第8話 「気が付けば」
静寂。
それが意識を取り戻してまず思ったこと。
聞こえてくるのは周囲を照らしている焚火が弾ける音、微かな木々や虫のささめき、そして川のせせらぎくらいだ。
意識が戻って間もないこともあって上手く状況が呑み込めない。
焚火によって照らされた地形や遠くに見える月明かりからして洞窟に居るように思える。ただ何故このような場所に居るのか分からない。
「某は……いったい……ッ」
起き上がろうとすると身体の随所が痛んだ。一度起き上がることを中断して思考を巡らせる。
確か某は……
「崖下に落ちたのであったな……」
某の記憶はそこで途切れている。
地面の感触や焚火の温もり、節々の痛みを感じることからして生きているのは間違いない。崖下に川が流れていたことが命を取り留めた要因のひとつだろう。
しかし……それだけではないような。
某は確か魔剣鍛冶殿に手を引かれていたはず。あの状況で考えれば、魔剣鍛冶殿も一緒に落ちた……というか某、魔剣鍛冶殿に抱きしめられたような!?
「うぅ……某は何を恥ずかしがっておるのだ」
殿方に抱きしめられるということに慣れてはおらぬが、あの状況では不可抗力。いや魔剣鍛冶殿が善意で某を守ろうとしてくれたのだ。感謝はすれど恥ずかしいと思うようなことではないはず。
……んなわけあるかぁぁぁぁぁッ!
某は20年以上生きてはいるが、殿方と付き合った経験などない生娘。別に殿方と話すのが苦手と思ったことはないが、正直あんなことやこんなこと……そんなことなんて考えようものなら羞恥心が爆発しそうになる。
それに……助太刀しようとしたのに逆に迷惑を掛け、挙句の果てには意識を失って守ってもらう始末。女としてもだが武人としても恥ずかしい限りだ。
「……い、いやこんなことではダメだ!」
魔剣鍛冶殿は善意で助けてくれたのだ。それを勘違いして変に意識しては余計に迷惑を掛けてしまう。
近くに魔剣鍛冶殿はいないようだが、おそらく焚火用の枝を集めたりしているのだろう。迷惑を掛けたのだから某も手伝わなければ。
「顔を合わせたらまず誠心誠意、謝罪と感謝の言葉を述べねばな……へ?」
気が付けば素っ頓狂な声が漏れていた。
某は立ち上がろうと思って上体を起こした。すると掛けてあったコートがするりと落ち……さらしの巻かれている胸が見えたのだ。
某も女。アシュリー殿ほど立派というか人の目を惹くほどのものではないが、人並み……もしかすると少し上程度のものは持っている。
ただ胸というものは、大きければ大きいほど邪魔になることも多い。そのため某は、少しでも刀を振りやすくするためにさらしを巻いている。
さらしが巻かれていることはいいのだ。
問題なのは……自分で脱いだわけでもないのにさらしが見える状態にあること。よく見れば下の方も薄布を1枚履いているだけの状態だ。
「こ……こここれは、つ、つまり」
そ、某は魔剣鍛冶殿に服を脱がされたということでは?
おそらく……いや絶対そうである。寝ぼけて着ているものを脱ぐほど寝相が悪い覚えはないし、何より焚火の近くには見覚えのある服や肌着が置かれている。某は今の今まで意識を失っていたのだから脱がせられるのは魔剣鍛冶殿だけ……
「おおおおお落ち着くのだオウカ! 魔剣鍛冶殿も悪気があったわけではない。某に怪我がないか確認するために脱がせたのだ。それに濡れた服を着たままでは身体が冷えてしまう。だから脱がせてくれたのだ。そもそもあの方は悪い人ではない。それは短いとはいえ同じ屋根の下で暮らしたのだから分かっていることではないか!」
しかし……理屈で分かっていても恥ずかしいものは恥ずかしいぃぃぃぃぃ!
