第20話 開眼(執筆者:美島郷志)

 チリリ、と空気が焼けついた感触が、その場にいた全員の肌に触れた。




 はらり、と散るトゥエルブの長い髪が剣圧で舞い上がり、その瞳孔は驚愕の様相を見せながら大きく開く。


 咄嗟の出来事に、剣を引き抜いて距離を取るトゥエルブ。しかしそれだけでなく、身体を捻りながら真横に飛び転がる。




 また、はらりと長い髪の切れ端が宙を泳ぐ。


 チンッ、と金属の擦れ合う音の跡に、ちょうどトゥエルブの直線状にあった窓ガラスが、音を立ててばらばらと崩れ落ちた。




「クイーン!! ……」


「……先に剣を向けたのはあなたです。文句は言わせません」


「くっ……」




 クイーンが携えた細剣を鞘に納めるまでに、二度トゥエルブの髪が宙を舞った。その意味をここにいる、誰もが理解できないはずもなかった。




 クイーンは本気でトゥエルブに斬りかかった。トゥエルブも本気でそれを躱し、その結果長い髪は犠牲になった。それはつまり、彼女たちの分裂が決定的になったことを示す。


 彼女たちは、もう引き返せない所まで来てしまったのだ。




「お前が私に敵うとでも思ってんのか?」


「それは、「手合わせ」の話ですか? それとも「果たし合い」の話ですか?」




 お互いを睨み合う目は、もう家族に向けるようなものではない。純粋に剣の錆へ変える、敵へ向ける気魄。




「言ってくれるねぇ。……少し痛い目見ないとわかんないようだな」


「えぇ。まぁ、傷一つ付きませんが」


「上等だ!!」




 トゥエルブに握り締められた一振りが空を撫でる。クイーンは牽制の為に放たれた斬撃をいなして躱すと、すぐさま懐に飛び込んできたトゥエルブの下手斬りに掌を重ね封じ、そのままバランスを崩して倒れていくトゥエルブの背を切りつけようとする。だが体を倒し、両腕で支えたトゥエルブは、そのまま勢いを殺さずにクイーンの手元を踵で蹴り上げ、クイーンの手元を挟み込みながら捻り倒す。


 体勢の崩れたクイーンに、トゥエルブの無理な体勢からの後ろ回し蹴りが襲い掛かる。




「ぐっ! ……」




 遠心力の効いた重い一撃が、クイーンの右肩を容赦なく打ち付けた。




 すかさずトゥエルブが斬りかかる。だがクイーンはすぐに、使えなくなった右手から左手に剣を持ち替え、襲い掛かる一撃を払い除けた。




「甘ぇ!!」




 がら空きになったクイーンの脇を、真っ直ぐにトゥエルブの蹴りが入る。




「がはっ……!!」




 臓物が押し上げられる感覚に耐えきれず嗚咽を吐く。だが、それこそがクイーンの狙いだった。痛みを堪え、未だ痺れの残る右手でトゥエルブの足を掴み、引き寄せる。




「ちいっ!!」




 バランスを崩したトゥエルブに防御や回避を取る術などない。なされるがままに、甘くなった腹へと拳が撃ち込まれる。




「があっ!!」


「まだまだぁ!!」




 拳の反動を受けた勢いそのままに、クイーンの裏拳がトゥエルブの顔面を打ち付けた。


 吹き飛ばされよろめくトゥエルブ。それを見たダリアスが声を上げる。




「お、おいトゥエルブ! 負けそうじゃないか! 本当に大丈夫なのか!?」


「剣も振れない雑魚は黙ってな!! これは利権どうのこうのじゃない、私達の問題だ!!」




 ダリアスの虚弱な態度を一喝し、血反吐を床に吐き捨てる。向かい合うクイーンは細剣を鞘に納め、姿勢を低く飛び出す時を待っている。




「その構え……本気なんだな、クイーン」




 トゥエルブの問いにも、クイーンは無言のまま答えようとはしない。


 それがそのまま答えだと受け取ったトゥエルブもまた、剣を握った右手を高く掲げ、左手を刀身に添えながら腰を落とす。




「ちょっとまさか……そんなことをしたら建物がもたないわ!」




 二人の構えを見て悟ったユリアーナが騒ぎ立てるが、その声はまるで届いていない。




「この馬鹿どもっ! ……」




 ハートが胸に手を当て、大きく息を吸い込んだ。だがそれを見たヒマリが咄嗟にハートの口を押え塞ぎこむ。




「むぐうっ!? ちょっとヒマリ、離しなさい!」


「ダメだよハート! ハートが歌ったらそれこそ建物が!」


「そんなえげつないやつ歌わないわよ! いいから手を離しなさい!」




 ヒマリとハートが言い争いをしている間に、張りつめていた空気が揺れ動いた。クイーンが後ろに引いた左足で踏み込み、脇を締め刀身を隠すように構えながらトゥエルブへと突進する。トゥエルブも、踏み込んだ右足に力を入れ待ち受ける。








「「 母なる四重突クアトロ・ディ・フローラ ァァッ!! 」」




「「 混沌連斬カオス・エッジ ッッ!! 」」






 二人の鍛錬された必殺の一撃が向かい合った、その瞬間だった。






 ドゴオオオオオオッッ!!、と凄まじい破壊音を響かせながら、入り口の扉が数十メートルにわたって吹き飛ばされ、直後に視界が真っ白になるほどの煙が立ち込める。




「んぐぅっ!?」


「ちいっ!?」




 勢いをくじかれ、行き場を失った二人の一撃は全く別の方向へと流れ、会議室にいた全員が行き場を失って彷徨いだす。




「侵入者!? いったいどうやって!?」


「くそっ! なにがどうなっている!?」


「まずい、商会連中が!」




 トゥエルブが商家たちの動揺に気づいた、その時だった。






「キャアアアアアアアアアアッッッ!!」




 叫び声が上がった。甲高い女性の声。






「ヒマリ!」


「しまった! ……くっ!!」




 煙の中を何かが移動していくのが見えたクイーンが、割れた窓の外へ飛び込んでいくそれを追いかける。




「おい! クイーン!!」




 トゥエルブの制止も虚しく、クイーンは窓の外へ落下していく。受け身を取りながら着地すると、建物の屋根伝いに飛び跳ねるそれを捉えた。




「逃がしません!」




 クイーンもその後を追って街の中へと消えていく。




「おい待てクイーン! どこへ行く!?」




 トゥエルブは消えたクイーンの跡を追おうと窓の縁へ足を乗せる。だが、そんな彼女を探して彷徨う者がいた。




「トゥ、トゥエルブ! 待ってくれ! どこに行くつもりなんだ! 助けてくれ!」


「ダリアス!? …………くそっ!!」




 早くクイーンの後を追いたい気持ちに駆られるが、ダリアス達をこのままにしておくわけにもいかない。


 トゥエルブは舌打ちを吐き捨てながら、襲撃に動揺した商人たちを一か所に集めようとする。




「ごほっ、ごほっ……一体何が?」


「ダイヤの騎士がいながら酷い有様……これはどういうことですかトゥエルブ様!」


「なんということだ……よもや我々を直接狙ってくるとは」




 徐々に落ち着きを取り戻そうとしているユリアーナ、アッシェン夫人、レナードの三人に対し、ダリアスはトゥエルブに縋って離れようとしない。事態を飲み込めず、恐怖に精神を飲まれてしまっている。




「……大の男が情けない。あんたを見染めたのは失敗だったかねぇ……」


「ひいっ! そ、そんなこと言わないでくれぇ!」


「ちっ、これじゃあこの場を離れるわけにもいかないか……」




 怯えるダリアスを足蹴にしながらも、状況のまずさに握った剣に力がこもる。もし新手が来たとして、5人を守りながら戦うのは難しい。




「おい女王様よ。あんたは一人で大丈夫かい?」




 トゥエルブがハートに声をかけた。が、返事はない。ハートは青ざめた顔で、何かをぶつぶつと呟いている。




「おい、ハート様よぉ! 聞こえてんのか!?」


「うっ!! ……な、なんだトゥエルブ、何かしら?」


「いくら付き人が攫われたからって、ちっと動揺しすぎじゃねぇのかぁ?」




 この中で自衛できるとしたらハートしかいない。だが身内が死んだところでうんともすんともならないハートがここまで動揺しているのは、トゥエルブにも珍しい光景だった。




「いえ……いや、そうね。じっとしててもしょうがないわ。私はクイーンの後を追う」


「はぁ!? 何言ってやがんだ! 状況わかってんのか!?」


「わかってるわよ! よりにもよってあの子を攫うだなんて……最悪だわ」


「……おい、人の話聞いてんのか? 今あんたにここを離れられちゃ困るって言ってんだが?」


「はぁ? 知らないわよそんな奴ら。私には関係ないもの」


「てめぇ……協力がどうとかの話はどうすんだ?」




 話せば話すほど険悪になっていく二人に、商人たちは別の意味で動揺していた。




 だが確かに、ハートの変貌ぶりには一同が舌を丸めていた。なんでもない、ただの年端もいかない少女の事を、どうしてハートがそこまで気にかけているのか。いやそもそも、なぜハートは彼女を連れて、このダイヤシティまで逃亡してきたのか、どれだけ考えても謎が深まるばかりだ。




「今のアンタ達の力なんていらないわよ。それにあの子は……ヒマリは、このメルフェールにとって大事な存在なのよ。こんなところで失う訳にはいかないわ。そんな奴らよりよっぽど大事よ」


「あぁ?」




 ダイヤシティの中核を担う四商人と比較しても「そんな奴ら」呼ばわりなハートに、トゥエルブは納得いかずとも、ハートの顔からみるみるうちに血の気が引いていくのを見て、それが冗談ではないことを悟った。




「……どういう意味だ?」




 トゥエルブはハートに問いかける。ハートは迷ったが、どのみち話さなければならないことだと思い、腹を括った。




「ヒマリは……「ジョーカー」の生まれ変わりかもしれないのよ」


「「「「「 ―――ッッッ!!? 」」」」」




 全員が固唾を飲んだ。


 これがもし、ハートではない他の誰かが言ったなら、世迷言として笑い話で終わらせられる。しかし、ジョーカーを最もよく知るハートの口から、それもこの状況での様相からそんな発言が出れば、誰だって冗談で言っているものだとは思わない。




「……正気なのか? ハート」


「……自分でも馬鹿だと思うわ。でも見たのよ、ここに来る前に山の上で、私の「旋律を歌う者シング・シング・シング」を完璧にコピーして、金色の瞳を輝かせながら歌うあの子を……」




 商人たちがざわつき始めていた。ハートが嘘を言っていないのは火を見るよりも明らかだった。だが、トゥエルブ含め、それを聞かされてもすぐには呑み込めない。そんなそぶりは一つもなかったからだ。




「だから私は国を出た。あの子を利用して、ジョーカーが望んだ世界を取り戻すために。だからこんなしょうもない問題一つ片づけられない馬鹿の力なんていらないわ。足手まといだもの。そこにいる腰抜けはラプなんとかってのに任せればいいでしょ」




 冷たい視線を一つ残して、ハートは破壊されたドアから会議室の外へと向かう。




「ジョーカー……」




 トゥエルブは、まるで取り残されたかのようにハートの背中を見つめていた。自分よりも小さく、弱々しい背中。だがその上には幾万という命が乗っている。その重さは、自分には想像もできないほどだと思うと、拳が震えずにはいられないかった。




 進むものと立ち止まる者。その差はますます開いていく。だがハートは、突然何かを思い出したように壊れた扉の前で立ち止まった。




「ジョーカーが今のあなた達を見たら、きっと悲しむわ」


「――ッッ!!?」




 最後に重い重い一言を残し、ハートは会議室から去って行く。




「……まったく、「シャプロンルージュ」よ。一文字も合ってないじゃない」




 ハートへの悪態は、ユリアーナのせめてもの強がりだ。同じ女性でありながらこうも違うものなのかと、口笛で呼び寄せた伝書鳩に言伝を預け飛び立たせた。




「……私は、何をやっているんだ」


「トゥエルブ……」




 トゥエルブは羞恥に燃えていた。これほどまでに自分に怒った事があっただろうか。技を磨き、騎士を束ね、それで強くなった気でいた。だが実際はそうではなかった。ハートに指導者としての差を、まじまじと見せつけられてしまった。




 それを横で見ていたダリアスもまた、己を恥じていた。金と利権に溺れ、商人としての大事なものを見失っていた。商売とは人と人の繋がりあい、信頼関係があってこそだというのに、まるでそれを我が物顔でしたためようと、それが上手くいったつもりでいた。そんな事はなかったのだ。嘘偽りの心でできるほど、商人は甘くはないのだ。






「くっ! ……」




 トゥエルブは鎧に手をかけ、それを外すと無作法に投げ捨てた。黒い肌着を身に着けただけの装いは、細身だがしなやかで鍛えられている。




「なっ! トゥエルブ!!」


「あなた……どうして鎧を……ッ!!」




 突然の奇行に戸惑うが、その直後に飛び込んできた光景に、ダリアス以外の全員が目を疑った。




 腕や足、割れた腹筋、背中、その至る所に傷、傷、傷。美しい曲線美と張りのある肌にはおおよそ似つかわしくないそれが、体中に刻み込まれていた。




「……笑ってくれていい。こんな体、もう女だとは思ってないさ」




 見るもむごたらしい火傷の跡や、打ち付けられた箇所が痣になったような跡、切り傷もさながらで、屈強な戦士ならば勇敢に戦った後なのだろうが、彼女が背負うには、それはあまりにも醜悪だった。




「なんだその傷跡は……いったいどこで!?」


「ん? あぁ、ヘマした数さ。別に一つの戦場で付いたものじゃない」


「それにしたってその数は! ……」




 言いかけて、全てを悟った。トゥエルブはこの街を守るために、その傷を一身に背負ってきたのだと。彼女の決意の重さは、この傷跡が全て物語ってくれる。それだけ必死になって、ダイヤの騎士たちはこの街を守り続けていたのだと、この場にいる誰もがその傷に目を逸らした。




「……いいさ。女の幸せなんて、私はとっくに諦めてるよ」




 しかしそれに、トゥエルブは強く追及したりはしない。


 それが、ダイヤの騎士の使命だから。




「……だけど、せめて姉クイーンには、そういう日が来て欲しいと願ってるよ」




 虚空を見上げたトゥエルブは微笑んでいた。




「トゥエルブ、私は……」


「ユリアーナ、すまないがここを任せてもいいか?」


「……えぇ。しばらくすればシャプロンルージュが到着するはずよ」




 トゥエルブはユリアーナに頷き、ハートの後を追いかけようと駆け出した。




「トゥエルブ!」




 去ろとする彼女の背に向かって、ダリアスが震える手を伸ばす。彼の声に、トゥエルブは振り返らずに立ち止まった。




「……醜い私を、愛してくれてありがとう。ダリアス」




 ダリアスにその表情は見えなかった。だがダリアスは、確かに自分に向けた微笑みだと悟り、その場に崩れ落ちずにはいられなかった。


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