第二十一話 残響

 突然のオーズの襲撃から、約三十分が経過していた。目的はきっと、ボクとノースの作り出した鍵。エポの人間も、姿をみたからという理由で何人も殺されている。ボクが大人しく彼らに捕まって、鍵を与えたとしても、エポが何事も無く開放されるとは思わない。それに。

「準備は良いな?」

「うん。早く行こう」

 死んだ者の命を、無駄には出来ない。だから。

「ねえ、ラルは? ラルは連れていかないの、ドリラ!」

「……ラルさんには、キミから謝っていてくれるかな」

 心配で泣きそうな顔をするノースの前にしゃがんで、耳元で一言ふたこと言付ける。それを聞いたノースの目が、みるみる潤んでいった。ああ、そんな顔、させたくないのに。

「やだよ!! 自分で言ってよ! そんな遺言みたいなこと、僕、いわないからね!」

「声が大きいよ、ノース。……お願いね。エヴィグも」

 部屋の隅で何事かとこちらをこちらの様子を伺っていた、エヴィグという彼の相部屋相手にも、にっこりほほ笑みかける。たしか、図書室で何度かあったことがあるはずだ。少年はこくり、と頷いた。頭の良さそうな子だ。きっと大丈夫。だから、ノースをよろしくね。ボクたちが行ったあとどうか、鍵を壊してここからすぐに逃げて。

「そろそろ行くぞ、ドリラ」

「うん」

 ここに来たときに着ていたローブを羽織って、帽子を腰袋の中に突っ込む。

 怖くないといったら、それは嘘になる。でも、でもそれでも、いかなくちゃならない。

(ラルさんはきっと、止めるから。だから連れていけないよ)

 ラルさんに悲しい顔させたくない。

 ラルさんに怖い顔させたくない。

 ラルさんに、笑っていて欲しいから。

(だからごめんなさい)

 すう、と深呼吸する。エポの誰かの、怖いって感情が聞こえてくる。

 ……ごめん。でも、手段を選んじゃいられないんだ。

「行こう」


 *


 いつの間にか、置いていかれていた。

 置いていったはずなのに、置いていかれていたのは、俺の方だった。

『ラル様、ラル様ごめんなさい!! ドリラを早く追いかけて!』

「言われなくても!」

 下手な神術を駆使してオーズを焼き殺し、道を開けて走る。ボクはソリスといるから大丈夫だよ。だから、ラルさんはオーズをやっつけて、エポのみんなを守って。ドリラは笑ってそう言った。その時気づいていればよかった。オーズがなんの目的でここにきて、ドリラはどうして俺を遠ざけたのか。

 あいつは俺を置いていくつもりなんだ。

「くっそ……!」

 壁に手を付いて、それを軸に角を曲がりきる。ノースの部屋まであと何歩だ?

(早く、早く!)

 部屋の前に転がっている死体を飛び越えてドアを蹴り開ける。その音に驚いたのか中にいたノースがびくっと震える。鍵を握り締めたままの彼をかばうかのように、エヴィグとかいう少年が前に立つ。と、俺が誰か分かったのか、ほっと膝から崩れた。ドアを締める。

「ノース、エヴィグ、ドリラは!?」

「い、いっちゃった……」

 そう言ったかと思ったら、二人はそれが限界だったのか、血がついているのに気がつかないのか、こっちに駆け寄って上着にすがりつき泣き出した。「ソリスとタクトと一緒に行っちゃった……!」ノースのあとを、エヴィグが「巫女様、死んじゃうよぉ……。だって、巫女様……っ」と引き取るが、最後は言葉になってない。ふにゃふにゃと涙に飲み込まれていくようだった。

『ラル様、誰か来ます!』

 頭の中で響いた声に俺は剣を抜いてドアの前に立ち、二人をベッドの下に隠れさせる。が、ドアを乱暴に開いて入ってきたのはオルフだった。左頬が赤い。

「……ドリラは、もう行きましたか」

「ああ。お前頬、」

「ねえ!」

 ベッドから抜け出してきたノースが言う。その硬い意思を持った目はもう乾いていた。

「ドリラ、多分、秘密にしてることがあるんだと思う。僕に遺言みたいな言伝頼んだし……だからお願い! ラル、オルフ、ドリラを追いかけて!」

 お願いだから、ドリラを止めて!


 *


「あーあ……」

 まだ痛みの残る右手を見つめて、エルスはため息をついた。

 オーズの攻撃を受けて怪我を負った者たちが、ぽかんと彼を見つめている。

(手を出しちゃうなんて、俺様もまだまだ子供ってことね)

 心の中で小さくオルフに謝ってから、彼は何事もなかったかのように、怪我人の治療を再開した。


 *


 その村はいつも霧で覆われていた。

 そして、今も。

「……変わってない」

 タクトがあたりを見回して、その景色に戸惑っている。無理もないか。ボクだって、久しぶりに見て戸惑っているのだから。何もかもが吹き飛んで、あるのは白い砂だけ。……暑くない砂漠みたい。いや、ボクは砂漠に行ったことはないけれど、絵本や本で触れたそれに少し似ている気がした。ただ、砂漠には剥き出しになった家の柱や瓦礫、裸になってなぎ倒された白い木はないかもしれないけれど。

