第二十二話 音、椅子
エナトはぱっと体を離したと思ったら、くるりと身を翻して木の中をのぞき込んだ。
「ふうん、これが《鉢》。思ったよりも、面白くないね」
ボクをソリスの方に押しやってから剣を抜いたラルさんが、穴に手を伸ばすエナトに切りかかろうとする。が、エナトはそれを一瞥しただけで弾き返した。……とんでもない量の負の気。それがまるで、矢のようにラルさんに突き刺さる。「っぐ、」吹き飛ばされ、どさりと尻餅を付くように倒れたラルさんに駆け寄って、その体を起こす。
「邪魔しないで。ドリラのことを思うのならわたしの行動はおかしくないはずだよ」
そちらに集中しているうちに、エナトはそんなことを言いながら鉢を取り出した。……エナトは、なんともないのか? 驚いたボクの顔を見て、エナトはやはり、くすくすと笑う。何が面白いの? 何を考えているの? さっき触れたときも、ボクには彼女の考えが読めなかった。どんな気を纏っているのか、それさえもわからない。
くるり、とこちらに向き直る。その体の動きに合わせて、髪飾りはそのままだが、前着ていた服とは正反対の黒い服が花のように広がる。それを楽しそうに眺めて、それからまっすぐ、ボクを見つめる。その目は、ボクと同じ銀。
「ねえ、この服どう? きみがオーズには黒が似合うって言ったから、今日は黒い服で来たの。似合うかな?」
そんなことを言った覚えが無くて、必死になって記憶の引き出しをあさる。――そうか、あの時。なにものにも染まらない、黒が似合うと思ったんだ。思った、だけなのに。考えが読まれている。そのことが気持ち悪くてその問いには答えず、こちらから質問をかえした。
「キミは、なんなの?」
「わたし? わたしはね、きみだよ。正確には、きみが母さんが死んだショックで発した、負の気の塊」
「……!」
(どういう、こと?)思わず胸元に手を当てると、全員分の驚きを感じる。「成程、」オルフの声が、やや震えている。「ドリラ……否、エスコニでしょうか……とにかく、それが感じられる容量を大幅に超えた気がその場に塊としてのこり、その強さが自我を持った。その存在が貴方……エナト、ということでしょうか?」
「そう、正解。つまり、わたしこそがきみの本性。光であり、影」
さあ、と手をボクに伸ばす。
「エスコニ、《創生ノ術》で世界を壊そうか」
近づいて来たけれど、誰も動けなかった。それはボクも例外ではなくて。何故かはわからない。神術を使っているわけでもないのに、その気配は感じないのに、動けない。ただボクは、目の前にある手を取ることも、叩くこともできずにただじっと見つめていた。……が、それは一瞬だったのかもしれない。ソリスの言葉にはっと我に返った。
「待て。創生ノ術とは、何じゃ?」
「知らなかったんだ。……あ、そういえばこれはちゃんとした形だと巫女のアモスにしか伝えられてないんだっけ。じゃあ教えてあげる。……創生ノ術はね、巫女が触れたこの世界の気を、外の世界に送るための術。まあ、それだけならわかりにくくいろんな書物にかかれてるけどそれだけじゃないんだよね。それだけじゃあ辛いから、それと引き換えに、巫女の願いを叶えるの。素敵でしょう? ドリラはもう、種を芽吹かせ、花を開かせた。これでもう、あとは鉢を手に入れるだけで終わり。そしてその鉢も今、手に入れた」
世界を壊す。彼女はそう言った。つまりエナトは、その力を使って世界を壊すつもりなんだ。……でも、なんで。なんのために? この世界を、どうしてそんなにも憎んでいるのだろう。にこやかに笑ったその銀の目の奥にある暗い瞳孔は、何をうつしてきたんだろう? ……それにエナト、ボクからあふれ出た気の塊である彼女は、巫女なのだろうか、サユフィなのだろうか。それともまたべつのものなんだろうか?
「わたしは巫女じゃないよ。でも、巫女になれる可能性は、ないわけではない。まあ、それは奥の手だから、できたら使いたくはないけれど」
「……見えるの?」
「ううん、見えないよ。でも……きみのことはなんでもわかるからね」
きみとわたし、だからかな。そう言って彼女はまだ続ける。
「あと……わたしはね、誰かに助けて欲しいって、そう思ってるだけのかわいそうな人達から、ドリラを助けてあげるだけだよ」
「そんなの、ボクは望んでないよ!」
ボクの声にちょっと驚いた顔をして固まったエナトに、ラルさんが続けていう。「……だって、さ。早く創生ノ術とやらの使い方を教えて、帰れ」エナトは彼を見つめて、それから困ったような顔になってうつむいた。(もしかして、このまま上手く行ったりして)なんて甘いことを考えたボクの耳を、エナトのくすくす笑いが擽る。その忍笑は、だんだん大きくなって、何事だろうかと身構えるボクたちを無視したまま、彼女は口元に軽く結んだ手を当てて笑いながら言う。
「ああ、これは傑作だよ! これはきみの前世である前の巫女が望んだことなんだよ? その証拠にモンドはまた、巫女のアモスになった。それをきみが否定するなんて、こんなに面白いことがあるかな?」
「ちょ、ちょっと待ってよアンタ!」
ふわり、と現れたリュミエルがエナトに近づいて言う。
「今アンタ、前の巫女が望んだって言ったわよね!? 彼女が……ルーテルが、それを望んだっていうの!?」
「きみには、記憶があるんだ? きみの前の主人もひどい人だったよね。全部の責任を彼女に押し付けて! 彼女はずっと苦しんでたって、モンドは言ってたよ! そう、元をたどればきみたち、きみのせいなんだよリュミエル!」
「待って、エナト!」
「いいや、待たないよ。もう十分待ったから! ドリラ。きみも分かってくれるでしょう? いや、わかるはずなんだ、なんで自分ばかりこんな目にって、思ったことあるでしょ!? わたしひとりじゃ、力は使えない! 二人じゃなきゃだめなの!」
わたし、楽しみに待ってた。だから! その表情は笑っていたが、まるで彫刻みたいだった。目だけが悲痛と動揺に揺れていた、見ているこちらが悲しくなる。エナト。と呼びかけたいけど呼びかけられない。……そうか。彼女はボクの、影で光なのか。ボクの分の影を、背負ってきてくれたんだ。
けらけら笑うのをやめて、彼女は鉢を撫でる。ボクの近くをすり抜けて、木から離れていく。ボク達からも。やっぱり逃がしちゃう、という考えは起きない。追わなくちゃ、なんて思わない。ただ、エナトの一挙一動に……魅入られていた、とでも言えばいいのか。
「まあいいや。わたしはわたしに課せられたことをするだけ。モンド、怒ったら怖いもんね。……《我、汝の望みを叶えるものなり》」
「!?」
言い終えるや否や、腕に抱いた鉢から白い光が溢れ出す。それは鉢に収まり切らず、一瞬で溢れかえった。そのあまりのまぶしさに目を閉じようとしたそのとき、目の前のエナトがもつそれからも、同じように光が溢れて一筋の線となって天を刺していた。
「な、にこれ!」
「……霧を、晴らすんだよ。ほら」
片腕で光を遮りながら空を仰ぐ。光は霧を刺し、そこからまるで追い出されるように空の青が現れた。何もない、空。いつの間にか光はやんでいた。腕の中の鉢も、溶けるようになくなっていて。
「さあ、これで準備は整った。あれを見て」
「あれは……!」
ソリスが驚きに目を見開いている。その方向を見ると、そこには大きな、木があった。いつもシルエットでしか見れなかった、あの大きな大きな木。でも、どこか元気がない。そんなふうに感じた。「そう、世界樹。今は力が鈍っているけれど。……行こう?」ほら、モンドも待っているから。そうやってもう一度手を伸ばした。世界樹から視線を外しそれを見ると、それは自分よりも白かった。華奢で今にも折れそうな、タコのない女性らしい可愛い手。ボクと違うけれど、ベースは同じ手。視線を合わせると、彼女はほら、とこちらを見て微笑む。だがそれは、……少し狂気じみていた。その純粋な狂気に、違和感のない狂気に、ボクは思わず震え上がりそうになる。
「……ボクは、キミとはいかない」
「な……なんで、どうして!? わたしは、わたしがせっかくここまで用意したのに! きみがここに来られるように頑張ったのに……鉢を手に入れられるようにここまで頑張った、」
はじめてエナトの表情がゆがむ。ぴしり、と聞き覚えのある音。腐っていく果実の匂い。
「なのに! どうしてきみはわたしの邪魔をするの!?」
「魔化じゃと……!?」
「あ……ああああぁあぁぁあああぁぁあァあぁぁぁぁあああァァああぁあぁァアぁァアあアあアァアあァァァあァアァァァアアアア!!」
見せてはいけないと判断したのか、オルフが走ってきてボクの耳と目を塞ごうとするが、ボクはそれを押しのけて、ただ呆然と見ていた。そのもとより白い腕がもっと白くなって硬い硬い剣のようになる様を。黒い高そうな生地を破いて不格好に生えていく羽の少ない翼を。人ではないものに支えられ、そこから飾りのように飛び出す脚を……ボクと同じ体が、どんどん変わっていく様を。……ただ、見ていただけだと、思っていた。
「え……エナト、エナト!」
「ドリラ!」
腕を力強く引っ張られて、思わずそれを吹き飛ばしそうになる。狙いを定めようと振り返ったそこにはラルさんが立っていた。青い目がボクを心配している。そして、同じ目をもつエナトを。「ボク、ボクは」止めなきゃ。助けなきゃ。
「分かっておる。まずは、動きを封じるのじゃ。今のままではお前の気が持たぬ」
「止めなイで!! もうコれ以上、わタしを止めナいで!! 巫女の選択ハ世界の選択! 誰も文句ナんて言わナい! ワたしがきみを乗っ取レば、わタしが巫女トなれル! モう我慢でキないッ!」
ボクが頷いた時、もとの体から三、四倍になったくらいのエナトが聞き取りにくい声で、虫や動物の鳴き声のような声で言う。それはまるで、鳴き声というより泣き声だ。その巨体が不釣合に小さな翼をもって飛び上がりその剣と化した手をボクに振り上げ、下ろそうとする。力を使っているつもりはないのに驚くくらいそのさまがきれいに見えるのに、剣の柄に手をかけたまま抜けないボクは、次は動けなくなっていた。(取り込まれる)漠然とそう感じた。でも、ボクは……、
――ボクは正しいの?
と、世界が揺らぐ。いや、揺らいだのはボクの方か。何かに突かれ無様に転がりそうになったのを、受身を無意識にとって、気が付けば座り込んでいた。「ぼさっとすんな、ドリラ!」後ろ手でボクを立ち上がらせながら、ラルさんがいう。後ろでソリスを守りながら衝気銃を構えたまま、タクトが目も合わさずに言う。
「目的を見失うな、巫女! あんたはなんのためにここにいる!?」
「……ボクは……」
決めたんだ。守るって。
その魂ごと守るって。そう決めたんだ。
確かな答えなんてない。
つまり、答えのない問題の答えは、ボクしかもってない。
「ボクは、キミを止めるよ、エナト!」
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