第十六話 言葉で冷めた紅茶は不味い
「ラル様」
語りかける。
十六才の、かっこよくて時々かわいい男の子に。
……大切な、息子みたいな存在の少年に。
「ラル様。あんまりドリラに肩入れしないほうがいい、と思います」
(なんで)
なんでって。そんなの決まってる。彼女は。
「だって、ドリラは消えちゃう。もう少しで」
(関係ないだろ)
「関係ありますよ! 親しくなればなるほど、別れは悲しいってこと、ラル様だってわかってるでしょ!?」
(言いたいことはそれだけか)
「……!?」
プツン。
と、自分と彼をつなぐパイプが断ち切られたような、そんな感覚に陥った。いつも彼の目を通してみていた景色が見えなくなる。ポーンとひとりぼっちの世界に放り出されたような。焦ってなんども話しかけるが、届いているのかいないのかはわからないが何も応えてくれない。
「ラル様……」
いつもはなんだかんだで互いの連絡の主導権は常にあたしが握っていたというのに。《前》も、そうだったのに。なのになぜ。
「……ラル様。あたしは貴方が悲しむの、嫌なの」
これ、聞こえていないなら本当に、独り言だな。
*
(聞こえてる)
心の中で、誰にも聞かれないように言う。コントロール権だかなんだか知らないが、無意識のうちに通信を断ってやった。その方法も意味も分からないが、それを自然に行うくらいに、俺は動揺しているらしい。……全くらしくないな、とため息をつく。
今までは、お母のことも全く疑わず生きてきた。ただ、目の前にやるべきことがあって、それを確実に消化して生きてきた。これからもそうやって生きていくつもりだった。でも、今の俺は、……俺は俺のやりたいようにしたい。親しくすればするほど、別れは辛くなる。そんなことわかってる。俺の故郷、ヨーレステラから始めて旅に出たときも、ギルドのメンバー、お母、そしてドリラに対する別れがあったし、それから旅をする間に知り合い、なかには死んだ奴も居る。そんな別れ。沢山繰り返して、知ったその感情を強く抱くようになった。出会いがあれば、当然別れがあるわけで。だから俺はあの時、ドリラに再会したときも、あんな言い方をして。リュミエルは俺のそんな性格をよく知っているからあんなことをいったのだ。それはわかっているけれど。
(俺は気づいていたんだ)
あいつが女だってこと。でもあいつはあれでも隠しているようだったから、俺とお母でそれを隠すという空気に勝手になっていた。その努力をあれが気づいているかは今もまだ知らないが。ついこの前まで、それを隠していた。今度は俺が一人きりで。リュミエルにさえ悟られぬように。俺が自発的にする事のほとんどは、あいつ絡みなんだ。それにようやく気付いた。もっと早く分かっていれば、と今になっては思う。放っておけない。勝手に勝手なことをして、勝手に大変な思いをして、勝手に乗り越えていくなんてさせたくない。……守りたいなんて俺らしくないけれど、結局はそういうことだったのだ。だから俺はあの時、ドリラの守護者に立候補なんてしようとしたのだ。
でも、それは、ドリラがいなくなることの手助けをすることにもつながるらしい。仕方ないじゃないか。ともうひとりの俺が言い訳をする。あの時の俺はそんなこと考えてる余裕なんてなかったんだ。そんなことを悠長に考えていたら、他の誰かもっと力の強い奴にあいつを取られるんじゃないかって、そんなふうに感じていたのだ。
「参ったな……」
ようやく気付いた。いや、認めた。俺は、あいつを……。
*
「……!」
アカヨガで待っていた鍵師の青年に隠れ家に運んでもらい、一連の報告をソリスとタクトにまた任せ、部屋でラルさんと二人で紅茶をのんでいると、またあの感覚……さっき森でなった、あの感覚。ボクのものでないものが、頭に入り込んでくるあのかんじ。あれに襲われた。
「どうした」
「……べ、つに。なんでもないよ」
ぎこちなく微笑むと、ラルさんはそっと熱を測るようにボクの額に手を当てようとした。ただそれだけなのに、それを何となくよける。触れられてはいけないと本能で感じ取った。何故か。そんなのはわからないけれど。
「悪い」
「ご、めんなさい」
お互いに謝って、お互いの顔を見合わせて、気まずくなる。手をとろうか、なんて思って伸ばしかけた手を、でもなんだか怖くて握り締めた。……なんでこんなにボクは怖がっているのだろう。何を怖がっているのだろう。ソリスは、すぐには何も変わらないと言っていた。徐々に、世界樹と同じように、いずれは世界中の気をその身に収め、浄化することができるようになるようなるような……と言っていた。なるほど、こういうふうにちょっとづつ、変わっていくのか。気の奔流にめまいを催しながらも、ボクはそんなことを考えていた。
(ああ、……怖いな)
漠然とそう感じた。誰かの役に立ちたいと思ったのはボクだけど、でも、やっぱり怖くないわけじゃない。すごく、怖い。自分の感情がどこかに飛んでいきそう。絶えず呪いのような言葉を繰り返す音のない声は、ボクが受け止めてやらないと爆発しそうだ。怖いね、ボクも怖いよ。……怖いに決まってるさ。
自分を落ち着かせるためにカップに口を近づける。ふわっ、と香る茶葉。口をつけて一口飲む。(あ、れ?)渋いような、甘いような、あの独特の味が感じられない。薄いのだろうか。でも紅茶の色はいつもよりもやや濃いくらいだ。色がよく出る葉なのかもしれない。そう思ってラルさんに声をかける。
「ラルさん、これ薄くない?」
「そうか? いつも通りだと思うが」
「お砂糖取って」
可愛らしい砂糖壷を受け取って、スプーンですくいだして入れる。いつもの二倍、入っていることになった。……胸騒ぎがする。飲んで何かを悟ってしまうのが怖かった。カップの下に砂糖がまだ残っているのにもかかわらずに飲む。(おかしい)動揺するたびに気に全てをもっていかれそうになる。菓子の中でもとびっきり甘そうなそれを手にとって、かじる。できるだけ自然に。
「……」
「ドリラ?」
味がしない。
まるで砂を噛んでいるように、なんの味もしない。噛むたびに広がるはずの風味も、本当に、それこそ砂のように口にまとわりつくだけ。気持ち悪くなって紅茶で飲み干す。これもやっぱり、香りは分かるけれど、味は全くわからない。苦味。甘味。他にも、それから感じる味っていうものはたくさんあるんだろうけれど、ボクは何も感じなかった。その間も人々はボクに、救いを求めていた。
口では、なんでもないという。きっとラルさんも、ボクが変だって気づいているんだろう。ぎこちない笑いにも気づいているんだと思う。でも、ボクは知られるのが怖かった。なんでだかはわからないけれど。『術を受けたものの体が持てば、な』ふとソリスの声を思い出す。体が持てば。もしかして、と思った。(怖いね、怖いよ。ボクも怖い)、(でも大丈夫、キミ達のは、ボクが消してあげる)。ボクの居場所と引き換えに、キミ達のことは助けるよ。
「……ちょっと、図書室に行ってくるよ」
「俺も行く」
「いいって、一人でいけるよ」
「いかないと怒られるんだ」
困ったな。でもまあ、いいか。脱いでいた靴を履いて立ち上がり部屋を出た。相変わらず慣れない。と、前方から高らかなヒールの音を立てて、長身の男が歩いてきた。
「おや、お二人揃ってどちらへ?」
「お前は何してんだオルフ」
まるで私が怠けているような言い方をしないでください。と肩をすくめて、持っていた資料を見せた。解読に必要な資料収集へ駆り出されたらしい。貴方がたもですか、と問われたので、ちょっと調べたいことがあって。と答えた。なんでもない会話を続ける。できるだけ自然に、自然に。幸い子供たちはもう寝ている時間なので、口調に気をつけることもない。それにしてもオルフはよくぱしらされるなあ……なんて、顔にも出さずに思った。きっとそれは本人が一番自覚しているであろう。
気が付けば図書室の前で、オルフは「ご機嫌よう」なんて言ってドアの向こうに消えていった。振り返る。
「ラルさんは、悪いけれどここで待っていて」
「ああ」
そっけない返事。いつものことだ。一人で図書室に行くのが好きだということを、彼はよく知っている。
……でも今日は違う。べつにいつもは、彼なら一緒に来ても良かったんだ。でも。
図書室にはほとんど人がいなかった。こちらを見てみんな会釈をするが、昼間行く時のように子供に囲まれてしまうなんてことはない。いるのは白衣を模した制服を着た研究班のひとばかり。安心して医療関係の棚に入り、一冊の本を取り出して開く。お堅い専門用語だらけのそれをなんとか理解しながら読み進め、目的のページにたどり着く。
「……ああ、やっぱり」
思わず苦笑いと共にひとりごとが零れた。悪い予感が的中してしまった。頭は驚くほど冷静で、ただそのページの内容を理解しようと努力する。どくん。どくん。感情とは関係なく心臓が急に飛び上がった。さっきよりもよりはっきりとした気がボクに流れ込む。突然のことで思わずバランスを失う。本を落とさないように抱きかかえながらもなんとか受身をとって、その場に倒れる。
『きみはわたしたちに会うために生きてきた』
自分そっくりの声が、頭の中で響く。むしろそれが自分の声なんじゃないかと思った。いや、ちがう。この言葉はボクが発したんじゃない。ボクの頭に直接エナトが話しかけてきたんだ。でも、いやちがう。違う!! この言葉はボクのものじゃない! ボクは、ボクのために生きてきた! 彼女と会うためじゃない、ボクは、エポで、ここで、世界を救うためにいろんなことをして、そのためにいる。今のボクは巫子で、世界の負の気を浄化して世界を救う、救世主なんだよ!?
(そんなボクが、見ず知らずのあんな不気味な存在に会うために生きていたなんて、そんなのありえないじゃないか!!)
そう頭の中で言い放った瞬間、頭の中が真っ白になった。
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