無名氏について

●無名氏と愛の問題


「ラテン語写本第一七〇四番」(X Bib., MS lat. 1704) として現在 X 図書館で管理されている写本は、いぜん私が、とある老夫婦から譲り受けたものを、図書館に寄贈したものである。ここは私が写本を手に入れた経緯について話す場ではないので、そのことについては割愛しよう。いずれにせよ、きわめて個人的なしかたで入手したものである。ラテン語写本第一七〇四番は、比較的小さな版型で、華麗な装飾の施された二葉の羊皮紙に哲学的な内容を記した部分(A パート)と、あとになってその二葉の羊皮紙に接がれている、(おそらく)A パートの著者に関する伝記的な内容が記された数葉の羊皮紙で構成された部分(B パート)とから成っている 1)。いずれのパートの筆者も特定されてはいないが、それぞれのパートの筆者が別の人物であると考えることは自然であろう。また、詳しくは以下の「ラテン語写本第一七〇四番について」で述べることにするが、写本のそれぞれのパートの状態を併せれば、そうした考えはほとんど確実である。現在まで、A パートと同一の内容を含む別の写本は発見されておらず、著者も誰であるか判明していない。それゆえ、以下ではこの著者を「無名氏」と呼ぶことにしよう。しかし、彼(B パートの記述に倣って「彼」と呼ぼう!)に関してはその実状がまったく分かっていないというわけではない。この無名氏という人間については、B パートの記述から読み取れるかぎりのことを、以下で詳しく述べることにしよう。


  1) B パートの内容に関しては、いくつかの問題が生じ得ると思われる。そのことについては以下、「ラテン語写本第一七〇四番について」を参照せよ。


 無名氏は、A パートにおいて次のように問うている。「ある人は個別者を愛することができるか」。ああ、この愚かものめ! と思う前に、しばらく私に彼を弁解させて欲しい。この問いが決して愚かなものではなく、彼にとっては切実な問題であったということは、無名氏についての伝記である B パートの伝記を繙けば納得いただけることであろう。A パートにおいて「ある人は個別者を愛することができるか」という、一見すると愚かでしかない問題が、どういう経緯のもとで立てられたのかということに関する重要な情報が含まれている箇所であるので、少し長くなるが、以下に B パートから引用する。


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 この問題の著者に関しては、以下のように伝えられている。……パリの大学で精妙なるスコトゥスの哲学を学んだ。一時期、パリ大学の学芸学部で教師を勤めた。討論会において、スコトゥスに習うしかたで個体化の原理ををはじめ、神学の問題を含む様々な論題について議論を行った。……だが彼は議論をまとめることはなかった。それゆえ、彼の討論会の記録は今日では失われている。……[破損]そのあとすぐに彼は教授職を辞した。彼がある女性を愛したことも、その原因であると言われている。……彼はあまりに深く女性を愛しており、大学を辞して後、彼が若くに死ぬまでこの問題 2) において探求している通り、その女性を、まさにその女性として愛し得るための形而上学的な根拠 3) を求めたのである。しかしながらその探求は、彼が学んだ博士の哲学に反することになる。というのも、個別者が愛され得るのは、その個別者が認識され得る限りにおいてであり、私たちの知性は、個別者をまさに個別者として認識することは出来ないからである。......彼は結局この問題の執筆を途中で断念することになる。彼は、とうとう精妙博士の議論を打ち負かすことはできなかったのである 4)。


  2) 訳註。本書の「第二問題」のこと。

  3) 写本の破損のため、ほとんど判読できない。« ratio » か « radix » のいずれかであると考えられる。いずれにしても、意味上の大きな差異はない。ここでは後者を採用した。

  4) MS lat. 1704, ff. 3v-4r.

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 ここで述べられていることを簡潔に纏めよう。無名氏は、おそらく、ビュリダンがそうであったように、無名氏もまた在俗の学者であったのであろう。パリにてドゥンス・スコトゥスの哲学を学び、彼自身もパリにおいて学芸学部で教鞭をとる。しかし、彼は討論会の記録を、他の哲学者たちがそうしているように、著作というかたちで纏めることはしなかった。そのため、この B パートが書かれた当時、すでに彼の行った議論は失われてしまっていたようである。その後、彼は教授職を辞した。彼がそのように決断するまでの流れは、写本が数行に渡って壊れてしまっており、判読できない状態になっているため、補うことはできない。しかし、その原因の一つには、どうやら彼の非常に深い愛があったということは読み取れる。彼はある女性を深く、深く愛した。そしてあまりに深すぎる愛のゆえに、おそらく、その女性の髪や肌の色が変わり、顔のつくり、背、声、性格、そういったあらゆる性質がすっかり変わってしまったとしても、彼女が彼女である限り、彼女の魂までを永遠に、変わらず愛し続けたいと願ったのであろう。そのように願うことならば誰だってできる。実際、そのような願望を抱く人間は数知れない(しかしながら、そのように願われた「永遠の愛」が実際に永遠であったためしがあろうか?)。だが、幸か不幸か、彼の愛は、決して児戯のような脆いものではなかなったのである。そしてさらに、こちらはまったく不幸なことであったのだが、彼は形而上学者であった。彼は自分が「永遠の愛」を実際に抱くことができ、そして現にその「永遠の愛」を抱いている、ということを、知性の力のみによって証明しようとしたのであった。その探求の過程(まさしく、上の B パートの引用がそのことを示しているように、その探求が終えられることはなく、ただ「過程」のみが残ったのである)が、この書に収められている「第二問題」なのである。この問題は、無名氏による、永遠なる愛の探求の過程である。

 実際に「第二問題」をわずかに読むだけで分かることであるが、私たちが誰かを愛するとき、実は、私たちはその誰かを知っていなければならない。「きちんと」とはどういうことか。私たちは、愛する人を「愛する人」として同定していなければならない。私たちは、いわゆる不貞の人間でないのならば、人を愛していなければならないからである。ペネローペーが、身を窶したオデュッセウスを、彼女は、アテーナーによって乞食の姿にされたこの英雄を愛することなど決してできないであろう。このとき、ペネローペーがという状況が生まれるのである。ある人物に関する認識が強力であればあるほど、それに比例して愛もまた深く強くなってゆく(もし「深い」愛がそのようなものであるとするならば)。その姿形がすっかり変わってしまっても、同じ人間だと理解できていれば、その人間をなお愛し続けることが可能になるからである。この英雄の妃は、仮にオデュッセウスが老人の姿をしていようと、あるいは乞食の姿をしていようと、、変わらずその男を愛することができるのである。「第二問題」における無名氏の探求とは、こうしたように、姿がいかに変質しようとも、あるいは、そもそも肉体が完全に消滅してしまい、死後に霊魂のみが残っているような状況であったとしても、依然として人間は誰か同じ人を変わることなく愛することができ、愛し続けることができる、そうしたことの形而上学的な根拠へ向かうものであった。つまり、彼の「第二問題」の探求は、誰かをその芯の奥底から愛するために、その誰かを芯の奥底から認識することは可能か、そして可能ならばそれはいかにしてか、ということを問うものであった。こうして無名氏にとって、個別者の認識に関わる形而上学は、彼が愛する人に対して、最も深い永遠の愛を抱き得るという可能性(そして彼はそのような愛を抱いていると信じていた)を探り、自分の愛が最も深い永遠の愛であり得る、と確信するための、ある種の慰めとなるのである。

 しかしながら、先に B パートから引用したところから明らかな通り、無名氏はこの問題の執筆を断念する。「第二問題」の第三段落や第六段落で提出される例が無名氏を悩ませたことは、実際にテクストを見れば明らかである。すなわち、私たちはまったく同じ見た目の二つの人間を区別することができるだろうか、という問題である。一見しただけでは、私たちは双子を区別することは出来ないであろう。しかし通常の双子であれば、私たちは経験を重ねることで、微妙な差異を見出し、それによって双子を区別することができるようになるだろう。それでは、もし寸分の狂いもなく見た目の双子であったならば? 完璧なクローンであったならば? この「まったく同じ双子」の問題、「完璧なクローン」の問題は無名氏を苦しめたのである。自らの愛する人間の、まったく同じ双子、完璧なクローンを目の前にしたとき、私たちは、私たちがを、過たず愛し続けることができるだろうか。愛する人と、愛する人の完璧なクローンを見分けない限り、人を愛し続けていることにはならない。彼が援用するドゥンス・スコトゥスの議論だけではこの問題に対して明確な解答を与えることはできない。それゆえ、彼は、ドゥンス・スコトゥスという哲学史上の巨人を乗り越えて、あらたな理論を作り上げねばならなかった。しかし、彼について書かれた B パートが、そして彼の名が決してそこに刻み込まれることのなかった哲学史の濁流が語っているように、彼はとうとうその理論を作り上げることができなかった。彼には、悲しいことに彼の哲学的な才能によっては、私たちの知性が「まったく同じ双子」を見分けるための根拠を探し出すことはできなかったのである。しかしながら、写本の最後、私が第十三段落とした箇所の最後にぽつりと残されている « sed, sed »(「しかし、しかし」)というたった二つ語は、個別者の認識に関する哲学史を塗り替えることはできなかったものの、彼自身は、愛する人のために、そして彼自身のために、永遠的な最も深い愛の可能性を探求することを決して諦めまいとする、力強い態度を示していると言えるだろう。そのわずか二語の背後に、私たちはには決して現れることはなかったが、しかしながら一人の生命の激しいを読み取ることができるだろう。


●無名氏の「第二問題」


 彼の探求について、詳細な部分は「第二問題」および、それに対して付された「註釈」に任せることにして、無名氏に関する歴史的なことについてすこし触れておこう。すでにそのように書いたが、無名氏は十四世紀の初頭、それもおそらく 1320 年までに活躍した人物であると考えられる。彼の記述のスタイルは、ヨーロッパ中世の哲学書において一般的であった「討論形式」と呼ばれるものである。討論形式は以下のような順序で議論を進めてゆく叙述のスタイルである。まず「ウィ」か「ノン」かで答えられる問題が与えられる。そして、その問題に対して、執筆者と反対の見解を持つ論、すなわち「異論」が紹介される。例えば、問題の執筆者が「ウィ」と答えるならば、異論は「ノン」と答える立場であり、その逆もまた同様である。その後、異論と反対の立場の論が紹介される。これは「反対異論」と呼ばれている。必然的に、反対異論の立場は、執筆者に近い見解を持つことになる。続いて「主文」と呼ばれるところで執筆者の見解が述べられ、最後に「異論解答」において異論の誤りが執筆者によって訂正される。討論形式とはこれらの「異論」、「反対異論」、「主文」、「異論解答」というパーツを持った叙述形式のことである。つまり、「第二問題」が未完の著作であることは、その内容だけでなく、問題の最終部に「異論解答」が付されていないことからも明らかというわけである。

 討論形式というスタイルは、十三世紀のころにはすでに崩れ始め、十三世紀末から十四世紀のはじめにかけて活躍したスコトゥスの時代には、討論形式の大枠は保持されつつも、かなり自由な議論の展開が認められる。無名氏は、スコトゥスの著作への言及も見られ、明らかにスコトゥス以後の哲学者であり、「無名氏の見解」以降は完結しないままであったものの、討論形式のスタイルは比較的しっかりと見て取れる。また、スコトゥスの個の議論に対し、厳しく批判したウィリアム・オッカムに対する言及がまったく見られない。個の問題に関して、スコトゥス側の立場に立って論述する場合に、オッカム以降の論者であれば、オッカムに言及し、彼に対して批判を加えるのはごく自然であると言えるだろう。それゆえ、これら二点を併せて考えれば、無名氏が著作活動を行ったのはスコトゥスの死後からオッカムが著作活動を始める前までの時期に限定することはおそらく正しいであろう。したがって、私は無名氏の「第二問題」は 1300 年以後(そしておそらく 1310 年より以前ではないだろう)、少なくとも 1320 年以前に書かれたものであると結論付けた。

 さて、この「第二問題」はなぜ第二問題なのだろうか。「第二問題」の第一段落に « in quaestione secunda »(「第二問題においては」)とあることから、この問題が何らかの問題集の一部であり、しかもそれが第二問題であるということまで明らかである。しかし、それが何の問題集であり、問題がいくつあり、そして第一問題は何を問うていたのか、ということは、写本が見つかっていないか、あるいは残っていないため、どれも分からない。また、なぜこの第二問題だけが写本として残されていたのかも不明である。

 しかしながら、この第二問題に先行する第一問題は、「個体化の原理」についての問題だったのではないか、と予想される。個体化の原理とは、この世に存在している事物が、なぜ「個」というしかたで現れているのか、ということを説明する形而上学的な原理である。たとえばソクラテスがソクラテスであり、かつソクラテスはプラトンではない、という事実に説明を与えようとするのが個体化の原理の問題であり、これは中世を通じて広く議論され、現代に至ってもなおその姿をすこしずつ変様しながら問われ続けている、哲学上の大問題である。

 第二問題の第七段落以降、私が「無名氏の見解」と整理した箇所において、無名氏は、ドゥンス・スコトゥス的な個体化の原理を前提としているように思われる。スコトゥスの個体化の原理についてはここで詳述することはできないが 5)、このことも無名氏がスコトゥス派の人間であることを示している。そのようなスコトゥス的な個体化の原理を、前提として無条件に設定することは考えにくい。そうすると、第一問題で個体化の原理について、比較的入念に探求を行っていたのではないかと考えられる。


  5) ドゥンス・スコトゥスの見解の基本的な事項に関しては例えば以下を参照せよ。E. Gilson, *Jean Duns Scot : Introduction à ses positions fondamentales*, 1952, Vrin, Paris.


 しかしながら、そのように仮定しても、必ずしも正しいとは言えないどころか、この問題集全体が実際にどのような主題に関するものであったかは謎のままである。「第二問題」以外の問題を含む、ラテン語写本第一七〇四番以外の写本が発見され、研究が進むことを祈るばかりである。

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