第十五話 雪の羽
ソリスと二人っきりになったのは、これが初めてかもしれない。ラルさんは部屋の外で待っててもらっているし、いつもソリストいるタクトの姿は珍しくなかった。ソリスに与えられた来客用の部屋。術をかけてと言いに来たボクを迎えるソリスの顔は、暗い。
「すまない。あんなことをいえば、どんな術か知っても知らなくても、お前なら来ると分かっていた」
「……どんな術なの?」
感情の起伏が少ない彼女にしてはやや珍しいことに……いや、これが素で、ようやくボクにそれを見せてくれたのかもしれないけれど……、申し訳なさそうな、というか、苦い顔のまま答える。そんな表情をさせる術って一体どんなものだっていうの? 彼女は徐に口を開いた。
「気を、覗く術じゃ」
「気を覗く?」
オウム返しに聞いたボクの目を見つめるそれは、しかしもう揺らいではなかった。
「今、お前は誰かに触れるとそのものの気を感じ取るようになっておるじゃろう? それをもっと強化し、いずれは世界中の気をその身に収め、浄化することができるようになるような、そんな術じゃ」
「……って、それって、すっごい神術なんじゃないの? 世界樹いらないじゃない」
「術を受けたものの体がもてば、な。そもそも世界樹は、巫女が世界を浄化する能力を増幅させる機械のようなものに過ぎぬ。お前たちは気を操る力に限界があると思っておるじゃろう? じゃが、それは違う。気を取り込み操る容量は無限大じゃが、脳がリミッターを設けておるだけのこと。それをすこしいじるだけの神術じゃ。しかしそれをするには、リスクが大きすぎる。リミッターを外すと、脳で管理できなくなるからじゃ。
エヴォの民なら、俗にいう『目覚めた状態』をイメージするといい。戦っているときの、相手が止まって見えたり、相手の行動が読める、あの状態のことじゃ。長く続けていると、寿命を縮め、体に過大な負荷をかけることになる、ということは聞いたことがあるじゃろう?」
このまえソンに教わったことだ。ボクはこくりとうなづく。
「つまり、命と引き換えになるっていうことだね?」
「それだけではない」
頬杖をついて、彼女は続ける。
「私が……竜族である私でさえ我を失うほどの莫大な負の感情を扱うことになる。巫女とはいえ、私と比べて生きているという経験のまだまだ少ないお前が、どれだけそれに耐えられるかどうかが分からぬ。
……じゃがしかし、やるとそう決めておるのだろう?」
ボクの目をしっかりと見つめてそういう。限りなく透明に近い水色の目が、光を反射する水面のようにきらめいた。
「やるよ。ボクはやる」
「……そうか」
そっけなくも聞こえるその声で、了解の意を示す。
「ならば、それに応えよう。巫女よ」
立ち上がり、彼女はすっと、細い右腕を水平に差し出す。ふわり、前髪が下から吹く冷たくも暖かくもない風によって舞ったかとおもうと、床から青白い光があふれた。思わず立ち上がって目を腕で覆い、次に目をおそるおそる開くと、それはボクを中心に複雑な魔方陣を刻んでいた。彼女は低い声で朗々と呪文を詠唱する。青白い服、青白い髪、肌、光。まるで透き通ってるようだ。なんて思っていると、彼女は伏せていた目を見開いてこちらを射抜く。
『……ごめんなさい』
「え……っ?」
ふわり、明らかに声じゃない声が、頭の中で響いた。ソリスのものでも、誰のものでもない、初めて聞くなんとも表現しにくい、透き通った少女の声。まるで、水瓶の中に水を落としたかのように、静まり返っていた頭にそれは反響する。『ごめんなさい』って、どういうこと。
それに気を取られていると、床にあった光がボクにあつまって、吸収されるように消えた。ぽかんと一人立ち尽くすボクをみたソリスが言う。
「すぐには、何も変わらぬ」
「ねえ、ソリス」
「なんじゃ?」
「女の子の、声がしたんだ。さっき」
「……声?」
「謝られたんだ。ごめんなさいって」
ふむ、と考えるソリス。どうやら心当たりがないらしい。ならいいや、とボクが言うと、しかしまだ考えながら、「ここからが、本番じゃ」と言う。
「大地が気に還る現象は連鎖すると言ったじゃろう? 早急にその場所に向かい、現象を食い止めねばならぬ」
