秋雨思考
文月文人
秋雨思考
結城 凪正はベンチに腰掛け、雨に打たれている。
その雨水は丁度、生暖かく、都会の風が吹いてもちっとも寒さを感じない不思議な雨だった。夕方、駅から降りてホームの真ん中を歩いていると雨が降って来て他の人が一斉に傘を開くと、ああ、傘を忘れちまったなと思った。コンビニに寄って傘を買おうとして財布を開いたら電車賃しか手持ちがなくて、傘も飲み物も買えなかった。出入り口の傘立てにいくつものビニール傘が並んでおり、一本くらい盗んでも平気だろうかとふと店内を見た。客は自分しかいなかった。だから何もせず早歩きでコンビニを出た。
結局のところ、雨に打たれた方が楽だった。傘をさすと水を規則正しいところに落ちて、不規則な場所に散らばってしまった。だったら最初から雨を浴びていた方が楽なのではないかと思ったのだ、だからジャケットを脱いでシャツ一枚でベンチに腰掛ける。透けて肌が見えてもお構いなしに生地に水が染みこんで、やがては飽和したように水が流れ落ちた。
「もしもし、うん。俺、え? どこだろ。え、え?あー、うん。金無くてさ。やばいなって思ってるの。迎えお願いできない? でもここが分かんないから、どこにって言えないけど、ちょっと、切らないで、おーい」
ぶつっと音がした。
「ホント、使えないガキ……」
電話が切れて、胸ポケットに入れる。シャツが体中に張り付いて気持ちが悪い。どうやら電話をしても、迎えは来ないようだった。傘を差した子供連れの夫婦が自分を変な目で見た。子供が指をさして、軽く手を上げて笑って見せると逃げるように夫婦らは消えた。
とうとうズボン、やがては下着まで雨がやってきた。雨はしつこくどこまでも体中を巡りたいらしく、抵抗する術も無くいっそのこと大の字になって全身で雨を受け止めてやろうかと思った。
頼むからいっそ晴れろ、なんて都合の良い願いは叶わず。
余計な悩み、雑念が消えて行くと雨の音も聞こえなくなって自分の中で駆けまわる血液と管が擦れる音、心臓の音までもが確実に静かになって聞こえなくなっていくのが分かった。
ああ、そういや自分は死んでいたのだった。それでも尚生きようとしているリビングデッドのようなもの、生きているはずなのに体温を奪われた何か。天女のような女に指摘されたくらいなのだから、多分そうなのだ。
「俺、生きてる。よな?」
自分の声は聞こえている。子供に指をさされた。まさか幽霊になった訳ではない。コンビニに立ち寄った時に見たガラス扉にさえ姿が映っていた。だからきっと生きているはずだ。だが誰が生きていることを証明してくれるのだろう? あの時医者が貴方の子供は死産により死にましたと宣告され、改めて死であると自覚させられた。でも貴方は生きていますよ大丈夫ですよとは言われた事が無い。
当たり前であることが証明されづらいとしたら、死は一種のイレギュラー性を秘めている。ゲームで言う番外編や、お菓子にくっついているおまけ。そのおまけが大当たりなら皆は驚き、物欲しそうな目で見てくる。それが死だ。
指を指されなければ、誰かがこちらを見詰めなければ。それは死と同じだ。生きているなんてきっと素っ気無くて、しょうもない事だ。だからって死にたい訳じゃない、死生観に冷たい意識を持ってきてしまうのだ。こればかりは癖だ。刹那に光る星のように、一瞬一瞬が白昼夢のようなのだから。
「いっそこのまま雨の音にならねえかな、俺」
「何言ってるの」
目をぱちりと開けた。目の前に少女が珍しそうな目で見下ろしている。少女は傘をさし、自分に傾けた。わざとなのか気づいていないのか、水滴が顔にぼとぼと落ちて、瞼が少し痛くなった。
「……よくここが分かったな?」
「たまたまだよ」
「……俺のこと見えてる?」
「見てるけど。いい大人が傘もささずに雨に打たれて恥ずかしい」
「酷い事言うな、お前は」
「風邪ひくよ、はい」
少女は一本のビニール傘を渡してくる。せっかくなら一緒に入ろうと思ったが、ちゃんと用意しているところが女の子らしい。
「ありがと」
「一本五百万」
「高い……」
「じゃあこの雨、止ませてよ」
「それは無理だなあ」
傘を開いた。あっさりと雨の音が変わる。
ああ、生きてる。
秋雨思考 文月文人 @humiduki727
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。秋雨思考の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます