第二十三話 無垢
聞き取れない叫び声をあげながら、剣と化した腕を振り回す。それをなんとかよけながら、ボクはそこから流れ出る気を読んだ。気はいつも外に出たがっているのにエナトはそれを無理やり自分の中に押しやっていた……だから、見えなかったのかな。さっき触れたときも。エナトは気の塊で、そしてそれを自分の殻に閉じ込めてやっと形を保っていたんだ。なんとなく、そんな気がした。
吹き荒ぶ気の嵐の中、巻き上げられた瓦礫を避けられず頬を切った。……気を抜いたら、確実にやられるのはボク達のほうだ。でもボクには幻にしか見えないこの水の渦はソリスの術。ドウン。とその中を突っ切っていく衝撃波は、タクトの銃から出たもの。ふわり、と体が軽くなって、頬が一瞬痒くなって、次の瞬間には頬の熱さは消えていた。これはきっと、オルフの術。ボクの近くで剣を、拳をふるって戦うのはラルさん。
ボクらは五人。エナトは……。胸に沸き上がるこの感情は、哀れみではなく悲しみだ。ボクから生まれたのに。彼女もボクの一部なのに。どごっ、と地面に叩きつけられた手に乗って、そこから跳躍する。でも……こうでもしないと、エナトは止まらない。
ラルさんのみちは、ない。
「はああああああっ!」
グサリ、彼女の死角から刺した剣は、ボクに確かな手応えを与えた。魔化によって固く変わった肌じゃない、まだエナトのものである柔らかいところを刺す。びくん、とその先が震えたと思ったら、急激にその場に集まってくる気を感じた。……よけきれない。直感でそう感じ、それでも手を離してそこから離れようとしてひらめいた。
(……浄化してしまえば、いいんじゃないか)
いちかばちか、やってみる価値はあるだろう。遠くから、避けるように叫ぶラルさんの声が聞こえた。(大丈夫。まだ死ねないもの)そう笑って、剣から手を離し、空中で重ねるまでが一瞬。ソリスは全部は受け入れきれないといった。でも、ちょっとなら? 受け入れられるかもしれない。と、『どうして!?』とエナトの声が響いた。話しかけてきているんじゃない。これは気だ。じっと目を瞑って、それを聞く。
『なんでこんな世界をかばおうとするの!? そこにいる人達だって、自分じゃ何も行動しようとしない! 誰かに責任を押し付けて、失敗したらバカにして、貶めて! お願いだから目を覚まして! 現実を見て、わたしと二人で世界をこわそう!? それがきみの好きな世界のためだよ! 壊して、全部なくしてしまえば、居場所なんて必要ないんだ!』
その奥に、エナトが見てきた世界が見えた気がして、そのあまりの冷たさに泣きそうになる。でも、ボクは。……ボクはね。
「そんな世界も、あるのかもしれない。もしかするとボクも、操られているのかもしれない。でも、ボクはね、そうだとしても居場所を守りたいんだ。ボクが消えたあとも、ずっとそれがあるように。それが、嘘だとしても!」
飲み込んでやる。とボクの体を吹き飛ばすどころかとり込もうとする気に、そうやって話しかける。いつもの浄化ではない。でも、こうしないといけないと思った。それは彼女の出した答えだけど、それはボクのそれとは一致しないから。無条件に受け入れても、意味がないと思ったから。
やや吹き飛ばされて、体が宙を舞う。ああ、また剣を置いてきてしまった。空中で苦笑いして目を開ける。若干、エナトの動きが鈍ったような気がする。ちゃんと着地出来るかなあ、と思いながら、絶対にできるという確信もまたあった。絶対、誰かが助けてくれる。そんな気がしたから。
「ドリラ!」
焦りながら、ボクが降りようとしているところにラルさんが立つ。手を差し出すと、それを見て相手も手を伸ばす。それをつかんだら、ふわりと体が軽くなった。……ラルさんの気じゃない。すとん、とつま先から降りる。
「ありがとう、オルフ」
「いえいえ、怪我でもされたら困りますから」