幼き日は父上に着替えさせてもらった覚えもあるが、大人になってから……いや村を出てからそのようなことをしてもらった覚えはない。怪我をしたことは何度もあるが、全て自分で治療していた。
故に殿方にこれほどの肌を見せたのは生まれて初めて。
魔剣鍛冶殿に最初刀の代金は身体で払うなどと口走っていたが、肌を見られたと思うだけでこれほど恥ずかしいのだ。だ、抱かれるなんてことになれば恥ずかしさのあまり泣くか逃げ出すやもしれん。
「うぅぅ父上……某はもうお嫁に行けぬやもしれませぬ」
これはもう魔剣鍛冶殿に責任を取ってもらう他にないのでは。
というか、一応下着はある状態とはいえ某の身体を見たのに何もしないのは逆にどうなのだろう。
某にはそこまで女として魅力がないだろうか。一般の女性よりは筋肉が多いために固い印象を持たれるやもしれんが、胸やお尻の形は悪くないと思う。むしろ良い方では。それに無駄な脂肪もなくスタイルは良いと思うのだが。
これを誰かに聞かれたら何やらおかしな方向に考えが進んでいると思われることだろう。
だが、某の中の何かが釈然としないのだ。某がまだユウ殿くらいの年齢ならばこれほど癪には触らぬというか、何も思わなかったであろうが……某も今年で22。魔剣鍛冶殿の方が少し上であろうが年齢の差としては微々たるもの。もう少し女として扱われても良いのでは……。
「よし……」
謝罪と感謝もするが文句もひとつくらいは言ってやろう。
そのためにはまず魔剣鍛冶殿を探さねば、と洞窟の外へ歩き始める。その前にさらしと下着のままではあれだったので、ある程度乾いていた肌着だけは着たが。
「……よくよく考えてみれば、今羽織っているコートも魔剣鍛冶殿のもの」
微かに魔剣鍛冶殿の匂いがするわけで……何というか、魔剣鍛冶殿に包まれているような感覚になる。
って、何を考えておるのだ某は!? こ、これではまるで変態ではないか……でもその……少しくらいなら臭いを嗅いでも。寒さを誤魔化すようにしていれば、パッと見ではバレぬであろうし……
そうこう考えている間に洞窟の入り口あたりに差し掛かり、月明かりに照らされた景色が視界に映り込んだ。
「ぁ…………」
気が付けば、ひとつの人影ばかり注目していた。
その人影が動く度、月光を纏った剣閃が疾る。下段、中段、上段への打ち込み、そこからの斬り払いに斬り落とし。旋回するように足は地面を滑るように走り、それに連動して上半身は流れるように斬撃を紡ぐ。
斬撃の速さだけなら某も負けていない。だが某のものとは決定的に違う。
汗の流れる上半身は一見細くも見えるが、無駄なものはなく鍛え抜かれた筋肉で覆われている。女である某とは秘めた能力の違う男のそれが生み出す一太刀は、とても鋭くそして力強い。
もしも同じ型で剣舞を行ったならば、人々は某の方を称賛するだろう。
しかし、ひとりの剣士としては某が劣っている。彼の太刀筋は、戦闘に特化したものだと一目で分かる。だからこそ冷たく……それでいて美しい。
命を絶つための数々の技巧をそう思ってしまうのは、幼き頃から剣を振ってきたせいなのか。それとも単純に某の感性が人としてずれているのか。それは分からない。
「でも……」
たとえ人からずれているのだとしても、某はずっと見ていたい。
あの凍えるような瞳の中に燃えるような覚悟を宿した彼の……魔剣鍛冶殿の太刀筋を。
魔剣鍛冶殿は、最上段から背中を巻き込むようにして切っ先を振り下ろす。踏み込みながら放たれたそれは、地面を掘り穿つほどの強烈なものだった。
「……いつまで見てるつもりだ?」
突然の呼びかけに驚きコートを落としそうになる。
だがそうなっては生涯の恥になりかねないと思うと、自分でも信じられない動きでコートを拾い上げて自分の身を包んでいた。多分これが火事場の馬鹿力というやつだろう。
「ききき気づいていたのですか?」
「気配を消さずにずっと見られてれば気づくに決まってる」
上半身は裸だというのに魔剣鍛冶殿には一切の照れがない。
別に見られて困るような身体はしていない……というか、個人的に興奮を覚えそうな身体つきをしているが、それでは某ばかり恥ずかしがっていて不公平であろう。もう少し可愛げがあっても罰は当たらないはずだ。
そんな某の想いが勝手に伝わるはずもなく、刀を鞘に納めた魔剣鍛冶殿はこちらに歩いてくる。
「え……あ、ちょっ……急に来られるとこちらも心の準備が!?」
「何を考えてるか知らんが、そんな恰好で外に居ると風邪引くぞ」
某には目をくれず魔剣鍛冶殿は洞窟の中に入って行く。
うん……分かってはいた。某が魔剣鍛冶殿に女として見られていなさそうなのは会った頃から何となく理解していた。某の言動にも原因はあるのだろう。
しかし……それでも釈然としない。もう少し何かあっても良いのではないか!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます