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●テクストと翻訳

 Licet omnes qualitates alicuius individui in instanti transmutent, cognoscimus illud individuum ut idem individuum. Quia, ut quidem concedet DOCTOR SUBTILIS, anima nostra in quantum jam erit beata poterit individuum ut individuum. Tamen, si possibilis erit talis cognitio in quantum est beata, anima in quantum non est beata sed pro statu isto, oportet essentialiter habere, ad minus potentialiter, talem virtutem. Ergo anima nostra essentialiter potest cognoscit individuum ut individuum, unde, saltem in potentia, individuum potest amare.


 ある個別者の、その全ての性質が瞬時の内に変化するとしても、同じ個別者として私たちは認識することができる。その理由は以下の通りである。実際、精妙博士も認めているであろう通り、やがて至福的であろうかぎりでの私たちの魂は個別者を個別者として認識することができる。しかしながら、〔魂が〕至福的であるかぎりでそのような認識が可能であろうならば、至福的ではない、現世におけるかぎりでの魂であっても、本質的にはそのような能力を、たとえ可能態的にであれ、持っていなければならない。それゆえ、私たちの魂は本質的には個別者を個別者として認識することができ、それゆえ個別者を、少なくとも可能態においては、愛することができるであろう a)。


●註釈

a) 私たちは死後、神の国において「顔と顔をあわせて」神を視るとされている。その時、私たちの知性の能力は神の恩寵によって高めらる。神は、紛れもなく個であるはずなので、神と顔をあわせる際には、当然個別者を認識することができていなければならない。知性がそのような段階に至る時には、神だけではなく、私たちのような被造物も、個別者として認識することができていなくてはならないはずである。そして、仮に死後に神によって知性が高められることによって、ということであるとはいえ、人間の知性がそのような認識が可能であるとすれば、現世における人間であったとしても、潜在的に秘めているというかたちで、そうした能力を有しているのでなければならないだろう。神の恩寵によってたとえどれだけ知性が優れたものにされようとも、知性が有していない能力を獲得することなど不可能であろうからである。

 「完璧なクローン」の問題を解決する方策を、彼は探し求めた。しかしどの書物も、花も鳥も落ち葉も、明確な解答を与えてはくれなかった。彼の壊れてしまった時計は、彼をしてパリの街を彷徨わしめた。彼の一歩一歩は、すでに秒とも分とも関わらない。あのとき、第八段落を執筆したときに感じられたあの恍惚とした酔いは、決して祝福ではなかったことを、無名氏はこの瞬間に理解した。時間を脱したかのような感覚は、「第二問題」の困難とそれに伴う彼の不安を予感したものであっても、決して幸福な祝福の前兆などではなかったのである。黒くドロドロとした憂鬱が精神を蝕んでゆくのがうっすらと意識された。毒され、蝕まれた精神は、彼にパリの群衆が見せた。いまパリは二重になった。彼に忌み嫌われた群衆は、いま彼に復讐するかのように立ち現れたのである。思わず彼はその場で立ちすくみ、嘔吐した。

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