第十三話 むかしむかし、世界にはひとりの神様がいました
むかしむかし、世界にはひとりの神様がいました。
神様は何もない世界にお城を創り、それから竜や人々など、動物を生み出しました。
みんな幸せを分け合い、命を生み出した神様に感謝して暮らしていましたが、
ある日人々は感謝の心を忘れてしまいました。
神様はその者達から力を奪い、大地を創りそこに追放してしまいました。
やがて力をもたない者達が、限りある大地を奪い合う時代が続きました。
神様は深く悲しみ、流した涙は海を生みました。
それでも神様の悲しみは拭えず、彼女は一本の大木にその身を封じ、
生きる源である《気》を操りながら、世界を見守り続けることにしました。
「私が死んだら、この木は枯れてしまうだろう。そのときは私の変わりを私の前に差し出しなさい」
「さすれば、この世界は救われるだろう」
神はそういって、永い永い眠りにつきました。
――「リュレルネル神話集・第一章 かみさまのおはなし」より引用
*
「それが本当なら、ドリラは……」
「女じゃ」
会議室の外で、ボクはその単語に心臓を掴まれたような緊張みたいなものを覚えて、思わず目を閉じて首元をおさえる。ため息。少しでも落ち着かないと。ドアノブに当てた手が震えている。あれからボクは少しの間眠り、目を覚ましたら自分の部屋のベッドの上だった。誰が運んでくれたんだろう。きっと重かったろうに。まあきっと消去法で考えてラルさんだろうから、重さなんて気にならないと思うけど。足はまだ使い物にならないままで、今のボクは車椅子に乗っている。部屋に来たソリスの話だと、一日か二日で普通に歩けるようになるという。
不意に気配がして振り返るとノースがソンと一緒にこちらに向かって歩いてきていた。
「ドリラ」
「どうしたの?」
できるだけ平然を装ってほほ笑みかける。が、彼は真剣な表情のままだった。ボクの真ん前まで歩いてきて、じっと見つめてくる。オレンジ色の目の中に、ボクが映り込んだ。座ったままのボクとノースの視線が合う。徐に開かれた唇。
「僕、ドリラが女の子でも男の子でも、どっちでもいいよ。ドリラっていう君が、僕は好きなんだ」
「……ありがとう、ノース」
うつむいた彼の手小さな手をそっと取る。と、頭の中になにかが流れ込んできた。不安。葛藤。少しの恐れ。
『僕がもっと大きかったら、僕がもっと強かったら、もっとドリラの力になれたのかな』
『もっと大きくなれたら、もっと強くなれたら、僕はドリラの力になれるのかな』
「……ノースは、優しいね」
「え?」
だんだんと分かってきた。これはきっとノースの声なのだろう。多分きっと。そう言って頭をなでると、顔を上げた。『僕は優しくなんてない』。流れてきた言葉にそっと首を振った。
キミは優しい。誰かに対して、こんなにも優しくできるなんて。ボクだって誰かの力になりたいけれど、いつも自分のことばかりしか見ていなかった。ボクの世界は小さいから。でもノースは、ノースにとっての世界は、《エポ》そのものなのだろう。ボクはそっと帽子を取って、ノースに被せた。
「……行くね」
「うん」
手を振るけれど、小さくしか振り返してくれなかった。
がちゃり、とドアを開けた先の空間では、甘いココアの匂いと、コーヒーの苦い匂いが空気中で混じり合っていた。初めて飲むらしいココアを気に入ったらしいソリスが持つカップの中身はそばで待機しているラッツがもう二回も入れ直したものである(と、後でタクトに言われた)。だがそれももうあと一口で飲み終えてしまうだろう。
「来たか」
「はい、待たせてごめんなさい」
「構わない。さあ、座ってくれ」
ボス、と呼ばれる男に会うのは二度目だ。彼は代理の此処のトップだという話は前にラルさんに聞かされていた。エポのトップには昔迫害と疫病により滅んだエヴォ・トーギル王国っていう国の王がなる。それがエポの決まり。エヴォにはボクたち能力をもったひとが沢山住んでたから、今も《エヴォの民》という言い方が残っているらしい。
目の前にボス。ボクが座った椅子の隣は空席、その横にココアの三杯目のお代わりをもらっているソリス。その後ろには少し申し訳なさそうな表情のタクトが立っていた。
「さて。全て話してくれるかな」
「はい。ボク……私が知っていることなら」
*
『ラル様あー』
(……なんだ)
間抜けな声が脳内に響く。他になにも用事はない。今回のことについての報告はオルフに任せたし、彼もまた、報告は終わって今頃は研究室に戻った頃だろう。つかの間の休息。特にやることもなく自室に篭ってベッドに転がり、天井を眺めていた。
『……』
「なんだ」
しゃべろうか、しゃべらないでおこうか。そんなふうに考えているのだろう空白に、なぜだか苛立った。いつもうるさいくらいに話しかけてくるのに、ここ最近はオルフもいたし、なにも話しかけてこなかったから。俺なりに気を使っているつもりだ。
窓から指す光は早くも濃いオレンジ色。
『ドリラと一緒にいた男、なんですけど。あれ、あたしの知り合いかもしれないんです』
「お前らアモスにも、知り合いみたいなのって存在するのか」
『はい。あれ、きっとドリラのアモスです』
「……はぁ? だって、お前らあんなにでかくないだろう? あいつのアモスだけ特別なのか?」
そこで、リュミエルの気配がぷっつりと途絶えたように感じた。驚いて起き上がると、体が神術を使った時みたいに輝いた。体を見回しながら言う。「お、おいリュミエル……ッ!?」焦って上ずった、情けない声になったが気にしてられない。と、その光が収まる。
「ラル様」
背後に気配を感じて振り返る。
「……え、」
緑のような、黄色のような不思議な光をたたえた髪、淡い淡い、青い目。体全体が発光してるみたいな、俺と同い年くらいの女が変な服を着て立っている。女は呆然としている俺の顔をみて面白そうに笑った。
見覚えがある、表情。
「お前」
「やだ、ラル様ったら。驚いてます?」
スカートの端をつかんでくるっと一回転してみせた。「リュミエル?」つぶやくような声になってしまった。それでも彼女はちゃんと聞き取って、「はい」と返事する。いやいや。
そんな当たり前のように返事しないでくれ。でもわかる。こいつはリュミエルだってことは。膝の力が入らなくて、ベッドに腰掛ける。硬いマットが痛い。
「なんで……」
「あたしたちアモスは、ラル様たちエヴォの民の能力によって形を変えることができるんです。一番楽なのは実体化せず、意識としてエヴォの民の中にあること。二番目は必要に応じて、小さな体の形を持ち、実体化すること」
二つの指を上げてそれを反対の手でぎゅっとつかんだ。
「この二つは、たいていのアモスが出来ます。そして今のあたしの形。ルーレや半竜族、エヴォの子と同じ位の大きさになることができるこれは、一部の……特別なアモスにのみ与えられた力」
手を下ろして、彼女はじっと俺の目を見つめた。オレンジの光がより強く入る。もう、じきに沈むだろう。その光がリュミエルの髪に、目に、肌に体にあたって綺麗だった。
「何が、特別なんだ」
「この力をもってるアモスは、前世に巫女の旅のサポートをした者のアモス。ラル様の魂は、昔この世界を復活させた巫女のものと同じ。魂を入れる器が変わっただけ。あたしはその巫女の近くにいたエヴォの民の、アモスだった」
「つまり、ドリラと一緒にいたあの男は、俺の前世……みたいな奴の近くにいたアモスなんだな」
「……はい。近くっていうか、そのまま。ラル様の、巫女だったときのアモス」
じゃあ何故そいつはドリラを連れ去ろうなんてした? それに、なんでその記憶がある。にわかには信じがたいが、俺は巫女だったんだろう? 俺に記憶がなくて、なぜお前に記憶がある。そう強く問いかけると、リュミエルは泣きそうな表情で答えた。怒られてる、責められてると感じたのだろうか。
「わからない、です。巫女に直接関わっていたエヴォの民は、あたしと前一緒にいたエヴォの民だけだから、そうだって分かったから言っただけ。あと、ラル様が記憶を受け継いでない理由もわからないけど、ただひとつ言えるのは、きっと巫女の記憶があなたに受け継がれていたら、きっとあなたを……ラル様を保てなかったと思います」
「……巫女って、なんなんだ」
記憶があったら俺が保てない? 何があったって言うんだ。
……ドリラにこれから先、何があるって言うんだ。
彼女は泣きそうな表情のままで、うつむく。
「言えないのか」
「巫女は……巫女は、」
巫女は世界樹の生贄になるんです。
*
「生贄……!?」
「そうじゃ。世界樹も元はただの木。それにこの世界全体の気を集めて浄化する力を与えるのは巫女。世界樹は、元はただの大木。それだけでは入れ物に過ぎぬ。神もまた、神の世界ではただのひとに過ぎない。いずれは死ぬ。それをしっていたから、神を創れずとも限りなく神に近いものを生み出し、それを巫女として生み出した。それをしばらく世界に触れさせてから、また世界樹の中に戻す」
「そのまま取り込んだら楽だったのに」
そうじゃな。じゃが、何故かは分からんのじゃ。と彼女はゆるやかに頭を振った。「それについては私も不思議に思うておる。その謎は、神のみぞ知る……じゃな」ふう、とため息をついてまたココアを一口。
「……黙示録、ということであったが、それは私が一冊持っておる。それを解析すればいいじゃろう。」
「それは……本当ですか!?」
「嘘をついて何になる。禁書といわれていたので私は読んだことがないが、何かの役に立つやも知れぬ。私をここに、しばらく置いてはくれぬか?」
「願ってもないことです、是非どうぞ。すぐに部屋を用意します」
「では。世界の再生までしばらく世話になるぞ、巫女」
小さく頭を下げる。チリチリン、と金属製の髪留めが立てる涼しい音が、部屋に響いた。
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