第九話 鏡
それはまるで砂で作った城のような存在。
なんどもなんども作っても、
――やがて波が去らっていく。
*
エポ総本山。森に囲まれたそこから少し行くと、魔物がよく出るとされる地点に到着する。昔小さな村があったとされているのだが、オーズにあらぬ疑いをかけられ破壊された街らしく、人間の負の感情が溜まっているらしい。……魔物が現れ始めたのはここ十数年の出来事。魔物が負の気が多く溜まっているところに出現することは分かっているのだが、魔物の研究自体はあまり進んでいない。オーズを取り込む世界的宗教・《ルーテル教》はボクら異端者の仲間だということにして、魔物の研究を制限しているためらしい。
「まあ、私たちには関係ありません」
「俺たちはルーテルなんて信じてないからな」
「だいたい神が私たちの繁栄を望んで研究心や探究心を与えたというのに、それを規制するなんて馬鹿げていますよ」
なんだろう。少し怒っているのだろうか。わからないけど彼の口調はすこし感情を露わにしていた。はじめてのことで思わずその時のボクは黙り込んでしまったが、とにかく、そういうことでエポは独自に調べているらしい。……しかし魔物を捕まえる、というところで躓いており、今回オルフの研究でいい薬ができたから実験も兼ねてこの任務が組まれることになった、ということだ。リュミエルはオルフがいるからか出てこない。なんだか不思議な感じだ。それにしても、ここは街というよりかは生活感のあるガレキの山だろう。なにか神話をモチーフにしたステンドグラスの破片と、そこへ攻め込む枝と刀の跡。死体こそないがひどい有様である。ふと足元をみやると中の綿が飛び出て、血痕が付いているボロボロのぬいぐるみ。それをそっと拾って髪をなでる。かわいそうに。……キミの主はもう、いないんだね。
「ここは、本当に街だったんだね」
「ああ。賑やかな街だったと聞いてる」
「……」
……思い出す。街の雰囲気は全然違うけれど。あの村は小さくて、何もなくて。あの村はあの村だけで存在していた。食べ物も何もかもあの村だけで作っていた。あの村は孤独だった。もう記憶は薄れかけているが、あの雰囲気とぬくもりはこの体に染み付いている。……ああ、そうだ。あの村はボクが壊したんだ。こんな風化する暇も与えず、ボクがみんな壊したんだ。きゅう、とお腹が痛くなる。座り込みたい衝動を抑えても歩幅が小さくなる。だめだ。ここで立ち止まったらダメだ。
「ドリラ?」
「……あ……」
歩みが遅くなるボクを見て、ラルさんは静かに立ち止まってボクを待つ。人形をその場に優しく寝かせ追いつくと、ラルさんはそっとボクの帽子に触れる。なでるような動作に心が落ち着く。……不思議。なんだか不思議な感じだ。《お前は生きてる》。それを伝えられた気がして何となく嬉しい。帽子を深くかぶり直してふふふ、とわらってしまった。我ながら気持ち悪いがラルさんはそれを完全にスルーした。気づいてないのかもしれない。それはそれでよかった。
「ぼやぼやすんな。いくぞ」
「うん」
この奥。教会に小さな魔物が巣食うているいらしい。……気を引き締めなくては。
*
腐った果実のような、甘ったるい臭いが辺に立ち込める。ついでに教会の中の魔物を殲滅し、戦闘を終えたボクは思わずスカーフで鼻を隠した。なんとか生き残った魔物に麻酔を打ち、ゲージに入れる作業をしてる間、ボクは邪魔だったらしく他の魔物が出ないか教会の外で待機させられることになってしまった。
「馬鹿とハサミは使いよう……って、ちょっと違うか」
独り言をつぶやいて、ふと空を見上げる。故郷のそれとは少し違うけど、繋がってるそれは淡い青。あの村はいつもモノクロだった気がする。いつも曇ったように白く濁っていた気がする。あまり外で遊んだことがなかったからかもしれないけれど。……と、かさかさとかすかに木が音を立てて息を殺して剣の柄に手を伸ばす。今のは、風じゃない。人? それとも魔物? どちらにせよこんなところ、迷い込んで来るところではない。
