第二十話 鉢
穴は、これまで見たどれよりも大きかった。
「ドリラ、行けるな」
「うん、大丈夫だよ」
ソリスに返事を返し、ボクはそこに膝を付く。目を閉じる直前にオーズの二人を一瞥したが、二人はボクらから離れたところでじっとボクを見つめていた。……目を閉じる。さっきと同じ感覚。
『……ごめんなさい』
ボクの体を通して還元される気の一つが、そう呟いて消える。はっと目を開けると、穴は消え、そこには緑が広がっていた。あの声には聞き覚えがあった。……誰の声だったろうか? 水瓶に一粒のしずくを落としたように静かに響く、あの澄んだ声。膝立ちしたまま思い出そうとしたら、オーズの一人が叫んだ。
「み……巫女様……っ!?」
「その力、まさしく巫女様のもの……!」
その場にひれ伏す姿はまるで、ソリスとあったあの日のようだ。考えを奥に押しやって、二人の方を向く。
「ねえ、オーズって巫女を信仰しているんだよね?」
「は、はい!」
「ボクは巫女。つまりキミ達はボクを信仰するべきである」
いろんな話を聞きたいな。付いてきてよ。
*
「エナト様は、ある大切なもののため、自分の光であり影である存在の育った地であり、自分の生まれた故郷である場所を探していらっしゃいます」
「光であり、影?」
「はい。それは、自分によく似た黒髪の少女、と聞いています」
……もしかして、あなたではありませんか? オーズの一人……ヨーランはそう言って喉が渇くのかしきりにラッツのいれた紅茶を飲みながら言った。『だって、わたしはあなたの影だから』という自分によく似た、もういっそ自分から発せられたのではないかと錯覚するような声を思い出す。ぞわ、と寒気がして、腕を組むふりをして体を摩る。『そう、あなたよ。わたしの光、そして影』そう言われた気がした。
「そう、かもしれないね。ボクも詳しいことは知らないから」
「もう良い、下がれ」
ソリスの声に応じて二人は部屋を出た。後に残ったのは、いつもの四人。
「ドリラの故郷……か。生まれた場所とは、言わなかったな」
「ボクの、故郷といったら、母さんと過ごして……それからボクが壊しちゃった所しか思いつかないよ」
「場所はわかるか」
ううん、と首を振る。「わからない。ボク、住んでた村の名も知らなかった……」ため息が出る。情けない。どうしたらいい? 今からしらみつぶしに探して、果たしてエナトが見つけるよりも先に、見つけることができるだろうか? ……おそらく無理だろう。ボク達はその場所のヒントを今知った。彼らはずっと探している。くっと唇を噛む。……どうしたらいい? どうしたら。
「ノース……鍵師なら、出来るかもしれない」
「どういうことじゃ?」
「鍵師のちっこいの……ノースっていう奴がいるんだが、そいつが最近、人の扉の記憶から鍵を作る方法を編み出したんだ。ただ色々と条件があって、その記憶の持ち主が、扉の持ち主じゃねえと作ることはできないんだが……」
「ふむ……ドリラ。その村の記憶はあるのじゃろう? 自分のもの、と思える扉はあるか?」
扉……目を閉じて思い浮かべる。四角い世界。散らかった部屋、ドアはいつも外から締められてて、ボクが開けられたのは決して外にはでられない……、
「窓。窓じゃダメかな?」
「俺は詳しいことは知らねえよ」
開いた視界の端で、タクトがドアを少し開けて誰かと話しているのが見えた。「ノースという少年をここに連れてくるように頼んだ。すぐに来るはずだ」
なんて言っている間に、彼らしくなくおどおどとした様子で、ノースが入ってきた。
「ぼ、僕がエポの鍵師見習いのノース、です」
「お前が扉の記憶から鍵を作れると聞いた。それは、窓でもできるものなのか?」
「はい。あ、でも、違うんです。それは明確には、鍵とは言えないんです」
小首をかしげる。と、ノースはゆっくりと話し始めた。
鍵。それは、契約した街や村の入口の鍵で、ドアとドアを結ぶことができる道具。だがしかし、彼の編み出したそれは、ドアとドアをつなぐわけではない。術の発生源をドアとするのなら、それはたしかに鍵となるが。
つまりは、移動神術の目的地を決める術だという。他にもいろいろ、いつもの鍵よりも制限があるらしい。
「鍵師が持っている鍵も、だいたいはそんな感じ。術を形にしたら、ちょうど鍵がちょうど良かっただけなんだ。あと、目的地も。ドアである必要はない。……でも、それを記憶したその時と今で、物の配置が変わっていたりしたら、少し怖いかも」
移動したと思ったら、椅子と同化したりしちゃったら、そりゃあ怖いなあ。
「それでも、やってみる価値がある。だろうソリス、ドリラ?」
「……そうじゃな」
「うん。やってみよう。どれだけ正確に覚えてるか、分からないけれど!」
「では、早速その鍵をつくる術の準備を。私も手伝おう。術について詳しく教えてくれるか?」
てきぱきと指示を出すソリスの横で、ボクはじっと、故郷の景色を思い出そうとしていた。
*
「その村は、いつも白かったんだ。でも、あたたかだった。いや、気温は覚えていないけれど、白化はしてなかった。でも……ボクが覚えている風景は、全部白黒なんだ」
「うん……続けて」
「それで……」
目を閉じたまま、ボクは思い出せることを思い出していく。外から遠く響く笑い声、ボクを抱いた母さんの手の感触、その温かさ、埃が舞う部屋の空気、そして……「木が見えた。大きな木。狭い窓からでもそれは見えた。どんな建物よりも、他のどんな木よりも大きな木」
触れたノースの手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。感情は流れ込んできているが、それを読み取ってはいけないと言われた。むしろ、自分の思い出を見せるつもりでいろと、ほかのことは考えるなと言われた。
「……うん、分かった、見えたよ。ドリラの生まれた場所」
「そう」
きっとあちこちから草木が生えた、ただの廃墟となっているだろう。どんなの? なんて聞けるはずも無く、ボクはただじっと、待っていた。
「もう目を開けて大丈夫。鍵をつくります」
つないだ手は離さないまま、ノースはふう、と深呼吸した。緊張しているのだろう。小さな手は震えている。「……エヴ……イェク……」と、呪文の声が小さく聞こえる。呼吸に合わせて、ノースに集まった光が徐々にそのつないでいない方の手に集まっていく。そして、それはゆるく握った拳のなかから、一瞬強い光を発して、消えた。
「はい、できたよ」
握った手を離して、反対の手の中にある鍵を見せてボクに手に渡した。それはまるで羽のように軽くて、でも輝きは普通の金属よりも……なんというか高級感のあるそれだった。見た目は、ただの鍵。ありきたりなドアの鍵。
「これを使えば、ドリラの故郷に、いける……はず……」
ぐらり、とノースの体が傾ぐ。はっと手を伸ばしたが間に合わず、倒れちゃう! と思ったところにすかさずラルさんの手が伸びた。
「……寝てるだけだ」
「そっか、よかったあ……お疲れ様、ノース」
そっと撫でた額に、『僕はドリラの役にたてたかな』と問われた。
(もちろんだよ、ありがとうノース)
心の中で返事をして、彼の師にあたる老人にノースをあずけるラルさんを見た。
(ボクは、ラルさんの役にたてているのかな)
まあ、でも。
鍵ができたんだ。《創生ノ術》と聞くたびに、ボクはそれをせねばならないというある種の衝動に襲われるようになっていた。それをしなければ、この世界は救われない。エナトが狙っているから、エポではその術はいけないものであるみたいなある種のレッテルが貼られているような気がする。でも、そうはボクは思わない。……ボクは、術をなさねばならない。そして、世界樹の生贄に、ならねばならない。……つながっているんだから。《創生ノ術》と、生贄は。
前の巫女は《創生ノ術》を使って死んだんだから。
(だから、もうすぐなんだよ、ラルさん。もうすぐキミの役に立てる。そして、)
キミとボクはさよならだ。
*
「行くぞ」
「……」
白い影が集まったそれは、まるで塊のよう。それが、屋敷の外で一斉に頷いて、消えた。
*
それは本当に静かだった。恐ろしいほどに静かで、そこにいるかどうかもわからないほど。(お互い様か)とタクトは誰にも気づかれないように、心の中で笑う。ソリスの頼みならば仕方がないのだ。彼女の近くに居られないというのは本当に困ったことだが。あのメンバーなら、上手く盾にぐらいなってくれるだろう。
――白が、見えた。
狙いを定め発砲するまでの作業はコンマゼロ一秒以下の出来事。それでも相手はやはり防いでくる。……こいつら、本当になにものなんだ? サユフィならまだしも、こいつらからは普通(とは言い難いが)の人間としての、ある種の気みたいなものが感じられないのだ。考えを消してもう一度発砲。ああ、見つかった。でも計算通りだ。
「何が目的だ?」
「……」
白装束は何も言わずにただ武器を向ける。そっちがその気なら殺すしかない。生け捕りにせよと命じられたからできるだけそうしたいが、俺は手加減が苦手だ。それに、オーズ相手にそんなことをしたら、恐らくは死ぬだろう。当たるか当たらないかのところに弾を飛ばす。さっとよけながら近づいてきたそれを誘導するためにまた発砲……さすがのオーズ相手でも、この距離では外さないという距離。絶対距離。俺はそっともう一度、引き金に手を添え……。
「……!」
ひゅん、というわずかな風切り音を頼りに、体を倒す。と、もう一人の白装束がナイフを空振りするのがようやく見て取れた。
(本当に、完全に気配を消してた……!)つうと、背中を嫌な汗が伝った。ガシャン、とその場に銃をすて、体制を整えながら、刃をよけながら、ナイフを取り出すがビュッと熱いものが頬をかすめる。避けそこねた、刃。そして、刃。
(死ぬ――……!)
それでも、と攻撃を繰り出そうとする俺の周りを、火が包み込んだ。
「はいはーい、俺様さんじょーう」
なんちって。と軽いノリで言いながら火の中から現れたのは、それと同じ色の髪をした……たしか、エルスとかいう男だった。
「お疲れ様、タクト君……だっけ? 鍵とドリラは大丈夫だから、ノースの方をお願いできるかなぁ?」
「ま、まって、ノースが危ないって、どういうこと!」
「あの鍵は特殊だからねぇ。作った人にしか扱えないんだよ。つまり、そゆこと」
……きゅう、と唇を噛んでへの字にしたドリラは、今にもボクが行くと言い出しそうだ。そう言い出す前に、俺は分かったと返事して走り出した。
*
ノースとエヴィグの部屋。と幼い字で書かれた表札を前に、二人の白が佇んでいた。
中の子供たちはもう眠りについている。連れ出すことも、殺すこともたやすいだろう。
「!」
白の一人が驚いた顔をして、そして血を吐いて倒れた。それを見た隣の白が剣を構え、気配がする方を薙ぐ。
ガッ……と鈍い音。力はほぼ互角。白の相手は、同じ白だった。
「……ブロル」
「やめ、てくれっ。たのむ……!」
力は互角。どちらが勝っても、多分不思議ではないが。
次の瞬間膝を折ったのは、ブロルの方だった。
「だからお前は甘いのだ……お前もか、ヨーラン?」
感情のないかのような声でそういうと、影から出てきたヨーランはまだ戸惑っているらしく、小さく、本当にわからないほど小さく震えた手で、剣を構えたまま飛び出してきた。
「俺はッ、巫女様を信じる!」
「俺が信じるのは、エナト様そのもの!」
月光が、血のついた剣を照らして、ぎらぎらと輝いた。
*
「……!」
ノースの部屋の前で、折り重なるように倒れる四つの赤。
いや、今は赤く見えるだけで、元は白服のはずだ。
(裏切ったわけでは……ないということか)
無遠慮に死骸を蹴りわけ、部屋のドアを開けると、何も知らない幼子二人は眠りについていた。
「ノース。起きてくれ」
ノースをオーズに取られるわけにはいかない。ほかの鍵師には、あの術も鍵も扱えない。行く先は、……ひとつしかない。ねむいようと文句を言いながらもようやく起きてゴシゴシと手の甲で目をこする少年の肩をつかみ、大人げなくゆすりたのみこむ。
「君……えっと、たしかタクト?」
「ああ。あんたに頼みがある」
「え、いま?」
ああ。大きく頷いて、橙の目を見つめて言葉を一音一音、はっきりと言う。
「連れていって欲しいんだ。ドリラと俺とソリスを、彼女の故郷へ」
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