第16話 丁々発止(執筆者:宵密糺)

 朝を迎えたダイヤシティの中心地。他より一際大きな建物の前で、ヒマリとハートはフリップを待っていた。


 そこにいれば向こうの方から出てくるでしょう、とヒマリを連れたハートの言った通り、駐屯地に着いて少しも経たない内にフリップは出てきた。昨日、逃げたばかりの女性二人の姿を見たフリップは目を丸くしていたが、ダイヤの騎士に会いたいと言ったハートの言葉を聞いて、許可を取ってくると戻っていったのであった。




「ハート、どうして面倒くさいって言っていたのに会いに来たの?」


「……ダイヤの騎士に協力してもらうなら、会って話をしないといけないでしょう。それに、昨日の街の様子も少し気になるわ。別にフリップを訪ねた訳じゃないのよ」


「そうだったんだ」




 そう話していると、フリップが銀色の板を持って走り寄ってくる。板に適当な穴を開けられたようにも見えるそれは、入場証らしい。


 フリップに付いていき潜った門の先は、真っ白で武骨な雰囲気を漂わせる、ダイヤの騎士たちが住み暮らし、騎士の書類業務もしているという屋敷だった。


 こういった屋敷は公共の場と言う扱いであり、一階は申請と身体チェックを済ませれば誰でも入場可能。二階は騎士が出入りし、三階からが居住階である。フリップと同じような制服を着た若い者達は珍しそうな顔でヒマリ達を見てくるのだが、ハートの素性を知っているらしい連中はただ黙して目線を下げるだけであった。




「雰囲気が前に来た時と随分違うわね」




 日本では見慣れない異国の大きなお屋敷に圧倒されていたヒマリは、ハートの言葉で我に返る。




「そうなの?」


「ええ、どこか……そうね、ピリピリしている……かしら……」


「良く分かりましたね」




 あっさりと頷いて、フリップは歩きながら説明する。




「現在ダイヤの騎士の間では二つの勢力が対立していまして、そのためいつもこのような感じなんですよ」


「え、そうなんですか」


「はい。ただ、とても仲が悪いとか……そういう訳では無いのですが。対立している筈のダイヤの騎士同士で食事をしていたりもしますからね」




 ――どういう事だろう。勢力争いをしている様にはとても見えない。


 思わず足を止めてしまったヒマリは、そこで周りの騎士よりも幾らか装飾の多い制服を着た二人が談笑しているのを見つけた。


 それは特に違和感のあるものでもないのに、どうしてか気になり、じっと凝視してしまう。




 何か、変な感じがした。


 いや、うまく言い表す事ができるような程のものではない。どちらかというと二人ではなく、二人の近くにいる騎士たちの雰囲気が気になる。




「……えっと、あの人達は偉い人ですか?」


「どれですか? ……あぁ! そうですね、ご紹介します。付いてきてください!」


「えっ、あっはい!」




 意気揚々に方向転換したフリップは早足に二人へ近づいて行くので、付いて行くのがやっとである。いや、足の長さの違いを考えてほしいと切実に思う。




「お疲れ様です! エフタ隊長、アハト隊長」




 フリップの声で気付いた二人は振り返ってヒマリ達を視認した。


 その姿にヒマリは驚く。


 ――本当に何から何までが一緒だ。見分けがつかない。




「今、少々お時間宜しいでしょうか?」


「あぁ」


「可愛い子を連れているね? ……おや、ハート様」


「お久しぶりですわ、アハト」




 そういうと、アハトと呼ばれた女性は目を細め、面白がるような視線でヒマリとハートを見比べた。




 アハトの視線は決して気持ちの良いものではない。不快さを感じさせるほどのものではないが、不気味だった。


 何を考えているのか分からない瞳は、崩れない柔和な微笑みと相まって尚近づきがたく思えたが、その視線に晒されていた時間は短くにっこりとアハトは微笑みを深める。


 困惑するヒマリと訝しむハートに気付くと「あぁ、ごめん」と謝るのだった。




 アハトの目が細められると一転、探るような声色でさて……と呟き、ヒマリ達の前に立ちふさがる。頭二つ分程高い彼女の背は、それだけで二人に威圧を与えた。




「ハート様はダイヤシティに亡命ですか?」


「なっ……」


「ダイヤの騎士たる私にハートアイランドの重要な情報が入らない訳ないじゃないですか。どうしましょうか、ハートアイランドへ秘密裏に……」




 アハトの言葉にハートの頬が引き攣り、フリップの驚愕した声が上がった。しかし、次を続ける前にエフタが止める。




「やめろアハト、悪趣味だぞ。……悪かったな、実はスノウ様から連絡を受けている。姉に協力してほしいと。これはダイヤの騎士全員が知っている事だ」


「スノウが?」




 途端にハートは眉が跳ね上げる。




「あぁ、詳しいことは聞いていないが」




 あからさまに難しく考え始めた様な顔をしているが、ハートにしたらこれは良い傾向の筈である。既に話が通っているのなら早いことは無いし、間違っている情報だったりしているのなら別だが、今回、伝えられているのは姉ハートがダイヤシティに行くという事と、協力してほしいという事だけらしい。難しい顔をする必要は無いはずだった。




「なら、話はわかっているわね」


「あぁ、だが問題がある」




 その願いは叶えてやることが出来ない、と、エフタは申し訳なさそうに言った。




「どうして」


「この状況を見て何もわからないのか」




 顎で見ろ、と。


 そう広場の方を指すと、エフタが指した先には二人と似たコートを着た別の“隊長”と思われる二人が相対していた。


 一瞬、訳が分からなかったヒマリだったが、両者の険しい表情を見た瞬間、悟った。




「喧嘩、している?」


「そんな生易しいものだったら良かったんだがな」




 実際は派閥争いだったのである。さっきエフタの言っていた問題とはこのことであり、それはダイヤシティの根元を揺るがすような事態だったのだ。フリップの言っていたふたつの勢力とはこの事なのだろう。




「右側はクイーン。私たち12人で構成されたダイヤの騎士リーダーであり「折れぬ純潔デイジー・デイジー」の筆頭。左はトゥエルブ。「微睡む睡蓮の芳香ドゥオズ・リリィ」の筆頭だ」


「それってなんですか?」


「そうだな、……ダイヤシティは戦争の被害が比較的少なかった。だが少ないとはいえ私たちの力が削がれてしまっては、今までのようにシティを力で統治することが出来なくなってしまったんだ。だが、クイーンは昔通りの“ダイヤの騎士が法である”事を変えまいとする。対してトゥエルブは限界を感じ政治の改革を諮った。それぞれの有力商人と協力した治世を試みているんだ。――というわけでだ。今、ダイヤの騎士内部は割れてしまっている。正直、亡命の女王様のなんとやらに協力している暇はない」


「……そう」




 ハートは、睨み合った両者を一瞥すると、自嘲したような笑みを浮かべた。




「――難しいものよね。でもこの状態は如何なものなのかしら。私は二人の話を聞きたいわ」


「近付けば聞こえるんじゃない? 行こうか」




 アハトはそう言ったが早く、コートを翻して先を歩いて行ってしまった。




「おい待てアハト!」


「遅い」


「は、はぁっ!? くっ、三人とも付いて来い!」








「まったく、腐ったおつむをお持ちのようだねえクイーン。何度も言わせるんじゃないよ。このままでは限界が来る――お前は今の騎士たちの現状を知らないのかい? 取り締まるはずが返り討ちに合っているんだよ? そんな状態で市民の安全を守るなんて、出来やしないよ」


「まぁ、貴女はそう思うのですね、トゥエルブ? ですが見てみなさい、市民の姿を。ひったくりが起きても、誰も何も動きませんわ。騎士が動いてくれる、騎士が何とかしてくれる、騎士が――と、わたくしたち騎士に依存しきっているのです。それを見ても尚、この体制を変えようと思いましょうか? いいえ。多少無茶をしてでも、わたくしは彼らを守りたいのです。――えぇ、出来ないことはないでしょう。今更、改革など必要ありませんわ」




 クイーンの言葉にヒマリは、ふと昨日の事を思い出していた。


 そうだ、そういえば、昨日そんなことがあった。ひったくりが起きても、誰一人助けに動くことなく通り過ぎていたその中で、騎士のフリップだけが声のした方へ向かっていた。




「……いぞん」




 依存しきっている。確かにそう言い表すのなら、その通りだろう。だが、トゥエルブの言い分も間違ってはいないのではないか。ヒマリはダイヤシティの事を良く知らないので正しい判断は出せないが、何となくそう感じていた。




「現にそうでしょう? 貴女が勝手に始めなさった政策はどうです? 慣れないことに手を出し、良い結果は出ましたでしょうか?」




 勝手に始めた政策とはさっきエフタの言っていた政治の改革の事だろう。トゥエルブは苦虫を噛み潰したように顔を顰めると、苦々しげに吐いた。




「それはまだ、始めたばかりだから分からないさ」


「そうですか? わたくしには汚い金が横行している様にしか見えないのですが」


「っ……」


「では、クイーン」




 言葉に詰まっていたトゥエルブより1歩、前に騎士が出てきた。




「貴女はこの現状を打破できると言うのですか。具体的な策がありますか。何年もかかるようでは遅すぎるのですよ。今すぐ、最短で、民を守る策を提示できますか。私たち微睡む睡蓮の芳香ドゥオズ・リリィへ属する全員が納得するような策を打ち出せますか。出せないでしょう」