どくん……どくんと心臓がうるさい。いっそ心地いいくらいの緊張。ピンと張り詰められたボクの神経が、空を切る何かに気がついた。
「っ、」
しゃがんで回避すると、もと頭があったところにボウガンが突き刺さっている。……何が狙いなんだろう。まさかボクっていう訳でもないだろう。とにかく狙撃手を見つけないと。どうしてだかわからないがいつもは感じる殺気を一瞬しか感じない。場所の特定ができるレベルじゃない。
……怖い。
と、空を切って飛んでくるボウガン。その先にある気の上でボウガンを構えた白い服を着たヒト。……こいつだ。ボクを狙うのは。ボウガンをスレスレでよけて木の中に入って跳躍する。狙撃手を蹴落としてすかさずその上に馬乗りになり抜いた剣を首元に当てる。口だけでてるその覆面で少し驚いたような表情をする彼の体は思った以上に小さく、でもこの筋肉の感触からいって男だろう。白い覆面。この服。……ああ、やめて。やめろ。お前は、
「……オーズが、こんなところになんのようだ?」
「それはこっちのセリフだ! また魔物を放ちにきたんだろう!? なぜそんなことをするっ!」
「ボク達は魔物を放ってはいない」
「嘘だ! お前ら悪魔の子が魔物を放っているのに!」
「……ボクは悪魔の子じゃない」
「お前ら《サユフィ》は、悪魔の子!」
その言葉には差別の意思がはっきりと聞いてとれた。オルフもたまにボクらをサユフィと呼ぶけれど、こいつの言うそれには、そこにはない意思がある。……馬鹿げてる。全く馬鹿げてるとしか言いようがなかった。ボクがいつ、こいつに直接危害を加えた? 今回はお前が先に手を挙げたからこういうことになってるけど。ボクらは魔物を放ってなんかないし、むしろどこから魔物がわいてるのか調べている途中だというのに。
「お前に、お前たちにっ、話したって……!」
なぜボク達がここにいるのか話したって、どうせ聞く耳をもたないだろう!?
なんで分かり合えないのか分かった気がして、思わず涙がでそうになった。ああ、そうか。こいつらは聞く耳をもたないんだ。なんて愚かなんだろう。思わずそこまで思って剣に掛ける力を強める。ふざけた服を着て。何色にも染まることができる白なんかより、黒の方がずっとお似合いだろうて、お前たちには。
と、背後から聞こえる足音に気づいたのは遅すぎるくらいだった。
「……何をしている」
「エ……ナト様……」
凛と響く聞き覚えのある声がして、ぱっと声の主をさがす。誰の声だろう。赤いスカーフを顔に巻きつけた、白いローブの見たことのない少女が佇んでいた。気配なんて、感じなかった。ああだからこいつらは怖いのだ。そっと近づく彼女のスカーフからのぞく目は銀。そしてきゅっと笑ってから頭を下げる。
「我が同胞が失礼をしましたわ。あとで彼はわたくしが責任をもって処分します」
つまりはここからどけということだろう。仕方なく立ち上がり剣を鞘に戻す。すぐに立ち上がった狙撃手は少女の前に恭しく跪き、なにか一言ふたこと会話を交し、どこかに走っていった。そして再びボクの方に向き合い、驚くくらい柔和に微笑んで駆けて抱きしめられる。あまりのことによけそこねたが、刺されるんじゃないかと思ったがそれはただの杞憂におわり、ただ純粋に、優しく、力強く抱きしめられただけだった。驚いて思わず身を離したくなるが、なかなか離れない。
「会いたかった……!」
「……っ、ちょっとまって! キミ誰?」
オーズに知り合いなんか居ないはずだ。といって、人違いだったら殺されそうだななんて思いながら、ボクは少女に声を掛ける。あったかい。ほっこりしてる場合ではないと分かっているのに。どうしてだろう、会うべくしてあったと考える自分がいた。女の子の身体って、こんなに華奢であったかいものなんだ。そんなことをどこか遠くで思った。「ごめん、自己紹介がまだだったね」そういってボクの体の拘束を解いた。
「わたしは、」
「……!」
