第十話 再会の日の楽しみにしておくよ

「き……みが……モンド……?」

 掠れて出にくくなった声を絞り出して、ボクはようやくつぶやいた。

 彼はただ、ボクを見て微笑んでいた。

「そんなっ、なんで……なんで!?」

「詳しい説明はここを離れてからだ」

「なんでモンドがっ、ルーテル教の最高指導者と……!」

「落ち着けドリラ」

 その言い方にびくっとして、反射的にボクは黙った。このヒトは間違いなくモンドだ。そんなことを再確認する。偽物なんかじゃない。ボクが十年間ずっと一緒にいた保護者。モンド。

「ご、めんな、さい」

 震える声で謝ると、どこから取り出したのかモンドにふわっとマントを着せられる。総本山に向かう時とは全然違う、真っ白で軽いマント。これなに? と聞こうとしたら、まもなく5人程度の白装束に囲まれた。

「……モンド?」

「詳しい説明は馬車の中で行う。来い」

『《創生ノ術》には、ドリラの力が不可欠だからな』

「創生ノ……術……」

 これはモンドの声? 響いた声のそれをつぶやく。創生ノ術。それは今エポで追っているものじゃなかったろうか。ルーテル教もそれを追っているっていうことか。……ボクの力が不可欠の意味は詳しくわからないけど。ただそれを聞いたモンドの表情が一瞬固まる。そして低い声で呻く。

「聞こえたのか……!?」

「聞こえたって、何……」

「聞こえたのか!?」

 ……ああ、さっきのあれが《聞こえた》っていう状態なのだろう。なるほど、さっきのはモンドの思いなんだ。ボクの考えが彼らに筒抜けなように、彼の声もまたボクに届いたっていうことか。そしてこれは彼にとって好ましいことではないんだろうな。そこまで考えたところで、かさっと小さく音がして、木々の間から新たな白装束が現れた。

「何事だ」

「はっ……、エポの連中が、こちらの存在に気づいたようです!」

「早く運べ」

 はっ! 一同一斉に声を出す。静かに、でも鋭く。びくっとしたボクの姿を見て、モンドがいつもの調子で言う。

「……ドリラ。その話は着いてからにしよう。いろいろ話す必要があるからな」

「まってよ! ボクをどこに連れていくつもりなの!?」

 振り返ってモンドの腕に触れる。と、光がはじけた。

「そう。うちの貴重な戦力、どこに連れていくつもりですか?」

「……え?」

 最後尾の白装束が、弓を構えてこちらを見ている。足元を見ると焦げた矢が佇んでいた。おそらくはさっき光がはじけたと感じたのは、モンドが神術で矢を落とした時の光だったんだろう。

「返してもらいます」

 そう宣言した瞬間、魔法陣がボクとそのヒトの足元を残して広がる。「神術……!?」と周りにいる白装束がつぶやくそれが終わる前に、ボクはしゃがんだ体制でモンドに抱かれ濁流のなかにあった。でもそれは幻みたいで苦しくもなんともない。「エナト!」モンドがそう叫ぶが彼女の姿が見当たらない。ふと脳内に自分にそっくりな声が響く。

『くるし……い……!』

 と、上空に気配を感じて見上げれば、空から影が降ってきた。「どけっ!」そう言うや否や、いきなり気をつかった衝撃波をモンドに浴びせる。……ラルさんだ。

 手でしていた印が解けたのか、モンドもまた濁流に飲み込まれてく。それに慌てて手を伸ばしたとき、その腕をラルさんにつかまれた。雑だけど乱暴じゃない。そのままボクを立たせると、白いマントを手早く脱がされて術者に声を掛ける。

「オルフ!」

「了解です」

 それを確認してラルさんは手早く魔方陣を描く。それは呪文と共にボクの足元とオルフの足元にも生まれ、眩しくて目を閉じた。と、浮遊感。お腹の中がひっくり返りそうなそれに吐き気を我慢して目をぎゅっとつむりなおすと、重力に導かれて落下運動をする……これがコンマ一秒。ボクが体験したはじめての瞬間移動。

「……モンド、」

 その術のサポートをしながら小さくつぶやいたリュミエルの声が、やけにボクの中に響いた。


 *


「ここまでくればまあ、大丈夫だろ」

「雑な術ですねえ、貴方のは」

「黙れよ……」

 しっかりとした地面についたのは、あの廃墟の街と総本山の間らへんだった。ひどい気分だ。吐き気と倦怠感。いきなり現れたボクらに驚いたのか、ケージを前に立っていた少女がぽかんと口を開けてこちらを見ていた。

「ラッツ。一人か?」

「はい……。そんなことより、どうされたんですか?」

「ワケありで移動術を使ってきたんだ。手伝う」

「平気です。あと数十センチで結界の中ですから」

「結界……?」

 とつぶやいてはっとした。これ、思ってること考えてること丸出しなんじゃないのか? 説明しようと口を開いたラルさんを遮るように、「ああ、そういえばさっきの、なんだったんですか?」とオルフさんがボクに尋ねてホッとした。

「ごめんなさい。ボクにも、よくわからないんです」

「とにかく、ボスに報告だな」

「そういえばラルはちゃんと反省文かけたんですか?」

「ちゃんと提出したっつーの」

 反省文……ボス……ああ、ボクと会ったときに追われていたから、そのことに関係があるのだろうか。まああれは見つかってしまっただけだろうし罪はないと思うんだけど。どう思う? モンド。と、いつもの癖でそこまで思ってはっとする。

(……モンド?)

 思わず癖で話しかけただけだが、彼の感覚が全くつかめなくて焦る。いつもなら、話してないときでも《存在してる》という感覚は常にあった。でも今はない。それに気づいたとたんに胸騒ぎがしてきた。もしかして死んだ? 死んじゃったの? ドキドキと心音がうるさい。落ち着くんだ、ドリラ。

「ドリラ?」

「ごめんオルフ。大丈夫。それより、ラルさんが」

「……ええ。疲れてると思いますよ。空間移動は彼、すごく苦手ですから」

 そんなでも、ちっとも苦しそうな顔を見せず荷物を運ぶのを手伝っているラルさんがいた。手伝わなきゃ。そう思ってゲージに触れる。と、不意に脳内に声が響いた。

『痛い……怖い…………助けて』

「え……誰っ?」

「ドリラ?」

「誰か、いま何か言った?」

 ゲージを押しながら言うと、そこに居た全員が首を横に振った。おかしいな。リュミエルでもなかった。ボクの知らない声だ。痛い、怖い。助けて。幻聴にしてははっきりしすぎてるそれになんだか怖くなった。それと同時に、なんだか訳の分からないことが起きすぎてとても疲れた。これ以上心配を掛ける訳にはいかず「そっか」とつぶやいてずりずりとゲージを押す。中の魔物は眠っているのか音がしない。呼吸もしていないのだろうか。死んでないとオルフは言うけど。

 結界のなかに入りました、とラッツとよばれた少女が言う。濃紺の髪に星をちらしたような琥珀色の目。ありがとうございますと続けるその声は高く柔らかい。

「移動術かけますけど、どうしますか?」

「一緒につれていって貰いましょうか」

 そうだな。とラルさんもうなづく。わかりましたと声が聞こえた次の瞬間には世界が歪んで館の前に立っていた。

「……えっ?」

「ちゃんとした移動は初めてですか?」

「さっきと、全然違う」

「これが普通なんですよ。ラルが雑すぎるんです」

 くすくす笑いながら言うと、ラルさんが聞こえていたのかふんと鼻を鳴らして館に入っていった。

「ラッツ、ありがとうございました」

「いえ」

「ありがとうございます」

 ボクが声を掛けるとちょっと不思議そうな顔をしてから「ついでですから」と笑った。明るいけど儚い。女の子! って感じの笑顔だった。


 *


「エナト、大丈夫か?」

「平気だよ。きみは?」

 問題ない。そう言ってモンドは複雑な文様を指で胸元に刻む。ため息を一つ。

「みんなしんじゃった。脆いね」

 透き通った銀の目が写すのは、枝に引っかかった白服達。妙な角度で腕や足が曲がり、覆面から覗く顔は苦痛に歪んでいる。湿った土のにおいが鼻腔をくすぐった。……そうだな。とモンドもつぶやく。

「それにしても、驚きだったね! さすがはわたしのきょうだいだ。触れてもないのに心を感じ取って見せたよ。早くあの子がほしいなあ。仲間も強い神術使いだったし、やっぱり彼女の周りにはそれにふさわしい者が集まっていた」

「……阻害神術を掛けた」

「えっ、そうなの? 彼女とおしゃべりできなくなるじゃないか」

「お前たち二人は二人で一つ。そんなことしなくても自然と会える日が来る。今日はどうしてもとお前が言うから連れてきたまでで、今日は会うべき日ではなかった」

 むうう、とエナトが形のいい唇を尖らせる。

「っちぇ、まあいいや。また会えるんだから。……その時には何があっても彼女をわたしの仲間に迎え入れなきゃ」

 その日にはきみは気づいているだろう。この世界がいかに汚れているか。

 少し寂しそうな表情で思うエナトの隣のモンドの表情は、髪に隠れてわからなかった。


 *


「ラル! ドリラ! おかえりなさい!!」

「ノース」

 ボクら二人をまとめて抱きつく。「おっとっと」と思わずよろけそうになったが、なんとか受け止めると、よしよしと頭を撫でた。……悪いな、と隣から声がした。「俺ら、行くとこあるから」。彼はさりげなくノースの腕を解く。疲れてるんだろう。

 なんだかボクも疲れた。さっきからずっと、へんな感じだ。早く部屋に帰って休みたい。

「ごめんね」

「大丈夫。早く追っかけなくていいの?」

 僕のことは気にしないで。そう言う彼にごめんねと言い残してボクもラルさんのあとを追う。重いドアを開けるとぎいいい、と錆びた音。そこでなにやら話をしているラルさんとオルフが見えた。

 少しイライラしているラルさんの声が冷えた廊下に反響する。

「……俺たち、まだ帰ってきて数分しか経ってないんですが」

「分かっている。申し訳ないが簡単な任務だ。引き受けてくれないか」

 任務の説明中か……ボクは邪魔をしないようにドアの近くで待機することにしたが、彼らと話していた男性にすぐ見つかってしまった。このひと……確か任務とかでのパーティを編成する人だっけか。

「ドリラ。君にもお願いできないか。急を要す任務なんだ」

「すみません。ボク、報告しないといけないことがあるんです」

「それは後でいい。どうしても、今すぐいかないといけない任務なんだ。それだけじゃない。この任務、……ノースが行くといっているのだよ」

「!?」

 ……ノース。あんなに小さい子が任務にでる日がとうとう来た。どうして。そんなに人が足りないの? 訳が分からなくて思わず半歩下がる。ふと隣を見ると同じように驚いているラルさんの顔があった。それはたちまち歪んで怒りの表情をつくる。

「――分かった。行く」

 行くから早く説明しろ。

 こんなに低い彼の声を初めて聞いた。

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