「じゃあ、場所がどこかを早く捜索しなきゃ」
「その必要は、ないじゃろう。……そろそろか」
と、タイミングよくノックの音がドアの奥から聞こえた。
「タクトだ」
「入れ」
入ってきたタクトの手には地図が握られていた。それをソリスに渡すと、二人でのぞき込む。もしかして、もう調べてきたのか。
「……一度アカヨガに行き、そこからは徒歩じゃな。術が扱えればすぐにでも行けるのじゃが……」
「ま、仕方ねえよ。アカヨガなら、鍵は多分あるはずだ。行ってみるか」
「それでよいな、ドリラ」
「……あ、うん!」
あまりの手際の良さにぽかんとしてしまっていた。慌てて頷く。勝手に出ていっていいのかなと聞いたボクに、タクトは「地震の理由、食い止める方法、あんたの術のことも、もう全て知らせてある。今回のことも俺たち二人からの依頼としてこっちからメンバーを選ぶ許可もとった」と答えた。うん、やっぱり仕事が早い。そうこうしているうちに、今回の『特殊任務』のメンバー……ボクと、ソリスとタクト、そしてラルさん……が決まり、必要なものも揃っていた。
*
アカヨガと呼ばれる検問所を抜け、森を進む。その森の真ん中は集団で木が倒れてしまっており、気の供給がうまくいっていなかった所だという。地震の影響か、幹の途中で折れ、倒れている木も幾つかある。森の中ぽっかり穴があいたように、そこから光が漏れていた。……そして、とにかく魔物が多かった。触れて、戻してやろうとするボクを、ソリスは「無駄な体力を使うな」と止めた。全体的に考えろ、ということらしい。とにかく、いつも通りにぶった斬る。ソリスも術が使えないなんて言っていたくせに、見たこともないような術を連発したり、いざとなれば持っている錫杖と見せかけた剣で敵を切り裂いていく。タクトもタクトで、見たことのない筒のような武器……衝気銃、というらしい……で敵を傷つける。なんでも、気を溜めて押し出す機能の外付けする装置らしく、ラルさんがよく使う気を用いた衝撃波と同じようなものが出ているらしい。ノースを呼んだら大はしゃぎだったろうな。
「魔物、結構強いね、流石にっ」
「消える直前だったのだからな。気を求めて街を襲いに行くのも、時間の問題じゃったろう」
全く息を上げていない。サユフィで男性であるラルさんでさえ息を上げているのに、こんなに小さいソリスの体のどこにそんな……と思ったが、先日の竜の姿を思い出して、納得した。
「……魔物、普通に倒したら消えちゃうけれど、これって浄化されたことになってるの?」
「なっているわけなかろう。また別の形で復活する」
「やっぱり……か。通りで魔物退治の依頼があとをたたないわけだ」
ため息混じりにラルさんが言った。進んでは戦い、戦っては進み。奥に行けば行くほど、この葉の緑が、赤茶、茶へと変化していくのがわかる。負の気のせいかと思っていると、ふわり、白いものが舞い降りてきて空を仰いだ。
「雪?」
「いや、欠片じゃ」
ひらり、地面に落ちた白いものをソリスが拾う。と、それは鳥の羽だった。指で弄んでいると、まるで冷たくない雪のようにすうっと溶けて消えてしまった。……これが、『欠片』。見上げた空は既に濃紺。その中にふわりふわりと蒲公英の綿毛のように舞う大地の、世界の『欠片』。幻想的だけど寂しいそれを見ながら進む。魔物がずいぶんと減った。近いのだろう。と、「げっ」と蛙の鳴くような声で、ラルさんが呻いた。
「オーズだ……」
「えっ、どこ!?」
「戦うべきではないだろ。隠れるぞ」
きょろり、あたりを見回すと、白い集団がなにやら白い空間に集まっていた。あの白いの、何? なんて思っていると、ぐいっと腕をつかまれて、木と草の影に連れ込まれた。ラルさんだ。彼はささやきながら怒鳴るという、器用なことをしてみせた。
「馬鹿かお前! 見つかったらどうすんだよっ」
「っご、ごめんなさい」
ずれた帽子を直しながら、ボクも謝る。その肩に、微かに月光が落ちているのを見て、もっと縮まれと彼はボクを体ごと引き寄せた。とぎれとぎれだが、オーズの会話が聞こえてくる。
