つきは悪くなさそうだ。


「……おやすみなさい魔剣鍛冶殿」


 聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声で呟くと、そっとまぶたを下ろした。

 魔剣鍛冶殿に対して背中を向けて寝たのは、きっと……



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