第二十四話 世界樹

 エナトの力を借りて世界樹の入口まで飛ぶ。入口ってどういうこと? と思わず口に出すと、ソリスが答えてくれた。

「……世界樹は木ではない。建物、といった方が良いじゃろう。もっとも私も、文献の中でしかそれを知らないが」

 そういうこと、とエナトはいう。まあ信じるほかないだろう。今のエナトに、敵意は感じない。どうしてだろうか? さっきまで剣を向けあっていたというのに。殺そうと思えば殺せた。まあ殺してはならないのかもしれないけれど、彼女には純粋な心しか感じないのだ。どうしてだかわからない。これも彼女の言うところの、「きみとわたし」だからかもしれない。

 まるで、モンドが一緒にいた時のような感覚。ボクとエナト。はっきりと別れているのにそこにいるのがわかる。今改めて思うと不思議な感覚だ。何となく嬉しい。彼女のことを恨んでいないと言ったら嘘になる。ボクをおびき出すためと彼女は言っているが、それでもヒトを殺しすぎた。そのことを彼女はなんとも思っていないから困る。どうやら、ボクよりも死に淡白らしい。気に入らないものは殺す。そうやって生きてきたんだから仕方ないかとも思ったけれど、それでもたくさん教えないといけない感覚、感情はたくさんある。だって、愛するって、相手のことを知って、ボクのことを知ってもらうことでしょ?

 エナトに続けて呪文を詠唱し、そこに彼女の言う通りの気を集める。集めるのは簡単だった。エナトがほとんど手伝ってくれたから。『飛ぶよ』というエナトの声が終わる前にボクらは無重力状態になり、気がついたら地面より数センチ上にあった。すとん、と降り立つ。オルフが不思議そうにボクを見つめて尋ねる。

「エナトに、聞いてもらえますか。貴方はいま、モンドとつながっているのかと。繋がっていないのなら、どうやって今の術を行使したのかを教えてもらえませんか?」

「う、うん」

 彼に聞かれたことを聞いていたのか、エナトは答える。『いまはモンドとつながってはいない。でも、出来る気がしたんだ。わたしはいつも通りに術を行使して、場所を指定しただけ』それを伝えると、オルフはもっと不思議そうな顔をしたまま、わかりましたと言った。うん、確かに不思議かも。でも、今更エポに戻って考え直している時間はないと、エナトは言う。

『わたし、さっき鉢をつかって霧を晴らしたでしょ? あれは世界樹の扉を開く鍵なの。すぐにいかなくちゃ、扉がしまっちゃう』

(しまったら?)

『……次の巫女が現れるまでお預け』

 エナト……と一人でうなだれそうになった。思わず困った顔になったボクを、ラルさんが見る。えへへ、と照れくさくて笑いながら今話していたことを話すと、やっぱり大して興味がなさそうな反応を返された。まあ、いつものことだ。いつものことだけど。その横顔を盗み見ておもう。いつものことだけど、もうすぐいつもじゃなくなってしまうんだなあ。……分かりきっていたことのはずなのに、どうしても悲しくて、寂しくて手を伸ばした。でも、届かない。(もう、届かなくていいんだ)手を引っ込めて思う。この手は、ラルさんのためにある。それで充分なんだ。

 そこはまるで木が口を開けているみたいだった。真っ暗なその空間に一歩足を踏み入れる。まるで闇に飲み込まれるようだったろう。壁に手をつくと、それはざらざらした気の肌のよう。オルフの術の灯火を頼りに奥の広いスペースまで進む。「わあ……」まるで、なんだろう。太い木の根っこを黄金色に輝く光の帯が、呼吸するような、あるいは波の満ち引きのようなリズムで、ともっては消えを繰り返しながら流れていく。そう、まるで生きているみたいだ。昔、町の学校で習った木のことを思い出した。もし水が根から取り入れられるさまを見られたら、きっとこんな感じだろう。そっと、その光に触れようとして、はっとして手を引っ込める。……これ、気だ。でも、何も入ってない。

「すごい……まるで、神器具だな」

「ソリス、この光って」

「何も入っていない気……恐らくは思いを取り入れる前の、気のもとになるものじゃろう」

 しんと静まり返った冷たい空間に、ボクたちの声は響く。モンドは、どこかでこれを聞いているのだろうか? それとも彼も、まだ上を目指している途中なのだろうか? どちらにせよ、目的地は同じ場所だろう。ボクはどうしても上に登りたくて仕方がない。これは巫女の……本能とでも言うのだろうか。『この一番上に、巫女が巫女たる儀式をする場所がある』結局巫女ってなんなのかわからなかったなあ。もう知っても仕方ないような気がするけれど。ひとり苦笑いした。

 そういえば、さ。とエナトに話しかける。

(願いって、なんでも叶えられるの?)