「……」




 クイーンは微笑む。まさかトゥエルブではない、後ろへ控えていた騎士にここで反発されるとは思っていなかったのだろう。一瞬虚を突かれたような顔をしたクイーンは、しかし美しく微笑んだ。




「成程。テン、貴女の言う事はもっともです」


「でしょう」


「残念ですが、生憎とまだそれを出来る程の手札が揃っていません。貴女の言う通りですね。ここは、わたくしが引きましょう」




 クイーンの隣に控えていた騎士は納得のいっていない様子でクイーン、と引き留めたがクイーンはそれを無視して踵を返した。




「このダイヤシティを守るのがわたくし達の使命。それくらいの常識は、お互い痛いほど理解し得ていると分かっております。だからこそ、安易に折れることは出来ないのです」




 決意の滲んだ声色で言い残し、その場を立ち去るクイーンが向かってくるのはこちら側である。これは予期していなかったのか、慌てるエフタはアハトに、早く離れろ、といっているかのように、その背をぐいぐい押した。




「やめてくれないかな、エフタ」


「良いから隠れるなりしてくれ……!」


「何故?」


「見つかる!」


「別に良いじゃないか」


「良くないだろうがぁぁ」


「……何をしているのです、エフタ」




 てんやわんやしている間に、クイーンは既にここまで来ていた。呆れたような表情で立ち止まったクイーンは二人を見て相変わらずですね、と付け加える。




「こ、これはっ」


「いいえ。別にわたくしとて微睡む睡蓮の芳香ドゥオズ・リリィと軋轢を生みたい訳ではありませんもの、仲良くしてはいけないとは言いませんわ」




 叱られた子犬のようにしおらしくなったエフタの横を通り過ぎようとして、クイーンはハートとヒマリを目に止める。


 そして、少しだけ目を眇めると、しおらしいエフタに、二人を連れて来なさい、と告げて立ち去った。






 クイーンが立ち去って、姿が見えなくなるとエフタはアハトから離れる。




「もしかして、エフタさんとアハトさんは……敵? 同士、なんですか?」


「敵ではないが、まぁ、そうなる」


「まあ細かいことは気にしなくて良いんだよ。トゥエルブも特に何も言わないし」


「お前は気にしなさすぎるんだ……!」


「それより、良いのかな。二人を連れてこいと言われたんじゃないの」




 くやしそうな顔をしたエフタは振り向き、ヒマリ達にこっちだと案内を始める。また後でね、と見送るアハトを無視して、すぐ傍に続いていた螺旋階段を昇り始めた。


 クイーンの執務部屋に向かっているみたいだった。階段には頭上のステンドグラスが受ける太陽の光で煌めいた色が揺蕩っている、綺麗だけれど、揺らめくそれぞれの色はまるで仲違いをしているようにバラバラなところで輝いていた。








 階段を登り切った先にあった扉を叩き、部屋に入ると、そこにはクイーンとさっき後ろにいたらしき騎士ともう一人の騎士がいた。二人はエフタに促され、クイーンの前に出る。




「よく来ましたね、ハート。それと……」




 視線を寄越されて、首を微かに傾げて促される。




「ひ、ヒマリです」


「そうですか。ヒマリ、ハート。先ほどはお見苦しいところを見せてしまいましたね」


「構わないわ。お陰様で今ここで起きていることがようやくわかったもの。感謝したいくらいよ」


「それは重畳です」




 微かに笑ったクイーンは、それきり何も言わず、執務室には無言が満ちた。しかも、クイーンはじっと観察するように二人を見つめる。居心地の悪さを感じながらもハートが何も言わないのでヒマリも視線に耐えた。アハトの探るような視線とは比べ物にならなかった。この視線地獄はいつになったら終わるのだろうか。




「それで」




 我に返ると、クイーンは椅子に深く腰掛け、着席を促していた。




「何か、聞きたいことなどがあるのでしょう?」




 促された先のソファに二人が身を沈めたのを見ながら、クイーンは言う。脈絡のない会話の始まりに困惑するヒマリだったが、ハートはそうではなかったらしく身を乗り出して返事をした。




「何故、貴女は今の状態を維持しようとするのかしら」




 クイーンは、面白いですわ、と呟くと机に肘をつく。どこかで見た事のある姿勢だとヒマリは上手く働かない頭で考えていた。




「何故と仰いますか」


「ええ。だってそうでしょう、トゥエルブ達の言う事が本当なら、それも考えても良い筈よ」




 ヒマリも抱いていた疑問は、同じようにハートも考えていたらしい。確かにと頷けば、溜息と共に首を振られる。




「分かっていませんね」




 再び深く椅子に座りながら、クイーンはどこから話しましょうか……と呟いた。


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