ラルさんから感じたのは、心配させるなというそれもあったけど、一番は安堵のそれだった。『怪我はしてないな』『無茶ばかりするな』『よかった』そんな暖かい気持ちでボクを包んでくれる。これは、エナトもしっている感情なんだろうか? ううん、もし暖かい気を知っていたとしても、ボクと同じものを知ってはいない。ボクの知っている気は、ボクしかしらないんだから。
と、大きな音と共に地面が揺れた。よろめく体を支えられながらそちらを向くと、エナトが大きな体を地面に倒していた。……体には焦げた跡。でも、死んではいない。ふう、とソリスがため息を吐く。「いまじゃ」
手をつないだまま、ラルさんを見つめる。彼はこちらをむいてうなづいた。ボクの好きな目。青い目で。
「行くぞ」
「うん」
手を離して歩きだしたボクを感じたのか、エナトはびくり、と動く。体全体で呼吸するその音は、人間のそれじゃない。なんとか体を起こそうとあがく。その羽に半分覆われた顔は怖がっているのか泣きそうに歪んでいて、でも強がるように、こちらを睨んでいた。……ちがうよ。ボクは、もう剣では戦わないよ。
「……エナト。キミは、さみしいんだね」
「!」
「キミは、居場所が欲しいんだ。そうでしょ?」
「違ウ……居場所はアる。モンドがいル。例え利用さレていルだけトしても」
「それは、本当に、本心から居場所と言えるのかな? ……ねえ、」
その場に膝をついて、白い肌に触れて続けた。「ボクじゃダメかな。ボクがキミの居場所になるから。今はなんにも知らないけれど、知っていけば、きっとボクらは仲良くなれるよ。だって、キミとボクだもん。ね?」
もともと涙でぐしゃぐしゃになっていた顔が、もっとぐしゃぐしゃになっていく。
「……うそ! そんナの嘘だ!! ソこにワたシの居場所なんてない! 嘘……嘘ッ!!」
「ドリラ!」
はっと背中に気配を感じるが、それはそのまま急速に近づいて、熱湯をふっかけられたような、いや、氷水をふっかけられたような、よくわからない感覚がボクを襲った。びっくりして叫びたいのに声がでない。心のどこかで、ああ、驚きすぎているんだ、なんて思った。視界がチカチカする。歪んでうねって気持ち悪いそのまま、その殴られたと思ったお腹をみたら、赤い剣の先が見えていた。(……さ、され、た?)あまりのことにふっと気が遠くなって、でも唇を噛んでなんとか自我を保つ。だめだ、今は意識を飛ばしている場合じゃない。エナトに伝えたいこと、まだある。
「う、そ、なんかじゃないよ……どうしたら信じてもらえるかな……?」
気持ち悪い。刺されるのはさすがに初めてだ。それに貫通なんて。そんなことを冷静に考えているのは頭の端っこの方で、ほとんどはなにこれなにこれと五月蝿い。いっそ気を失ったほうがいいんじゃないかというくらい痛い。実際、ボクの体はそう叫んでいるようだった。視界がぼやける。深い呼吸の中、なんとか言葉を紡ごうとする。
「ど……りら、」
「ボクのことをね、……とっても、大事に思ってくれてる人がいるんだ……。その人ね、ボクにこんなことしなくていいって言ってくれたんだよ……不思議でしょ? ボクが、しなくちゃさ、その人、……死んじゃうのにね。……それでも、騙してる、のかな?」
「……嘘。騙さレてたダけ。ソれモ計算ダよ」
「そう、計算、してたのかもしれないね。でも、ボクはね……その人を好きになっちゃったんだ。……ボクは世界のために、ここにいるんじゃない……ボクの大事な人を、生かすために、ここにいる。……ねえ、
震える右手で、剣に触れる。そこについてるのはボクの血であって、エナトのじゃない。大丈夫。ボクはボクで、エナトはエナトだ。「……っ、は」自分で出しているつもりがないのに、痛みで声が出る。妙な汗が出てきた。頭の中が真っ白。
もうげんかいだ。しんじゃうのかな。ここで。さっきのかいわも、ただのじかんかせぎになっちゃうのかな。……や だ 、 な 。