そう言いながら頭のスカーフをゆっくり、ゆっくりと外す。あらわになる白い肌、ホワイトシルバーの溶けそうな髪と、それについてる赤い花の髪飾り。それ以外は見覚えのある、で済まされる問題じゃない。
そこに鏡があるように、ボクにそっくりな少女がそこにあった。
「……エナト」
「え……なと……?」
「ルーテル教の最高指導者。きみにずっと会いたかったの。ようやく会えて嬉しいよ」
キミはボクの声で名乗り、ボクの知らない仕事をして、ボクそっくりに笑って、そしてその繊手をボクに伸ばす。
「……ボクは、」
「エスコニ」
思いもよらず本名を挙げられ、相手に(あなたのことはなんでも知ってる)っていう顔をされれば、怯えるなというのが無理である。この十年間一度も誰も口にしなかった名前を、見ず知らず、というとちょっと違うけど、いきなり現れた謎の少女に言われれば、警戒するに決まってる。
「なんで、知ってるの」
「だって、わたしはあなたの影だから」
当然のように言って、何が面白いのかくすくすと笑う。その仕草さえ自分に似てて、背中を冷たい汗が伝う。……怖い。なんなんだこの感じ。思わず半歩下がったところで、後ろから肩をつかまれる。振り返って剣を構えると、それを見越したように短剣ではじかれた。なんて力だ。思わず剣を取り落としそうになった。
後ろに立っていたのは白い覆面も服も着てない、こころなしかリュミエルやソンの服に似てる、少し変わった服を着て、白いような黒いような、不思議な髪をした赤い目の青年だった。なんだか、初めて会った気がしなくてやっぱり気持ち悪い。
「……なんなの……キミ達……」
どうしてこの子がボクに用があるのかわからない。ということはボクを使ってエポの誰かを呼び出すつもりだろうか。だとしたら、何としてもそれは防がなくてはならない。きっとボクみたいな新入りが一人欠けようと誰も動かないだろうし、それはすなわちボクの死につながる。……死ぬのはダメなんだ。ボクは生きなくてはならない。
「そう。お前は生きなくてはならない」
「わたしたちに会うまで」
そのフレーズに聞き覚えがあって、必死に記憶を辿る。
――会うため、生きるために、
そうか、《あの日》、モンドが言ったことだ。でもなぜ知ってるんだろう。それにさっきの質問の答えになってない。むしろボクの心に答えたような。そう思った瞬間、くすくすとエナトがまた笑った。なにがそんなに面白いのだろうか。
「面白いに決まってるよ。きみは本当に、まだわかってないの?」
「……ボクの心が、見えるの?」
「そう。じゃあわたしがきみに会いたかった理由は、わかるかな?」
わかる訳がない。
「……闇は光があるから存在する。光があるから、闇がある」
「?」
「会うべくして、あったんだよ。わたしたちは」
『きみはわたしたちに会うために生きてきた』
不意に声が脳内で響いた。モンドと話をしている時みたいに。でもそれは紛れも無くエナトの台詞であり、モンドじゃない。エナトはボクとこんなふうに会話もできるというのだというの? 驚くことが多すぎて剣を出したままぽかんとしてしまう。というか、ボクはキミたちに会うために生きてきた? でもそれはモンドが言ったことであって、キミ達のはずがない。そういえばモンドはどうしたのだろう。こんな時にも無言をきめとおすつもりだろうか。
「我を呼んだか?」
赤目がボクを見てにこりと笑う。切れ長の目なのにキツい印象は一切なく、ただ保護者のようなその雰囲気は、長年ボクが《彼》に抱いていたそれそのままで。今日はたくさん驚いたけれど、一番驚いたのはここだろう。ぽかんと口を開けるボクに彼はくすくすと笑う。ボクやエナトのそれとはちょっとちがう。表情が面白くて、笑っているわけじゃない。もっと深い、深い、なにかを感じる。
「……キミは、まさか」
「我が、モンド」
思わず持っていた剣を落とした。
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