第八話 剣と十字架

 世界の衰退。

 このままではこの世界は壊れてしまうから。

 わたしは、


 *


 魔物の増加。異常気象。人々の心は荒み、治安は悪化の一途を辿るのみ。

 そんな言葉をここにきてからなんどもなんども繰り返し聞く。そしてそれを抑えるためには《黙示録》に記されているという《世界創生ノ術》なるものを知る必要がある。それを行使すれば我々は助かる、というなんとも胡散臭い話だが、今のボク達はそれを信じるしかなかった。それだけを信じ、そのために生きる。ここは戦場でもある。

「ボクのいたところも、そうだったよ。ギルドに入ってたんだけど、魔物討伐の仕事は確実にこの一年で増えた」

「ドリラはダネスネーラから来たんだよね」

「うん、そうだよ。他は……穀物が採れなくなったりもした。街中はそんなに気にすることはないけど、ちょっと離に出たらお腹を空かせた子供が沢山いて……ボクは何もできなかった」

 そう。そこにはノースよりも小さな子供もいた。まだ街中に近い子供たちはボクらのような人間を見るとわっと飛び出して食べ物を、お金を強請るが、郊外に行けば行くほど、手足は朽ちかけた木の枝のように細くなり、目に宿る光も薄れて、生きることを諦めて。その先にあるのは…………死。

「女子供とてエヴォの子に変わりはない、殺せ」

「……っ!」

 ぶわっと全身に鳥肌が立つ。心臓の音がうるさくて耳鳴りがして、その倦怠感に思わず膝を付く。……死にたくない。死んじゃダメだ。生きなきゃ。生きて生きて。生きぬかないと。ボクは。ボクは!

 ふと背に触れられた手を払う。驚いたノースの声が廊下に反響する。

「ドリラ!」

「……ぁ……」

 幼い、白目がまだ青白い様なそんな目が、ボクの目を覗き込んでいた。

「ドリラ、大丈夫!? ごめんね、僕が故郷の話なんてするから……何かあったんだよね。本当に、ごめん……」

「いや……ごめん……。なんでもないんだ。なんでも。ノースが気にすることじゃないよ」

 頭を撫でてやろうとして、右手を持ち上げようとして、震えていることに気づく。ああ、全くボクは変わっていない。十年以上経っているというのに、成長のしてなさに嫌気がさす。ぎゅっと握って震えを抑えて、そっと金髪をなでる。大丈夫、大丈夫。自分にもノースにもそう言い聞かせて。

「ね、ボクは平気。大丈夫。ごめんね」

「ドリラ……」

 なおも心配そうな顔をする少年の前で木刀を付いて立ち上がると、手を引いて笑って言った。

「さ、先輩。剣の稽古してくれるんでしょ? 早く行くよ!」

「……うん」


 *


 カァン! ……カアアァン!

 木刀を合わせる音が当たりに響く。小さな体で懸命に剣を振るい形をなぞる手はまだ幼い。なぜこんな子供が戦わなくてはならないのだろうか。……どうしてこんな幼い、それこそ天使みたいなあどけない表情をもつ子供が剣に命を預けないといけないのか。ふと辺を一瞥すればノースと同じ年位の女の子も、真剣な表情で神術の稽古をするのが目に入った。

 なぜ。

 ボク達がエヴォの民だから? それだけで命を狙われ、自分の身は自分で守らなくてはならないの? なんで? どうして? ボク達が何をしたというのだろう。もしかするとボクたちの祖先に当たる者たちが、何か人間に危害を加えたのかもしれないけれど今生きてるボクが、ノースが、一体何をしたっていうのだろう? なにもしてないじゃないか!

「やあああああああッ!」

「っ、なぜ」

 何故お互いに剣を向け合う!?

 うわああっ、と驚いたような悲鳴がどこか遠くで聞こえた気がしてはっとする。慌てて意識を戻してくるとその時には既にノースの体は元いた場所から数メートルほど離れたところにあり、きょとんとした顔で尻餅をついていた。その顔に怯えなどはなく、ただただ驚いている。ボクは一瞬自分が何をしたのかがわからなくて、同じように剣を下段で構えたままぽかんとしていた。

「こら!」

 不意に後ろから頭を叩かれる。はっと振り返るといつもの二割増しで不機嫌そうなラルさんが立っていた。

「まだ《気》を使うのは早いぞドリラ」

「……《気》……?」

「そーだよ……びっくりしたなあもう……」

 よいしょ、と立ち上がってお尻を叩きながら、こっちに駆けてくるノースの顔も不機嫌そう。なにかまずいことをしたのだろうか。とんと覚えがなくて、小首をかしげると、まさかなあ、とでも言いたそうな苦笑いを浮かべられ、ラルさんは右手をゆっくりとこちらに向けた。

 ――!?

 本能的に危険を察知して、剣を構えて衝撃に備える。と、いきなり体が宙に浮いて軽く数メートル吹き飛ばされて床に腰を強かに打ち付けた。

「いったー……」

「……お前もしかして……というかやっぱり《気》のことも知らねえんだな……」

 しんっじらんない……とリュミエルの声が聞こえる。「あんたってほんと変わってる! あと、あんたのアモスもすっごく変わってる!! なんでこんな初歩的なことも教えないのー!」そう言いながらふわっとでてきた彼女を横目でちらっと見たラルさんが、お前も適当だっただろうとぼやく。それを否定する声を事実上遮ることになったが、ボクはとにかく聞いた。

「さっきの、なんか衝撃波みたいなのを、ボクが使ったってこと?」

「だろうな。おそらくはそうだろ。神術を使ったわけじゃないんだろ?」

「うん……。なんかよくわかんないけど、イライラしてたからかなあ……」

 イライラしながら剣の稽古なんかすんじゃねえよあぶねえなあと彼は漏らす。とにかく説明するからちゃんと聞きなさいよ? とやや偉そうに(まあ教えてもらう立場なのだから当たり前か)リュミエルが言ったとき、ふわっとノースの方から光があふれて形をつくる。ソンだ。

「それについては、私が説明するわ。ノースにもそろそろ教える時期だし、なによりあなただと不安だもの」

「……しっつれいしちゃうわぁ」

 その横でリュミエルが腕を組んでそっぽをむきながらそんなことを言うが、そこには仲のいいからこそある信頼のような、なんというのかボクにはわからないけれど、そんなものがある気がした。まあまあとノースが言って、ソンの方に向き直る。

「《気》っていうのは、生きるもの全てがもっている意思」凛と響く声で彼女は言う。生きるもの全て。つまり人間も、ボク達エヴォの民も、半竜族も、モンドやリュミエル、ソンみたいなアモスも、ということだろうか。

「もちろんだよ。草木、大地も、意志をもって生きてる。……あなたのなかにもいろんな感情があるでしょう? 一つのことでたくさんのことを思ったりする。悲しんだり、悔しんだり、憎しんだり……たくさんの感情がある。それが《気》。説明するのは難しいけど、空気の色のような……纏うオーラのようなもの。それを取り込んだり、排出したりして生きる。それが呼吸。もし、あなたが嬉しいときはどうする? ずっと嬉しいままでいたいでしょう? だからヒトは嬉しいという《気》を取り込んで、いらないものを放出する」

 ちょっとまって! とノースは制止の声を掛けた。「そんなことしたら、誰だって幸せになりたいから嬉しいとか、楽しいとか、そういうプラスの気持ちばっかり自分に取り込んじゃうよ?」

「そう。世界は負の《気》にあふれてしまう。負の気があふれたら、世界の草木は枯れ、大地は荒廃していく……」

「それが、今の状況なの?」

 頷く。ふわっと光が舞った。

「なんとかできないの? これまでもなんとかなってきたんじゃないの?」

「……人々は祈りを忘れたのよ」

「祈り……?」

 あるいは感謝かしら。彼女はノースの肩に乗る。やや疲れているようだった。

「昔は、幸せなことがあればすぐ、人々はそれを齎したものに感謝した。太陽の恵みに、誰かの優しさに、小さなめぐり合わせに感謝した。感謝は世界樹の呼吸によりプラスの気に変換されまた巡る」

「世界樹って?」

「世界樹はオリス教の神木。世界樹も呼吸をするけれど、それ自身に意思はない」

 つまりは何も考えてないということか。

「そうよ。あと……勘違いしてるみたいだから言っておくけど、負の気が悪いわけじゃないの」

「……?」

「負の気がないと幸せと思ったりっていう、プラスの気持ちがわからなくなる。負の気持ちも必要不可欠。それだけは覚えておいて」

 わかった……とボクとノースは頷いた。それを確認したところで、ソンが笑って《気》についての説明を再開する。

「あなたたちエヴォの民と、それから竜族は、気持ち……大気……《気》を操ることのできる種族。エヴォの民は気を操り衝撃波を発する。そして竜族は神術を使う」

「でも僕、神術を使えるよ」

「私がいるからよ。アモスがあなた達の《気》を扱う力をサポートしてるの」

 火の術は火の《気》を操り、水の術は水の《気》を操る。どの気をどれくらい操るかは呪文と魔法陣により決まり、アモスがそれに意味をもたらす。へえ……と頷いたノースを見て、ソンはふわっと笑ってでも、理論はわからないと告げる。

 ……そういえばボクは、神術を使ったことがない。そんなことを考えていたら、彼女はやっぱりきらきらと光を散らせて消えてしまった。


 *


「任務、ですか?」

「ああ。俺とお前で」

「二人だけ?」

 いいえ。と男性の声がして、見慣れた桃色の髪がドアから覗く。「失礼。任務についての資料を集めていたら遅れてしまいました」高いところでひとつに結った髪と白衣。研究員のような格好をした彼は、最近知ったが実際そうだったらしい。彼は資料を片手に任務の説明を始めた。

「……今回の任務は、魔物をここに持ち帰ること」

 そんなの無理なんじゃ? 魔物は退治すれば浄化されて消えていってしまう。死体は残らない。というか逆に魔物か害獣というのは死体が残るか残らないかで判断するものじゃないのだろうか。それから考えると、魔物を殺してそれを持ち帰るなんて無理な話だ。

「その場で殺さなければいいのですよ。気絶させてここまで運べばいいのです」

「気絶……?」

「そう。致命傷を与えないように気絶させ、薬を注入して眠らせてここまで運ぶ。……とても難しい任務です。手加減すれば殺される。でも全力を出せば殺してしまう」

「それを、……ラルさんはわかりますけど、ボクにも頼むの?」

「頭数を揃えるためだ」

 ラルさんがなんてことなしに言う。話によると任務は2人以上で行かなくてはいけない規則らしい。

「今回の私は依頼者として同行するのみです。依頼者は数にはいりませんから」

「なるほど……わかりました」

「お前さ、ちょっとは嫌そうな顔しろよ」

 何故? 首をかしげると彼はいつもどおりの面倒くさそうな顔を向けて、そらして、なんでもねえよと小さく言った。


 *


「……祈り……か」

 銀色の髪。光の当たり具合により黒っぽく、そして白っぽくもなる不思議なやや長い髪に、切れ長の血のような赤い目の男性。年はわからない。十代のようにも見えるが妙な貫禄がある。

 名は……モンド。

「どうしたの、モンド」

 物憂げな彼に声を掛ける、簡素だが質のいい純白のドレスを着た少女。ホワイトシルバーの、もみあげ部分の長い短い髪、色素の薄いグレーの目の彼女の名はエナト。深い慈しみをもってモンドを見つめるその表情は、ドリラと瓜二つだった。

「わたしはちゃんと、祈りを集めてるよ」

「……そうだな。全くお前はよくやってるな」

「ありがと、もっと頑張る。……ねえわたし、ドリラにいつ会えるの?」

「期は……満ちつつある」

 ほんと? うれしいな。と彼女は無邪気に笑う。

「早く会いたい。早く会って、」

 ――一刻も早く、この世界を壊さなきゃ。

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