目の前すら真っ白になって、もう終わりだと諦めかけた。……でも、なかなか意識が途切れない。なにか暖かいものに包まれる。それは小さな声で泣いていた。しゃくりあげる度にボクまで揺れて、なんだろうこれ、とやっとの思いで目を開けた。右手に触れていた剣が消えると同時に、何か、これは腕だろうか。それがボクの体を抱いた。
「ご、めん、なっさい……!」
まるで小さい子だ。その背中に手を当てようとして、やめる。ふれたら、消えてしまいそうだったから。消えてしまうのが、とても寂しかったから。
「……エナト」エナトなんでしょう? どうして泣いているの? ボクのこと、殺したかったんじゃないの? やっぱりその考えが読めなくて、悲しくなった。……もう怖くない。怖くはない。
「殺したくなんかなかった。友達になりたかった。だって、わたしは、ドリラから生まれたんだから。ドリラが捨てた感情がわたしだとしても、わたしは、ドリラに好かれたかった。寂しかった……!」
嫌いにならないで。わたしはここにいるよ。きみがいくら目を背けたって、わたしはここにいるよ。そう言いたかったんだ。ずっと会いたかったんだ。いつだって。ずっと。
「ボクは、生半可な気持ちで、キミの居場所になるって言ってるわけじゃないよ」
「ドリラ」
「……ごめんね。いままで……」
最後まで言わせず、エナトらしき気配は、ボクの耳元で囁く。
「ありがとう」
わたしには、それで充分だよ。
ぶわっ、といつも感じたことのない量の気が、ボクの中に入っていくのを感じた。でも、痛くもない。苦しくもならない。逆に、なんだか体が軽くなっていく。と、突然刺された場所が尋常じゃなく痒くて変な顔になる。掻きむしりたいのを必死に我慢してその光が止むのを待った。……エナトが治してくれている。そんな気がしたから。
その痒みが止んだと同時に、光が止んだ。あたりは何もなかったかのように静かだ。ただ目の前には赤い髪飾りと、ボクの剣が落ちていた。
「……エナト?」
ボクを抱いていたはずの、エナトがいない。はっと腹部を押さえても怪我なんてない。服はもちろんボロボロになっているけれど、さっきの戦いで擦り傷がたくさん出来てたはずなのに体はいつも通り。いや、いつもより軽いくらいだ。
なのに、どうしようもない喪失感を覚えて、ボクは思わず立ち上がってあたりを見回そうとする。が、その体はすぐに、別の体に抱きかかえられた。
「ドリラっ……!」
「うわっ、ラルさん!?」
瞬間、いろんな想いがボクの中に流れ込んできた。それはやっぱり混乱しててぐちゃぐちゃで、なんだか吹き出してしまいそうになったけれど。……嬉しいな。こんなふうに心配されて。まあ、笑ったらきっと怒るから言わないけれど。
「ラル、退きなさい! 傷は!?」
「あ、あの……オルフごめん。なんともないんだ。ほら」
よっ、と服の下に仕込んだ着込みも上げて、腹部を露出する。うん。やっぱりなんともない。血は付いていて着篭みもぼろぼろになっていて使い物にならないけれど、そこはほんとうに、なんともなかった。オルフもきょとんとした顔をする。……初めて見るな、こんな顔。
「……ふむ。して、エナトは?」
「消えたな……何処かに隠れたのか?」
――ううん、わたしはまだすこし、ここにいるよ。
頭の中で、声が響いた。……エナトだ。名乗らなくてもわかる。この感じは、間違いなくエナトだから。それがどうしようもなく嬉しくて、安心して、思わず胸に手をあてて苦笑いする。まったくもう。びっくりさせないで。
「……ううん、ボクの中に、いるよ。怪我も、彼女が治してくれた」
「にわかには信じられぬが……信じてよいのか?」
「うん。信じてソリス」
エナトはもう、ひとりじゃないんだ。
ボロボロになった帽子をもう一度腰袋に戻して、地面に落ちた赤い髪飾りを髪にさす。
『モンドはね、寂しがってる。わたしなんかよりもずっと。彼は、ただのアモスじゃないよ』
二人にしか聞こえないのに、そう囁くように言った声が、頭にやけに響いた。
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