「変わってないのか」

「うん。でも……こんなところに、エナトはなんのようがあるのかな。それとも、間違えちゃった?」

「いや、そんなことはないじゃろう。……ほれ、そこ」

「あれは……」

 緑色だ。

 ソリスの指差す先。そこだけ、色があった。木だ。葉っぱは季節を知らないのか、みずみずしい緑色をしている。

 ……思い出す。そういえば、ここには行ったことがあったはずだ。位置から考えると、確かボクの家の裏にあたる。「ここには、あなたにとって大切なものが置いてあるの。でも、決して触れてはいけません。中のものを知ろうと思ってもいけない」柔らかいのに、冷たい母の声を思い出した。でも、あれから木がずいぶんと大きくなった気がした。まあ、十年近く経っているのだから、当たり前か。

 近づくとその下に空洞があるのを見つけて、しゃがんでその中をのぞき込んだ。何かがある。丸いものが中にすっぽりと入っている。

「なに、これ」

 邪魔な横の髪を払って、空洞からものを取り出そうとする。が、それはボクが触れた途端に二つに割れた。驚いて手を引っ込めたボクに代わって、ソリスが中をのぞき込む。

「……鉢じゃ……!」

「鉢? 鉢って、あの鉢!?」

 そうっとその手を伸ばしたとたん、びくっとその小さな体が震えた。慌ててタクトが体を木から引き離す。

「大丈夫か!」

「これは……結界じゃな。ドリラは、なんともなかったのじゃな?」

「うん」

「出してみてくれるか」

 でも、割れちゃったよ? と言いながら、とりあえず割れた片方だけを出してみる。それから、もう一つ。と手を伸ばした瞬間、ばちばちと静電気よりも強い何かが、ボクのそれを拒んだ。なに、いまの。もういちど、と手を伸ばしたら、もっと強いそれがボクに触れた。

「うあっ!?」

「無理はするな、ドリラ」

「う、うん。どうしてだろう?」

「今は答えがでぬじゃろう。……それより、これじゃ」

 こしこしと手で土を払うと、そこには古い文字が一行だけ書かれていた。半分のところでちょうど二つに割れているため、うまく解読することができないが、これの説明がしてあるということは分かった。もう一つ取れたらなあ、とため息をついていると、ボク達がさっきまでいたところに、人が現れるのが見えた。……青と桃色。

「あれは……」

「ついてきたようじゃな」

 立ち上がって一歩、前に進もうとしてやめる。後ずさると、背中に木が当たった。会いたかった。ずっと一緒にいたかった。今すぐ駆け出したいけれど、そんなのできない。だってそんなことをしたら、きっとボクは、彼を傷つけてしまう。

 なんて思っているうちに、ラルさんとオルフは目の前まで近づいていた。ソリスが「なぜここに来た」と鋭い声で二人を咎めている声が聞こえる。ボクはずっと、両手で鉢を抱いたまま突っ立っていた。

「おい」

「……な、なに」

 思ったよりも冷たい声が出て驚く。でも目を合わせることができなくて木にもたれかかる。違う。ボクは怒っているのだ。付いてきて欲しくなくて遠ざけたのに、それでもラルさんがこっそり付いてきたから。だから、嬉しくなんかない。

 目の前で布が擦れる音がしたと思うと、うつむいたきりのボクの視界に、ラルさんの顔がうつった。

「俺は、お前が決めたことなら、否定しねえから」

「……」

「だからせめて、そばに居させてくれ」

 それでも、だめなのか? とボクと同じくらい困った顔をしたラルさんの顔が悲しくて、ボクもそばにいたくて、そばにいさせて欲しいというその思いが嬉しくて。でも悲しくて。でもそれはきっと、ラルさんもきっと、悟ってる。ボクと同じように。目を閉じて、静かに言う。

「ごめん。ソリス、タクト」

「……かまわぬ。こうなると、予感していた」

「ありがとう、ラル。あとオルフも」

 あった時と似た格好をした彼は、腕を組んだまま「構いませんよ」と言った。「途中で貴方を帰すことはできませんが、簡単な治療くらいなら私にもできるでしょう」それに、と彼は小さく呟いた。

「それに?」

「いえ、何も」

 と、負の気がどんどんこっちに近づいてくる気がして顔を上げる。ソリスの耳が少し動き、それから鋭い声で警告した。「魔物じゃ!」それらしい影が見えない。……どこから来る?

 片手で鉢を持ち直すと、身に覚えのある気配を感じて、一歩進んでボクをかばうように立つラルさんの背に手を当てた。

「……エナト!」

「やっぱり分かったんだね」

「っ!」

 背中に気配を感じて、振り返ろうとした体を固定される。驚いて取り落としそうになった鉢を持つボクの腕を支えるのは黒い、これは袖?

 その中には柔らかく細い腕の感触。耳元に生暖かい息がかかる。ふわり、と香るのは淡い香水の匂い。ボクと正反対の白い髪が、ちらりと見える。そっと首筋をなぞる指は冷たく、細い。くすくす、と笑ったかと思うと、うっとりと耳元でこう告げた。

「そう、わたしはエナト。……会いたかったよ、ドリラ」

 その声は、やっぱりボクによく似ていた。

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