「これは……なんてことだ。サユフィどもはなんてことを……」
「魔物はこの森から出ようとしている。おそらくは、民を襲わせる気でしょう」
『……五月蝿い、何も知らないくせに決めつけるな』
はっとして隣をみると、ラルさんの手は固く握られて、白くなろうとしている。思わずその手を取った。(そうだ。全くそのとおりだよ)彼らは何も知らない。何も。いや、彼らの長は知っているようだったけれど。(……エナト、どうしてキミは……)
驚いたようにこちらを見つめるラルさんの青い目と、ボクの視線が交差した。
「あっ、ごめんなさいっ」
「しぃっ!! 声でかいってっ」
小さい声で言ったつもりだったのに、彼の耳には大きく聞こえたらしい。握られていた手を解いて、その手でボクの口元を覆う。お互いの顔が焦りにひきつったのを見、感じる。幸い彼らは気づいていないらしく、何かを採集して帰っていった。
「お前は……本当に……」
「あ、謝ってるじゃないか……」
「反省してんのか?」
してるよ! と立ち上がる。と、ソリスとタクトは既に先程までオーズがいたところに立っていた。慌てて近づく。タクトがソリスの後ろで、驚きの声をあげる。
「……なにこれ、すげえことになってんだけど」
さっきちらっと見えていた白い空間。地面は毛羽立ち、だけど細かい亀裂が走っている。それにも驚いたが、
「どうなってるの、これ……」
「ドリラ、あんまり行くと危ないぞ」
――目の前の、きっと、森のあるべきだった場所に、ぽっかりと『穴』があいていた。
「これが、世界の一部が浄化される、ということじゃ」
「これが、浄化!? って、だから落ちたらあぶねえから、こっち来い」
『穴』は覗き込むととっても深くて底が見えない程だった。もちろん、暗いからというのもあるのだろうが。直径六、七十メートルの、穴。びっしりと羽毛がついて、ひび割れて。そこからふわふわと風もないのに羽が吹き上げられて空を舞う。なんとも不思議な光景だ。
手を掴まれて立ち上がる。……なぜだろうか、気のせいか遠くからすすり泣きのような声が聞こえた。
「……ボクは、どうしたらいい?」
「負の気、正の気で零の状態になるから、世界は消える。だから、少し正の気を与えてやればよい。大地の声に耳を傾けよ。術前だとこんな広範囲は出来ないはずじゃが、今ならできるじゃろう。……やれるか?」
「わかんないけど、やってみる!」
ふん、と自分に気合を入れると、誰に教えられたわけでもなく、ボクはその場に両膝をついた。視界にあったラルさんの靴が遠ざかるのを確認してから、手を地面につける。……冷たい? いや、冷たくはないけれど。どうしてだか体温を奪われるような気がした。そのまま目を閉じると、言い表せない感情の濁流がボクの中に流れ込んできた。ボクには理解できないが、重く苦しい感情。うわ……あ。その感情に飲み込まれ、重力を見失いそうになったが、なんとか状態を保つ。(……ボクが助けるよ)。そう思って、その感情をまるごと、心の中で抱きしめる。(大丈夫、怖くないよ)。
「……っわ……」
ラルさんの驚いたような声と、地面が、周りが輝いているのか、閉じた目の裏が赤く輝くのが同時。思わずまぶたに力を込めた。光が止んで、そっとその力を弱めて、薄目を開けると、茶色い、この葉の成れの果てである、土が目の前にあった。さっきの冷たいようで冷たくないそれじゃない。ここにあるべきもの。と、木々のざわめく声が聞こえて、はっと顔を上げる。目の前にあった穴はそのままだけれど、周りはもとの森に、自然に戻っている。
「なに、これすごい……」
「すごい。ま、あんたがやったことだけどな」
「上出来じゃ」
すこし呆れたようにタクトが言う。そうか、これはボクが。立ち上がろうとしてよろめくのを、ソリスとタクトに支えてもらいながら思う。これが、ボクの新しい力。手を握って、開く。さっきと変わらない手のひら。ラルさんにつかまれ、この空間を変えた、ボクの手。
(これ、ボクの生きる理由になるかな――?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます