第15話 『覚悟と決別』(執筆者:美島郷志)

 遺跡の外に出た私たちは、麓に人だかりができているのを見下ろしていた。この険しい山道を大人数で登るのはあまりに険しい。だとすれば、逃げるにはまだ充分時間はある。


 問題は、これ以上逃げ場がないということだ。


「女王様……。」


 余りに酷い仕打ちではないだろうか。その人生を殆ど彼らの為に費やしたというのに、彼女の気持ちも知らないで身勝手に反乱を起こすなど。確かに生活は苦しいかもしれないが、女王様を国から追い出せばそれが変わるとは思えない。現に女王様の気持ちを理解して耐え忍んでいる民もいる。


 政治の事はよくわからないが、私の目には彼らがとても身勝手に見えた。


「私が彼らを足止めします!」


 スノウ様が前に出て、彼らに向けてプリズムの輝きを乱反射させる。冷たく渦を巻いていく空気、だがその冷気は天へは昇らず溶けていった。


 女王様が、スノウ様の手を握ったのだ。


「お姉さま? 大丈夫です。私の雪で彼らの足を……。」


「いえ、こんなところまで追ってくるなら彼らも本気よ。時間稼ぎにしかならないし、どのみち行く宛ももうないわ。」


 女王様の表情は穏やかだった。女王様は握ったスノウ様の手を自分の首元に当て、手の甲に頬を擦りつける。


 そして、とても悲し気な、冷たくなった声で呟いた。


「スノウ、私を殺しなさい。そしてあなたが次の女王になるの。私の首を持って彼らと共に歩みなさい。それが彼らにとっても……あなたにとっても幸せな道になるわ。」


 私は思わず息を呑んだ。残酷だ、これはあまりにも惨めだ。愛する人を奪われて、大好きな国民に身を追われ、彼らを思って妹に手をかけさせる。それも全てみんなの為に。


 私は女王様を誰よりも愛の深い人だと思っていた。同じベッドで、あの涙を見たからわかる。女王様は一人、運命と闘っていたんだ。その体はもうボロボロで、その最後にある結末がこれだというのか。


 込み上げてくるもののせいで顎の震えが止まらない。それはスノウ様も同じだった。


 正気とは思えないその言葉に、スノウ様の張り手が甲高く鳴り響いた。


「……お姉さま、なぜそんなになるまで何も言ってくれなかったのですか!! あなたはずっと民を愛してきた! 民もあなたを愛してきました! それなのに、どうして自分が死んだ方が幸せなどと言えるのですか!! 私は彼らに……なんと言ってあなたの亡骸を見せればよいのですか!!」


 大粒の涙がぼろぼろと落ちていく様なんて気にもならなかった。それほどに、この悲劇を女王様が受け入れてしまう事が、あまりにも悲しく、惨いからだ。


「あなたはこれでいいのですか!? このまま何もかも奪われて、何もかも失くしたまま死んでしまっていいのですか!? 悔しくはないのですか!? ジョーカー様の仇を取るのではないのですか!!?」


 スノウ様が女王様の肩を掴んで力いっぱいに揺らす。飛び散る涙と枯れていく叫び声、そのどれもが、冷たく固まった女王様の心には届かない。


 女王様の口が、苦虫を潰したように歪んだ。


「私だって悔しいわよ! でも! ……私は女王だから、みんなが死ねって言うなら死ぬしかないじゃない。」


 優しく穏やかな声で、女王様はスノウ様の頬を伝う涙をすくい取った。女王様の顔は必至に笑顔を取り繕っていた。それがどれだけ酷なことか、スノウ様の絶望に染められた真顔を見れば明らかだった。


 女王様の覚悟は本物だ。それを悟ったスノウ様が、青白い光の粒を掌に集める。本当に、女王様を殺すつもりだ。もうボロボロの女王様でも、せめて散り際ぐらいは美しくという、妹だからこそできる覚悟。


(……本当に、本当にこれでいいの? こんなの酷いよ、酷すぎるよ! あなたはこれでいいの? ジョーカーさん!!)


 私は顔も知らない彼に祈った。夢の中で見た女王様も同じような顔をしていた。そんな彼女を救ったのは、紛れもなく彼だったはずだ。そんな彼が今これを見たらどうするだろうか。


 私は、何もできないのか。


【――いいのか? 女王死んじまうぜ?】


 急に時間が止まったような感覚に苛まれた。前触れもなく聞こえたその声は、私に問いかける。


(ダメに決まってるでしょ! でもどうすればいいの!? 私はどうしたら!?)


 どこからか聞こえたかもしれない声に必死で問いかける。


(私は救いたい! 女王様も! スノウ様も! みんなも!)


 私はありったけの心を叫んだ。その叫びを、彼は愉快そうに鼻で笑った。


【なら答えは出てるじゃねぇか! お前のやりたいようにやればいいんだよ! お前の気持ちを、そのままあいつらにぶちかましてやれ!】


(私の……気持ちを……。)


 胸が熱く、体中から何かが沸き上がってくる。お腹の底から、ゆっくりと湧き上ってくるそれは、口を開けばすぐに溢れだしそうになっていた。


(これは……私の気持ちだ。女王様を助けてあげたいって言う気持ちだ! 声の人が言ってくれた! この気持ちを、思いっきり叫ぶんだ!)


 大きく見開いた瞳は金色に輝き、目一杯息を吸い込んだ口が大きく開く。


 喉の奥から空へと駆ける、特大のファルセット。縦横無尽に大空を駆け巡る歌声は、青々とした草原を薙ぐそよ風を受け止めた者達の耳に響き渡る。


 その時、悲しみに震えるスノウの手が止まった。


「これは……。」


 青空の下に響くその歌は、拙いながらも感情を目一杯露わにしていた。メロディラインは低めだが、歌詞はどんな苦しみにも果敢に立ち向かう勇気の力強さを感じさせる。


 折れない心、この歌の芯にあるのはそれだ。それはこの国をずっと支えてきた女王の生きざまそのものであり、それは女王の心にも響いていた。


 白い雲が散らばる青い空に歌声を捧げるヒマリの姿は、かつての女王が悲しみを吹き飛ばすためにしていた事と同じであった。過去の自分の姿を重ね、哀色の希望の歌を、全身を震わせて歌い上げるヒマリは、今の女王にはあまりにも眩しく見える。


 昔にも、同じような事があった。


 その光景が蘇ってきたせいで、女王は瞼の奥から溢れてくるものを抑えきれない。


「どうして……どうしてあなたがそんなことするのよ……。」


 女王にとってそれは皮肉だった。諦めて整理をつけていたはずの気持ちが燃え尽きないまま、種火を残して灯されていたのだ。どうしようもなく燃え上がったそれは、女王の冷え切った胸の内を熱く焦がす。


「ジョーカー……あなたはまだ、私を連れて行ってはくれないのね……。」


 焼けつく胸の内を押さえ、愛しい人の顔を思い浮かべた。怒った顔、笑った顔、真剣な顔、その人の表情を一つ一つ思い浮かべる度に、その思いは燃え上がってくる。


 いつの間にか氷漬けにされ閉じ込められていたそれは、女王の瞳の中で轟々と燃え上がった。


「……スノウ、やはり国はあなたに任せるわ。」


「お姉さま!!」


 笑みを浮かべた女王の言葉に、スノウは驚嘆して声を上げた。スノウは女王の涙で、自分の決断を思い直してくれると確信していた。だからこそ、その決断が変わらないことに驚く他なかった。


 しかし、女王の表情をよく見れば、スノウは自分の言葉を飲み込まざるを得なかった。


 女王の笑みは、遥か先の野望を見る凛々しさを取り戻していた。


「スノウ、よく聞きなさい。私はこれからヒマリと一緒に各国を回って、奴らと戦うための力を集めてくる。私が国を離れれば、国境付近にいるあいつらが何をしてくるかわかったものじゃないわ。だからこのまま、私を国から追い出しなさい。私の狙いを、奴らに悟られないように。」


 それはあまりにも危険だった。付き人はどこからか現れたヒマリだけ。自分にはセブンに合流し、新しい国を作るフリをして戦いの準備をしろと言うのだ。未だにセブンの真意が見えない中で、これを実行するのは二人に危険が伴いすぎる。


 スノウの心は不安で澱んでいた。だが、こんなに輝いた姉の瞳を裏切る訳にはいかない。今まですべてを奪われ真っ黒に澱んでいた彼女の瞳は、今ようやく輝きを取り戻し前へ進もうとしている。


「……私は、お姉さまを信じてよろしいのですか?」


 スノウは内にあった最後の疑心を言葉にして女王にぶつけた。たった一つの歌声で、たった一人の見ず知らずの少女の歌で、一時の気の迷いかもしれない大きな決断を、今まで共に歩んできたからこそわかる、その底知れぬ苦しみを払えたのだろうかと。


 そんなスノウに、女王は親指で押さえる中指に力を込めて、女王の額目がけて解き放った。中指は見事にスノウの額に直撃し、当たった箇所を真っ赤にする。


「ジョーカーの夢はまだ終わってないわ! 例えジョーカーがいなくても、私たちがその夢を繋いでいく! そうでしょ、スノウ!」


 自信満々の無邪気な笑顔。スノウがずっと見てきた、皆を笑顔にしてきた女王の輝きがそこにあった。


 スノウはその笑顔を瞼の裏に焼き付け、大きく息を吸い込んでためこんだ。後方から聞こえる雄叫びの合唱が、ヒマリの小さな勇気の歌を飲み込んでいく。


 スノウは溜め込んだ息を、ゆっくりと深く吐いて、女王の覚悟を受け取った。


 刹那、青白く輝きだした草原は瞬く間に真っ白に染め上げられる。


「私がお姉さまを足止めします! 今のうちに皆でお姉さまを捕えなさい!」


 スノウが後方から迫るセブンたちに向けて、高らかに号令する。女王はそれに力強く頷くと、一目散にヒマリに向けて駆け出した。


 歌う事に集中するヒマリの腕をかっさらい、その手を強く握って駆けていく。


「女王様!? どこへ行くんですか!?」


「ついてらっしゃいヒマリ! これからはあんたが私の付き人よ!」


「ええ!? お国はどうするんですか!? それにセブンさんやスノウ様も!」


「そんなもの……私には知ったこっちゃないわよ!」


「ええええええええええっ!!?」


 さっきと言っていることがまるで違うし、何がどうなっているかが全くわからない。だけれど、先程までとは打って変わった女王様の表情は、見ていてとても楽しくなってくる。


「女王ハート! これでも喰らいなさい!」


 背後から叫んだのはスノウ様、声に反応して後ろを振り向こうとすると、振り返りざまに冷たい何かが頬を掠めた。


「ねぇ女王様!? 今何か飛んできたんですけど!!」


「ちゃんと避けなさい! スノウは本気で狙ってくるわ! それぐらいしてもらわなきゃ困るけどね!」


「一体なにがどうなってるんですかぁーーーっ!!」


 先導する女王様に付いて行きながら、必死に追っ手からの追撃をかわす。山道はデコボコしていて走りにくく、思ったようには進めない。


「えっと、これからどこに行くんですか!?」


「隣国の「ダイヤシティ」よ! 「ダイヤの騎士」は、あの戦いの中で最も奪われた力が少なかったわ! あいつらなら力になるはずよ!」


 女王様が隣国へ……という事は、これは本気で逃避行になるみたいだ。武器も持たず丸腰の私たちに、この道なりは苦しい。



「ハート! 覚悟しろ!」


 不安に駆られる私の背を、ハートのタトゥーを首筋に入れた男が捉えた。彼は後ろから大きく振りかぶり、私目がけて何かを投げつけてきた。


「女王様! セブンさんが何かを投げて!」


「それは受け止めておきなさい!」


「わかりましっ……って受け止めるんですか!?」


 女王様からの意外な返答に驚いている隙に、真っ直ぐ私に向かって飛んできたそれをモロに受け止めてしまう。


 何かが流れ込んでくる感覚。冷たく、ひんやりとしているが、それがどこか温もりを帯びていて優しい。


「うわあああっ……あれ? 何だろうこれ? まるで何かを私に教えてくれているような……。」


 流れ込んでくる何かの感覚。しかし全く知らない物ではない。それは確かにどこかで見たことのある柔らかな自然の感触。ひんやりしていても、真っ直ぐな優しさを帯びたこの感じは……。


「セブンからの贈り物よ。ありがたく受け取っておきなさい。」


「贈り物? ……もしかしてギフト!?」


「もしかしなくてもセブンの贈り物ギフトよ。せっかく人が詩人っぽく伝えてあげたのに……あなたはもっと空気を読みなさい!」


 命がけの逃亡劇中に叱られてしまった。というかセブンさんがギフトを使えたというのが驚きだ。今まで使ってる所見たことないのに。


「……でも、なんでセブンさんがギフトを?」


「だから言ってるでしょ! 私には知ったこっちゃないわって! それとヒマリ! その堅苦しい喋り方やめなさい! 私の事は「ハート」と呼ぶこと! いい!?」


 そう言う女王様の表情は、まるで正解を導き出した子供の用に晴れやかだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 走りゆく二人の背中を見送った騎士の隣に、雪のような肌の女性が立ち並んだ。彼女は不安そうに両手を合わせて胸に寄せている。


「大丈夫でしょうか……私の力が役に立てばよいのですが……。」


 彼女は自分の贈り物ギフトを、彼の贈り物の力を使って大事な友人に託した。彼女が贈り物を使えなくなるわけではないので、大事な姉との約束を違えることもない。せめて、心が一つにあることは忘れないでいて欲しかった。だからこそ、自分の贈り物を新たな友に預けたのだ。


 それでも不安な物は不安だ。だがそれを、騎士は無粋だと鼻で笑う。


「心配ありません。女王様の事ですから、たくましくやっていくでしょう。」


「……そう、ですね。お姉さまのことです。きっと目的を果たして帰ってきてくださりますわね。」


 騎士の言葉に、新たな国の女王として頷いた。後ろを振り返れば、大事な姉から預かった宝物たちがいる。


「……みんな、お姉さまを送り出してくれてありがとう! お姉さまが戻るまで、私が皆を守ります!」


 女王は振り返り、この場に駆けつけてくれた民たちに声高に宣言した。


 全て芝居だったのだ。女王の心の内をセブンを介して知った民衆が、セブンの策で女王に奮起を促したのだ。


 他の国ではこうはいかなかっただろう。全ては、みんなが女王を愛しているからこそだ。


「……さぁ、帰りましょう! 私たちの国へ!」


 新たな女王は、送り出した希望の背中を照らす陽に向かって、未来を待つための第一歩を踏み出したのだった。

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