第4話 奇妙な共同生活
氷の魔法に何層も色を重ねて、重厚さを出していく。細かく色を塗りながら、僕は久々の手応えを感じていた。これは、いい仕事になりそうだ。ベランダからはずっと月姫のはしゃぐ声が聞こえていた。最初は仕事に集中出来ないと思ったのに、案外いいBGMだったようで、今までに無く集中していた。ふと見ると、ベランダの雪を根こそぎ雪だるまにしてベランダの手すりに並べていた。ちょっと怖い。そういえば、月姫が居ないことに気付いた。
「おい。」
後ろから声を掛けられると同時に、首にあり得ないほどの冷たさを感じた。
「うわあ!」
「雪ってすぐ溶けるんだな。一個くらい取っておきたいんだが。」
どうやら首に雪だるまを乗せられたらしい。あっという間に溶けた雪が背中をぬらした。
「止めてくださいよ、心臓に悪い。」
「だってお前、何度話しかけても全然気付かないんだもん。」
ふと気付くと、テーブルの上に食べ散らかした後があった。時刻は午後2時。思いの外、集中していたらしい。外の雪は薄くなり、いつもの光景を取り戻しつつあった。
「もしかして、食料全部食べました?」
「俺しばらく甘い物いらねーわ。」
ふーっと息を吐いて、再度パソコンに向かう。
「まだするのかよ。」
「今ちょっとのってるんです。申し訳ないですが、暇ならテレビ見るかゲームでもしててください。」
えー、と不満そうな声を上げて、彼女はつまらなさそうに外を見た。
「まだ雪で遊びたいんですか?」
「だってさ、初めてなんだよ、雪で遊ぶの。」
「外に行けば良いじゃないですか。ちょっと山の方に行けば、まだまだありますよ。」
「そうかもしれないけどさ。」
珍しく歯切れが悪い。外に出たいのは間違いなさそうなのに、何でだろう。
「外にでるのに、何か不都合があるんですか?」
「だって俺、この顔で外に出て、ロクなことねーし。」
それに、あまり見つかりたくない、と小さい声で言った。まあ、確かに彼女の道中は大変だったようだが。仕方無く僕はウォークインクローゼットの扉を開く。この広いウォークインクローゼットはこの物件の売りにされていたが、正直いって僕の服はそんなに多くない。ウォークインの機能は果たさず、引っ越したばかりの時に使っていた簡易マットレスや仕事道具などが無造作に置かれている。僕はその中から昔、施設でもらった毛糸の帽子を発掘した。黄色い糸で編んであるそれは時間がたってもほころび一つなく、まるで既製品の様だ。マフラーも持って、ウォークインクローゼットからでる。
「ちょっとほこりっぽいかもしれませんが、我慢してください。」
僕は月姫に帽子をかぶせ、マフラーでグルグル巻きにしてみた。目しか見えない位にしてみたが、なぜか美人オーラがまだ漏れ出てる気がした。
「何が隠せてないのでしょう。」
「なあ、これ、髪の毛が首にまとわりついて気持ち悪い。」
「ああ、髪か!」
彼女の長い美しい黒髪がマフラーから出ている。そっと彼女の髪に触れてみると、しっとりと冷たい感触になぜか指が照れた。女性の髪を触るのは初めてだった。こんなに気持ちいいんだ。あれ?そういえば僕、何を勝手に触れてるんだ?
「何やってんの?」
「ご、ごめんなさい!つい!」
「なんで謝るんだ?」
「いえ、僕は顔があまりわからないようにしてあげようと思っただけだったんです!」
「お!いーなそれ!」
彼女は嬉しそうに姿見に自分を映した。
「あとどうすればいい?」
「髪を隠した方がいいなと思って。」
「オッケー。」
彼女は一度帽子を脱ぎ、器用に髪を結い上げた。
「なあ、このまま帽子を被せてくれよ。」
僕はおずおずと帽子をかぶせた。あ、やっぱり髪、気持ちいい。絹糸みたいだ。ダウンジャケットのチャックを上まで閉めると、ぱっと見、性別もわからない感じになった。
「いーなこれ!」
彼女はご機嫌で姿見の前でくるりと一回転した。
「じゃあちょっと行ってくる!」
「あ、待ってください。」
うちは一応オートロックだ。自動扉じゃなくて、ただの扉がオートロックなだけだが。今日は調子がいいので、帰ってきたときにチャイムの音に気付かない可能性があった。机の上にあるボックスから、予備の鍵を出して月姫に渡そうとしてふと気付いた。そういえば、彼女がここに帰ってくると決まってるわけではないじゃないか。なぜか分からないが彼女は浮浪していたわけだ。鍵を渡して良い物か迷っていると彼女が不思議そうにしていた。
「なんだ?」
「あ、えっと・・・」
「それ、鍵か?何、俺が無くすと思ってんの?」
「いえ、そういわけではなくて。」
「安心しろって。」
月姫は僕の手から鍵を奪った。
「じゃ、いってきます!」
彼女は笑顔で外に出た。いってきます、ということは、帰ってくる気のようだ。そのことに僕はなぜかホッとしていた。帰ってきたら、お帰りと言おう。誰かにそう言うのは本当に久しぶりなことだった。僕は無自覚にもウキウキとパソコンの前に戻った。
「ただいまー!!」
大きい声に一気に現実に戻った。ふと見ると外はすでに暗くなっていた。月姫はマフラーを脱ぎながら部屋に入ってくる。汗だくで、鼻の頭が赤くなっていた。
「・・・お帰りなさい。」
思いの外小さい声で言ってしまった。
「え、お前もしかしてずっと仕事してたのか!?」
「そうみたいですね。」
おかげで仕事はほとんど終わろうとしていた。明日の締め切りに間に合いそうだ。
「メシは?」
「もちろん食べてません。」
「朝から何も食べてないのかよ!体壊すぞ!」
彼女は冷蔵庫を開けた。僕はカーテンを閉めるために立ち上がった。
「ない!食べ物が何もないぞ!」
「買いに行かないと行けませんね。」
「お!あった!」
はて、食べ物は無かったはずだが。不思議に思いながら振り向くと、口に何かを突っ込まれた。
「ふがほご!」
「食え!ちゃんと食べないと人間はダメなんだぞ!」
突っ込まれている物を視線の下に捉えると、いつからあったかわからない、腐ったにんじんだった。脊髄反射でたたき落とした。
「あ!こら!食べ物を粗末にするな!」
「それは腐ったにんじんです!食べられません!」
「にんじんなら生でくえるだろう。」
そういって彼女は口に含んだ。
「うえっ。」
「ペッしなさい!ペッ!」
慌てて彼女を台所に連れて行き、シンクにつっこんだ。
「食べ物をー粗末にーしちゃー」
「これはもう食材としての寿命を過ぎてます!」
諦めて口からにんじんが出たのをみて、脱力した。急に暴れてちょっと頭がふらつく。僕はそのまま台所にしゃがみ込んだ。
「にんじんって最終的にはこんな味になるんだな。ラスボスみたいだ。」
さすがの彼女もげんなりといった顔でしゃがみ込んできた。
「クリアしなくていいやつですから。」
口の中が気持ち悪い。僕はシンクにしがみつくように立ち上がって口をゆすぎ、パソコンの前に置いてある固形ハチミツを取りに行く。後ろで月姫もうがいをしているようだった。
「食べますか?」
彼女の前に差し出す。一つは僕の口の中に入れた。すると彼女は口を大きく開けた。苦笑してその中にハチミツを入れてやる。唇の柔らかい感触を爪に少し感じた。
「甘いな。」
「おいしいでしょう。」
「ん。まあな。」
もごもごとお互い舌の上でハチミツを転がす。ぐーっと月姫のお腹がなった。僕は笑った。
「腹減った。」
「かぐやさんはその台詞が多いですね。」
「雪は減らないのかよ。」
「僕も減っていることを自覚しました。」
「お、じゃあ夕食だな。」
嬉しそうに彼女は言った。
「買いに行かないと、ですね。」
「俺、肉が食いたい!肉!」
「はいはい、かしこまりました。」
ダウンジャケットは月姫に取られてしまったので、僕はクローゼットからコートを取り出した。予備のマフラーを首に巻く。そのマフラーを月姫がつんと引っ張った。
「何ですか?」
「なあ、俺も付いていっていい?」
「別にいいですよ。」
「やった!」
彼女はしっかりとまたマフラーを巻いて帽子を深く被った。本当に顔がばれたくないらしい。玄関を開けると外はまだまだ寒かったが、なぜかマフラーの裾を掴んでいる彼女の存在が暖かくて僕は浮き足だって外に出た。まだ夜の7時だったが、人通りは少なかった。寒さのせいだろう。
「なあ、またコンビニ?」
「そうですね。その方が早いですけど。」
最近仕事が立て込んでいて、ずっとコンビニ弁当だったので少々飽きてきていた。まあほとんどスイーツだったけれども。
「何か作りましょうか?」
「え!お前料理できんの?」
「多少は。」
「すごいな!じゃあ作ってくれよ!肉な、肉!」
「はいはい。」
いつものコンビニを通り過ぎて、それでもそんなに遠くない近場のスーパーにはいった。彼女は興味津々といった様子できょろきょろしている。
「もしかして、スーパーも初めてですか?」
「これスーパーっていうのか!」
「初めてなんですね。」
「なあ、あれなんだ?」
「カートです。買い物かごを乗せて押すんです。」
「乗るのか?」
カートを取り出して、今にも自分が乗りそうな月姫を止める。
「乗せるのは買い物かごですってば。」
「でも、あの子は乗ってるぞ?」
指刺した先には幼児用の椅子が付いているカートを押す母親が居た。
「20年前に言ってください。」
「俺は生まれて無いぞ。」
「物のたとえですよ!」
今日はカートがいるほど物を買うつもりは無かったが、彼女がカートから手を離さないので、仕方無くカゴを乗せた。
「なあ、これなんだ?」
「メロンです。」
「これは?」
「ミカンですよ。」
「これは?」
「聞いた物全部カゴに入れるの止めてください。」
まだフルーツ売り場しか見てないのに、カゴが一杯になりそうだった。
「だって食べたあるけど、こんな形してるなんて知らなかったんだもん。」
「味は知っているならいいでしょう。」
僕はフルーツを元に戻していく。
「あー!やだ!買う!そいつがどうやって、いつもの状態になっていくのか見たい!」
「居候がわがまま言うんじゃありません!」
戻そうとする僕、阻止しようとする彼女、メロン一つを押し合うような格好になっていた。
「ねーママー。あの人達、大人げないね。」
「こら。みーちゃん、シー。」
先ほど見ていた親子が笑いながら通り過ぎていった。決まり悪く、メロンから手を離すと、勝ったとばかりに月姫がメロンをカゴに入れた。
「一つだけですよ。」
「イエッサー!」
「ミカンにしません?」
「メロンの方が好きだ。」
「本当に舌が高級ですこと。」
そんなこんなで、大して大きくないスーパーを出るまでに軽く1時間以上かかってしまった。
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