『うん。なんでも。世界を壊すことができるくらいだもん。創り出すこともできるよ』

(じゃあ、例えばさ――)

 ないしょ話をするみたいに彼女に願いの案を言うと、しばらく考え込むように黙ったけれど、困ったようにくすくすと笑ってこういった。

『できると思うよ。ただ……これまでの巫女の中で、一番面白くないかもしれないけれどね』

 構わないさ。と視線を移すと、部屋の端に階段が見えた。それを辿るように見上げたけど、闇に吸い込まれていっていた。(あのむこう。あの暗闇の先に、モンドがいる)彼の願いを叶える人形になんかなりたくない。ボクには、叶えたいことがある。『モンドはね、きっとわたしが裏切ることも想定していたはず。きっと何らかの策があると思う。彼にはもう言葉は届かない。わたし以上に負の気を抱え込んでしまっているから。きっと、きっと、手加減なんてしていられない』……じゃあ、じゃあ、殺さなきゃね。建物のなかなのに全然それらしくない、森の中よりも澄み切った空気を吸い込む。

「……行こう」


 *


 行こう。そう言って歩きだした背中は、前よりずっと、大きく見えた。初めて出会ったときはあんなに小さくて傷だらけだったのに。一緒にいたときは、もっとすぐ近くにいて、つい最近まで近くで支えてやらないと消え去ってしまいそうだったのに。

 今はこんなに、大きく見える。

 俺は昔、ここに来たのだろう。俺ではないときに。ルーテルとかいう巫女だったときに。

 でも俺は、ラルは、今初めてここに立つ。

『ラル様』

(平気だ。行くぞ)

 今はせめて、せめて。見失わないように。

 こいつの作り出す未来を生きていくために、行くしかない。


 *


 魔物ではない、でも魔物に似たモノを切り捨てては進み、切り捨てては進む。ボク……巫女以外の侵入を阻むために存在する、番人みたいなものらしく、ボクが近づいても何もしないのに、ボク以外が近づこうとすると攻撃をしてくる。もともと、ここは一人で来るべきところなのだろう。おかしい……とソリスが言う。竜族である彼女はここに来ることを許されている筈らしい。モンドだ。とエナトが呟いた。『モンドが番人を操ってるんだ』

 そうしているうちにも近づき攻撃を加えてくる敵をみんなが倒すのを待つ。

 そっと、剣に触れる。これの扱いを教えてくれたのは彼だ。母さんよりもずっと長い間一緒にいた、いいや、誰よりもずっと長い間ボクと居てくれた、師であり友であり親代わりである存在。……それは、利用していただけだけど、それでも。

『嫌?』

(……わからないな)

『そう。……わたしもよくわからない。嫌なのか、そうでないのか。これが正しいと思ってたけど、ドリラと一緒にいるとわかんなくなる』

「もう少しじゃ」

 天を仰いでソリスが呟く。もう少し。もう少しでモンドに会う。「行くぞ」


 *


 ずっと待っていた。

 再び、巫女がこの世界に現れるのを。ずっと。

 ずっと孤独に、人前ではいつも微笑みを絶やさず、誰よりも優しく生きてきたルーテルの願いは必ず果たさねばならぬと思っていた。ドリラを、エナトを、……巫女を殺す。それも早く。生まれてすぐ。その使命に気づく前に殺す。『もうこんな思いをする人を増やさないで』それが彼女との約束だった。

 そのために我は、何故か手に入れた覚醒前のサユフィや力を持たぬ者の精神に入り込み操れる力を使いルーテル教を組織し、巫女を探す準備をした。信じる者は巫女に救われる。信じぬ者には恐ろしい力がつく。それがそう、悪魔を御する力を持つ異端者ども。そうやってあぶり出すうちに次の巫女に会う。あったらそれを殺し、そのあとは身を潜めまた次の巫女を殺す。それを繰り返していくつもりだった。自らの力で道を切り開かねば、幸せなどやってはこないのだと人々が気づくまで。

 でも、それは無駄であると知った。

 人々は思っていた以上に愚かだったのだ。我が思い浮かべていた以上に。

 だったら、だったら。

 こんな世界は必要ない。この世界を壊せば、巫女がこの世界の気を、命と引き換えに世界の外に放出する役目を背負い、その役目が終わったら世界樹の糧となり意識を殺し、世界中の気を吸い続ける役目を背負うこともない。ルーテルの願いはかなったも同然だ。自分と同じ気持ちになるヒトをこれ以上増やしてはならない。そのために彼女は我を生かした。

 我は巫女を見つけた。それはエヴォの民の長の娘だという。早速拠点をこわし戦力を削ぎ、長である女性が安心し始めているところを狙い二度目の襲撃を行なった。まだ幼い巫女に入り込み分離させ、エナトを手中に収め……彼女を操りドリラを泳がせ。

(うまくいったと思っていたんだがな)

 エナトが寝返るとは思わなかった。完璧に操れていると思っていたのだが。だがそれも、想定内といえばそうだ。やはり頼れるのは自分だけか。そうため息をついて、少し段になった、その上にある木の根を組み合わして出来た玉座の前に跪く。そこは昔、ルーテルが座った場所。もう直ぐだ。

 立ち上がったそれを待っていたかのように、階段を上がってきたドリラの、彼女と同じ銀の目が我を捉えた。

 ――もうすぐ、きっとお前の願いを叶えてやる。

(見ていてくれ、ルーテル)

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